少女の言葉
距離は縮まっているはずなのに、
近づいているという実感だけが、どこにもない。
見えているものは確かに存在している。
触れられるし、歩けるし、寒さも感じる。
それでも——
「ここにいる理由」だけが、説明できなかった。
夢なのか、現実なのか。
その境界が曖昧になったとき、
人は初めて“知らない存在”と出会う。
これは、
夢乃港が“屋敷の外側”に足を踏み入れた話。
少女の背中を見失わないように、港は霧の中を進んだ。
足元の雪はいつの間にか薄くなり、やがて踏みしめる感触が土へと変わる。
霧の向こう、屋敷の裏手に——
ひとつだけ、古びた扉があった。
正面の重厚さとは正反対だ。
木は歪み、金具は赤錆に覆われ、まるで「使われないこと」を前提に存在しているように見える。
少女は、その扉の前で立ち止まり、指を差した。
少女「ここ」
港「……ここに入ればいいのか?」
思わず声が低くなる。
正直なところ、嫌な予感しかしない。
少女は一瞬だけ考える素振りを見せてから、あっさり頷いた。
少女「うん。何も無いから、安心していいよ」
港「……」
(それが一番信用できねぇんだよな)
心の中で突っ込みながら、港は空を見上げる。
相変わらず雪は降り続け、指先の感覚が鈍くなり始めていた。
港「……寒さに凍えるよりは、マシか」
半ば自分に言い聞かせるように呟き、扉に手をかける。
ぎぃ……と、嫌に生々しい音を立てて扉が開いた。
中に一歩足を踏み入れた瞬間、
埃と古木の匂いが一気に鼻を突く。
「うわ……」
天井の隅には蜘蛛の巣が張り巡らされ、
床には長い間誰も通っていないことを示すように、分厚い埃が積もっていた。
港「……お世辞にも、住み心地は良くなさそうだな」
少女「うん。ここは、あんまり使われないから」
その言い方が、妙に引っかかった。
(“使われない”……?)
扉を閉めると、外の風の音は嘘のように遠ざかる。
寒さは和らいだが、その代わりに、空気が重い。
港は周囲を見回しながら、ふと思い出したように口を開いた。
港「なぁ」
少女「なに?」
港「さっき言ってたろ。
正面から入ると、怒られるって」
少女の足が、わずかに止まる。
港「……誰に、怒られるんだ?」
一拍の沈黙。
少女はゆっくり振り返り、ほんの少しだけ視線を落とした。
その表情は——
今までで一番、感情が分かりやすかった。
少女「……ここにはね」
小さく息を吸い、
少女「魔女様が、住んでるの」
港「……魔女?」
思わず間の抜けた声が出る。
港の頭の中に浮かんだのは、
童話に出てくるような、箒に乗った存在だった。
(いやいや、さすがにそれは……)
港「魔女って……あの、魔法とか使う?」
少女は少しだけ首を傾げる。
少女「うん。使うよ」
港「……」
あまりにも即答だった。
港「それって、比喩とかじゃなく?」
少女「本物」
淡々とした一言。
冗談めかす様子も、からかう気配もない。
港は思わず後頭部を掻いた。
港「……夢にしちゃ、設定がガチすぎるだろ」
少女は、その言葉に小さく目を瞬かせた。
少女「夢?」
港「……いや、こっちの話だ」
(魔女、魂だけ、怒られる屋敷……
情報が多すぎて、整理が追いつかねぇ)
ふと、疑問がひとつ浮かぶ。
港「……なぁ」
少女「?」
港「お前は、その魔女と……どういう関係なんだ?」
問いかけると、少女は少し考え込み、
やがて、曖昧な笑みを浮かべた。
少女「……内緒」
その答えが、
「言えない」のか、「言わない」のか——
港には判断できなかった。
ただ一つ確かなのは。
(……やっぱり、深入りしていい場所じゃねぇ)
埃の舞う薄暗い空間で、
港の胸の奥に、言いようのない不安が静かに広がっていく。
——魔女。
——怒られる存在。
——魂だけがいる世界。
点と点が、まだ繋がらない。
だが、この屋敷に足を踏み入れた以上、
もう引き返せないことだけは、嫌というほど分かっていた。
港は、ゆっくりと息を整え、
少女の後ろ姿を見据える。
(……とりあえず)
(話を聞くしか、ないよな)
話しかける、その瞬間
正面の扉は閉ざされ、
導かれるように裏へ回り、
港は屋敷の内側へと踏み込んだ。
少女は答えをくれない。
けれど、嘘もついていない。
「魔女」という言葉は、
恐怖を煽るためのものではなく、
この場所に“秩序がある”ことを示している。
そして港は、まだ気づいていない。
この屋敷に入った時点で、
彼はすでに選択を終えているということに。
次に語られるのは、
“誰が支配しているのか”ではない。




