第7章 隣領との火種
【王暦424年・ダール渓谷の村】
畑に芽吹いた若草が、風に揺れていた。
ほんの小さな芽だが、村人たちにとっては希望そのものだった。
「嬢ちゃんのおかげだ……!」
「水が戻って、土も柔らかい。これなら秋には実りが……」
喜びの声があちこちで上がる。
私は微笑みながらも、胸の奥で緊張を拭えなかった。
(ここまでうまくいきすぎている……。辺境で“回復”が目立てば、必ず誰かの目に留まる)
◇
その予感は数日後、現実になった。
村の広場に、騎馬の一団が現れたのだ。
赤い外套を纏った男が先頭に立ち、鋭い目で村を見回す。
「この村に新たな領主代理が現れたと聞いたが──」
その声に、村人たちがざわめく。
彼は隣領ヴァルデン男爵家の使者だった。
荒れ果てた辺境の地は、互いの境界が曖昧で、常に小競り合いが絶えない。
「畑が甦り、水が溢れたと噂になっている。……何をした?」
私は一歩前に出た。
「村を立て直すために、祖母の知識を使っただけです」
「知識、だと? 魔女め……!」
怒鳴り声に、村人たちが息を呑む。
その瞬間、黒い影が彼らの前に立った。
「口を慎め」
グレイ辺境伯だった。
冷たい声に、赤外套の男がたじろぐ。
「ここはダール渓谷。ライン以南はすべて我が領の監督下だ。勝手に踏み込むな」
「し、しかし──」
「帰れ」
一言で、空気が凍りつく。
使者は歯を食いしばり、騎馬を返した。
◇
その背を見送り、グレイは私に視線を向けた。
「見ただろう。お前の行いは、村を救ったと同時に外の火種にもなる」
私は拳を握りしめた。
「……それでも、やめません。たとえ誰に何を言われても、私はこの村を守りたい」
グレイの瞳がわずかに揺れる。
やがて低く呟いた。
「ならば覚悟しておけ。辺境で“目立つ”者は、真っ先に狙われる」
その言葉は脅しではなく、警告だった。
私は強く頷き、心に刻んだ。
(逃げない。私は追放された令嬢だけど……ここでは、私が前に立つしかないんだ)
空は灰色に曇り、遠雷の気配が響いていた。
新たな嵐の前触れのように。
第7章をお読みいただきありがとうございます。
村を救ったリシェルの行いは、人々の信頼を得る一方で、外からの警戒と敵意を呼び込む結果となりました。
隣領ヴァルデン男爵家の使者が現れたことで、物語はいよいよ「村の中の逆転劇」から「領同士の衝突」へと広がっていきます。
グレイ辺境伯が言ったように、辺境で目立つ存在は真っ先に狙われる。
その警告が現実になるのか、それともリシェルが更なる力を示すのか──次回からは、外的な圧力と村を守る戦いが本格化します。