9.
俺の突拍子もない言葉は予想外であったようで、瑞穂は一瞬目を丸くした後、やれやれと愚か者を見る視線で肩を竦めた。
「何か、証拠はあるのかな。胡桃君とやらが僕のことを話したかい。僕が、君のことを教えてくれたと」
「やっていない証拠もない」
「悪魔の証明だね。やっていないことを証明するのは極めて困難だ。僕がやっていない証拠はない、ゆえに僕は犯人だとでも言うつもりかい、ワトスン君」
「物事が都合良く起こりすぎているんだよ。そこで俺は裏で糸を引いている人間がいるに違いないとの確証を抱いた。相当力のある人間だ。勿論、怪異の世界にも精通していて、ある程度の権力や人脈をそいつは持っている」
俺は構わず推論を続けることにした。
「そこで気になるのがそんなことをしてやった奴は何のメリットを得るのかということだ」
「鬼が仲間を助けて逃がしてやろうとしたんじゃないのか」
「お前も知っていると思うが鬼は基本、単独で孤独なんだよ。仲間のことなんか知ったことじゃない。人間が黒幕と仮定してメリットを得るのは、貴重なサンプルである、共喰いの鬼を欲しがっている奴だ。胡桃が生き残るかは賭けだったろうが、そいつは俺に胡桃をけしかけて血族にさせた。そして逃亡までのレールを敷いたんだ。胡桃はその人間に借りがあるという引け目がある。加えて法にカウントされない『存在しない存在』となれば裏仕事をさせる道具にはもってこいだ」
「それをしたのが僕だと?」
冷ややかな声だがそれは怒りではなく、目を細めながら聞く瑞穂は面白がっているようでさえあった。瑞穂は口を開く。
「僕なりの『推論』で口を挟むとすれば、第一に、さっきも言ったが君の話には証拠がない。罪に問い弾劾したいならそれなりの材料を持ってくることだね。第二に、それは悪、罰に値する罪なのかい?元々死ぬ運命だった少女の命をその人物は救ってやったんだろう。感謝されこそすれ恨まれる謂われはないのでは?」
「自由のない隷属の道が救いか」
ハッと俺は嘲る。
「或いはそれも物事に対する見方の一つと言うことさ」
首に息がかかった。瑞穂が口づけ出来そうなほど俺の顔の近くに唇を寄せている。
「それに、創」
後ろから瑞穂の手がゆっくりと俺の首に絡まる。
まるで絞め殺そうとする蛇のように。
「もし、僕だったとしたら。僕だったとしても」
ひた、と冷たい手が首筋を撫で上がり、俺の口を塞いだ。
「それがどうした、というんだい」
お前は何があっても私を裁くことは出来ない。
毒のように、その言葉が耳に伝い落ちてくる。
俺は咄嗟に瑞穂を背中から振り払った。
細い身体は何の抵抗もなく高価そうな絨毯の上に落ちる。少女の肩は震えていた。それは何も俺の暴力に恐怖していたというのではなく。
瑞穂は嗤っていた。凄惨に、怜悧な美しさを崩さず、それでも顔に皺を寄せ俺の無様さを爆笑していた。
ある意味ではこいつも狂っているのだ。見た目はか細くて弱そうな庇護欲をかき立てられる少女であるが、こいつは怪物だ。
見た目は綺麗でも中身は腐った林檎のように。
何者にも心を動かされないし、ましてや人の生き死になんてどうでもいい。
こいつの心を動かすものが一つあるとすれば、実の兄への……。
俺は思考を中断する。それはここでは語らない。語るべきことではない。
俺は部屋を出ようとして、一歩踏み出してから振り返って言った。
「お前が、嫌いだ」
瑞穂は唇を引き上げ、微笑む。
「奇遇だね、僕もだよ」
ギリッと俺は奥歯を噛み締める。
「お前は人間の上役にも顔が利くだろうからな、伝えておけ」
俺は瑞穂に宣告する。せめてもの反抗であり抵抗だ。
俺の牙はこいつには届かない。
「さっさと捕まえろ、無能どもと」
「言っておこう」
ひらひらと手を振る瑞穂を一瞥した後、俺は部屋を出た。