表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/73

飛翔 5

 天宮星羅。

 年齢は四十一歳で、出版社に勤務。息子の青空がまだ物心つく前に離婚し、以降女手一つで育てて来た。会社の同僚や上司、部下からも信頼されており、特に悪い噂はない。ただし、若干働きすぎだと心配の声はあった。仕事が多忙なためかご近所付き合いは皆無に等しく、青空との関係もあまり良好とは言えない。


 ここまでが、探偵として織が足を使い調べた、天宮星羅についての調査結果だ。

 一見すると問題なし、と言えるだろうけど。しかし、そう判断するわけにはいかない理由もある。


 今起こっている一連の事件の中心人物、天宮青空を襲った魔物たち。そいつらの情報を葵やグレイに視て貰ったのだが、その殆どが閲覧不可能だった。

 得られた情報は数少なく、やつらが後天的に不死の特性を与えられたことと、それをやった犯人が、天宮星羅であることの二点。


 つまり、まず間違いなく天宮星羅は事件の黒幕か、それに近い位置にいる。

 彼女にはアリバイがあるのだ。会社勤めである以上はそこで同僚たちの目撃証言が当然あるし、会社に泊まり込むことがあると言うが、それも彼女一人だけということはまずなかった様子。

 恐らく共犯者がいるが、そこまではまだ辿り着けていない。


 しかし織には優秀な後輩がいる。

 真夜中と言っていい、丑三つ時が近い時間。棗市の南、海沿いの倉庫までやって来た織と愛美にグレイの三人は、黒い人型の影の案内に従って歩いていた。

 ツインテールっぽい頭の形をした《《彼女》》は、黒霧葵の分身であり、妹であり、また彼女自身でもある。


「人の気配が二つ、いや三つかしら……?」

「どちらかハッキリしろ、殺人姫。ことと場合によっては、その情報ひとつで戦局が左右するんだぞ」

「分かってるわよそんなことは。でもなんか、一つだけボヤけてて分かりづらいのよね」


 物陰に身を隠しながら、愛美に倉庫内の気配を探ってもらう。魔術を使用しない、完全に愛美の直感頼りではあるが、その精度は織もグレイもよく知るところだ。

 その愛美をして、一つだけハッキリしない気配があるという。それが敵のものかどうかは分からないが、こちらの想定していない第三者であることは間違いないだろう。


「一つは天宮星羅、もう一つは葵のものだとして、最後のやつは誰だ?」

『うーん、こっちでも分かんないです。グレイさん、異能で視えませんか?』


 黒い影から話を振られ、グレイはなんとも複雑そうな顔を浮かべる。葵と同じ声で敬語、しかもさん付けで呼ばれていることに、どこか思うところでもあるのだろう。

 なにせ黒霧葵の多重人格は、グレイにとっても関係の深いものだ。


「……私の異能は、対象を直接視認しなければならない。君と同じだよ。倉庫の中の気配を外からというのは、中々難しいものだ」


 常よりも柔らかい声音の吸血鬼。しかも君って言ったぞこいつ、なんか気持ち悪いな。

 そんな感想しか出てこない織は割とひどいやつである。


「中はどうなってるの?」

『ちょっと待ってくださいね……犯人っぽいやつと葵が話してますけど……ん、あれ、男の人……?』

「男だと?」


 言わずもがな、天宮星羅は女だ。青空の母親なのだから当然である。

 しかし、今この中で葵と話しているのは、視覚を共有している『葵』曰く男であると。


 おかしい。なにか、見落としていた情報でもあったのか? あるいは織の調査ミス?


「一応確認しておくけど、葵の暴走と洗脳は解けてるんだよな?」

『はい、それは大丈夫ですよ。翠ちゃんが頑張ってくれたみたいです』

「だったら、葵からの合図を待った方がいいかしら」


 三人の突入は、葵の合図を待ってから。事前にそう決めている。だがここで不確定要素がいくつか出て来てしまった。

 このまま予定通り待つか、それとも突入してしまうか。


 悩むところではあるけれど、ここは後輩を信じて待つべきだろう。無策で突入は非常にマズい。なにせ今回はいつもと違い、敵の力の具体的なものが全く見えていないから。


 と、思っていたのだが。


『伏せてください!』


 叫び声に遅れて、倉庫の屋根の一部が爆発で吹き飛ぶ。感知魔術を使わずとも、中からは強大な魔力が肌にまで伝わって来た。


『私はあの子のところに戻ります!』

「頼む! 俺たちも行くぞ!」


 急いで倉庫の扉を蹴破り突入すれば、まず真っ先に視界に飛び込んできたのは、頭を抱えている葵だった。そんな彼女に『葵』の影が溶けるようにして融合し、爆発の余波によるものか埃で視界は遮られている。

 それが晴れた先にいるのは、葵を庇う形で立つ少女と、スーツの汚れを払う四十代くらいの男だった。


「私の葵になにしてくれてんのよ、このドグサレ野郎!」


 女の子とは思えない汚い叫び声を上げるのは、自称黒霧葵の一番の親友であり、眷属でもある元人間、現吸血鬼の周防恵だ。


 織と愛美は殆ど関わったこともなく、一度葵に連れられて事務所に挨拶に来たくらいだが、しかし同じ吸血鬼であるグレイは違う。


「あのバカ弟子が……」


 頭を抱えて嘆く灰色の吸血鬼。奇しくも親娘で同じポーズ。


 この新世界で後天的に吸血鬼となってしまった恵は、一時期グレイとサーニャによる特訓を課せられていた。吸血鬼としての暮らし方や、力の制御の仕方などを学んでいたのだ。

 仕事で忙しいサーニャと違い、意外にも乗り気だったのがグレイ。まあ、葵から直接頼みこまれたから、というのが理由だろうけど。


 間話休題。

 愛美が直前に感じ取った、ボヤけて感じる気配というのは、十中八九恵のことだ。彼女は認識阻害の魔術が非常に巧みだと聞いていた。それがまさか、愛美の第六感を以てしても捉えきれないとは思わなかったが。


 そして葵ガチ勢の彼女になんの事情も説明していなかったのは、明らかに失敗だったと言わざるを得ない。


 鼻息荒く赤い瞳で男を睨む恵は、こちらに気づいた様子もないが。しかし、睨まれている男は冷静そのもので、現れた織たち三人を一瞥した。


「やれやれ、まんまと嵌められたということか。まさか彼女の精神支配が破られるとは」

「天宮大地、転生者……ふん、なるほどそういうことか」

「一人で納得してねえで説明しろ」


 と言っても、やつの正体はなんとなく察してしまったが。

 男に関しては正常に異能が作用しているのだろう。グレイは閲覧した情報をぺらぺらと喋り出す。


「天宮星羅の元旦那であり、天宮青空の父親だ。裏で糸を引いていたのもこいつだな。赤き龍に接触したのは一ヶ月ほど前、天宮星羅共々力を戻してもらったらしい。つまり、こいつの元嫁も転生者ということになる」

「離婚したとはいえ、両親揃って実の子供の命狙うとか、クズ親すぎでしょ」


 嫌悪感を隠しもしない愛美の言葉に、しかし天宮大地はなんら堪えた様子もなく、それどころか鼻で笑い飛ばす。


「貴様らには分からんさ。あの子がいかに素晴らしい存在なのかはね」

「だったら尚更解せないな。どうしてそれで青空を殺そうとすんだよ」

「魔術師が己の研究成果を、己のために使う。そこになんの問題がある?」


 なるほど、理解した。

 こいつは生粋の魔術師であり、転生者だ。

 自分自身を道具としか考えず、己の目的のためなら手段を選ばない。探求心に取り憑かれ、暴走した成れの果て。

 その目的と転生者としての後悔が重なってしまえば、余計に説得は無意味。


「しかし、そうか。君たちは星羅と青空のことを全て知っているわけではないのだね」

「なに? 貴様、それは一体──」


 どういうことだ、とグレイが問いかけようとしたところで。

 大地の体が、派手に吹っ飛んでった。


 見れば、怒りの割にはずっと黙っていた恵が、赤いムチのようなものを振り抜いている。


「話が長い! 師匠! よく分かりませんけど、葵に手を出したあいつをギッタンギッタンにしてやればいいんですよね⁉︎」

「めぐちゃん……」

「このバカ弟子が……」


 本日二度目、親娘揃ってアタマイターのポーズ。大地が飛んでった方へ目を向けると、当然のように姿を消していた。

 あのタイミングでの攻撃は、敵にとって都合がいいだけに決まっている。どさくさに紛れて逃げられるのだから。


「めぐちゃんのせいで作戦が全部台無しだよ! どうしてくれるの!」

「え、でも葵は無事だったし、それが全てでしょ?」

「んなわけないでしょうが! めぐちゃん暫く首突っ込むの禁止だからね!」

「あ! なんでこんな時にだけ主従契約の力使うの! どうせなら普段からもっとあんなことやこんなことを」

「もう黙ってて」


 どうやら、眷属の吸血鬼として、主人の葵からの言葉には逆らえないらしい。それきり黙ってしまった恵だが、この後輩主従、色々と大丈夫なのだろうか。


 事件とは関係のないところが心配になってしまう織だった。



 ◆



 あまりにも疲労が酷すぎて、日曜は一日中休息に当てることとなってしまった。俺も出灰も家から一歩も出ることなく、かと言ってゲームなり勉強なりをする気も起きず、見る人が見ればあまりにも怠惰な一日だと言われるだろう。


 あけて翌日、いまだに全身の筋肉痛に苛まされながらも、泣き言は言っていられない。

 月曜日、つまりは一週間の最初の一日は無情にもやって来てしまい、当然学校にはいかなければならないわけだ。


「しんどい……行きたくない……」

「泣き言はやめてください。今学期ももう少しで終わりなのですから、頑張りましょう」


 玄関で靴を履きながら弱音を吐いていると、出灰に怒られた。

 冷静に考えて、クラスメイトの女子と同じ家から一緒に学校に行くって、なんかヤバいな。もしや俺、ラブコメの主人公なのでは?


 しかし出灰の言う通り、二学期はもう今週でおしまい。金曜日に終業式だ。

 ほんの数年前ならば金曜も休みでラッキー、クラスメイトたちも土日とくっつく祝日、しかも冬休み直前ということもあって小躍りしていたことだろう。その程度で小躍りできるとかある意味才能だわ。そんなだから平成は醜いとか言われちゃうんですよ。関係ねえか。


「あ、翠ちゃんおはよー。天宮くんも」


 家を出て出灰の家の前を通ったタイミングで、ちょうど黒霧先輩が出て来た。今日もバッチリ左右対称の綺麗なツインテール。前から思っていたが、どうやればそんな綺麗に結べるのか。やっぱり魔術とか使ってるんだろうか。


「おはようございます、姉さん」

「……ざす」


 つい一昨日の光景が頭によぎってしまい、随分とおざなりな挨拶になってしまった。しかし仕方ない。なにせあの時の黒霧先輩、今思い返してみるとめちゃくちゃ怖かった。

 ていうか、血を舐めて笑う女子とかよく考えなくても普通に怖い。あれが演技だと聞かされていても。


「一昨日はごめんね、天宮くん。ちょっと怖い思いさせちゃったよね」

「いや、全然。むしろ俺の方こそ、なんか色々と迷惑かけてるみたいで、すんません」

「ね、本当にね」


 にっこり笑顔。え、そこ否定するとこじゃないの? 怖い怖い、一昨日よりよほど怖いんですけどその笑顔は。


「ところで姉さん、今日は早いですね。いつもなら起きてくるくらいの時間でしょう」

「えー、だって可愛い妹が男の子と投稿だよ? なにがあるか分からないじゃん、一昨日みたいに」


 いっそ不気味なくらいにニコニコしている黒霧先輩。一昨日みたいに、というのは。吸血衝動を抑えきれなくなった出灰が、俺の血を吸おうとしてしまったことを言っているのだろう。


 つまり、妹が何処の馬の骨とも知れない男とイチャつかないか監視しに来た、ということだ。

 ただでさえ今は一つ屋根の下に暮らしているのだから、その心配もひとしおだろう。


「一昨日のことはお互い忘れましょう、ということで手を打ったはずですよ」

「だって心配だもん、天宮くんが」

「え、俺っすか」


 思わぬところで名前を挙げられた。普通今の流れだと、出灰の心配をするところじゃなかろうか。


「一度タガが外れた半吸血鬼、舐めない方がいいよ」

「心外です、わたしは姉さんのように色ボケしていません」

「あー、翠ちゃんって今まで、人間から直接血を吸ったことないもんね。じゃあ気づいてないか」


 知ったふうな、というよりも経験則から語っているであろう黒霧先輩と、納得のいっていない出灰。

 俺としても、この無表情がデフォルトで基本的に厳格な出灰が、そう簡単に欲求やら衝動やらに負けるとは思えない。


「そんなことより姉さん、一昨日はその後どうなったのですか」

「そんかことって、割と大切な話のつもりだったんだけどな……まあ、あの後は普通に逃げられたよ。黒幕っぽいのを釣れたんだけど、まあ、思わぬ伏兵が潜んでいたというか、真の敵は味方だったというか……」

「ああ、なるほど……」


 どうやら出灰は察せられるものがあったらしいが、俺はちんぷんかんぷんだ。

 一応これでも、自分が事件の中心にいる自覚くらいはあるので、視線で具体的な説明を求めると。


「結果だけ言うと、敵の正体は未だ不明。今は織さんたちが色々調べてくれてるけど、進展なしかな」

「そうっすか……」


 やれやれと言わんばかりに両手をあげて首をすくめ、お手上げのポーズ。

 狙われている身としては早期の解決を願うばかりだが、守られてばかりの身としてはあまりみんなに無理をしてほしくない。


 一昨日だけでも多くの人と出会ったが、その中の誰がどれくらい強いとか、そういうのは全く分からないのだ。出灰曰く心配しなくても誰も怪我したりはしない、とのことらしいのだけど。俺の中で大きいのは、心配よりも罪悪感と情けなさ。


 なんの力も持たず、クラスメイトの女の子に守られっぱなしで。

 仕方ないことだと、そう割り切ろうとしている自分もいる。これはそもそもが俺の理解の範疇を超えた事件で、魔術なんてファンタジーな存在まで出て来て、一介の高校生でしかない俺にはなにも出来なくて当然だと。そう思いたい俺も、たしかにいるのだ。

 けれどそれが出来ないから、罪悪感と情けなさで押しつぶされそうになってしまう。


「あの、魔術についてなんですけど……」

「教えてくれ、って話なら無理だよ」

「……っ」


 言おうとしていたことを先んじられ、つい言葉に詰まってしまう。

 昨日から、何度か考えていたことだ。今のままの俺ではあまりにも無力、足を引っ張るお荷物でしかない。せめて最低限の護身くらいはできなければ話にならないだろう。

 いくら出灰から貰ったブレスレットがあっても、これは身を守るためのものであって魔物を撃退するためのものじゃないのだ。


 足を引っ張らないように、お荷物にならないように。

 なにより、少しでも出灰の力になれるように。


 俺なりに考えて出した結論は、しかし黒霧先輩の真剣な表情に一蹴されてしまった。


「で、でもっ」

「ダメなんじゃない、無理なんだよ。そもそも、この世界の人たちは魔術なんて使えるように出来てないの。魂の形が、作りが、根本から違う。()()()()()()()()()()()()()()

「魔力は魂から抽出される、生命力を糧として精製されます。しかし、天宮さんのような一般人の魂には、その機能が存在しないのです。それでも無理に魔力を精製し魔術を使おうとすれば、死にます」


 容赦なく事実を告げてくる二人に、俺は言葉を失ってしまった。


 いや、理由があるなら仕方ない。無理に使って死ぬなんてごめんだし、本末転倒もいいところだ。それに、これならちゃんと諦めもつく。


「安心してください、天宮さんのことはわたしが守りますから」

「そういうことじゃないと思うんだけどなぁ……翠ちゃん、男心ってやつをもうちょっと汲み取ってあげてもいいと思うよ」


 苦笑気味の黒霧先輩に、首を傾げる出灰。

 先輩にはこっちの内心を見透かされているようで、少しこそばゆいけど。出灰の方が鈍感で助かった。


 その後は三人で適当に談笑しながら学校へ。

 黒霧先輩とは学年が違うので階段で別れ、出灰と二人教室に入ると、以前のようにまだ誰も登校していない。


 広い教室に二人きり。自分の席に荷物を置いて、教科書などを机の中に入れていると、離れた位置から声が飛んできた。


「すみません、天宮さん」

「え、どうした?」


 突然の謝罪に困惑する。出灰が謝るようなことなど、なにひとつないはずだ。少なくとも俺には心当たりがない。

 まさか、家の中の備品か家具かを壊してしまったとか? いやでも、彼女の性格からすれば、その場で謝りそうなものだ。


「もしかしたら、不安にさせてしまっていたのではないかと思いまして……」

「不安にって……あ、あー、なるほど?」


 先ほど、黒霧先輩と三人でいた時のこと。俺がいきなり魔術を教えてくれなんて言ったからだ。それで出灰は、多分だけど、自分が頼りないから、とか考えてしまったのだろう。


 いや本当、黒霧先輩、あなたの妹は男心ってやつが全く分かってませんね。


「たしかにわたしは、姉さんや朱音よりも弱いですし、一昨日も実際危ない目にあわせてしまいまさか。不安にさせるのも当然だと思います」

「いや、ちょっと待て出灰。違う違う、あれはそう言うことじゃないって」

「違うのですか?」


 こてん、と小首を傾げる様は、やはりとても可愛らしい。これだけ距離があっても破壊力抜群だ。


「出灰が頼りにならないわけじゃない。そんなの、絶対にあるわけないよ。一昨日だって、俺のこと守ってくれたじゃないか」

「しかし、怖かったのは事実のはずです」

「ん、うん、いやまあ、うん」


 そこは男として中々認めたくないところなので、曖昧な返事になってしまった。たしかに怖かったけど。特に黒霧先輩の笑顔は下手なホラーよりも怖かったけど。


「そうだけど、そうじゃなくてさ。むしろ俺は、出灰に面倒見てもらって、迷惑もかけてるわけだしさ」

「面倒だとも迷惑だとも思っていません」

「それはありがたいんだけど……俺も、出灰のためになにかできたら、って思ったんだよ」


 黒霧先輩が言うところの男心というやつは、とても厄介なもので。

 可愛い女の子相手なら、少しでもいいところを見せたがってしまう。女の子に守られてばかりは、ちんけなプライドが許さない。

 いやそれ以上に、守ってくれているのが出灰翠その人だからこそ、俺は他の誰でもない、彼女の助けになりたいのだ。


 俺のことを大切だと言ってくれた彼女と同様に、きっと俺も、出灰のことを大切な存在だと思っているから。


「俺は守られてばかりで、なのに出灰だけが傷ついてさ……そんなの、耐えられない。だから、俺にできることがあったらなんでも言ってくれ」

「なんでも、ですか……」

「ああ、なんでもいい。少しでも、出灰の助けになりたいし、守ってくれてる礼だってしたい」

「今、なんでもと、そう言いましたね?」

「お、おう……?」


 なんだか出灰の様子がおかしい。

 たしかになんでもと言ったが、それはあくまで俺にできることであって、あまり無茶振りをされても困るのだが。


 ふと、通学路で黒霧先輩と交わした会話を、思い出してしまった。


『だって心配だもん、天宮くんが』

『え、俺っすか』

『一度タガが外れた半吸血鬼、舐めない方がいいよ』


 待て待て待て、どうしてこのタイミングでその話を思い出してしまうんだ。

 いやまさか、出灰は昨日血液パックで補充したばかりだぞ? 半吸血鬼は普段の吸血欲求はそこまでだって、先輩も言ってたじゃないか。


 内心で誰に言うでもなく言い訳していると、ゆっくり、出灰がこちらへ歩み寄ってくる。

 俺の席は窓際だから逃げ道もなく、それでも後退りしていれば、教室の角に追い込まれてしまった。


「い、出灰? なんか様子変だぞ?」

「そんなことはありません、わたしは至って正常です」

「いや絶対変だって! なにするつもりだよ⁉︎」

「安心してください、なにもしませんから」


 なにもしないつもりならどうしてカーテンで包まれてるんですかねぇ!

 これなら外からは俺たちの姿が見えなくなるが、その分だけ中にいる俺たちは密着してしまっている。訳もわからないうちにネクタイを外され、上二つのボタンも外された。

 眼前に出灰の綺麗な顔があって、濡れた紅い瞳が見上げている。

 まるで引力でも生じているかのように、その瞳から目を離せない。心臓はさっきから煩く鳴りっぱなしで、それでも、俺の聴覚は全ての音をシャットアウトしていた。聞こえてくるのは、目の前の彼女の息遣いだけだ。


 それほどまでに。

 俺は、出灰翠という女の子に見惚れていた。


 もう完全に抱きつくような形になってしまって、俺よりも背の低い出灰はほんの少し背伸びする。

 それから、首に鋭い痛みが走った。一瞬顔を顰めるも、痛みはすぐに感じなくなる。


「んっ、んく……はむ、ん、あむ……」


 なにをされているのか、なんてのは考えなくても分かっていた。いやきっと、カーテンに包まれた時点でなんとなく予想できていたのだろう。

 俺の首筋に顔を埋める出灰は、小さな首をこくこくと鳴らしながら、俺から吸った血を嚥下している。

 脇の下から腕を通され、ぎゅっと抱きしめられて。柔らかい体は強く押し付けられて。


 ああ、黒霧先輩に気をつけろ、と言われていたはずなのに。拒めなかった俺にも責任はあるだろうけど。


 頭のどこかで他人事みたいにそう考える自分もいて、その一方で、抱き締めてきている小さな体を、この上なく意識している自分もいる。


「いずりは……」


 そろそろ、頭がクラクラしてきた。一体どれだけの時間が経ったのかはわからないけど、明らかに貧血、吸われすぎだろう。

 とんとん、と背中を叩いてやるが、それでも出灰が離れる気配はない。


 このままでは俺自身の体調もそうだが、また別にマズいこともある。


 と、そう考えていたその時だった。

 ガラガラと音を立てて、教室の扉が開かれたのは。


「……っ!」

「おはよー翠! 葵さんから先に来てるって聞いたよー……………………」


 聞き覚えのあるその声に、出灰は我に返って顔を離す。

 パチリと目が合えば、見る見るうちに白い頬が真っ赤に染まった。え、なにそれ可愛い。


「すっ、すみませんでしたっ……!」


 カーテンを勢いよく翻し、口元の血を制服の裾で拭いながら脱兎の如く駆け出す出灰は、そのまま教室を出て行った。

 いや、カーテンで隠れてた意味……。


「天宮さん」

「ひゃいっ!」

「お話を聞かせてもらいたいのですが」


 残されたのは、制服を軽くはだけさせた俺と、出灰の親友である桐生朱音。

 よりにもよって、なんで桐生が来るかな……。


 色々と諦めながら、俺は服装を正し、今起こった出来事の一部始終を報告させられるという羞恥プレイを行わせられた。

 しかし桐生だけで助かったよ、全く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ