飛翔 1
朝起きると、クラスメイトの女子が家にいて、しかも朝食を作ってくれている。
そんな摩訶不思議な体験をしてから昼に家を出た俺と出灰は現在、クリスマスムード一色な繁華街の方まで来ていた。
「丁度一週間後にはクリスマスイブか」
「日本人はすごいですね」
ダッフルコートを着てマフラーに顔を埋める出灰は、街の様子を見てそう称する。ミニスカートから伸びた足はタイツに包まれているが、随分と寒そうだ。
吸血鬼的にはやはり、聖人の生誕祭であるこの日に思うところでもあるのだろうか。
「で、今日はどこに向かうんだ?」
「なるべく人が多くない場所の方がいいです」
今日の目的は、なにも言葉通り本当にデートするわけではない。
狙われている俺自身を囮にして、敵を炙り出すのが目的だ。正直めちゃくちゃ怖いけど、そんな情けないことは言っていられない。出灰が守ってくれるというし、昨日もらったブレスレットもある。
それどころか、仲間たちに頼んで離れたところから見守ってくれているという。至れり尽くせりだ。
「一般人を巻き込んでしまえば、本末転倒ですから。さすがのわたしたちも、街の人たち全員を守り切る自信はありません」
「出灰の異能? ってやつは?」
「不可能ではないかもしれませんが、そうなると敵を取り逃す可能性も高くなります」
限定的な全知全能、と昨日は言っていたが、それにも限度があるらしい。そもそもが限定的だと枕詞をつけている。制限、あるいは条件のようなものでもあるのだろう。
それこそ、出灰が本当にひとりでそこまで出来るのなら、今現在ここまで苦労していない。
しかし、人のあまりいない場所か。
ここは俺たちが住んでいる棗市の繁華街。クリスマスも近い上に土曜日だ。周りには家族連れやカップル、あるいは友人同士で遊んでいる学生も多くいて、まずはここから離れることを考えなければならないだろう。
「そもそもさ、歩いてるだけで敵は来てくれるもんなのか?」
「魔術師であれば、わたしが一緒にいるという時点で迂闊に動くことはないでしょう。しかし、魔物をけしかけてくるのであれば話は別です」
あの化け物どもは、殆どが本能だけに従って動いているらしい。最低限の命令だけを植え付けられ、あとは魔物の本能に任せている。
それが、二日前に現れた魔物の死体を解析した結果。ちなみに解析したのは出灰の姉、黒霧葵先輩。出灰と同じ異能を持つ彼女から、今朝連絡があったのだ。
その最低限の命令というのが、俺を殺すこと。最低限でありながら、最優先の命令。だからこそ、俺は愚かにも何度も殺されてしまっていた。まさかクラスメイトの一般人を、そこまでして殺そうとしていたとは思いもしなかったから。
それが、出灰がこれまで失敗を繰り返し、時間を繰り返してきた原因だ。
「これまで、ただの一般人が意図して狙われたという例はありませんでした。そこにはなにかしら、相応の理由がついていた。天宮さん、本当に心当たりはありませんか?」
「あったらとっくに言ってる」
「そうですよね……では、いつも屋上に行っていた理由は?」
「それは……」
言葉に詰まるのは、言いたくないからじゃない。その答えを、俺自身も持っていないからだ。
なにか、俺の求めているなにかが、そこにある気がした。だからそれを探して、いつもいつも、なにも見つからないと分かっているのに、あの屋上へ足を運んでいた。
出灰は、こんな曖昧な答えを求めているわけじゃないだろう。もっと、明確に言語化した理由を求めているはずだ。
それができない。言葉というものを、俺は自在に操れるほど器用じゃなくて。あるいはそれそのものを、信用していないから。
「……空を、見たかったんだと思う」
それでも敢えて言葉を選ぶなら、こうなるのだと思う。
自分でもひとつひとつ、丁寧に言葉を探しながら、考えながら。今も頭上に広がる青い空を見上げながら。
「どこまでも広がる、この青い空を。少しでも近いところで、少しでも手が届くように」
「空、ですか」
足を止めて、空へ手を伸ばす。届くはずもないそこへ。それでも届きやしないかと、バカみたいな希望に縋りながら。
「なら、飛んでみますか?」
「飛ぶって、空を?」
「はい。ここでは周りに見られますし、少し場所を変えましょうか」
言って、出灰は俺の手を取った。そのまま足早に路地裏まで連れて行かれて、細い道を何度も曲がる。
寒さのせいで冷たくなった俺の手を、しっかり握って。時折後ろを気にしながら。
「出灰? どこ行くんだよ」
「この辺りで良さそうですね。天宮さん、しっかり手を握っててください」
「え?」
そんなこと言われても、普通に繋いでるだけでも照れ臭さが勝つのに。
そんな俺の気持ちなど出灰が知る由もなく。気がつけば、彼女の背には灰色の翼が伸びていた。
まさか、と思った時にはもう遅い。
「うおぉぉぉぉぉ⁉︎⁉︎」
全身を浮遊感が襲い、体が上に引っ張られてどこまでも上がっていく。
ビルやマンションを飛び越え、やがて視界に広がるのは、小さくなった街の様子。南には青い海がどこまで広がり、北の山は俺たちよりも下にあった。
空を、飛んでいる。
真っ先に来るであるはずの恐怖感はなく、胸の内には言葉にできない高揚が広がっていた。
「すげぇ……」
言葉を失くす。
言語化できないなんてもんじゃない。あるいは、この光景、この感情を、言葉にしてはいけないのかもしれない。
それほどまでに俺は、空の上からの景色に目を奪われていたんだ。
隣からくすりと小さな笑みが聞こえて、我を取り戻す。手を握ったままの出灰は、微かな笑顔を浮かべて俺を見ていた。
その表情に、ドクンと胸が跳ねる。
すると今更ながら手を繋いでることも意識してしまって、どうにも彼女の顔を正面から見れなかった。
「その様子だと、お気に召してくれたみたいですね」
「お、おう……ていうか、これどうなってんだ……?」
出灰自身が空を飛ぶのは、まあこの際そこまで疑問にも思わないことだ。翼は生えてるし、魔術だの異能だのを使えば空を飛べるのだろう。しかし、その出灰の手を握って俺もここにいるのだとしたら、この位置関係はおかしくないだろうか?
「わたしの異能を使って、天宮さんも空を飛べるようにしています。今なら、手を離してもらっても構いませんよ。どうにも先ほどから、そちらが気になっているみたいですし」
「うっ……」
揶揄うような笑みが心臓に悪い。
言われた通り、恐る恐る手を離してみれば、ふわりと体が浮かぶ。体験したことはないが、無重力空間というのはこんな感じなのだろうか。少なくとも、テレビで見たことのある宇宙飛行士なんかと、似た感じになっていた。
「お、おおっ、いや地味に怖いなこれ」
「コツが掴めたら簡単ですよ」
足が地面についていない、というのは、思いの外不安を感じる。地上よりも風が強いから、自分の体がふとした拍子に飛ばされやしないか、なんて余計な心配までしてしまう。
「せっかくですから、少し動きましょうか」
再び出灰に手を取られ、ゆっくりと空の旅が始まった。
繁華街の上を通り、高校を見下ろして、線路を飛び越える。すると今度は来た道を戻って逆方面、海側へ舵を切って、ショッピングモールや港、工場地帯をぐるりと一周。
二人で空からの光景を肴に雑談をしていたら、あっという間に街を一周してしまった。
こうして見ると、自分の生まれ育った街だというのに、案外知らない場所や知らないものがある。俺自身出不精なこともあるけれど、そもそも知ろうとも思っていなかった。
「みんなを撒いてきた甲斐がありましたね」
「え?」
「いえ、随分と楽しそうにしているもので」
そう、だろうか。たしかに楽しいが、そんな見て分かるレベルで顔に出ていたか。うわ、なんかちょっと恥ずかしいな。
「いや、ちょっと待て。撒いてきたってどういうことだ?」
「せっかくのデートなのですから、あまり見られていても恥ずかしいじゃないですか」
微塵も恥じらいを覚えてなさそうな無表情で言う出灰。たしか今日は、彼女の仲間がもしもの時のために近くで控えてくれている、という話だったが、まさかそれを撒いてきたというのか。
そういえば、路地裏を歩いてる時、しきりに後ろを気にしてると思っていたけど……。
「安心してください、わたしが本気で魔力と気配を隠蔽すれば、あと数時間は見つけられないはずです」
「その心配は元からしてねえよ……」
「そもそも、敵が現れたらこちらから場所を知らせればいいだけなのですから。わざわざ着いてくる必要もありません。なのに姉さんが無理矢理……」
お、これまた珍しい表情だ。呆れたような、疲れたような顔でため息を吐いている。
どうやら出灰の姉、黒霧葵先輩は相当な心配性らしい。いやぁ出灰は強いしそこまで心配しなくてもいいと思うんだけどなぁ。一体なんの心配をしてるのかなぁ。
昨日の雷は忘れたことにしておこう。うん。
「……っ」
「出灰?」
やれやれと頭を抱えていた出灰だったが、突然弾かれたように顔を上げ、なにもない虚空を強く睨む。
ただならぬ気配を感じさせるその表情に、俺もすぐ理解できた。頭でというより、本能的に。
あるいは、もうどこにも記録されていない二日間が、警笛を鳴らしていたのかもしれない。
視線を向けた先の空間が、歪んでいる。
そうとしか表現できない現象だった。ぐにゃりと、濃密ななにかがそこに凝縮して、空間そのものが耐えきれなくなったように。
ひずみ、ねじれ、ゆがんでいる。
「姉さんっ!!」
叫びと同時に、出灰を中心として力と暴風が吹き荒れた。しかしその余波は俺に届かず、出灰が魔術か異能かのなにがしかで守ってくれているのだ。
「はいはい、結局こうなっちゃうんだね」
「ったく、依頼料は高くつくわよ、これ」
いつからそこにいたのか、俺の背後に二人の女性が。
一人は見覚えのある、先ほども話に出ていた出灰の姉。黒霧葵先輩だ。
もう一人も見覚えがある、ような気がしたが、しかしすぐに気のせいだと気づく。クラスメイトの桐生朱音にとてもよく似たその女性は、しかし桐生と違って幼さのない、完成された美をその身一つで体現しているような、美しい人だった。
「はいはい、天宮くんはこっちね」
「えっ、ちょっ、黒霧先輩⁉︎」
ツインテールの先輩に首根っこを掴まれ、そのまま地上へ一直線。よく見れば、先輩の背中には出灰と同じ形の、しかし黒い翼が伸びている。
適当な路地裏に着地すると、黒霧先輩は俺をじっと見つめる。
「久しぶりだね、天宮青空くん。聞きたいことは色々とあるんだけど」
「いやその件に関しましては出灰の方に聞いていただければ……」
「とりあえず、走れる?」
「へ?」
振り向きざまに、腕を一閃。
いつの間にか大きな鎌を持っていた黒霧先輩は、先日屋上に現れたのと同じ化け物の爪を受け止めていた。
腰を抜かしそうになるが、なんとか踏ん張る。歳上とはいえ、女性に守ってもらっているのだ。これ以上情けないところを晒すわけにもいかない。
「走れ、ます……!」
「うん、いい根性してるね。面倒なやつらに好かれて君も大変だけど、翠ちゃんに言われてる通りに」
「はいっ」
黒霧先輩に背中を向けて、とにかく走る。
大通りに出て、周りから奇異の視線で見られようと関係なく。俺でも分かる。感じる。こうして走っている間にも、化け物はどこかから俺を追ってきている。
なら目指すは、事前の取り決め通り。
桐生探偵事務所だ。
◆
姉に友人を託した翠は、空中で敵と相対していた。しかし敵といっても、相手は未だに形を持たない、魔力の塊のままだ。
「あの子、なんなの? 朱音から一応話は聞いてるけど、普通ただの一般人がここまで魔物に好かれる?」
「わたしや姉さんでも分かりません。でも、天宮さんは絶対に守ると、約束しましたから」
情報操作の異能。その副作用による、情報の可視化。この世界のあらゆる情報を視ることができる彼女らを以てしても、天宮青空には不明な点がある。
それはすなわち、位相の向こう側、異世界が絡んでくるということだ。
傍の愛美は、既に刀に手をかけて臨戦態勢だ。かくいう翠もハルバートを手に持ち、いつでも戦える状態にある。
だというのに、敵は姿を持たない。それだけここにある魔力が濃密なものだという証拠だ。二人であれば今の状態からでも消し去ることはできるが、それをしては意味がない。敵の正体を見極めることこそ、なにより最優先なのだ。
「桐生織は事務所にいますか?」
「いるけど、なに、下にも出た?」
「そのようです。天宮さんには、不測の事態が起きた場合事務所に逃げ込むよう伝えています。彼やアーサーがいれば、天宮さんの無事は保証されますから」
織は少し頼りない印象をみんなが持っている。翠もそうだし、なんなら愛美も朱音も同じだろう。
けれど同時に、彼ならなんとかしてくれると、根拠のない信頼もあった。
さらに今回の事件は、既に仲間の全員に知らせている。もしかしたら暇を持て余した晴樹やアイクもいてくれるかもしれないし、サーニャと明子が朱音の見舞いに行っている可能性だってある。
青空が逃げる道中は、カゲロウと蓮が援護してくれるだろう。
緋桜と桃がいてくれれば、さらに万全だったのに。
ここにいない兄に胸中で毒づいていると、愛美がひとつ笑みを落とした。
「タイミングがいいのか悪いのか……」
「どうしたのですか?」
「事務所、今はグレイが帰ってきてるわよ」
「なっ……」
完全に予想外のことで、思わず固まってしまった。
グレイが帰ってきてる? そんな話は聞いていない。もし彼が青空と遭遇すれば、どうなる? 恐らくグレイも、この新世界で時間を繰り返していることは気づいているだろう。その中心にいる青空に会えば、最悪殺しやしないだろうか。
いや、それはない、と思う。多分。
あのクソ親父はなんだかんだで翠たち自分の子供を大切に思ってるはずだし、となればその翠の友人を殺したりしないはずだ。
ましてや、事務所に織がいるなら、止めてくれるはず。
「どうしてそれを、もっと早く教えてくれなかったのですか……」
「帰ってきたのついさっきだもの。寝込んでる朱音のことをさんざん笑って、今回は静観するって言ってたわ。ほら、もう言い合ってる暇はないわよ」
愛美が顎で示す先へ視線を戻せば、魔力の塊が形を持ち出した。
これまでの狼型とは違う。巨大な体躯と、それを覆うほどの翼。強靭な鱗に全身を包まれ、鋭い眼光は目の前の獲物二匹を睨んでいる。
すなわち、ドラゴン。
頻繁に異世界へ行くことのある翠と愛美にとっては、もはや見慣れた相手だ。
しかしここが異世界ではない、という点を考慮すれば、十分過ぎるほどに異常。
「■■■■■■■■■!!!」
咆哮が鼓膜を震わせる。
旧世界において、ドラゴンはほとんど絶滅危惧種だった。なにせその存在自体がひとつの伝説であり、事実神話などに語られるのみで、翠も愛美も純粋なこの世界のドラゴンをあまり見たことがない。いても下級のワイバーン程度。
それがこの新世界で現れるという、その意味は、さほど考えずとも分かる。
「やはり、異世界絡みですか」
「赤き龍が関係してるかはもうちょっと様子見ないと分からないけど、久しぶりに殺し甲斐のありそうな相手で嬉しいわね!」
空中を駆ける殺人姫。まるで真昼の空を切り裂く流星のようだ。
真似しろと言われても決してできないそのスピードを、あろうことかドラゴンは、ひらりと躱してみせた。
桐原愛美の速度を、全力ではないとはいえ躱す。その事実に驚愕しながらも、回避した先に回り込んだ翠はドラゴンの鼻っ面にハルバートを振り下ろす。
「■■■!」
「くっ、硬い……!」
寸前で腕に防がれ、そのまま弾き飛ばされる。愛美が背後から再び肉薄しているが、ドラゴンはその刃を嫌って大きく距離を取った。
やつは理解している。殺人姫の刀が危険だと。
「さすがドラゴン、って言うべきかしらね。翠、出し惜しみできる相手じゃなさそうよ!」
「わかっています」
敵の情報は可能な限り閲覧した。こいつにもう用はない。あとは倒してしまうだけだ。
「炎纒」
灰色の翼が、炎のそれへ変化する。
全身に紅蓮の魔力を纏い、己自身を炎の槍として、ドラゴンへ突撃する。
迎え撃つのは強固な鱗に守られたドラゴンの右腕だ。鋭利な爪は人間の肉など容易く引き裂くだろうが、関係ない。
腕ごとドラゴンの胸を貫き、続けて刀を鞘に収めた愛美が、敵の懐に潜り込んでいた。
「ふっ!」
居合一閃。
一息に両断されたドラゴンは、断末魔すらあげることなく息絶える。
そのはずだった。
まだ終わりじゃない。
翠はそれを知っている。
「まだです!」
「っ! なるほど、こういうことね!」
「■■■■■■!!」
上半身だけの状態でも、ドラゴンは生きている。顎を開き、そこへ残された魔力を全て収束していた。
屋上に現れた魔物と同じ、不死性。仮に亡裏の拒絶で両断されたとしても、こいつらはしぶとく生き残る。
だがしかし、種が割れてしまえばなんてことはない。
なによりやつが今目の前にしているのは、翠自身ですら時に恐怖する、殺人姫だ。
「集え」
短い詠唱。
次の瞬間、ドラゴンの上半身も下半身も、諸共に粉微塵となっていた。ひとつひとつは目視することも叶わないほどに。
パラパラと地上に落ちていくそれを、翠が異能で確保する。
見れば、愛美の周りには魔力で出来た七つの刃が飛んでいる。
空の元素魔術、七連死剣星。
桐原愛美が最も得意とするその魔術によって、ドラゴンは哀れにも微塵切りにされた。
「まさか、これで終わりじゃないわよね?」
「どうやらそのようですね」
気がつけば、二人の周囲にはいくつもの空間の歪みが生まれている。
その数だけ、これから同じドラゴンが生まれてくるだろう。
「本当に出し惜しみする暇はなさそうです」
「ええ。本気でいかないと、大事な彼と合流する時間も遅れるわよ?」
「揶揄わないでください。天宮さんとはそういう関係ではなく、単なる友人です」
「今はそうかもね」
随分楽しそうに笑っているが、本当にそんなんじゃない。なんでもかんでも恋愛に結びつけるのは、愛美や葵たちの悪い癖だ。
ともあれ、さっさと片付けて青空と合流したいのは事実。実際グレイがどう出るかも分からないし、無事に事務所へ辿り着けたかも確認したい。
「さて、こんだけ数がいるんだから、精々楽しませなさいよね!」
「相変わらずですね。まあ、その方があなたらしくて安心しますが」
「位相接続!」
「位相接続」
舌なめずりする殺人姫と共に、灰色の少女はドラゴンの群れと対峙する。
どうか彼が無事でいてくれるようにと、心の底から願いながら。
◆
街中をひたすら走る。日頃の運動不足を呪いながら、息が上がり始めても、なお走る。
人通りの多いところでは、化け物の気配こそ感じてはいたが襲ってくることはなかった。しかし街の丁度中央に位置する線路を超えて、商店街も通り抜けて人通りがなくなり始めると、狼の姿をした魔物は途端に俺へ襲いかかってきた。
「うわぁぁ!」
情けない声を上げながら両腕で顔を庇うが、しかし化け物の爪は俺へ届くことなく、寸前で見えない壁に阻まれる。
出灰がくれてブレスレットのおかげだ。指でブレスレットをなぞりながら、胸の中で彼女に礼を言う。
あとで合流できたら、ちゃんと言葉にしなければ。
止まった足を再び動かそうとしても、しかし化け物が行手を阻む。ここから桐生探偵事務所までは、もう一本道だ。引き返して別の道を探そうにも遠回りになるし、そうなると辿り着く前に体力が尽きそうだ。
ただでさえ限界なのだから、マジで勘弁してくれ。
そんな思いが天に通じたのか、俺と化け物との間に、二つの影が舞い降りた。
出灰や黒霧先輩と同じ、しかし白銀に輝かせた翼を持つ、灰色の髪の少年と。その翼と対照的な、黄金の剣を持つ少年。
見覚えがある。同じ高校の先輩だ。
「お前が天宮青空だな? 可愛い妹の頼みで助けに来てやったぜ」
「俺たちがあれの相手をするから、まだ走れるかな?」
出灰の兄であるカゲロウ先輩と、たしか黒霧先輩の恋人らしい糸井先輩。
この二人も仲間の魔術師だと聞いてはいたけど、実際に目にするとやはり驚いてしまう。うちの学校の生徒会はどうなってるんだ。
糸井先輩に頷きを返すと、黄金のオーラが放たれて俺の全身を包み込む。
不思議と暖かくて、みるみるうちに体力が戻ってきた。
「よし、あともう一踏ん張りだ。がんばれ」
「男なら根性見せろよ!」
息を整え、再び駆け出す。行く手を阻もうとした化け物だが、寸前に黄金の奔流が俺の真横を通り抜けて化け物に直撃する。
「油断すんなよ蓮! 翠が言うには、こいつら不死身らしいからな!」
「ていうか、まだ魔力の反応あるよ。あと五体くらいいるかも」
背後から聞こえる声には振り返らず、ひたすら足を動かす。もう追ってくる気配はない。
そして、やがて見えてきた桐生探偵事務所の前には、一人の男が立っていた。
出灰と同じ。灰色の髪を持った、一見して紳士然とした男だ。
けれどその全身から、ただならぬなにかを感じる。あの化け物が現れる直前と同じ、本能的な恐怖が、胸のうちに湧き起こる。
蛇に睨まれたカエルというのは、今の俺の状態のことを言うのだろう。
そんなことを考えられるくらいには、他人事な自分もいて。
「ようやく来たか。愛しの我が娘と懇意にしているようだが、父親として話を聞いた方がいいのかね」
男はそう言って、愉快げに笑って見せた。




