第4章 初めての力
【王暦424年・ダール渓谷の村】
翌朝、村の広場には緊張した空気が漂っていた。
子供の泣き声が途切れず、女たちが慌ただしく行き来している。
「何があったのですか?」
私が声をかけると、老婆が振り返った。
昨日会った、祖母を知る村の古老だ。
「子供が熱を出してね。もう三日も下がらんのだ……薬も尽きている」
胸が痛む。
王都でなら医師を呼び、薬を買えば済む話。けれどここは辺境。
何もない。いや──何も「残されていない」だけだ。
(祖母なら、きっとこういうとき……)
私は荷袋から古い手帳を取り出した。
ページをめくると、震える字でこう記されている。
「──水辺の苔を煎じ、月草の葉を添えよ。熱を散らし、命を繋ぐ」
私は顔を上げた。
「近くに川がありますか?」
「あるが……あの川はもう濁って、獣の溜まり場になってる」
「私が行きます」
村人たちがざわめく。
女一人が行けば、狼や魔物に食われるだけだと。
だが、背後から低い声が響いた。
「俺が同行する」
グレイ辺境伯だった。
黒衣のまま現れた彼は、ただ一言「行くぞ」とだけ言った。
◇
川は渓谷の下にあった。
濁った流れの中に、まだ青々とした苔が岩にしがみついている。
「……あった」
私は膝をつき、苔を丁寧に削ぎ取った。
グレイは剣を抜き、背後に近付く狼を一太刀で斬り伏せる。
血の匂いに吐き気を覚えながらも、手を止めなかった。
◇
村へ戻り、火にかけた鍋に苔と月草を入れる。
緑の香りが漂い、苦味のある湯気が立ち昇る。
「飲ませてください。……必ず効きます」
母親が怯えた目で私を見た。
だが子供の荒い息遣いを見て、震える手で煎じ薬を口に運んだ。
一刻ほどして──。
子供の顔に汗が浮かび、苦しげな呼吸が徐々に落ち着いていく。
「熱が……下がってる……!」
母親が涙を流し、子供の手を握りしめた。
周囲の村人たちも、信じられないという顔で私を見ている。
「ただの言い伝えじゃなかったのか……」
「いや、本当に……効いたんだ」
ざわめきが広がり、次第に歓声に変わった。
私はそっと手帳を閉じ、胸に抱いた。
(お祖母様……あなたの知識は、やっぱりここで生きる力になる)
◇
その夜、焚き火の明かりの中で、グレイ辺境伯が私に言った。
「……お前のやり方、見せてもらった。王都の机上の学問とは違う。本物だ」
「ありがとうございます」
「だが忘れるな。辺境は一度成果を出した程度でお前を受け入れたりはしない。……生き抜きたければ、次も示せ」
冷徹な声。けれどその瞳には、ほんのわずかに認める光が宿っていた。
私は火の粉を見上げながら、静かに頷いた。
(必ず、この村を立て直してみせる)
第4章をお読みいただきありがとうございます。
祖母の手帳に記された知識を頼りに、リシェルは初めて辺境で「力」を示しました。
王都では嘲笑された古い療法が、ここでは命を救う力になる──この対比こそが、彼女の逆転劇の始まりです。
村人たちはまだ完全には彼女を信じていませんが、「役に立つ存在」と認識し始めました。
そしてグレイ辺境伯も、冷徹な態度の裏で彼女をほんの少し認めつつあります。
次回は、村を襲うさらなる試練。そしてリシェルが二度目の「無双」を示す場面へ。
辺境での暮らしが本格的に動き出しますので、ぜひ楽しみにしてください!
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