異世界桜前線 2
森の中で純白の少女と対峙する、緋桜と桃の二人。明らかな敵意を向けてくる彼女に対して、さてどうするかと刀を構えたまま思案する。
恐らく、というか確実に、目の前の少女はアリスから頼まれた探し人で間違いない。
外見の特徴は聞いていたのと一致するし、なにより彼女からは魔力が感じられない。そこらの雑草にすら宿っているのに、まるで彼女のいる空間だけがぽっかりと穴の空いたような。
『Reload Vortex』
回転弾倉が回り、遊底が操作される。無機質な機械音声が森の中で響いて、緋桜は待ったをかけた。
「待て待て、勘違いだ。俺たちは敵じゃない」
「その言葉を信じろと? どうせあなたたちも、領主に雇われて彼を排除しようとしているのでしょう」
「だから違うって!」
問答無用と言わんばかりに、銃口がこちらへ向けられる。
あの銃は、マズい。
なにがとは具体的に言葉にできないが、魔力とも違う力を感じる。緋桜の見たものの中であれば、そう、アリス・ニライカナイの持つ杖と似た力だ。
龍具。
特別なドラゴンでしか作ることのできない、魔導具の上位互換。
先程の爆発した銃弾も、おそらくはライフルの能力によるものだろう。いや、回転弾倉に込められた弾丸のものか。
どちらにせよ厄介であることに変わりはない。どう立ち回るべきか、と考えて、思考を中断する。
戦う前提で考えてどうするのだ。まずは誤解を解かないと。
「桃、あれ見せろあれ!」
「はいはい……白龍のハクア、だよね? これこの通り、わたしたちは一応、アリスちゃんから色々と任されてる身なんだけど」
桃が例のブローチを取り出すと、少女は驚きに染まった表情で銃を下ろした。どうしてそれを、と言葉にしなくとも顔に書いている。
「分かってくれたかな?」
「ええ……でも、だったらどうしてここに……? この森に来たということは、あの領主から彼のことを聞いたのではないの?」
「彼、っていうのが誰のことを指すかは分からないけど。たしかに領主様からは色々お話を聞かせてもらったよ。なんでも、呪いを振り撒くドラゴンがいるとか、そいつに魔導具を次々と奪われてるとか」
「それは違うわ!」
予想通りの返答が勢いよく返ってきた。
悔しそうに、なにかを噛み締めるような表情で。ハクアは同族を庇う言葉を口にする。
「街の呪いは彼のせいじゃない……彼が来る前からあの街は蝕まれていて、むしろその逆なのに……!」
「逆? 街で聞いてきた限りだと、呪毒龍が姿を現すようになってから呪いが顕在化した、って話だったぞ?」
「それが呪いなのよ……」
どういうことだ? 緋桜と桃は領主だけでなく、街の住人たちからも聞き込みをした。呪いの被害の証言に食い違いがあるわけでもなく、実際あの街からは、元の世界での呪術に似た気配も感じた。
どこがどう逆で、呪いの正体はなんなのか。
「そもそもあなたたちは、実際に呪いの被害者を見たのかしら?」
「そう言えば……」
「見てない、ね……いや、ハクアに言われるまで気にも留めなかった」
話を聞くだけで満足してしまっていた。実際の被害者を見ることもせず、そうなのだと決めつけてしまっていた。
緋桜は、自身がそれなりに抜け目ない性格だと自負している。それはなにも自惚れなどではなく、自他共に認める客観的事実だ。そうでなければ、かつてネザーに所属していた時、その所在を知り合いの誰からも知られないように立ち回ることなど不可能。
ましてや桃に至っては、現代魔術の基礎を作り二百年の時を生きた魔女だ。
普通であれば、彼女がその辺りの確認を怠るなんてあり得ない。
つまり、緋桜と桃の二人も、すでに敵の術中にハマってしまっている。
「相当強力な呪術だね。ちょっとまずいかな」
「お前の魔力でゴリ押しできないか?」
「うん。こっちに気づかれずってことは、それも無理。そもそも、並の呪術なら勝手に弾かれるし」
あくまでも元の世界の基準ではあるが、呪術を防ぐ、あるいは解呪する方法は大きく分けて二つある。
まずひとつは、多大な魔力で弾き返すことだ。そもそも呪術自体、そこまで力を持った魔術というわけではない。お呪い、などという言葉がある通り、ほんの些細な効果しか齎さないのが殆どだ。だから大抵の場合、呪われていると自覚した時点で魔力を放出することによって無理矢理呪いを弾く。
しかし、それが出来ないような、強力な呪いをかけられた場合。そこで二つ目の手段を取らなければならない。
呪術とは、二つの点と点で結ばれた因果を魔力で侵食し、めちゃくちゃに掻き乱してしまう魔術だ。かなり極端に端折った要約ではあるが、概ねそんな感じで間違いはない。
もしも魔力放出でも解呪できなければ、この結ばれた因果をどうにかしなければならない。
例えるならば、絡まった糸を元に戻す、あるいは知恵の輪にも近い行い。
当然、容易く出来ることじゃない。
「まずはどこで因果が結ばれたのかを把握して、時間をかけてじっくり解呪するのが正攻法なんだけど……」
「そんな時間はないだろうな。どんな呪いにせよ、そもそも時間をかけるって時点でそれはもうこっちの負けだ」
どのような呪いも、時間の経過と共に効果は増していく。しかし確実な解呪を目指すのであれば、時間をかけるしかない。とんだ矛盾だが、穴がないわけじゃない。
魔術とは基本、等価交換だ。
発動する術に相応の魔力を込めなければならない。それに加えて、魔術によっては魔力以外にも捧げなければいけないものがある。特に現代魔術以外が顕著だ。
例えば、ルーン魔術なら文字。降霊術なら依代。陰陽術ならヒトガタといったように。それぞれに決まった捧げ物が存在する。
そして呪術の場合は二つのパターンかあった。まず一つは、呪う相手に縁のあるもの。
有名な呪術を例にすれば、丑の刻参り。
午前二時に藁人形を杭で打つ呪いだ。あの藁人形は、対象者の髪を混ぜて作る。相手に縁のあるどころか、その身の一部を使っているからこそ、強力で有名な呪いでもあるのだが。それにしたって、呪術の中では強力というだけだ。魔術全体を見れば、やはり他の術に比べて効果は落ちる。
そしてもう一つのパターンは、術者自身の身を削り、相手を呪う方法。
本来そこまでの効果を発揮しないはずの呪術が、広範囲に渡って無視できないほどの効果を発揮している場合、まず間違いなくこちらのパターンだ。
身を削ると一概に言っても、物理的な肉代だけに囚われない。例えば魂の一部を削っても良いだろう。あるいは、術者本人が自分の身体と同等に大切なものでもいい。
要は、術者自身が相応の代償を払わなければならない、ということだ。
話を戻そう。
つまるところ、今回緋桜たちが付け入る隙はそこにしかない。
街全体に作用するほどに強力な呪いであれば、術者の負担、代償もかなり大きなものとなっているはずだから。
とはいえそれも、まずは犯人を探さなければならないし、そのためにも件の呪毒龍と会っておきたい。
「ハクア、あんたの言う彼とやらが、街で噂になってる呪毒龍でまちがいないんだな?」
「ええ。今は森の奥で眠りについているけれど」
「もしよかったら、会わせてくれないかな。色々と確認しておきたいこともあるし」
「もちろんよ。けれど起こすことはできないわ。というより、しばらくは目を覚さないと思うから」
目を覚さない。その言葉に首を傾げつつも、二人はハクアの案内で森の奥へ進んだ。
道中で軽く自己紹介も済ませて、ひたすらに森の奥へ。異世界から来たことを明かすとハクアは驚いていたが、どうやら蒼とも知り合いだったようだ。
ドラグニアに所属していたとの話だし、あの国は割と異世界人が頻繁に現れるし、さほど珍しくは思っていないのだろう。
やがてたどり着いた森の最深部は、まだ昼間だというのに漂う瘴気で夜と変わらない暗さだった。
ここまで目に見えて分かる瘴気。よく魔力のないハクアが無事でいられるなと思ったが、むしろ魔力がないからなのか。
そして目の前には、眠りにつく瘴気の発生源が。
紫の鱗はところどころが黒く変色し、鋭い眼光を放つだろう瞳は苦しそうに閉じられている。大きな翼も力なく垂れており、誰がどう見てもかなりの重症だった。
「この子が呪毒龍エスピノ。街を救うために、自分の身を犠牲にしたの」
「呪毒龍なんて呼ばれてるから、てっきり呪いや毒を操るんだと思ってたけど……なるほど、そう言うことか……」
「体に蓄積させてる、のか? もしかして、街の呪いを吸収した?」
エスピノから感じる魔力と、彼が纏う瘴気から漏れる魔力。この二つは同じものじゃない。つまり、エスピノ自身から生み出された呪いや毒ではないということ。
「ヒザクラの言う通りよ。この子は呪いや毒を吸収して、自分の体に蓄積させる力を持っている。その名前から勘違いされがちなのだけれど、昔は多くの国や街、小さな村まで救ってくれた、偉大なドラゴンよ。それこそ、百年戦争以前から」
百年戦争とは、人間とドラゴンの間で起きた百年に渡る戦争だ。それ以前は人間とドラゴンが共生するなんてまずあり得ない話だったし、暗黙の了解で互いに不干渉を貫いていた。
そんな時代から、エスピノは種族の違いなど関係なく、人間たちを救ってくれたという。
ならばなぜ、百年戦争を乗り越え人と龍の共生が成し遂げられた今となって、このドラゴンは傷つけられているのか。
そして蓄積できるはずの呪いに、どうして蝕まれているのか。
「まさか、蓄積できる許容量を超えたとか? もしそうなら、街の呪いは相当ヤバいものってことになるけど」
「いえ、違うわ。この子は本来、これくらいならなんともないはず。そもそも、許容量なんてものがあるとは本人にも聞いたことがないもの」
エスピノの鼻先を撫でるハクアは、まるで我が事のように苦しそうな顔を見せる。同じドラゴンだから、というだけではないだろう。きっとエスピノとは、個人的な親交があったに違いない。
「街の噂は嘘。領主が企てたのか、誰かに利用されてるのか、領主も騙されてるのか。どれかは分からないけれど、エスピノはなにも悪くない。この子はただ、自分の力で少しでも誰かを助けたくて、正しいことをしようとしているだけなのに……」
誤解されやすい力を持ってしまったが故に、正しいことを為そうとするドラゴン。
どこかで、似たような話を聞いた。自然と思い出してしまう。
呪いにも似た飽くなき欲求に負けじと、苛烈な優しさと鮮烈な正しさを振りかざす、あの少女を。
そういう話を聞かされると、放っておけなくなる。元々どうにかするつもりだったが、まあ、そこに理由がひとつ追加されてしまったと思おう。
「美人のそんな顔見せられたら、どうにかしたくなるのが男ってもんだよな」
「ちょっと緋桜、それどういう意味?」
「睨むなよ怖いから」
いつもの冗談だとわかってるくせに、嫉妬深い魔女様だ。本人に直接言えば殴り飛ばされるだろうけど。
「ま、仕方ないかな。緋桜のそれは今に始まったことじゃないし。元々、あの街のことはどうにかするつもりだし」
「そういうわけだ。異世界の魔術師がたった二人ではあるが、よければ力を貸しますよ、お姫様?」
戯けた調子で腰を下り手を差し出せば、横から桃にその手を叩かれた。少しくらいは格好をつけさせてくれてもいいのに。
「……ありがとう、二人とも。その申し出、よろこんで受けさせてもらうわ。けれどヒザクラ、恋人の隣で他の女の子を口説くのは、感心しないわよ?」
「恋人じゃなくて嫁だから大丈夫」
「なにも大丈夫じゃないよ!」
今度は頭を叩かれた。まあ、なんの強化もされていない、普通の女の子の拳だ。普通に痛いだけで済む。
大きくため息を吐き出した桃は、徐に一歩踏み出して、眠っているエスピノに歩み寄る。それにギョッとしたのはハクアだ。
「ダメよモモ! 今のエスピノには触らないで!」
「呪いが移るから? でもハクアは普通に触ってたじゃん」
「わたしはこのドレスのおかげで平気なだけよ! 普通の魔導師なら、触れた瞬間にそこが腐り落ちるわ!」
なるほど、ハクアがこの瘴気の中でも無事なのは、純白のドレスのおかげか。おそらく、それも龍具の一種なのだろう。
しかしだからと言って、桃は動きを止めない。焦るハクアの肩に手を置き、緋桜は安心させるように言う。
「普通の魔導師なら、だろ? 大丈夫、あいつは普通じゃない」
「でも……!」
「ちょっと引っかかる言い方なんですけどー? まあ、その通りなんだけどさ」
ジト目で睨まれ、肩を竦める。
眠るドラゴンの鼻先にそっと手を触れる桃。すると、彼女の右腕が肘の辺りまで、一気に黒く変色した。ハクアが言ったように、エスピノの溜め込んだ呪いや毒が感染したのだろう。
「なんだ、この程度か」
がっかりしたような言葉。次の瞬間には桃の腕も、エスピノの鱗の色も元に戻り、周囲の瘴気が薄れていく。
魔女の足元には複雑な魔法陣が広がり、エスピノは苦しそうな表情を少しずつ和らげていた。目を覚ますことはないが、それでも先ほどより余程マシに見える。
「こんなものかな」
「嘘でしょ……あなた、何者なの……?」
目の前の光景が信じられないのか、ハクアは絶句している。
そしてそんな反応に気を良くした桃は、薄い胸を精一杯張って、物凄いドヤ顔でこう答えた。
「わたしは桃瀬桃。元の世界だと、聖女と呼ばれた魔術師だよ」
「ぶふっ……!」
これにはさすがの緋桜も吹き出してしまう。聖女? こいつが? どの口で?
「そこ! なんで笑ってるの!」
「ふっ、ははは! いやだってお前、くくくっ、こんなの笑うだろ! はー、面白い。今のセリフ、愛美にも聞かせてやりたかったな。くくっ」
「笑いすぎだから! バカ緋桜!」
「悪い悪い。あと桃瀬じゃなくて黒霧だろ」
膨れっ面で睨まれても可愛いだけだぞ。
魔女、もとい聖女様は、こんなふざけたことを言いつつも、しかししっかりと原因を特定しているらしく。
こほんと咳を一つして、
「ところでハクア、ひとつ聞きたいんだけどさ」
エスピノの首筋にある、小さな二つの穴。
何者かに噛みつかれた痕を見て、核心を突く質問を投げた。
「この世界にも、吸血鬼っているのかな?」




