青空 1
真っ先に視界に飛び込んできたのは、穴の空いた天井とそこから覗く青空だった。
自分が気を失っていたのだと気がついたのは、それからのことだ。
「どこだ、ここ……?」
周囲を見渡してみる。高い天井にぶら下がっている照明はいくつかが壊れていて薄暗く、コンクリートの地面には金属の資材みたいなものが転がっていたり、何かの機械が置いてあったり。それも疎らなため、かなり広い空間になっているよう感じる。お手本のような廃工場だ。その地べたに、直接寝かされていた。
耳を澄ましてみれば、夜鳥の鳴き声が微かに聞こえた。この街にある廃工場といえば、有名なのは山の方にあるものだ。昭和の時代、高度経済成長期に作られて潰れた、今では心霊スポットとして有名なそこ。
察するに、どうやら俺はその心霊スポットに連れて来られたらしい。しかも、朝まで気を失っていたのか。
誰に、と考えて、気を失う直前の記憶が蘇る。
家にいた母さんと、今にも泣き出しそうなあの子の顔。
「出灰……」
ほぼ無意識に、その名前が口をついて出た。すぐに戻って、彼女に無事を伝えなくては。
体に痛むところはない。今日一日は比較的穏やかだったから、疲労も溜まってない。走れる。
立ち上がって、気づく。
寝かされていた俺の足元に、黒い線が描かれているのを。それは円形で、俺が横になってもなお大きなサイズ。直径三メートルはあるか。見たことのない文字のようなものが細かく書かれており、緻密で複雑な模様をしていた。
魔法陣だ。出灰たち魔術師が広げるそれを、何度か見たことがある。
けれど、彼女が使うそれとは違って、言いようのない不快感を覚えるものだ。このままここに立っていてはマズい。一刻も早くここから出ないと。
殆ど本能に身を任せて駆け出したのだが、二歩三歩と地面を踏んだところで、なにか見えない壁にぶつかった。
「嘘だろ……なんだよこれッ」
魔法陣に沿って広がる透明な壁は、考えるまでもなく俺を逃がさないためのものだ。
それをやったのが実の母親だと思うと、悲しさとも寂しさとも違う、複雑な心境に胸が包まれる。
どうして母さんは、あんなことを。俺の命を狙うような真似をしたんだ。
たしかに母さんとの関係は冷え切っていたけど、それでも殺されるようなことまでしていないのに。
「母さん! いるんだろおい! ここから出してくれよ!」
叫ぶが、静かな廃工場の中で虚しく反響するだけ。返事の声はどこからも聞こえてこない。誰もいないわけがない。こんなにも周到に魔法陣を用意しておいて、それを使う本人がいないとあっては話にならないだろう。
あるいは、俺が知らないだけで遠隔でも発動できるのか。もしそうだったら完全に詰みだ。
俺が持つ唯一の力、と言えるもの。手首のブレスレットに目をやる。しかしそれはヒビ割れてしまっていて、そういえば連れ去られる前に破壊されたんだと思い出す。
いやそもそも、こいつが壊れていなかったとして、何が出来たか。ブレスレットに込められた出灰の力は、あくまでも身を守るためのもの。この魔法陣からは守ってくれるかもしれないけれど、透明な壁から出ることは叶わない。
手詰まりの状況が歯痒くて、意味もなく壁を叩く。ただ拳が痛むだけで、当然ながらなにも変化はない。
「くそッ……」
落ち着け。冷静になれ。状況を正確に、的確に読み取れ。判断しろ。今の俺に、なにができるのかを。
工場内に声が響いたことから考えて、この透明な壁は音を、ひいては振動を遮断しているわけではない。光も同じく、透明であることからしてそう考えられる。息苦しいわけでもないから、空気も大丈夫だろう。
強度は少なくとも、俺のようなもやし男が殴って壊れるようなものではなく、頭上はどこまで続いているのか不明。動ける範囲は魔法陣の直径と同じ、約三メートル。手持ちの所持品は財布と携帯、内ポケットにシャーペンが一本と、あとは壊れたブレスレットのみ。
電波はどうかと携帯を取り出すが、残念ながら圏外だ。音も光も届く壁がまさか電波だけ遮断しているとは思わないし、令和の時代にもなって街の近くの山には電波が届いていないと考えられる。
あとはなんだ、なにがある。
なにか状況を打開できるようなものはなんだ。
頭をフル回転させて、ふと、思い浮かぶ。
そもそもこの透明な壁は、どのようにして発生している? もちろん魔術だろう。科学技術のみで可能か不可能かは俺に判断できないが、ことここに及んでそんなものを持ち出されても困る。
魔術。その発動方法について一度、出灰に尋ねたことがあった、はず。いや、向こうから説明してくれたのだったか。どちらかは覚えていないけど、その内容自体は思い出せる。つい昨日の日曜日、出灰と二人してダラダラ過ごしていた、もとい休息日に当てた日だ。
魔術とは、不可能を可能にする奇跡の業。しかしてそこには、明確な法則というものが存在している。
まず術の発動手順自体は、現代魔術と呼ばれる昨今の魔術師が使うほとんどの魔術で共通していると。
必要なのは魔力と術式。魔力を用いて術式を描き、術式の塊、あるいは重なりとも呼べるものが魔法陣である。
術式が少しでも欠けていたり、余分なものが付いていたりすると、想定通りの魔法陣を描けず魔術の発動も失敗するらしい。不発に終わるか、望んだものとは違うものになるか。
さてでは、再び状況の整理だ。
今ここには透明な壁があって、これは魔術によるものだと推察される。ではその魔術を発動させている魔法陣は? 少なくとも、目が届く範囲には一つしかない。
そう、俺の足元にある魔法陣だ。
記憶の中では魔術が発動する際、魔法陣は光を放っていたはずだが、足元の魔法陣は光出す気配もない。しかし選択肢が一つしかない以上、まず疑うべきだろう。
「つっても、手持ちのものじゃな……」
やるべきことはハッキリしている。足元の魔法陣を消すか、書き換えてやればいい。それこそ、落書きのようなものでも構わない。
しかし、そのための道具がなかった。
財布に携帯、シャーペンに壊れたブレスレット。これでどうしろと???
コンクリの床にシャーペンで落書きなんてまず無理だし、ペラペラの財布なんて問題外。携帯、というかスマートフォンで落書きできるのは画面上だけ。ブレスレットはあまり雑に扱いたくない。
脱出の糸口が見えたと思ったらこれだ。
やはり、俺にはなにも出来ないのか。
出灰には迷惑ばかりかけて、自力で窮地も抜け出せない。そんなだから、出灰にあんな、今にも泣き出しそうな顔をさせてしまうんだ。
彼女にはいつものように、ほんの微かでも笑顔でいて欲しいのに。
『おー、ようやく見つけたぞ天宮ー』
無力感に項垂れていると、どこからか声が聞こえた。聞き覚えのある、むしろ平日は毎日聞いていて、今日も学校でその本人と会っている人の声。
キョロキョロと首を巡らせるが声の主は見つからず。
『下だ下』
「下……?」
言われて首を下げれば、そこにいたのは蛇だった。全長二十センチほどの小さな蛇。金属色の光沢をした、およそ生物らしくない、機械のような見た目の蛇。
「その声まさか……久井先生、ですか……?」
『おう、久井先生だぞー』
俺や出灰の担任教師、久井聡美の声だった。
たしか、先生も魔術師の仲間だと出灰は言っていたが、だからってなぜ蛇の姿に? まさか、普段のぐうたらっぷりのせいで、蛇に変えられたとか……。
『なーんか失礼なこと考えてる気がするなー。言っとくけど、これは私の使い魔だから、本体の私は別の場所にいるぞー』
「あ、そうなんすね」
そいつは良かった。最悪、冬は冬眠したいからなんて理由で自分から蛇になったとも考えられたけど、久井先生ご本人ではないらしい。
『ま、そんなことはどうでもいいか。ほら、さっさとここから脱出するぞ』
「いや、そう言われても……正直、この見えない壁から出られないんすよね。先生、どうやってここに入ってきたんですか?」
『あぁ、この結界な。んー、どれどれ? ははぁ、こりゃまた随分古典的な。地面に直接書いてる辺り、最古の現代魔術って感じだなー』
最古なのに現代とはこれいかに、って感じだが、別に矛盾しているわけでもないのか。
『私の手に掛かればちょちょいのちょいなんだが、ここは教師らしくするかー。天宮、お前ここから脱出しようと思ってたか? どうやって出ようと思った?』
小さな蛇、久井先生に問われて、俺は彼女が現れるまでの思考と行動を大まかに説明する。
なるほど、とひとつ頷いたように見えた蛇。
『さすがに頭の回転が速いなー。それが勉強にも活かせれたら、教師として言う事なしなんだけど』
「成績のことはほっといてくださいよ……」
『ま、そこまで悪いわけでもないんだから気にすんな。それより脱出方法だけど、大体は天宮が考えついた通りで問題ないぞ』
俺が考えついた通り。つまり、結界と呼ぶらしい透明な壁を解除するには、この足元の魔法陣をどうにか書き換えないといけないわけだ。
「でも、そのための道具がないんですよ。そもそもどこをどう書き換えればいいのかも分かんないですし」
『そこは私の出番だなー。ほれ、ちょっとこっち来てみ』
のそのそと動く蛇に言われるがまま着いていくと、魔法陣の中心よりちょっと外れたあたりを舌で示した。
『ここの式。こいつが結界そのものの起点になってる。ここから外側に広がっていってる式は、全部結界に条件付けするためのものだなー』
「見て分かるもんなんですね」
『これでも教師だからな』
それは恐らく、魔術の、という意味だろう。
意外にも、と言ったら失礼だろうが、裏の顔も同じく教師とは。あのぐうたらが。
『で、私を使ってここを削れ』
「使って、って……」
どういう意味かと問いかけるよりも前に、蛇の体が溶けた。かと思いきや、あっという間にナイフへ様変わり。
『この体は希少な液体金属なんだ。先生の秘蔵も秘蔵なんだぞー』
「液体金属……水銀とかですか?」
『水銀にその他の金属を混ぜ合わせた合金ってやつだ』
察するに、それが久井先生の魔術なのだろう。金属を操る感じだろうか。ともあれ、これで目下最大の問題点はクリアされた。
ナイフを手に取り、指示された箇所のコンクリートを抉る。それなりに力が必要かとも思ったが、予想外にもナイフは滑るように地面に刺さり、その切れ味に驚いてる手が滑りかけたほどだ。
その作業が終わり、恐る恐る魔法陣の端へ手を伸ばしてみる。すると、すでにそこに結界はなく、あまりにも呆気なく解放された。
『よし、まずは工場の外に出るぞー』
「はい」
今度はナイフから小鳥へと変わる、久井先生の使い魔。相変わらず体はメタリックなものだが、重そうな見た目に反して軽やかに宙を羽ばたき、工場の外へ先導してくれた。
この廃工場が街のどこにあるのか、具体的な位置まで俺は知っていたわけじゃない。しかしある程度の予想通り、外は鬱蒼とした森に囲まれている。
自宅がある住宅街よりも、さらに北。棗市最北端のここは、殆ど人の手入れが行き届いていない。野生動物はいるだろうから、獣道程度ならできているが、伸び切った雑草や枝葉などが邪魔ですこぶる歩きにくくて嫌になる。
そんな気分を少しでも紛らわせるため、先導する小鳥へ話しかけた。
「先生の魔術って、出灰が使うのとはまた違うやつなんですか?」
『お、よく気づいたなー。私が使うのは錬金術だ』
「錬金術……そういや出灰がそんなことブツブツ呟いてたような……それも魔術の種類の一つ、ってことなんですよね?」
『そうだぞ。錬金術に限らず、陰陽術とか呪術とか、あとは忍術とかな。名前は違えど、魔力を使ってることには変わりないからなー。そもそも、魔術って名前自体、ここ二、三百年で定着した名前だし。全体としての呼び方自体にはさほど執着してないんだよ、魔術師って連中は』
さも最近のような言い方をしているが、三百年前といえば日本はまだまだ江戸時代。有名な出来事でいうと、赤穂浪士の討ち入りがあったりしたりした頃。
二百年前で考えても、世界的に見れば皇帝ナポレオンの時代だったりする。日本史、世界史のどちらの観点から見ても大昔すぎるほどだ。
『ま、最近の魔術師はみんな現代魔術ばっか使うからなー。あっちの方が分かりやすくそれっぽいだろ?』
「まあ、たしかに」
出灰や黒霧先輩が使っているらしい、現代魔術と呼ばれる魔術。
あれはたしかに、分かりやすく魔法っぽい。なにもないところに光る魔法陣が現れて、そこからなにかしらの現象を起こす。炎を燃やしたり、雷を撃ち出したり。
「久井先生は使わないんですか?」
『まあなー。現代魔術はたしかに便利だけど、ありゃ戦闘に特化したものだ。戦うことが目的になりがちな若い魔術師とかは好んで使うけど、私みたいな古臭い魔術使ってるやつは、そもそも戦うことが主目的じゃない』
「目的って?」
『その魔術でしか至れない境地、ってやつを夢見てるんだよ。錬金術の場合、それがなにか分かるか?』
錬金術。名称くらいはいくらでも聞いたことがある。
曰く、この世に存在するあらゆる物質を、より完全な存在に錬成すること。その名称からのイメージとは裏腹に、意外にも科学的な側面が強い。例えば質量保存の法則などは、その錬金術師によって発表されたものだったはず。
が、しかし。久井先生が聞いているのは、その様な科学的側面の話ではない。もっとファンタジーな、それこそアニメやゲームで見たことのあるような錬金術師の話。
「フィクションなんかだと、賢者の石を作り出す、みたいなのは見たことありますね」
『残念、ハズレだ。そもそも賢者の石と錬金術はあんまり関係ないしなー』
え、そうなの? フィクションは所詮フィクションでしかないってこと?
『まあ、賢者の石を求めた錬金術師もいたらしいけど、それはあくまで目的のための手段にすぎない』
「じゃあなんなんすか、錬金術の境地って」
『永遠と須臾、相反するそれらを同時に手に入れることだ』
永遠、はまだ分かる。須臾とは、はてどんな意味の言葉だったろうか。
首を傾げる俺に、小鳥姿の教師は勉強不足だなーと呑気に言う。
『簡単に言えば、無限に続く刹那の時間。私たち錬金術師は、そんなあるかも分からない概念的なものを求めてる』
その声に、いつもの呑気で自堕落な色はなかった。
人生に疲れた老人のような。あるいは、終わりの見えない砂漠を歩く旅人のような。
どこまでも、渇いた声。
『ほら、ようやく街が見えてきたぞー』
次の瞬間にはいつも通りの元通り。間延びした声が森の終わりを告げる。
しかし、山から見下ろす街の光景に、俺は違和感を覚えた。なにかがおかしい。言葉にはできないなにかが。
『しかし、こういうの見てると、現代魔術も捨てたもんじゃないって思っちゃうよなー』
「……先生」
『お、異変に気付いたか?』
「ここは、どこだ……?」
活気がない、と言えばいいのか。いや、この際は生気がないと言った方が正しい。
その文字通り、生きている気配がしない。遠目から見ても分かるくらいに。
眼下に広がる街には、生きた人間も、動物も、何一つとして存在していない。
『ここはお前の精神世界だよ、天宮。黒霧の心想は見せてもらったんだろう? あれと似て非なるもの。お前はお前の母親に、この精神世界に閉じ込められたんだ。私は本体によって事前に仕込みをされたナビゲーター、ってわけ』
◆
天宮青空が攫われてからの翠の行動は、とても迅速だった。
まず、仲間たちへの連絡。これは必要最低限に留め、姉と織の二人にのみ行った。少なくともこの二人に連絡すれば、その他のメンバーも事態を把握してくれるだろう。
伝えたのは二つだけ。青空が攫われたことと、相手の要求で自分が一人で向かうこと。
電話で一方的に話すだけ話して切ってしまったが、葵はもちろんのこと、織だってバカじゃない。無闇に突撃するような真似はしないだろうし、他のメンバー、特にグレイあたりを抑えておいてくれることだろう。
次に、敵の探知。
天宮星羅は追ってこいとは言ったものの、具体的な場所までは告げなかった。しかしご丁寧に、魔力の痕跡を残して消えていやがる。バカにされているみたいですこぶる癪だが、その痕跡を追って敵の位置を探知。住宅街よりも北、街の最北端にある山の中にいると判明した。
さて後は乗り込むだけだ。
灰色の翼を広げて夜の闇を飛ぶ翠だったが、そんな彼女の前にひとつの影が躍り出た。
「こんな時間にどこ行こうってんだー、この不良生徒が」
「聡美……なにをしに来たのですか」
稀代の天才錬金術師、久井聡美である。
現在は市立高校で教師を務めている彼女とは、翠もそれなりに良好な関係を築いていた。なにせ担任で生徒会の顧問でもあるのだ。嫌でもコミュニケーションは取らねばならないし、特に今回の事件なんかは学校内、それも教師側に仲間の魔術師がいてくれることは、かなり頼りにしていた。
しかし、そこはそれ。今の翠は急いでいる。焦っている。一分一秒が値千金以上の価値を持つ。聡美にかける時間も惜しい。
「天宮を助けに行くんだろ? 私も連れてけよ」
「お断りします。敵からはわたし一人でくるようにと指名がありました」
「そうじゃないと愛しの彼の命はない、とでも脅されたかー?」
「……ええ、その通りです。だからそこを退いてください」
さもなくば押し通る。右手に握ったハルバードが、その証明。
しかしそれでも、錬金術師はのらりくらりと翠の脅しを躱す。
「まー落ち着けよー。悪いけど、今回の件は私にとっても他人事じゃないんだ。なにせ、元を糺せばうちの一門から出たもんだからなー」
「久井家から?」
「ま、安心しろよ。天宮には傷一つ付かないよう、仕込みは終わってる」
聡美がそう言うのであれば、まず間違いはないのだろう。
今回の一件が元凶は久井家から出たものだということも、青空に傷一つ付けないということも。後者に関しては疑う余地もない。彼女には、それが可能なだけの力がある。
錬金術は本来戦闘に向かない魔術である。これは現代魔術以外の魔術にはよく見られる傾向だが、研究や占いなどと言った側面が強いからだ。陰陽術なんかも、本来ならば安倍晴樹のようなバリバリ武闘派陰陽師が珍しいほどに。
これに関しては、聡美本人にも同じことが言える。あの小鳥遊蒼ですら錬金術に関しては敵わないと認めるほどでありながら、常に戦いの第一線には立たなかった。
能力だけを見れば誰にも引けを取らないのに。まあその理由は特に深いものでもなく、単に彼女の性格ゆえだ。
ものぐさ。自堕落。怠け癖。
およそ教師という職業からは程遠いような性格ゆえに、彼女はいつも前線に立たず、後方支援に努めていたのに。
なにを血迷ったのか、自分から敵地に乗り込むなどと言い出すとは。
「……分かりました。同行を認めます」
数秒思考を挟んだ後、そう返す。
彼女の思惑がなんであれ、心強い戦力であることに変わりはない。
それから二人は、急いで上空から山の方へ向かう。
降り立ったのはとある廃工場の前。建物は苔や蔦に侵食されており、もはや自然と同化していた。扉と呼べる扉もなく、崩れた壁の一部から中へ入ると、そこにいたのは一組の男女。
「一人で来いと言ったのに……」
「二人になったところであまり変わらないだろう、君の力なら」
天宮星羅と天宮大地。青空の実の両親だ。
そしてその息子はというと、二人のすぐそばで眠らされていた。
「天宮さんっ!」
「呼んでも起きないぞー、あれは」
聡美の言う通り、青空が寝かされているのは魔法陣の上だ。精神支配の魔術が込められている。星羅の仕業だろう。
キッと強く睨めば、女は僅かに視線を逸らす。なるほど、自分にかけた精神支配は、今は解けているらしい。
「男の方は私に任せろ」
「はい。わたしも、彼女には聞きたいことがありますから」
ハルバードを右手に持ち、灰の翼を広げる。かたや聡美はというと、懐から正方形のなにかを取り出した。それは金属だ。ルービックキューブのように、二十七個の小さな正方形が集まって形作られている。それが彼女の得物ということだろう。
「星羅、任せるぞ。俺は儀式に取り掛かる」
「ええ」
「おいおい、当主に挨拶の一つもなしとか、舐めてんのかー?」
大地が背中を見せた途端、宙に浮かせた聡美のキューブが三つの回転軸に沿って回転する。
停止したとほぼ同時、キューブは姿を変えていた。それは巨大な槍だ。人の背丈よりも長く、縦に置けば天井にも届き得る。もはや槍というよりも鈍器と言った方が適切に思える太さ。
「死翔け、偽槍ゲイボルグ」
その長大な槍が、二人の敵に向かって放たれた。
ここまで、翠が止める間もないほど高速の出来事。この錬金術師は、あっちに要救助者がいることを忘れてるんじゃないだろうな。
激しい破壊音と舞う砂埃。一気に視界が悪くなったが、翠にとっては好都合だ。
三対六枚の翼をはためかせ、砂埃の中を突っ切る。今のうちに青空を助け出すんだ。そうすれば後は簡単、敵を倒して終わる。
砂埃で視界が塞がれても、翠の異能はこの空間自体の情報を正確に捉えている。だから青空の位置も把握しているし、同時に、ここで足を止めることもできた。
「ソウルチェンジ」
「……っ!」
小さな、しかし静かな廃工場の中ではたしかに響く女の声。
光が溢れて砂埃が晴れる。天宮星羅がソウルチェンジした、その姿を見て。
未だ胸の中に燻っていた数々の疑問が、一気に氷解した。
「そういうことですか……天宮さんの魂が異常な情報量を持っていることも、あなたの情報が視えなかったことも……なにより、一昨日現れたドラゴンたちも、あなたがそうであるのなら、納得ですね」
青空の色をした、龍だった。
骨格は人型に近く、八枚の翼を持ち、勇壮な角が四つ。全身からは、言いようの知れぬ神聖な雰囲気を感じる。
翠は、そのドラゴンを一度目にしたことがあった。それも、異世界で。
あの方と決着をつけたあの場所で。
邪龍の肉体に自壊プログラムを打ち込むため、パソコンのデータを漁っている時に。
「聖龍ヴァナへイム」
ドラグニア世界で起きた百年戦争、その中心にいた龍。人とドラゴンとの間に起きたその戦争で、ドラゴン側のトップとして君臨していた聖なる龍が、まさかこの世界に転生していたなんて、誰が思うか。
けれど全ての辻褄は合う。
転生したとは言え聖龍の息子であるなら、青空の魂にも納得はいくし、一部の情報が視えないのも当然だ。聖龍なら、眷属のドラゴンを生み出せたとしてもおかしくはない。
驚きはあれど、想定外というほどでもなかった。唯一、聖龍というのは些か厄介だが、それだけだ。
チラと横目で聡美の方を一瞥する。あちらはあちらで既に戦闘を始めているようだ。
「戦う前に、ひとつだけ尋ねます、聖龍ヴァナへイム」
『それは必要なことか?』
「必要ですとも。あなたはなぜ、自分自身に精神支配をかけてまで、天宮さんを狙ったのですか? 本当は、彼を守りたかったんじゃないですか?」
『私を愚弄するか、人間』
眼光が物理的な圧を持って襲いかかってきた。ハルバードを地面に突き立てて踏ん張るが、全く馬鹿げている。なんだこの魔力は。
邪龍ヴァルハラによって殺されたと聞いているけど、なら邪龍はどうやってこいつを殺したのか。今すぐ教えて欲しい。
「やはり、先ほどの間に精神支配をかけ直していましたか……」
しかし弱音は吐いていられない。例え強がりでも口角を上げてみせる。相手がどれだけ強大であろうとも。
業腹ながら、わたしはあの男の妹なのだから。
だからあの軽薄な兄のように。
あるいは敬愛する姉のように。
自分の想いを、心を信じて。
「位相接続!」
この胸に秘めたものがあれば、わたしは無限に力が湧いてくるから。




