第2話 挫折
兄は、昔から俺の憧れだった。剣を使うのが得意で、運動ができて、勉強だってまわりで一番。だけどそれで威張ったりせず、困っている子がいたらすぐに助ける。俺が失敗しても、兄さんはすぐにフォローしてくれた。俺も あんなふうになりたいなどと思っていた。
けれど、そんな兄さんが突然、村を出ることになった。
あの日は驚愕の出来事ばかりだった。
見たこともない恐ろしい魔物が村を襲ったこと。
兄さんがそれに突っ込んでいったこと。
そして、本で見た勇者様と同じ魔法を使い、魔物を倒したこと。
混乱と興奮で眠れなかった俺は、夜中に家の中で交わされた話を偶然聞いてしまった。兄さんが勇者の末裔であり、魔王復活の兆しがあること。そして、兄さんが旅に出ることを決意したこと。
「……僕は、逃げない。」
兄さんのその言葉を聞いたとき、胸が熱くなった。かっこよかった。俺も、兄さんと一緒に旅に出たいと思った。
でも、俺は未熟だ。兄さんみたいに強くないし、魔法も使えない。兄さんの弟だし、たぶん俺も勇者の末裔なのだろうが、俺は何の力もない子供でしかしかない。だから、何も言えなかった。
翌朝、兄さんは旅立った。
「大丈夫だよ、ルクス。僕は必ず、魔王を倒して帰ってくるよ。」
そう言って微笑む兄さんの背中を、俺は見送ることしかできなかった。
それからの日々、俺は必死に努力した。武器を握り、体を鍛え、魔術の勉強も今まで以上に真剣に取り組むようになった。兄さんのように魔法は持っていない。でも、少しでも強くなりたかった。
俺は、兄さんと同じ剣では、きっと兄さんにはかなわないと思った。だから、後ろから敵を攻撃できる弓を鍛えることにした。
幸い、父さんは弓の心得があったため、その指南を受けることができた。
初めのうちは近くの的に当てるのも難しかったが、2か月もする頃には森の中で小型の魔物をに当てれらる程度に成長した。
また、基礎的な鍛錬も欠かさなかった。毎日できるだけ早起きし、走り込みや腕のトレーニングに励んだ。また、山歩きをすることで体力をつけつつ、矢の殺傷力を上げるべく鏃に毒を仕込むため、必要な植物やキノコの収集に励んだ。
そして、魔術の練習。
個人的には、これが一番やりがいを感じた。
本来、魔術とは、神が一部の人間に与えた力である『魔法』を基として、より多くの人が行使できるようにする技術である。
魔術は『火魔術』『水魔術』『土魔術』『風魔術』『治癒魔術』の5属性に分類され、その中で低位、中位、高位の三段階に分けられる。
わかりやすく例を出すと、
低位魔術…焚き火用の火種を出す、桶を満たす程度の水を出すなど、生活に役立つ程度の魔術。
中位魔術…風の刃や土槍を飛ばしたりといった、魔物を討伐できる程度の魔術
高位魔術…周囲を焼き払う業火や欠損部位を癒すほどの治癒など、魔法と比べてもそん色ない魔術。
となっている。
どの属性のどの段階の魔術が使えるかには個人差があり、例えば俺には火、水、そして治癒魔術の低位に適性がある。たいていの人が1~3つ程度低位の適性を持ち、中位以上の適性を持つ人は数百人に一人、高位ともなると数千人に一人らしい。それを踏まえれば俺の適性は平均的だといえる。
魔術は、適正さえあればすぐに使えるというわけではない。
まず、魔術の発動には魔法と同じく魔力と呼ばれるエネルギーが必要だ。
人の体に宿る魔力は生まれつき量が決まっており、訓練によって増やすことはできない。ただし、効率的な使用方法を学ぶことで、より長く、より強力な魔術を扱えるようになる。魔術を使うためには、まず自分の中の魔力を近くするところから始めるらしい。
また、魔術は感覚で使うものではなく、理論に基づいた「魔術式」と呼ばれる構造を通して発動する。
簡単に言えば、魔法陣は魔力を効率的に運用し、狙った効果を生み出すための理論…らしい。
魔術式を形にしたものが「魔法陣」だ。一見すると円の中に縦線横線星形菱形三角形四角形小円楕円等が複雑怪奇にまじりあった奇妙な図形だが、これを自分の魔力で描くことで魔術は発動する。
幾何学的な模様に見える魔方陣だが、その一つ一つに威力やら軌道、効果なんかを決定する要素がある。が、俺みたいに低位魔術しか使えない場合は、決まった形を描いて魔力を流せば魔術が使える、くらいの認識で問題ないらしい。
俺の場合、
魔法使いは、いわば魔法陣が体に備わっているような状態であり、魔力さえ流せばそれが直接魔法として行使できる。例えば、火の魔法使いの場合、常人が魔力を放出する感覚で指先から火を出すことができ、イメージのままに自在に操り、魔力さえつぎ込めば自在に大きさや形を変えることができるらしい。
しかし、放出した魔力が魔法になってしまうという事は、魔法陣を描くことができないという事を意味するため、魔法使いは魔術を使うことができないようだ。
と、ここまでの知識があれば魔術を使うまでのプロセスが分かる。
1.自分の中の魔力を知覚する
2.魔法陣の形を覚える(中位以上の場合構造を理解する)
3.魔法陣を描き、魔術を行使する
魔力の知覚については、今まで生きてきた中でなんとなくできているため、俺の場合は魔法陣の形を覚える段階というわけだ。
魔法陣を描くには杖などに魔力を通すことで、インクのような感覚で魔力を流し込むことができる。そして、魔法陣が正しく描ければ、魔術が発動する……はずだ。
俺はさっそく魔法陣の形状を学ぶのだった。
‐‐‐
兄の旅の様子は、定期的に王都の新聞社から出される新聞で知っていた。港町の物流の妨げになっていた巨大なイカ型の魔物を倒しただとか、魔物が王に成り代わっていた国を解放しただとか、遺跡を探索し、かつての勇者が使っていた『聖剣』を見つけ出しただとか。
次々とくる兄の吉報に、誇らしさと同時に、弱い魔物を狩っているだけの自分に、どこか焦りを感じていた。
兄が旅立ってから3年が経ったころ、村に異変が起きた。
夕暮れ時、森での鍛錬を終えた俺が村に戻ると、そこでは黒い霧が立ち込め、そこら中で黒い狼型の魔物が現れた。以前、兄さんが倒した魔物よりも小さいが、一体一体が知性を持ったかのように鋭い眼光で、不気味にこちらを見つめていた。
「黒狼か……まずいな。」
俺の鍛錬に付き添ってくれていた父が低く呟く。その声の冷静さに、余計に不安が募った。
村にいた男たちが鍬や鎌を手に取り応戦しようとしたが、狼は圧倒的だった。鋭い爪を振るい、たちまち数人が吹き飛ばされた。
俺は背から弓を取り出すと、狼に向けて矢をつがえる。怖かった。でも、このままでは村が滅ぼされる。
「兄さん……俺も戦うよ。」
腕の震えを必死で抑えながら、狼に向けて矢を放つ。兄さんにはまだ追いつけないかもしれない。でも、俺なりの戦いをするんだ。
『グガァ?!』
頭部を狙った矢はわずかにそれ前足の付け根に命中する。傷は浅いだろうが、鏃には毒が塗ってある。効いてくれれば行動不能なはずだ。
目視できる範囲にいる魔物は5匹で、いまの矢で俺の存在に気付いたのはうち3匹、前足のダメージ+毒で1匹動けないとして残り二匹。父さんが剣を片手に走っていったから、一旦はこの2匹を片付ければいいはずだ。
息つく間もなく次の矢をつがえると、1匹が俺に迫る。正面から向かってくる魔物に恐怖しつつも俺は頭を打ちぬく。地べたに倒れこみピクピクと痙攣している。戦闘不能とみていいだろう。あたりを見渡すと父が剣をふるって魔物とやり合っている。俺と兄さんに戦い方を教えていただけあって父は強い。
などと考えていたが、ふと気づく、もう一匹はどこへ…?
俺があたりを見渡していると、横にあった茂みから狼が飛び出してくる。左腕に深く牙を突き立てられ、鋭い痛みに意識が飛びそうになる。半ばパニックになりつつ、とっさに左腕を喉奥に突き出して無理やり離させたが、左腕に力が入らない。
片腕では弓が引けない以上予備で持っていたナイフ1本でこいつをどうにかしなければならない。
いけるか…いや、やるしかない。
父の方に一瞬意識をやるが、狼に囲まれており、あちらくせんしているようだ。これでは救援が望めないだろう。
「低位治療」
俺は震える手で魔方陣を描き左腕に気休め程度の治療を施しつつ、腰に差した短剣を抜くと、狼に向けながらじりじりと距離を詰める。
しびれを切らした狼が俺の首筋目掛けとびかかってくる
「…ここだッ!」
俺はぼろぼろの左腕を無理やり動かし、毒矢を狼の腹に直接刺す。
『ガァァッ!』
それでも勢いは止まらず狼は俺を押し倒す。急所を何とかかばいながら、肩口や右腕には爪や牙の裂傷が走る。永遠とすら感じられるほど長く…でも十数秒程度だったであろう攻撃がやむと、狼は痙攣し、その場に倒れた。
どうにか…なったのか?
倒れた姿勢のまま父のいた方を見たが、周囲に5匹ほど狼が倒れているがそれもなお7匹に囲まれている。どうにか助けに行きたいが、ダメージを負いすぎたからか、体を起こすこともできない。
痛みで思考が鈍っているのが分かる。
俺を囲むようにして数匹の増援が近寄ってきているのを感じる。
(このまま、村は滅んでしまうのか?)
そのうち一匹が俺に近寄ってくる。
(俺は、こんなにも弱いのか?)
俺にまだ息があるのを感じ取った狼は、その爪を高く振り上げる。
(もしも兄さんなら、村を救えた。俺が、俺が弱いから…)
目の前に狼の爪が迫る。
(俺は結局、兄さんのみたいになれないまま…)
『雷神の矜持!』
一瞬視界が真っ白になったと思ったら、一瞬の後に轟音が鳴り響き、目の前にいた狼が消え失せ、兄さんが目の前に立っていた。
「遅くなってごめんな、ルクス。大丈夫か?」
「兄…さん?…どう、して…?」
旅に出ていたはずの兄が、どうして目の前にいるのだろうか。
「…倒した魔族が、部下に故郷を襲わせていると言ってたからね。最速で里帰りしに来たってわけさ。」
久しぶりに会う兄は、ずいぶんと立派になっているように感じられた。機能美の感じられる銀色の鎧に、腰に差した龍の紋章をあしらった剣。鍛えられた肉体に精悍な顔つきと、まさに『勇者』といった見た目になっていた。
「…そうだ!父さんが!」
急いで父のいた方を見ると、すでに魔物の姿はなく、父は治療を受けている真っ最中だった。
「大丈夫だ。魔物は全部片づけたから。」
そう告げる兄の顔は、余裕に満ち溢れていて、俺は、安心と同時にどこか暗い思いを抱えるのだった。
兄とともに旅をしているという『治療魔法』を使える女性から傷を治療してもらった後、兄から旅の話を聞いた。大半は、村に定期的に届く新聞で見知った内容と相違なかったが、魔王との決戦が近く、会うのは最後になるかもしれない、と言った。
兄が負ける姿なんて想像できないが、本人がそう思うのならきっと厳しい戦いになるのだろう。
俺は激励の言葉をかけながら、兄を見送ることにした。
翌朝、兄は3人の仲間と共に村を後にした。
『治癒魔法』を扱い、いかなる傷をも治すといわれる『聖女』イヴェーヌ。
『守護魔法』を扱い、見方を守る盾として活躍する『守護神』バルドル。
魔法は使えないが、独自の魔術によって並大抵の魔法使い以上の戦闘能力を持つ『賢者』ライブラ。
そして、『雷鳴魔法』と聖剣を使い、敵をなぎ倒す『勇者』ユーリス。
きっと、彼らは魔王を倒すのだろう。
昨日、圧倒的な力の差というものを俺は嫌でも思い知らされた。
兄以外の戦いぶりを見たわけではないが、きっと俺ではあんな風にはなれない。
憧れを捨て、身の丈に合った未来を望むべきだろうと、そう感じた。
評価していただけると幸いです。