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冥土少年院

作者: ぬえもと

三瀬みつせ優人ゆうとくん」


 諭すように名前を呼ばれ、顔を上げる。


「高校への通学途中、朝のラッシュ帯にホームから飛び降りて自殺。享年16歳。間違いないね?」


 取調室を思わせる小さな灰色の部屋。机を挟んだ向かい側に、一人の青年が座っている。

 真っ赤な道服に、「王」の文字が記された中華風の冠。手元には黒いバインダーを持った閻魔様は、世間一般に浸透している般若のような顔をした恐ろしい巨漢、というイメージからは随分とかけ離れた優男だった。

 もっとも僕にとっては、無事に死ねたという事実の方が大切で、閻魔様がどんな外見をしていようがどうでもよかったけれど。

 「はい」と、力なく肯定すれば、閻魔様は「そうかい」と、どこか沈痛さを滲ませた声で頷いた。

 わざとらしいまでに顔を歪めた閻魔様に、僕は無気力に視線を向ける。


「僕は、地獄に行くんですか」


「地獄には行かないよ」


「じゃあ天国に行けるんですか」


「いいや、天国にも行けないよ」


「……どういうことですか?」


 死んでから初めて表情筋を動かせば、閻魔様は薄い冊子を机の上に差し出してきた。促されるまま手に取れば、学校の校舎を思わせる白亜の建物と、それらを取り囲む巨大な鉄柵の写真が僕の目に飛び込んでくる。それから、「冥土少年院」という見慣れない文字列も。


「君が行くのは、冥土少年院。天寿をまっとうせず、自ら死を選んだ人間が罪を償う更生施設だ」



********************



 冥土少年院は、天国と地獄のはざまに存在する更生施設だ。

 閻魔様曰く、地獄に行くには軽すぎ、天国に行くには些か重すぎる罪を背負った「自殺者」という存在が、来世生まれ変わるときに備え、人生を振り返り、自ら命を絶ったという重大さと向き合うことによって、前世の業を断ち切るための場所らしい。


「ちゃんと付いて来いよ」


 閻魔様本人よりもよほど閻魔らしい巨漢の赤鬼に連れられて、僕は冥土少年院の門をくぐった。校庭を思わせる広いグラウンドに、写真よりは些か薄汚れている乱立する白い建物、それらを囲む高い鉄の柵。

 真っ赤な空の下、グラウンドを突っ切り、僕は施設の端にある「皐月寮」と書かれた建物に案内された。階段を上った先、三階の隅にある部屋の前で鬼の足が止まる。


「ここがお前の部屋だ。二人部屋だから、同部屋のやつとは仲良くするように。刑務作業は朝七時から。消灯は二十一時。他に何か質問は?」


 黙って首を横に振ると、鬼は酷く雑な手つきで鍵を投げ渡してきた。

 鍵をキャッチし、去りゆく鬼のうるさい足音を聞きながら、僕はしばし扉を開けることをためらっていた。

 僕が自ら死を望んだのは、人間関係の劣悪さ――有体に言ってしまえば、いじめが原因だったから。命を絶って、ようやく人付き合いなどという煩わしいものと縁を切ることが出来たと思っていたのに、まさか死んでから、どこの誰ともしれない相手と共同生活を送る羽目になるとは。

 ため息を吐くが、悩んだところで現状が変わるわけでもない。

 僕は渋々鍵を差し込むと、音を立てないよう慎重に扉を開けた。どうか、同居人が僕を害するような人ではありませんようにと、ただそれだけを祈りながら。


「よ。お前が新入り?」


 机とベッドがそれぞれ一つずつ。左右対称に構成された狭い部屋の中にいた人物を見咎めた瞬間、僕はちぎれんばかりに目を見開いていた。

 癖のない黒髪に、切れ長の鋭い目。

 流れるような鼻筋に、華奢ながらも精悍な顔立ち。

 僕とそれほど歳も身長も変わらない少年は、僕の姿を見咎めるや否やすっくとベッドから立ち上がると、歯を見せ爽やかに笑った。

 キシリトール入りガムの、コマーシャルの一コマのようだった。


「お前のベッドそっちな。荷物とか、着替えは先に届いてるから。あ、てかまだ自己紹介してなかったよな。悪い。俺、一週間くらいずっと一人だったから、テンション上がっちゃって。改めまして、俺は正塚しょうづかあきら。享年17歳。歳も近いだろうし、明でいいよ」


 僕が最初に抱いたのは、どうしてという疑問だった。

 よろしくと、差し伸べられた手をおずおずと握り、小さな声で「三瀬優人……」と返しながらも、僕の疑念は深まっていく。

 この場所にいるということは、明も自死を選んだということで。けれど、目の前で底抜けに明るく笑う少年は到底僕のように鬱屈とした思いを抱えているようには見えず、ここにいるのは何かの間違いなのではないかと思った。


「で? 優人はなんで死んだの? 俺は、これ以上生きてても意味がないと思ったからなんだけど」


 生きていても意味がない。

 字面だけをなぞれば救いようがなく暗いのに、やはり明の笑顔はその名を表すかのように眩しかった。

 それがどうしようもなく不気味で、不思議で、けれど内容だけを切り取ってみれば僕の自殺理由も似たようなものだったので、


「僕も、まぁそんな感じ」


 そう曖昧に濁して、くしゃりと顔を歪めた。


****************



 冥土少年院の朝は早い。


 途中に昼休憩こそ挟むが、基本は毎日朝の七時から夕方の六時まで、ルームメイトと二人一組――僕の場合は明と、現実の少年院よろしく刑務作業と称された雑用をこなす。

 作業の内容は便せん作りや刺繍といった手先で出来る細かな作業から、棚作りや溶接といった大がかりな肉体労働まで多岐に渡っている。ただし、特に希望が出せるわけではないので、一日一日の作業内容は完全に運任せだった。


 僕は生前から体力がないので、体力勝負の刑務作業に配属された翌日はぐったりすることもあったけれど、土日祝は休みという妙にお役所じみたスケジュールをしていたおかげで、意外にも十分な休息を取ることが出来ていた。


 もっとも、休みと言っても施設の外に出ることは許されておらず、僕たちは広いけれども狭い塀の中で、怠惰に時間を食い潰すことしか出来なかったけれど、不眠不休で働けと言われるよりはマシである。

 ただ毎日刑務作業に励んでいると、どうしても「なぜ死んでからもこんな目に」と考えてしまう時はあった。死んだら楽になれるのではなかったのか、こんなのは理不尽ではないか、と。

 事件が起こったのは、僕の中の鬱憤が限界まで蓄積し、爆発しそうになったまさにその時。

 僕が冥土少年院にやってきて、ちょうど一週間の節目のことだった。


 その日は技術室のような場所で、集団で家具の製作に励んでいた。僕と明は本棚に使う板を切る担当で、切る係と板を押さえる係を適宜交代しながら作業をこなしていく。

 時折額の汗を拭う傍ら周囲を見回せば、僕らと同じ灰色のつなぎを着た人々が大勢視界に飛び込んでくる。下は小さな子どもから、上は今にも倒れてしまいそうな老人まで、少年院と名は付いているものの、入所者の年齢は多岐にわたっていた。


「ふざけんなよ!」


 叫び声を上げたのは、室内の中央にいた三十代前後の男だった。部屋の隅でノコギリを動かしていた僕は、それまで工具の奏でる音だけが淡々と響き渡っていた中落ちた悲痛な声に、たまらず一時作業の手を止め、目を奪われてしまった。

 僕の視線の先、男が手にしていたノコギリを地面に投げ落とす。


「こんなことしてなんの意味があるってんだよ! 生きてるときも死ぬほど苦しかったのに、なんで死んでからもこんなに苦しまなくちゃいけないんだよ! お前らだってそう思ってるよな? なぁ!」


 木くずに紛れたノコギリを、煙草の火でももみ消すようにグリグリと踏みにじり、男は発狂していた。

 魂の慟哭に、一瞬賛同しそうになる。僕だって、この状況に大いに不満を覚えていたから。けれど、


「やめとけ」


 明が窘めるようにして手を掴んだから、僕は持ち場を動けなかった。

 正しくは、動かずにすんだ。


 僕が明に視線を奪われた一瞬の隙に、男は壁際に控えていた屈強な鬼たちに取り押さえられていた。文字通り赤子の手を捻るように簡単に組み伏せられ、そのまま作業場の外へと数人がかりで担ぎ出されていく。

 しばし入所者たちは部屋の出口を憐憫混じりに見つめていたが、男の絶叫が聞こえなくなれば、何事もなかったかのように自身に課された労役へと戻っていった。

 僕も彼らに倣おうとしたが、どうしても男の行く末が気になり明に尋ねてしまった。あの人は、どこへ連れて行かれたのかと。


「地獄だよ」


 その日を境に、二度と男の姿を見ることはなかった。


 あの時明が止めてくれなかったら、僕も同じ目に遭っていたかもしれないと思うとぞっとする。


 それから僕は、一層真面目に刑務作業に励むようになった。


 元々単純作業は嫌いではなかったし、そもそも現実で味わった苦しみに比べれば、労役など可愛らしいものだった。

 加えてこの日々には、「刑期満了」もしくは「釈放」という明確な終わりがある。

 「刑期満了」は、「自殺した時点での残りの人生分」の労役を終えること。「釈放」というのは、十分に自分の罪と向き合ったと閻魔様に認められれば、刑期満了よりも早めに出所出来る制度のことだ。

 もっとも明から聞いた話によれば、後者はかなりの特例らしいが。

 逆らえば地獄行き。刑期を終えたからといって、天国に行くことは出来ない。けれど、来世に生まれ変わることは出来る。だから僕は、毎日黙々と課されたノルマをこなしていった。次の人生こそは、必ず明るいものになると信じて。



********************



 一ヶ月後。一日の終わりに、僕らは一枚の封筒を受け取った。


 真っ白な袋をひっくり返すと、「給料明細」と書かれた紙と、百円玉が二枚出てきた。


「やったー!」


 歓喜の叫びを上げたのは僕ではなかった。

 すぐ隣にいた、明だった。


「明日、朝一で購買行こうぜ。休みの日は皆遅くまで寝てるから、狙い目なんだ」


 思い切りガッツポーズをして喜ぶからにはよほどの大金が入っているのだろうと僕は不満を覚えたが、明の手に握られていた硬貨は、僕より十円多いだけだった。

 翌朝、浮き足だって購買部へ向かう明の横を歩きながら、僕は不思議でならなかった。なぜ、たかだか二百十円ぽっちでそんなに喜べるのか。理解出来ない生き物を前に、僕は正直引いていた。

 明の話通り、購買部に先客はいなかった。

 小さなカウンターの上には、ファミレスのレジ横に置かれているような安っぽいプラスチック製のおもちゃが埃を被って並べられているだけだった。


 なるほど。確かにこんなもののために、わざわざ早起きをしようとは思わないだろう。内心ため息を吐く僕に反し、明はとっておきの宝物でも見るかのように陳列された商品を眺めていた。手のひらの中の硬貨を力強く握りしめ、無邪気にも目を輝かせているその姿は、初めてお小遣いを手にした小さな子どものようだった。

 結局僕たちは、幼稚園児が使うようなプラスチック製のバトミントンセットを買い店を出た。四百円と、僕らの手持ちからすればかなり値が張ったが、僕は特に持ち金にこだわりがなかったので、二人で合算して買うことにした。


 購買を出た足で人気のない運動場に向かうが、正直僕は気乗りしていなかった。僕は運動が大の苦手だったから。


 明と打ち合いを続けるうち、次第ラリーは続くようになっていったが、実際最初の方はかなりお粗末なもので、何度も何度もシャトルを取り落とし、その度「下手だなぁ」と笑い混じりに煽られた。けれども、不思議と嫌な気はしなかった。明の口調には、本気で僕を罵るような色が含まれていなかったから。

 しかし、素直に認めてしまうのも癪で、僕はその度「うるさいな!」と、わざとらしく癇癪を起こし、勢いよくシャトルを投げ返したが、そうやって力む時に限って上手くラケットに当たらなかったりするもので、これまた腹を抱えて笑われたが、それすらも心地が良かった。

 こんなものはくだらないと、朝にはあんなにも斜に構えていたのに、気付けば僕らは消灯一時間前を知らせるチャイムが響くまで、一心不乱に遊び続けていた。


 動いていたときには気付かなかったが、尋常ではなく体が疲れきっており、僕たちは消灯までの一時間、寮の外にある階段に座って休むことにした。

 二人並んで腰掛けながら、赤黒い空を眺める。この場所はいつだって、同じ空の色をしている。雨も降らず、曇ることもない。不変的な空模様は、なんだか隣に腰掛ける明に似ているような気がした。


「明はいいよね。いつも楽しそうで」


 それは、単なるひがみから出た言葉かもしれなかったし、純粋に羨んでいただけかもしれない。

 口に出した僕としては、一応皮肉のつもりだった。


 刑務作業中も、部屋でも、明はいつだって笑っていて、初対面の時から今日まで、弱音を漏らすところは一度たりとも見たことがない。僕は腐るほど見せてしまっていたのに、不公平なことこの上ない、と。


「だって楽しいじゃん。優人は楽しくねぇの?」


 返ってきたのは、どこまでも晴れやかな笑顔だった。夏の日の青空を思わせる、澄み切った微笑み。

 瞬間、僕は歯を食いしばっていた。悔しさからではない。無論、悔しさもあったがそれ以上に、僕も明のように些細な物事に幸せを見いだして、前向きに生きていけるような人間なら、どれほど幸せだっただろうかと。

 だからこそ、思わずにはいられない。

 どうして、こんな良い奴が僕と同じ過ちを犯しているのか。犯さなければなければならなかったのかと。


「なんで、自殺なんてしてるんだよ。君みたいな良いやつが」


 思わず漏らせば、明は一瞬呆気に取られた顔をした。

 「ありがとな」と、そう言って恥ずかしそうに顔を歪める。そんな些細な所作ですら絵になっていて、無性に腹立たしかった。


「前にも言っただろ。これ以上生きてても仕方ないと思ったからだって」


「そういう、抽象的な話じゃなくてさ」


 分かっているはずだと、責めるような目を向けると、明は「んー」と妙に間延びした声を上げた後、諦めたように口を開いた。


「別に話してもいいけどさ。人に聞く前に、まずは自分のことを話せよ」


 人にものを尋ねるときは、まず自分から。至極真っ当な理論に、僕は自分が死を選んだ理由を話し始めた。


 小学校、中学校と、クラスのリーダー格の男子たちにいじめられていたこと。高校に進学して人間関係をリスタートできると思ったら、いじめに加担していた生徒の内の一人が同じ学校で、更には同じクラスで、耐えられなくなってしまったこと。

 そういった、全く面白くない話を淡々と語った。

 話し終わった時、明の顔からは完全に笑みが消えていた。

 けれども、「辛かったな」だとか、「頑張ったな」だとか、そういったありきたりで安っぽい慰めの台詞は全く出てこなかった。


 ただ「そうか」と、素っ気ない相づちを打つだけ。


 それが僕にはとてもありがたかった。哀れまれたいわけではなかったから。僕たちはただ、互いに事実を確認したかっただけだから。

 しばしの沈黙の後、明は彼にしては珍しく、妙に歯切れ悪く口を開いた。


「優人に比べたら、俺の死んだ理由なんてたいしたことねぇよ」


 要約すると、明の話はこうだった。

 明の家は大体医者の家系で、両親は医者。兄も、姉も当然医学部に進学し、明もそうあることを強制されていた。

 医者一家のため金には不自由していなかったが、勉強漬けの毎日を送る明に自由な時間はなかった。

 平日も土日も関係なく毎日塾に通い、友達と遊ぶことは許されず、毎晩寝る前にはスマホの中身をチェックされる。


「んで、まぁ、そういう生活が辛くなって。このまま親に敷かれたレールを走るだけの人生に何の意味があるんだろうって、そう思ったらさ」


「……これ以上生きていても、意味がない」


「そういうこと」


 軽い調子で頷いて、明は思い切り伸びをした。届かないものに手を伸ばすように、遙か彼方の暗い空を見上げて、目を細める。


「俺さ、バイクの免許取りたいんだ。幼稚園の時映画で見た、真っ赤なバイクがめちゃくちゃ格好良くてさ。だから、来世になったら普通の家に生まれて、バイトして、金貯めて。……海岸線に合わせて走るんだ。ひたすら、真っ直ぐにさ」


 一緒に空を見上げながら、僕は反射的に呟きを漏らしていた。

 慰めでも、哀れみでもない。心の底から思っての発言だった。


「僕も一緒に取るよ、免許」


「優人、バランス感覚終わってんじゃん。事故りそうで不安」


「うるさいな」


「事実じゃねぇかよ。でもそうだな。一緒に走れたら、楽しいだろうな」


「走ろうよ、絶対」


 真っ直ぐに明の顔を見る。返事はなかった。

 天を仰ぎ見ていると思っていた明は、膝を抱えて、胡乱な目でじっと虚空を見つめていた。


「覚えてられんのかな、ここでの出来事」


 それは、初めて明が零した弱音だった。

 いつも前向きで、その名の通り底抜けに明るい男が零したとは思えない感情の吐露に、僕は明確に動揺していた。


「大丈夫だよ、きっと――」


「もしも覚えてられなかったら? 生まれ変わって、顔も名前も変わって、住んでるところも分からなくなって、そしたら、どうしたらいいんだよ」


 掠れた声で言い切って、明は口角を釣り上げた。

 紙くずのようにぐちゃぐちゃになった端正な顔から一粒の滴が零れ落ちたと認識したときには、僕の顔からも同じものが出ていた。


「俺たち、なんで死んでんだろうな。俺、優人と一緒の高校行きたかったよ。そんでさ、一緒に部活して、帰りにゲーセンとか行って、バイトして金貯めて、一緒にバイクの免許取って、夏休みには旅行、行ったりしてさ。それで、それでさ……」


 一度決壊してしまえばあとは呆気ないもので、その時になって初めて、僕は自分が死んでいることを後悔した。

 そしてきっと、それは明も同じだったのだと思う。

 どうして僕たちは、生きているうちに出会えなかったのだろう。死んでしまって、こんな人生の終着点で出会ったところで、何の意味もないというのに。


 ――いや、違う。僕は、滝のように溢れる涙を拭いながら思い直す。


 冥土少年院の生活は、到底楽しいものではない。

 毎日朝早くに起きて、一生懸命働いて、それで得られるものは二百円ぽっちの硬貨だけで、購買で売られているのは子供だましのおもちゃだけ。巨大な檻の中、鬼たちに監視され、逆らえば地獄行き。

 けれど、苦しみの中にも確かに光はあって。


「明」


 刑期を終えた時、全てを忘れてしまうのだとしても。

 来世、全くの別人になってしまうのだとしても。


「僕、明と友達になれて良かったよ」


 明となら、どんな困難だって乗り越えられるような気がした。


********************



 朝。目を開ければ、無味乾燥な天井が視界に飛び込んでくる。

 何の飾りっ気もない、ただ白いだけの天井。白い壁、白いベッド。窓の外には、澄み渡るような青空が広がっている。そう、まるで明の笑顔のような――


「え……?」


 おかしいと、僕が認識するのと、部屋の扉が開くのは同時だった。


「三瀬さ~ん、おはようございます。今日の調子は――」


 入ってきたのは、若い女性だった。真っ白なナース服、扉の向こうに広がる清潔感のある廊下に、僕はこの場所が病院であることを悟った。


「大変っ! 先生! 三瀬さんの意識が――!! すぐにご家族に連絡を――!」


 去りゆく看護師の影を追うように、僕はベッドの上から飛び降りていた。正しくは、転げ落ちていた。どれほど力を込めても、足が上手く動かない。ただ激痛が走るだけで、微塵も立ち上がることが出来なかった。

 一体どういうことだ。僕は確かに死んで、でもさっきの女性は僕のことを三瀬と呼んで。ということは、僕は死んでいない? せっかく初めて友達が出来たと思ったのに。来世で会おうと誓い合ったのに。何もかも夢だったというのか?

 そんな馬鹿な、ありえない。


「あき――」


 歯を食いしばりながら、なんとか病室の外に這い出る。

 と、僕が病室から顔を出すのと同じタイミングで、隣の病室から誰か出てきた。


「正塚さん、落ち着いて……! 今、ご両親に連絡を……!」

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