2.沖縄県
2.沖縄県
新宿三丁目駅から徒歩五分程歩いた所に、彩乃のフランス料理店はあった。
その日、水曜日の正午頃。ちょうどお昼時であった。
店内は多くのお客で賑わっていた。彩乃は厨房で、他のシェフたちと一緒に料理を作っている。晴斗もそこにいた。客としてではなく、従業員としてそこで働いているのだ。
晴斗は、一年前まで別の会社で働いていたのだが、結婚を機にその会社を辞め、彼女の料理店を手伝うことにした。
実際に、晴斗は調理師免許を持っている訳ではないので料理はできないが、食材の仕入れや売上といった事務的な(他の会社で言えば経理の)仕事を任されていた。
気付けば、午後三時であった。
この店の開店時間は午前十一時からで、ランチタイムが午後三時までである。その後、午後五時からディナータイムが始まって、夜十時に閉店となっている。ちょうどランチタイムが終わる時間だった。
「あなた、お疲れ様」
厨房で仕事を終えた彩乃が事務所にやって来て言った。
「彩乃、お疲れ」
晴斗も彼女にそう言った。
「あなた、お腹空いた?」
「うん」
「スパゲッティとスープできてるから、来てね」
彼女はそう言って、事務所を出て再び厨房へ戻った。
「あ、うん。今行く」
晴斗はそう言うと、一度事務机から離れ、厨房へ行った。
厨房へ行くと、スパゲッティやスープのトマトの香りがした。ランチタイム中に、彼女はいつも自分や晴斗や他のシェフたちに賄いを作っていた。それをいつもランチタイムが終わってから、皆で食べることになっていた。
晴斗はテーブル席に座った。他のシェフたちも続いて席に座る。厨房で、彩乃が全員分のスパゲッティとスープを皿に盛り、もう一人のシェフがそれらを一人一人の前に運んだ。
「おいしそう」
晴斗は声を上げた。
「ですね」と、晴斗の隣にいたシェフが言った。
料理を運んだ一人のシェフが席に座り、その後、彩乃も席に着いた。
「皆さん、ランチタイムお疲れ様でした。夜も頑張りましょう」
彩乃が全員を見てそう言うと、「はい」とシェフたちが大きな声で返事をした。
「じゃあ、いただきます」
彼女の掛け声で全員が「いただきます」と手を合わせて言って、それぞれが料理を食べ始めた。
晴斗も「いただきます」と手を合わせ、スパゲティをフォークに巻いて一口食べた。そのスパゲティは美味かった。スープも飲むと、薄味ながらもトマトの酸味や甘みが感じられ、それも美味しかった。
それから、皆でゆっくりお昼ご飯を食べた。
しばらくして食べ終わったシェフたちが厨房にお皿を運び、その後、外で一服するシェフもいれば、事務所でくつろぐシェフもいた。
晴斗は食事を終えたら、食材の在庫を確認しないといけないなと思った。
彩乃は食事を終えた後、事務所のソファに座り、本を読んだり、スマホをいじったりするなどしてしばらく休憩していた。
そして、午後四時になり、彩乃やシェフたちは厨房へ戻り、ディナータイムの準備を始めた。晴斗は必要な食材の買い出しに出かけた。
買い出しから戻って来た頃には、四時半を過ぎていた。
そして、すぐに開店時間の五時になった。
開店して間もなくは、一組二組だけだが、午後六時を過ぎると、一気にお客さんがやって来た。会社帰りのOLたちや男女のカップル、女子大生の二人組やグループなどである。
ここのお店の名物は、彩乃の特製のスフレオムレツであった。ふわふわとした食感で、とろっとしたオムレツが最高であると評判なのである。晴斗もそれを食べたことがあるのだが、確かにそのオムレツはフワフワで、卵焼きがとろっとしている。
その日の夜もお店は繁盛した。
そして、閉店時間の十時になった。
閉店後、厨房にいたシェフやフロアの従業員が片付けを始めた。
「皆さん、終礼やりますよ」
片付けが終わると、彩乃が厨房にシェフやフロアにいた従業員を集めた。晴斗もその場に集まる。皆が集まると、彩乃が口を開いた。
「皆さん、本日もお疲れ様でした。本日は水曜日なので、いつもより忙しかったかと思います。本日はありがとうございました。また明日もよろしくお願い致します。ところで、皆さん、体調はどうですか? 体調管理に気を付けて、また明日も頑張りましょう」
彼女がそう話すと、「はい!」と、シェフたち全員が大声で返事をした。
「では、お疲れ様でした」
彩乃がそう言うと、シェフたちは「お疲れ様でした!」と言って、厨房を出て事務所へ向かった。それから、帰り支度を済ませたシェフやフロアの従業員たちが、次々とその店から出て行った。
「はあ、疲れた~」
二人きりになったのを見計らって、彩乃がため息を漏らした。
「お疲れ様。疲れたね」
それから、晴斗が彼女に声を掛けた。
「あなたも、お疲れ様」
「最終在庫とレジ閉めだけしたら、帰ろうか」
晴斗がそう言うと、「そうね」と、彼女が言った。
「じゃあ、あたしが在庫の確認をするわ。あなたはレジ閉めよろしくね」
それから、彼女がそう言った。
「分かった」
そう言って、晴斗はすぐにレジへ向かった。そして、晴斗はレジ閉めを始めた。彩乃もすぐに厨房へ行き、食材の在庫の確認を始めた。
二人がそれを終えると、もうすぐ午後十一時になろうとしていた。
すぐに二人は着替えて、電気を消し、店を出た。最後に彼女がその店の鍵を閉めた。
「よし、帰ろう」
「うん」
二人は近くの駐車場まで歩いた。そこに晴斗の車を停めていた。
それからすぐ彩乃が助手席に乗った。晴斗も運転席に乗り、自宅のある高田馬場まで車を走らせた。
それから、翌週の月曜日。
正午を過ぎた頃、二人は自宅でお昼ご飯の焼きそばを食べていた。その日は定休日である。因みに、翌日の火曜日も彩乃のお店は定休日であった。
「ねえ、次はどの県を食べに行く?」
ふと、彩乃がそう訊いた。
「次は……」
晴斗はそう言いながら、テレビのリモコンでチャンネルを変えた。
「あ」
すると、ちょうどテレビの画面に料理が映し出された。観ると、沖縄の料理を紹介していた。
「沖縄料理はどうかな?」
それから、晴斗が言った。
「沖縄?」
彼女はそう言って、テレビの画面に目をやった。
「ああ、本当だ。沖縄料理いいわね」
「だろ?」
「じゃあ、次は沖縄ね。いつ行く?」
「今日の夜とかはどうだい?」
晴斗がそう訊くと、「ええ、いいわよ」と、彼女が言った。
昼ご飯を食べた後、晴斗はスマホで東京にある沖縄料理の店を探した。調べてみると、銀座にその料理のお店があることが分かった。そこへ行こうと晴斗は思った。
そして、夜六時を過ぎた頃に、晴斗たちは家を出て、電車で銀座まで向かった。
銀座の駅に着いて、そこから五分程歩いた所に、目的のその店はあった。早速、晴斗たちはその店へ入った。
女性の店員に奥のテーブルに案内され、二人はその席に腰掛けた。晴斗たちは早速、メニューを見た。
「すいません」
メニューが決まると、晴斗が店員を呼んだ。すぐに若い女性の店員がやって来た。
「はい、お伺いします」
「生二つと、ラフテーを一つ。それから、もずく酢を一つと海ブドウを一つ。それと、ゴーヤチャンプルーを一つお願いします」
晴斗がメニューを伝えると、その女性が注文を繰り返した。
「以上で宜しいでしょうか」
「はい、大丈夫です」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
そう言って、その女性店員は立ち去り、注文を通していた。
それからややあって、「お待たせしました」と、その店員の女性が生ビールを持ってきた。
「どうも」と晴斗は言って、ビールを二つ受け取った。
それから、すぐに二人は乾杯をした。晴斗はそのビールを一気に飲んだ。彩乃もビールを美味しそうに飲む。
「はあ、うまい」
思わず晴斗は息を吐いた。「ねえ、美味しい」と、彼女も言った。
「でも、なんかいつもと味が違うような気がする」
それから、彼女がそう言った。
確かにいつも飲むビールとどこか違う気がした。何だろうと考えていると、彼女が壁の方を見た。そして、壁に貼ってあるメニューを見て、「ねえ」と言った。
「このビール、オリオンビールだって」
晴斗も壁のメニューを見た。
「オリオンビールって、沖縄のビールだっけ?」
「そうだよ」
「あ、なるほど。だから、いつもと違う味がしたのか!」
それが分かると、晴斗はその味に納得した。
その後、もずく酢と海ブドウがやって来た。
「いただきます」と彼女は言って、先に海ブドウを食べた。
晴斗もその海ブドウを一口食べた。噛むと、食感がプチプチとしていて、面白い。見た目は小さなブドウのようだが、食感は何かある食材に似ていた。それが何かを晴斗は思い出せなかった。
「プチプチしてて、なんか食感が面白いね」
「ね、なんかキャビアみたいじゃない?」
それから、彼女がそう言った。
「ああ、それだ!」
確かにその食感はキャビアに似ていた。「そうそう、キャビアみたいだね」
「ね」と、彼女は言って笑った。
それから、彼女は今度、もずく酢を啜るようにして食べた。
「わ、すっぱ!」
彼女は顔をすぼめて言った。
「え? そんなに酸っぱいの?」
晴斗はにやりと笑って言った。
「うん、超酸っぱい! 食べてみたらわかるよ」
彼女にそう言われ、晴斗もそれを一口食べてみることにした。
そのもずく酢を一口食べると、口の中がとても酸っぱくなった。
「うわ、本当だ!」
思わず晴斗も顔をすぼめてしまう。
「でしょ?」
そう言って、彼女が大笑いした。
「笑い事じゃないな、これ」
晴斗はその酸っぱい口を直すために、ビールを流し込んだ。
「お待たせしました。ゴーヤチャンプルーとラフテーです」
その後すぐに、ゴーヤチャンプルーとラフテーがやって来た。それらは湯気が立っていて、美味しそうであった。
「おいしそう!」
彼女はそう言って、目の前の取り皿にそのゴーヤチャンプルーを取る。それから、一口それを食べた。
「うん、おいしい」
その後、晴斗もそれを取り、食べてみた。
「うん、うまいうまい」
ゴーヤの苦味と卵焼きの塩味や甘みがとてもマッチしていて、美味しかった。
ラフテーも食べた。ラフテーと呼ばれる豚肉は脂が乗っていて旨かった。この肉はビールにも合うなと晴斗は思った。
ひとしきり食べ終わった後で、晴斗は再びメニューを見た。沖縄そばという文字を見て、〆(しめ)にそれを食べることにした。彩乃は壁のメニューを見て、「タコライス」を食べたいと言ったので、沖縄そばとタコライスを注文した。
しばらくして、それらが届いた。
沖縄そばは〆にぴったりだった。彼女も美味しそうにタコライスを食べていた。
そのそばを食べた晴斗は十分満足だった。
「お腹いっぱい」と、彼女も言った。
食べ終わった頃には、八時半を過ぎていた。二人はそろそろ帰ることにした。
会計を済ませて、二人は外に出た。
沖縄料理はどれも美味しかった。まるで沖縄に行ったような気分になった。
駅まで歩き、二人は電車に乗った。高田馬場駅で降りて、二人は自宅まで歩いた。