浮遊 3
「朱音」
膝の上にクラスメイトの男の子の頭を乗せて、出灰翠は背後に立つ親友の名前を呼ぶ。いつも無感動な声音は、少し震えていた。
「今回で、何度目ですか」
「八回目」
それは、出灰翠がやり直した回数だった。
一般人のくせに、なにもできないくせに。友人でもない、ただのクラスメイトだったのに、いつも目の前で命を散らす彼を救うため、翠が時間を巻き戻してまでやり直した回数。
八回目にして、ようやくだ。
過去七度の繰り返しは、いつもいつも間に合わなかったけれど。
ようやく、間に合った。助けられた。
膝の上の、意外と可愛らしい寝顔に視線を落とす。
記憶として有しているわけではない。情報操作の異能を以てしても、これからそういうことが起きるのだと、記録として刻まれているだけだ。まるで実感のこもらない、テレビの向こう側の出来事のようなものが、頭の中にあるだけ。
ああ、それでも。視界が滲むのはきっと、今のわたしが、彼に対して好意的な感情を持っていたからに他ならない。
友人になりたかったと、その言葉は決して嘘じゃない。
「本当によかったんですの、翠さん。天宮さんの記憶を消してしまっても」
「こちらに関わらせてしまえば、また命の危険に晒される恐れがありますから」
「翠がいいなら、それでいいけどさ。自分だけ本当のことを知ってるっていうのは、つらいよ」
「実体験ですか」
「まあね」
時界制御の銀炎。その力のおかげで、翠は青空を救うことができた。朱音には感謝してもし足りない。
過去に遡るのではなく、世界の時間を巻き戻したのだ。そうなると術者の負担はどれほどのものになるのか。本人は一度試したかったから丁度いい、なんて言っていたけど、それが八回にもなると反動は無視できないものになっているはず。
事実、先ほどの動きもいつもよりキレが落ちていたのだから。
「問題は、ここからです」
「うん、さっきのやつら、ただの魔物にしてはおかしかったし」
「魔物を操っている黒幕がいる、ということですわね」
旧世界ならまだしも、今のこの世界で不完全ながらも不死性を有している魔物が自然発生するとこは、まずない。つまり、あの魔物を生み出したか、あるいは改造した魔術師が、どこかに潜んでいる。
転じて、そいつはほとんどの確率で転生者だろうし、赤き龍が絡んでいることは間違いないだろう。
必ず探し出して、息の根を止める。
持てる手段の全てを使って、必ずだ。
◆
その日、激しい頭痛で目が覚めてしまった。
時刻は午前四時。アラームが鳴るまでまだあと二時間はある。脳を直接叩かれているかのような頭痛に、しかめ面しながら体温計を取った。36.5度、嫌になるくらい平熱だ。
最悪の目覚めではあるが、頭痛のせいでもう一度寝る気も起きない。薬を取りに一階のリビングに降りると、母親が朝食を食べていた。
「あら、早いじゃない」
「頭痛いんだよ……」
「そ」
親子のやり取りはこれだけ。息子に対して心配の言葉のひとつもなく、食パンを食べながらパソコンをカタカタしている。
普通の親子関係、とは言えないだろう。父親はおらず、女手一つで育ててくれた母さんではあるけど、ここ数年はまともな会話をした覚えがない。
今のこの程度のやり取りですら、一体いつ以来になるだろう。
そもそも、普段俺が起きる時間にはもう家を出て仕事に向かっており、帰ってくるのは俺が寝た後。日付も変わるくらいの時間だ。顔を合わせることですら滅多になく、親子関係は冷え切っていると言っていいだろう。
金は多めに置いていってくれるから、俺にも不満はないけれど。世間一般的なものと比べたら、歪んでいる自覚はある。
「青空」
だから、こうして名前を呼ばれたことにすら、驚いてしまった。持っていた錠剤の薬を落としそうになりつつも、振り返る。
母さんはパソコンから視線を離しはしていないものの、たしかにこちらを気遣うような声色で、こう聞いてきた。
「最近、学校はどうなの?」
「は? なんだよまた、藪から棒に……」
「いいから」
今まで、こんなありきたりな親みたいなことを聞いてきたことは、一度もなかったくせに。
胸の内で鬱憤が溜まっていくのを自覚しつつ、コップに水を入れながら答える。
「別に、普通だよ。成績も落としてないし、誰かと喧嘩するようなこともない」
「そう、ならいいわ」
会話が終わると同時に、パソコンを閉じる。コップの中のコーヒーを一気に飲み干して、母さんは立ち上がった。
「じゃあ、私はもう行くから」
「あ、ああ……」
カバンを手に取り、母さんはそそくさと家を出ていった。
一体なんだったんだ。今更あんなことを聞いてくるなんて、心境の変化でもあったとか?
ああ、やはり言葉というコミュニケーションツールは、不便この上ない。
ああして母親らしい言葉を投げられても、俺は疑うことしかできないのだから。言葉にしなければ伝わらない、と人は言うけれど。言葉にしたって、それで全てが伝わるとは限らない。
親子であってもそうなのだ。まして、赤の他人となんて、無理に決まっている。
気がつけば頭痛は治っていて、飲む必要のなくなった錠剤と水だけが、手元に残った。
◆
朝、登校してからホームルームまでの教室は、どこか独特の喧騒に包まれていると思う。
騒がしいのは騒がしいのだけれど、それでも朝だからか眠たげな、あるいは弛緩した空気も同時に感じる。テンションが上がりきっていない、今まさしく上がっていっている最中とでも言うべきか。
放課後や休み時間には見られない、朝独特の喧騒とテンションに包まれた教室は、しかし普段通りというわけではなかった。
画竜点睛を欠く、というべきか。いつもいるべき人物がいない。だから普段通りに見えて、実際はいつもより少し落ち着いた雰囲気が教室に漂っている。
そろそろホームルームも目前という時間にもなって、クラスの元気印でありアイドル的存在、桐生朱音がまだ登校していなかったからだ。
そしてその親友の片割れである、出灰翠の姿もない。
「明子ー、朱音と翠は?」
「お二人とも体調不良でお休みですわ。こんな時でも仲良くご一緒だなんて、少し妬けてしまいますわね」
「珍しいね、あの二人が体調崩すなんて」
「朱音はそこら辺のもの拾い食いしたからだったりして」
「あーね、ありえる」
桐生と出灰の二人と仲のいい土御門曰く、二人揃って体調不良。まあ、そんなこともあるだろう。クラスメイトの女子が言うように、特に出灰が体調を崩すというのは珍しいというか、あまりイメージできないが。
感情の動きをあまり表に出さない彼女は、どうにも真面目というか、四角八面の厳格な性格をしているように思える。実際、桐生や土御門との会話が聞こえてくる限りでは、彼女がツッコミ役っぽいし。
まあ、俺には関係のない話だ。クラスメイトが二人体調を崩していても、そいつらと友人でもなんでもない俺にとっては。
それでも、心の片隅で快復を祈るくらいはしておくけれど。
この日はそれ以外に変わったこともなく、日常の時間が流れていく。午前、午後とつつがなく授業が終わり、あっという間に放課後だ。
クラスの中心人物が休んでいようが、周りはいつもと変わらない日常を送るし、時間は平等に流れている。
放課後になると、俺には特にやることがない。この後の行動は二択だ。家に直帰するか、屋上で時間を潰すか。
どちらにしてもこれと言ってやることがあるわけではない。家に帰ったら適当にゲームするか課題を終わらせるだけだし、屋上に行ってもただボーッと景色を眺め、時間を浪費するだけ。そこに俺の求めているナニカはなく、ただ日常を、無為な日々の繰り返しを今日も行うだけなのだ。
それでも気づけば、足は自然と屋上に向かっていた。どうせ見つかるはずのないナニカを、探すため。
階段を上がりながらカバンの中を漁っていると、気づく。屋上に続く扉の鍵がない。
えっ、マジで? 嘘でしょ? まさか失くした?
あれは担任の久井先生から借りているものだ。当然学校の備品であり、そもそも立ち入り禁止のはずの屋上の鍵を持っていると言うだけでも怒られるのに、それを失くしたとなればどうなるか。
焦りながら来た道を引き返し、職員室へ直行。担任のぐうたら教師の元へ向かえば、予想外の返答が。
「昨日自分で返しにきただろー、そんなことも忘れたのか?」
芋臭いジャージ姿で机に突っ伏しながら、担任教師はやれやれと言いたげにため息を吐いた。
「そう、でしたっけ……?」
「おいおい、大丈夫かー?」
記憶を掘り返してみる。昨日はたしか、授業が終わっても屋上には寄らず、真っ直ぐ帰ったはずだ。朝からなにも変わらない、普段通りの一日。職員室に鍵を返しに来た記憶もない。
頭を傾げる俺に、再びため息が。チラと見やると、久井先生はジーッと俺のことを見つめていて。
「昨日のこと、よーく思い返してみろよ?」
ズキリと、頭が痛む。
俺は、なにかを忘れているのか? 鍵を返しに来た記憶さえ曖昧なのだ、今朝の頭痛のこともあるし、ありえないことはないと思うが。
しかし、自分で言うのもなんだが、記憶力には自信があった方なのだ。今の状況からすれば説得力が皆無だが、それでも今まで、つい昨日のことを忘れてしまうなんてことはなかった。
鈍い痛みが響く頭を抑えながら記憶を掘り返しても、それらしいものは見当たらない。
いよいよ怖くなってきた。どうして忘れているのか、忘れているその記憶の中で、なにがあったのか。
記憶とはその者を形作るレゾンデートルの一種といっても過言ではない。
これまでの人生で積み重ねてきた記憶のひとつひとつが、今の俺を形作っている。それが、途端に曖昧になったのだ。不安や恐怖を感じるには十分であり、今の今までなんの違和感も覚えていなかったのだから、余計に。
「まあ、とりあえずはこんなもんかなー」
「先生……?」
「いんや、なにもないぞ」
ボソっと呟かれた声は、目の前であってもうまく聞き取れなかった。先生の声より、頭の中で響く痛みの方が大きいから。
「ほら、用が済んだならさっさと帰れよー。最近は暗くなるのも早いからなー」
「まあ、はい……じゃあ失礼します」
釈然としない気持ちを抱えつつ、職員室から退出する。そのまま学校を出て一人家路に着くが、やはり頭の中にはもやもやしたものが残ったままだ。
頭痛はいつの間にか治っていたけど、どうにも落ち着かない。これなら痛みの方がまだ良かった。あれは我慢すればいいだけだから。
ゆっくり、マイペースに足を動かしていると、空もだいぶ薄暗くなってきた。時刻は五時前といったところか。もう数分もすればあっという間に夜の闇に覆われるだろう。
北の住宅街に入ると通行人の数もめっきり減って、自転車や車が時折通り過ぎるだけ。
ひとりで歩くこの道も、いつもと変わらないはずなのに。
ふと、寂しさのようなものを覚えてしまう。
誰かと一緒に、この道を歩いたような。ノイズだらけの光景が、フラッシュバックする。
わけがわからない。俺はいつもひとりのはずだ。下校を共にする友人などいるはずもないし、そもそもこの近くにクラスメイトの誰かが住んでいるとも、聞いたことがない。
それなのに。頭の中で一瞬流れた光景は、どうにも無視できないもので。
ああ、今日の俺はおかしい。朝から悩まされている頭痛のせいだろうか。そもそも、母さんがあんなことを聞いてきた時点からおかしかったんだ。
でも、具体的になにがどうおかしいのかを、明確に言語化できないでいる。
言葉にできないこと、なんてのは常日頃からよく直面するけれど。苛立ちすら感じてしまうのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「なんなんだよ、一体……」
ひとり毒を吐いても、答えが返ってくるわけではない。ため息と共に白い息を吐き出せば、薄暗い空に溶けて消えていく。
考えてもどうしようもないと開き直って、ようやく家の前にたどり着いた時だった。
我が家の前に、灰色の髪をした小柄な少女を見つけたのは。
「出灰……?」
クラスメイトの、出灰翠だ。今日は体調を崩したとかで休んでいて、にも関わらず、制服を着て俺の家の前にいる。
つい呼んでしまった声が聞こえたのか、あるいは人の気配に気づいたのか。ゆっくりとこちらに振り返った彼女は、酷く驚いた様子だった。
知らぬ仲でもないし、声をかけないわけにもいかない。家の前にいるということは、なにか用事でもあるのかもしれないし。
「おう、うちになにか用か?」
「いえ、そういうわけでは……」
無表情に見えるその顔。けれど紅い瞳は狼狽えるように泳いでいて、決して視線を合わせようとはしない。
この状況に、違和感を覚える。
正確には、違和感を覚えていないことに違和感を覚える、というべきだ。
俺は、今日ここでこうして出灰と出会うことが、当然なのだと感じている。
それがなぜなのか分からない。けれど彼女がここにいることを、すっと受け入れていた。なんの疑問も湧かず、あるいは待ち焦がれていたといってもいいかもしれない。
そんな自分の心情に、気持ち悪いほどの違和感があるのだ。
「つーか、体調不良で休んでたにしては、元気そうだな」
「そうですね……午前中に眠っていたら、体調も整いましたから」
「それは良かった。でもまあ、だからってこんなすぐ外出歩くのはよくないんじゃねえの?」
「心配してくれるのですか、嬉しいですね」
「まあ、クラスメイトだしな」
ほんの僅かに口角が上がって、柔らかな笑顔が作られる。
よく見ないと分かりにくいけれど、その表情の変化を読み取れるくらいには──
「……っ」
「天宮さん?」
治ったはずの頭痛が走った。
読み取れるくらいには、なんだ? 分からない。俺はなにを忘れている?
思い出そうとすればするほど、頭痛は酷くなって。ついに立っていられず膝をついてしまう。
「天宮さん、大丈夫ですか!」
「なんだよ、これ……」
まるで脳内をハンマーで直接叩かれているみたいな痛み。今にも頭が割れてしまいそうで、同時に、またあの光景がフラッシュバックする。誰かが隣にいる、あの下校路が。
心配そうに俺の顔を覗き込んでくる出灰と、その光景が、重なった。
「まさかっ……」
驚いた声の後、体が浮遊感に襲われる。考えるまでもなく、華奢なはずの出灰が俺の体を抱き上げているからだった。
「なに、を……」
「いいですから、眠っていてください」
「いずりは……?」
その声に抗うことができず、俺の意識は暗転する。
◆
そこが我が家のリビングで、ソファの上に寝かされているのだと、目が覚めてからすぐに気がついた。
部屋を見渡してみれば、すぐそこに二人分のスクールバッグが置かれている。ひとつは俺のだとしても、もうひとつは一体誰のものなのか。眠ってしまう前の記憶を振り返ろうとして、しかしその答えは目の前に現れた。
「目が覚めましたか。すみません、勝手にお邪魔しています」
「出灰、なんで……」
今日は学校を休んでいたはずのクラスメイト、出灰翠が、制服のブラウスの上からエプロンを掛けて台所の方からやってきた。
「すみませんついでに、キッチンもお借りしました。普段あまり自炊していないようですね、道具や調味料はほとんど新品同然でしたよ」
「ああ、母さんが金は置いていくし、自分で作る気も起きないから……」
最近は宅配サービスも充実しているから、家から出なくても飯にありつける。配達員には顔も覚えられちゃったし。
いや、そうではなくて。
立ち上がろうとすれば、まだ僅かに頭が痛んだ。しかし、鮮明に思い出せる。
昨日一昨日の出来事が。
「なにがあったのか、説明してくれるか?」
「聡美の仕業ですね……これだから錬金術師は……」
主語のはっきりしない言葉でも、こちらの言いたいことは伝わったらしい。
状況から考えても、彼女が全て知っているのは明らかだ。なにかしらの手段を用いて、俺の中の昨日一昨日の記憶を消した。
常識はずれのそれに、三日前までの俺なら鼻で笑い飛ばしているところだろうが。残念ながら俺は昨日、あまりにも信じ難い光景をこの目で見てしまっている。
背中から灰色の翼を伸ばし、手には長柄の武器を持って。化け物と戦うクラスメイトの女の子を。
「天宮さん、頭痛の方はどうですか?」
「おかげさまで、ずいぶん楽になった」
「でしたら、先に夕飯にしましょう。少し待っていてください」
うちはカウンターキッチンになっているから、台所に引っ込んだ出灰の姿はリビングからでもよく見える。他人の家の台所なのに、どこになにがあるのかを把握しているみたいだ。手際よくコンロを準備している様を見ると、クラスメイトの可愛い女の子が制服エプロンで家にいる、という状況を今更意識してしまう。
色々とそんな場合じゃないとは思うのだけれど、俺は思春期の男子だから仕方ない。
日常の延長にある非日常、とでもいうべきか。家の中というプライベートな空間に、つい三日前までは殆ど関わりのなかった女の子がいるのだ。意識するなと言う方が無理だろう。しかも今この家の中には俺と出灰の二人だけだぞ。突然のラブコメちっくな展開に頭がおかしくなりそうだわ。
しかしそれも、先ほどまで熱していたはずの鍋を素手で持っているところを見てしまえば、別の意味で非日常を感じてしまった。
「……熱くないのかよ、それ」
「わたしは熱には強いですから」
そういえば昨日の屋上で、狼みたいな化け物を燃やしてたな、と思い返した。
あんな魔法みたいなことができるのだ、熱々のお鍋くらいわけはない、ってか。
「寒いですから、生姜鍋にしてみました」
「材料はどうしたんだ?」
「家から持ってきましたよ」
「……あとで材料費渡す」
出灰の家は、ここから三件隣。鍋の材料を持ってくるくらい、手間ではないだろう。しかし出灰家、いや黒霧家の食材に手を出してしまったというのなら、お金はちゃんと払わないと。
準備もできたところで、ダイニングテーブルに対面同士で座り、二人揃っていただきます。
「美味い……」
「お鍋ですから、誰が作っても同じです。まあ、一部の例外はいますが」
「褒め言葉くらい素直に受け取ってくれ。じゃないと、言ったこっちが困る」
ぷいとそっぽを向いてしまっているが、言葉とは裏腹に表情は柔らかいものだ。ほとんど無表情に近くはあるけど。
さて、せっかくの生姜鍋に舌鼓を打っている場合ではない。ただでさえ、クラスメイトと同じ食卓を囲む、なんてラブコメじみたイベントにちょっと緊張しちゃっているのだ。
目の前の綺麗な顔立ちに見惚れてしまう前に、聞かなければならないことを聞いてしまわないと。
「それで、俺の記憶がおかしかったのは、出灰の仕業ってことでいいのか?」
「随分と、落ち着いているのですね」
「いや、これでも内心ビクついてるよ」
嘘ではない。けれどあまりにも一気に情報が流れ込んできたものだから、どこかが麻痺しているだけだ。
それと、可愛い女の子の前で情けない姿を見せたくない、というちっぽけなプライドもある。昨日のことを考えれば、今更だとは思うけれど。
「たしかに、天宮さんの記憶を改竄したのはわたしです」
「改竄」
「魔術で行ったのが仇となったみたいですね。どうも、聡美には簡単に解かれてしまったようですし」
「魔術」
「これが錬金術によるものだと言うのだから、空いた口が塞がりません」
「錬金術」
なにやら物騒でファンタジーな単語がいくつも飛び出てきて、俺の頭はすでにキャパオーバー。とりあえず、一個ずつ説明してもらいたいのだけど。
出灰としても、今のは俺に聞かせるためというより、独り言に近い感じだったらしい。
改めて、その真紅の瞳が見つめてくる。
白磁のような肌に、形のいい桜色の唇、透き通った目鼻立ち。人形のような、という形容がよく似合う、日本人離れした可憐なその顔から、目が離せなかった。
きっとこういうのを、見惚れているというのだろう。なんて、頭の片隅で他人事のように思ってしまう。
「全て、説明します。それにはまず、わたし自身のことから話しましょう」
「出灰のこと?」
「ええ。わたしは、人間ではありません」
「……はい?」
ジャブにしてはとんでもないのが飛び出してきて、思わず耳を疑った。しかし俺のことなどお構いなしに、彼女は話を続ける。
「いえ、今は正真正銘人間なのですが……これでも一応、遺伝子の七割近くは吸血鬼のものだったのです」
そして俺は、出灰翠という少女を知る。
彼女が何者で、なにを為してきたのか。
この二日間を、何度繰り返したのか。




