星を繋ぐ者 3
学校帰りの葵と合流した織は、例の廃ビルへやってきていた。
その最上階、誰もいない部屋の一室は、かつてオフィスだった名残がある。いくつかの事務机と、その上に少し古いパソコン。床にはゴミが散乱していて、ボロボロのソファの前にある机の上には、まだ新しい飲みかけの缶コーヒーが。
「愛美たちが下で騒ぎ起こして、急いで逃げたって感じか」
「みたいですね」
ジッとその一点を見つめる葵からは、適当な相槌が。別に織が嫌われてるとかではなく、葵は現在、情報の精査に脳をフルで使っている。
この場に残された数多の情報から、人一人分を抜き出すというのだ。それも残された情報だけでなく、そこから先の未来予測まで。
織の未来視では、他人の未来は見れない。精度はいくらか落ちるとは言っても、同じく未来予測が可能な葵たち情報操作の異能だからできる芸当だ。
困った時の情報操作。葵たちには申し訳ないが、雑に扱えるグレイがいない今、後輩に頭を下げて協力してもらうしかない。
「出ましたよ、織さん」
「お、早いな」
「名前は庄司真澄美。最近この街に越してきたみたいですね。案の定転生者です」
「どんなやつか分かるか?」
「えっと……家族でこの街に来たみたいですよ。旦那さんと、あと子供が二人。円満な家族みたいですね」
「既婚者かよ……」
旦那も協力者である可能性は疑った方がいいだろうか。いやそもそも、結婚して子供もいて、葵曰く仲のいい家族と暮らしてる。
それでも、諦められないものなのか。転生者の後悔というやつは。
「周りの転生者があんなんばっかだから、勘違いしちまうな」
「はい……根本的に転生者は、この新世界を受け入れられないでしょうから」
剣崎龍やルークのような、諦めてしまえるようなやつらが少数派だ。
いや、彼らの場合も諦めたわけではないのだろう。あの二人は、互いの存在があって初めて転生者として成立する。
だからこの新世界でも二人でいられるなら、先のことなんてどうでもいいのだ。
小鳥遊蒼と桐生朱音の二人も、例外となる。あの二人はすでに、後悔を晴らしたから。
復讐に身を費やした敗北者は言うに及ばず。偉大な人類最強の男も、この新世界ができたその時に。
大切な弟子を、最後まで導けたから。
「とりあえず、蓮くんに連絡しときますね」
「ああ、頼む。その転生者は向こうに任せよう。愛美がいれば滅多なことはないだろ」
ここ一年平和な日が続いたと言っても、愛美なら大丈夫だ。体が鈍って仕方ない、と本人はしきりに言っていたが、定期的に魔物を倒したりしてるし、たまに異世界に行って暴れさせてるし。
「その辺蓮は大丈夫なのか? あいつが全力出したのって、この前の魔導大会以来じゃね?」
「うーん、大丈夫じゃないですか?」
数ヶ月前、異世界で魔闘大会というものが開かれた。端的に言えば、魔術も異能もなんでもありなトーナメント戦。織と愛美はおしくもベスト8止まりとなり、桃と緋桜が準優勝、蒼と有澄が優勝という結果だったが。
ちなみに織と愛美は、桃と緋桜に負けた。しばらく悔しがっていた愛美が記憶に新しい。
「ていうか、あの魔闘大会も納得いってないんですよね、私。なんで心象具現化禁止なんですか」
「いや、フィールド変わって観客が見れないし、仕方ないだろ」
黒霧の家が継いだキリの力、『心』に由来する心象具現化という魔術。その奥義とも言えるのが、術者の心象を現実に拡張させる魔術だ。
織自身は直接見たことがないのだけど、どうやら限定的に新しい世界を別に作り出す魔術らしく、術者の指定した相手のみがその世界に移される。
そうなれば当然、試合会場から対戦者は消えるし、観客たちが戦いを見れなくなる。禁止になるのも仕方ないというものだ。
「あれが使えたらグレイとサーニャさんにも勝てたかもしれないのに!」
「相手が悪かったって思うしかないだろ」
蓮と組んだ葵は、残念ながらグレイとサーニャの吸血鬼組に負けた。大人気ないグレイとサーニャが全力で異能を使い、葵がなんとかグレイの異能を抑えていたのだが、サーニャの氷結能力は全員の予想を上回る威力を見せたのだ。
あの朱音ですら愕然としていたほどに。
「私、サーニャさんのせいで冬が来るのが怖くなりましたよ……」
「気づいたら蓮も葵も氷漬けで戦闘不能だったもんなぁ。でもそれで言ったら、葵だっていつの間にあんなことできるようになったんだよ」
「ああ、これですか?」
バチッと空気の弾ける音。黒い火花が散ったかと思えば、葵の左右に真っ黒な人の形を取った稲妻が二人現れる。
片方は元気に織へ手を振っていて、もう片方は腕を組んでいるようだった。
これが、葵の心象具現化。
黒い稲妻もそうだが、彼女の中で今も生きている二人の妹こそが、葵の心象らしい。
まるで意思があるような素振りだが、実際どうなのかは葵でも分からないという。
「ほら、前に紹介した私の眷属になっちゃった子いるじゃないですか。その時のゴタゴタで使えるようになったんですよ。それからちょっと練習して、こうやって自由に出せるようになりました」
「そ、そうか……」
ちょっと練習して、でこんなことが出来る様になってしまうのか。我が後輩ながら末恐ろしい。
愛美やイブが言っていた、仲間内で潜在能力が飛び抜けている、小鳥遊蒼すら越えるかもしれない、という話も現実味を帯びてきた。
「それにしても、結局宇宙人がどうのこうのって噂はなんだったんでしょうね」
「ああ、そういや元はそんな噂だったか」
記憶を奪う怪物が廃ビルに現れる。その正体は地球を侵略しにきた宇宙人だ。
織が熊谷から聞かされた噂話はそんなものだったが、蓋を開けてみれば案の定転生者の仕業。花蓮と英玲奈に協力してもらい、街の人たちからも噂について聞いてもらったのだけど。
宇宙人、という単語はやはりちょくちょく出てきたらしい。
UFOを見た、なんて言ってる奴もいたみたいだし、あながち噂止まりじゃないのかもと思ってみたりしたが。
「今のところそれらしい影はなしか……」
「でも、もし本当に宇宙人なら、私の情報操作もどこまで通用するか分かりませんよ。ここに残留してる情報も、もしかしたら見れてないかもしれませんし」
「ま、そこまで気にする必要もないだろ。犯人の転生者も分かったことだし、あとは愛美と蓮に任せて──」
実に呑気なことを言いかけた時だった。
突然背後に気配が現れて、二人は振り返ると同時に得物を抜く。葵の分身二人も、それぞれ大鎌と槍を構えていた。
そこにいたのは、大量の触手で体を支えて立つ軟体動物じみた謎の生物。丸い顔には目と口が付いているが、瞳は先を見通せないほどの真っ暗闇だ。
「どうだ葵?」
「ノイズだらけで全然見えません……」
『蛻昴a縺セ縺励※縲∝慍逅?ココ』
頭に直接響くノイズだらけの声。なにを言ってるのかさっぱり理解できず、頭痛すら引き起こす。
「くっ……演算が乱れる……!」
「随分と典型的な姿してるじゃねえか……なに言ってるか分かんねえし」
『謌代???縺薙?譏溘r繧ゅi縺?↓縺阪◆』
なにを言ってるのかは分からない。ただ、害意や敵意のようななにかは感じられる。
噂話は本当だった。地球を侵略しにきた宇宙人なんて、そんなSFじみたことが起こるものかと思っていたけど。
事実、こうして起きている。
『螟ァ莠コ縺励¥霆埼摩縺ォ荳九k縺ェ繧牙些螳ウ縺ッ荳弱∴縺ェ縺』
「地球に来たんなら、この星の言葉で喋りやがれよ!」
織が発砲したのと同時、葵の分身二人が稲妻となって駆ける。両サイドから振われる鎌と槍を触手で絡めとり、正面から迫る銃弾は敵に届くことなく勢いが衰え、ついには床に落ちてしまう。
その現象に絶句していると、葵の分身二人が全身から放電した。
黒い雷撃は、葵の持つ『崩壊』の力が宿っている。触手を通じて敵の全身に感電し、体の端から灰になって崩れていく。
『謇玖穀縺ェ豁楢ソ弱□縺ェ縲ゅ@縺九@縺薙?蜉帙?闊亥袖豺ア縺』
にも関わらず、頭の中にはまだノイズだらけの声が響く。葵は頭痛を堪えるように頭を押さえて膝をついてしまい、分身たちが庇うように立っていた。
無理に演算を続けているから、織よりも負担が大きいのだ。
「倒した、のか……?」
「まだです織さん、ノイズしか見えないけど、それでもノイズは見えてる。まだ死んでません」
あの『崩壊』を受けてもまだ死なないのか? いくら宇宙人だからって、キリの力はこの世界における絶対の力だぞ。
というかそもそも、こいつはなんなんだ。今回の事件の犯人は転生者じゃなかったのか。なんだってこのタイミングで、宇宙人なんてのがマジで現れやがるんだ。
『莉頑律縺ッ蟶ー繧九?ょセ後?蜷悟ソ励↓莉サ縺帙h縺』
「……っ! 逃げるつもりです!」
「待て葵!」
動こうとした黒い分身を手で制する。なぜ止めるのかと顔のない頭がこちらを睨んでいる気がするが、ここで追うのは得策じゃない。
敵の姿が完全に灰となって消えたのを見て、未だに膝をついてる葵に手を貸して立ち上がらせた。
「なんで止めたんですか」
「あれを相手にするには、準備が足りなさすぎる。レコードレスも幻想魔眼もどこまで通用するか分からない上に、情報操作もまともに機能してなかった。おまけに『崩壊』の力まで効いてる様子はなかっただろ?」
「でも、野放しにできるやつじゃありませんよ、あれは!」
たしかにその通りなのだが、敵の正体が全く分からないのだ。本当に宇宙人かどうかすらも。
葵の情報操作が通用しないのが痛すぎる。織たちは常に、その異能によるイニシアチブがあった。それがない相手になると途端に慎重になりすぎてしまう。
悪い癖のようなものだと分かってはいるが、しかし仲間の安全には変えられない。葵はまともに戦える状態じゃなかった。今も黒い分身二人が姉を気遣うように立っているが、織とその二人だけでは戦力不足だ。
「このタイミングであんなやつが出てきたことには、おそらく意味があるはずだ」
「あってもらわないと困りますよ」
ボロボロのソファに腰を下ろした葵は、分身たちにありがと、と礼を言い二人を消す。
ふぅ、と大きく息を吐いて、綺麗なツインテールの片方を結び直していた。
「もしかして、犯人の転生者が?」
「ないことはないだろうな。よくある話だろ、実は宇宙人が地球人に紛れて暮らしてました、なんてのは」
そして、それを笑い飛ばせないのが魔術というものだ。
もしも熊谷がここまで予想していたのなら。今回の報酬は、少しばかり弾んでもらわなければ割りに合わない。
◆
織と葵が廃ビルで謎の敵と相対していた、一方その頃。
愛美と蓮の二人は、葵から齎された情報を頼りにして、棗市の北にある住宅街へ足を運んでいた。
「葵のラインだとこの辺りって言ってたんですけど……」
「いた。あいつね」
一軒家が多く立ち並ぶ道。物陰から伺うのは、両手にスーパーのビニールを持った主婦の女性だ。
間違いない、彼女からは魔力の反応がある。それも普通の魔術師ではありえない、転生者だからこそ持てる大量の魔力。
歳の頃は三十半ばと言ったところか。あの廃ビルで違法な取引現場に居合わせた後すぐに買い物とは、面の皮が厚いのか、それだけ日常に溶け込んでいるのか。
まあ、後者だろう。愛美にも覚えがある。例えば、人を殺した数十分後には美味しいご飯を食べていたり。
魔術師といった人種の殆どは、非日常と日常の境目が曖昧だ。あるいは、犯罪者などにも同じことが言えるかもしれないけど。
「どうしますか?」
「様子を見る必要もないし、正面から行くわよ」
一帯に結界を張ってから物陰から出る愛美に、蓮も苦笑しながら続く。そして主婦の前に出た愛美は、堂々とした声で言い放った。
「転生者の庄司真澄美ね。巷で噂の記憶を奪う怪物について、話を聞かせてもらいたいんだけど」
「──っ!」
愛美が既に短剣を抜いていたからか。一瞬だけ表情を驚愕に染めた庄司は、その後の行動自体は早かった。両手のビニール袋をなんの躊躇いもなく手放して、全身に魔力を循環。最低限の強化だけ施し黄色い炎を放ってくる。
が、愛美にそんなものが通用するはずもない。縦一文字に振われる短剣は、転生者の炎すらも容易く斬り裂いてしまう。
「殺人姫……嗅ぎつけるのが早すぎる……!」
「優秀な後輩がいるのよ。それにしても、私のことを知ってるくせにこの街で騒動を起こすなんて。命知らずなのかバカなのか」
「この街じゃないといけなかったのよ!」
苦い表情で一歩後ろに下がる庄司。一瞬前まで立っていたそこに、か細い糸が。
蓮の糸を見破るとは、さすか転生者。龍とルークからの評価は散々だったが、嘘でもそれなりの場数は踏んでいるらしい。
「ああもう! 変なのに転生するし、上手く溶け込めてたと思ったらすぐバレるし、船からは一向に連絡が来ないし!」
「船? なんのことだ?」
「教えるわけないでしょ!」
悲鳴じみた叫び声と共に、黄色い炎が舞う。聞かされていた通り炎に頼った戦い方ではあるが、しかしその力が恐ろしいものであることもまた事実だ。
蓮と二人で黄色い炎から逃れながら、隙を見ては接近しようとするが、やつの炎を操作する技術は巧みだ。
それ一つに頼りきっているということは、付随する技術全てに自信があるということ。そして相手が転生者であるなら、当然高水準の技術レベルのはず。
近づこうとするたびに阻まれて、蓮の放つ糸は全て黄色い炎に飲み込まれる。
記憶を奪う炎は、魔術の支配権すら奪って本来の術者へ牙を剥く。
「厄介な炎ね!」
「だったらこいつで!」
蓮が取り出すのは黄金の聖剣。
剣が担い手を選ぶが故に、やつの黄炎は通用しない。
ただしそれは、赤き龍による変革が齎されるよりも前の話だ。
剣に意思があるというなら、逆に。記憶を奪う力は正常に作用してしまう。
「待ちなさい蓮!」
「なっ……!」
炎が聖剣に絡みつき、その黄金が失われていく。鈍い鉄の塊と化してしまったエクスカリバーからは、魔力がひとつも感じられない。
「ふふふ……旧世界では剣崎龍にしてやられたけど、赤き龍に貰ったこの力なら!」
「桐原先輩、下がってください!」
「えっ」
漆黒の闇が溢れる。黄金を失った聖剣は、どす黒い光を湛えていた。
「ちょっ、蓮? なにそれ大丈夫なの?」
予想外の光景に愛美も困惑してしまう。その光は、見たことのあるものだ。旧世界で、糸井蓮が敵の悪魔の手に落ちてしまった時と同じ。その正義の心を反転させられた時と、全く同じ闇色の聖剣。
「ふぅ……大丈夫です、今はもうコントロールできるんで……!」
髪を灰色に染めた少年が、地面に剣を突き立てる。漆黒の闇が枝のように細く鋭く分かれ、指向性を持って転生者へと殺到した。
闇の魔力そのものに、黄色い炎は通じない。なんとか躱そうとしている庄司だが、こういうところで炎に頼りきっていたツケが回ってくる。
最低限の強化だけでは回避が追いつかず、ついにその右肩を蓮の攻撃が捉えた。
「くッ……!」
立て続けに足と脇腹に突き刺さり、動きが完全に止まる。その隙を見逃す愛美ではなく、炎が展開されるより早く懐まで肉薄。魔力の刃で刀身を伸ばした短剣を、首元につきつける。
「そこまでよ」
「これで動きを止められたとでも」
不敵に笑う庄司だが、言葉は途中で止まった。すぐ近くにあったガードレールが、なんの脈絡もなく突然綺麗に切断されたからだ。
当然、愛美の仕業である。
「私の異能は刃物を媒介にする必要すらないし、あんたたちみたいに炎を展開させるためのラグもない。分かる?」
殺そうと思えばいつでも殺せるのだと、言外に告げている。今こうやって短剣を突きつけていても、庄司が炎を広げるより早くその首が飛ぶだろう。
「さて、全部吐いてもらうわよ。あの黄色い粉、あれを使ってなにをしようとしてたのかしら」
「……あれは単なるデータ収集に過ぎない。私の炎と母船の技術を使って作った、地球人の生態調査のためのものよ」
「地球人……母船……?」
「まさか、宇宙人の噂は本当だったってことか?」
聖剣と髪の色を元に戻した蓮が、信じられないと言わんばかりの目を向けている。
今回の事件は、たしかに宇宙人やらUFOやらの噂話が飛び交っていた。しかし蓋を開けてみれば犯人は転生者で、噂は所詮噂でしかなかったとばかり思っていたが。
「待って、待ちなさい……つまり、なに? あんたは宇宙人に転生してたってわけ?」
「信じられないのもよく分かる。ええ、本っっっ当によく分かるわ。だって私も信じられなかったんだもの! なによ、生まれ変わったら宇宙人って! なんで地球以外にまで異能の力が及んじゃうのよ!」
半ば涙目になりながら叫ぶ三十代の女性。いい大人のそんな姿はあまりにも情けなく見えるが、まあ、ほんの少し同情はできる。
生まれ変わったら地球の外でした、なんてタチの悪い冗談だ。
「もうやだ……母船にはなんとか誤魔化しながら、せっかくこの世界でも普通に家庭を築いて暮らしてたのに……」
「ならあのクスリはなに? あんたが記憶を奪う怪物の正体なのは変わりないでしょ」
「やりたくてやってたわけじゃないわよぉ……! 母船からの命令には逆らえない! そういう風にプログラミングされてるの、私たちは!」
プログラミングときたか。本来ならばそのことに疑問も持たないのだろうが、庄司は転生者。つまり中身は地球人のものだ。自分の意思を外から強制的に捻じ曲げられるというのは、果たしてどれほどの不快感を催すか。
「つまり、あんたも利用されただけってこと? その宇宙人に」
「そうよ! 転生者としては失格かもしれないけど、この新世界ではもう普通に暮らそうって思ってたのに、よりによってこの時代のこの肉体だなんてっ!」
「ていうか、宇宙人ってわりには俺たちと姿は同じですよね」
「ああ、たしかに」
「DNAを自由に変えれるのよ!」
なぜそこで自慢げ……。
しかしどうしたものか。目の前で膝をつく転生者にもう敵意がないと見て、愛美は少し考え込む。
もしも庄司の言う母船とやらの介入があれば、相当面倒なことになってくる。相手は全くの正体不明。いざとなれば異世界からも応援を呼ばなければならないかもしれないし、赤き龍が横槍を入れてこないとも限らない。
宇宙人との殺し合いには興味があるけど、庄司は利用されていただけみたいなので殺すわけにもいかないし。かと言って、相手の居場所もわからないのでカチコミもできない。
今後の行動に頭を悩ませていると、不意に殺気を感じ取る。ハッと視線を下にすると、黄色い炎がすぐそこへ迫っていた。
「ごめん、ごめんね……!」
謝罪の言葉は、それが庄司の意思ではないことを物語っている。プログラミング、と言っていたか。母船とやらからの命令で無理矢理動かされているのだろう。
距離を取ろうにも、殆どゼロ距離での発動だ。もう遅い。かと言って異能で斬ろうにも、この距離だと庄司も巻き添えを食らう。これがただの騙し打ちならそれでも構わなかったけど。
一瞬の思考。それだけの時間があれば、既に手遅れ。
全身を黄色い炎に焼かれながら二歩三歩と後ろに下がり、膝をつくと同時に炎は消えた。
「桐原先輩っ!」
「くっ、ぅ……」
誰かが駆け寄ってくる。思考が纏まらない。自分の中から大切なものが抜け落ちていく感覚。けれど、どうしてそれが大切だったのかも分からなくて、胸に言いようのない痛みが走る。
「わた、しは……!」
ボロボロと、崩れ落ちていく。私を私たらしめるなにかが、溢れては消える。
「くそッ、炎の効果は消せないのか⁉︎」
「無理よ……転生者の炎は不可逆のもの。小鳥遊蒼やルージュ・クラウンの炎と同じ。一度焼かれたら、元には戻らない……」
「だったら、すぐに朱音をっ……!」
もはや名前を思い出せない少年が、言いかけて止まる。空を見上げて、開いた口も塞がずに絶句している。
オレンジに染まりかけてる空に浮かんでいるのは、巨大な菱形の箱だった。そうとしか形容できない、とても大きななにか。
炎に身を焼かれる前ならばそれが『母船』だと気づけたのだろうが、この状況も、ここがどこなのかも分からなくなってしまった少女には、到底理解が及ばない。
「こんな時に! 桐原先輩、しっかりしてください! 俺です、蓮です! 分かりますか⁉︎ 織さんや朱音のことも忘れたなんて言いませんよね!」
「しき……あかね……?」
その言葉、いや名前は、まだ私の中に残っている。絶対に、もう二度と忘れたりしないと誓った、命よりも大切な家族の名前だけは。
「私は……殺人姫、星を繋ぐ者……!」
夕焼けの空に、星が浮かんだ。
星座にもならない、まばらに配置された、それでも強く輝き、たしかに繋がっている星々が。
そうだ、その星たちが輝いている限り、繋がっている限り、忘れることなんてありえない。あってはならない!
「貸しなさい、蓮!」
少年の手から聖剣をふんだくり、頭上の船へ切先を突きつける。その刀身は溢れんばかりの黄金を輝かせ、桐原愛美の持つ正しい心を強く示していた。
「人様の星に来て随分舐めた真似してくれるじゃない、宇宙人!」
聖剣を上段に構える。黄金をより一層の輝きを放ち、魔力が吹き荒れる。
今この時は繋がりを介した借り物じゃない。正真正銘、愛美自身が持つ正しさに、聖剣は応えた。
「道は反転し、理は流転する! 星々の煌めきはこの身にありて、世界を繋ぐ架け橋とならん! 集え、我は星を繋ぐ者! 万物万象悉くを斬り伏せ、命を刈り取る者!」
詠唱の完成と共に現れるのは、七つの刃。意思を持って動き回るそれらは、まるで姫を守る騎士のよう。
刃は円環を形作り、黄金の魔力がその中を突き抜けて、上空の船に届くほど長大な刀身を伸ばした。
「誰の前でこの星に手を出そうとしてるのか! 身を以って教えてやるわよッッッ!!!」
巨大な聖剣が、振り下ろされる。
殺人姫の持てる全てを注ぎ込まれた一撃は、例えそれが宇宙より襲来した船だろうが関係ない。彼女はあらゆるものを斬り裂き拒絶する。
回避が間に合うはずもなく、黄金が菱形の箱に直撃する。地球外の物質で作られた船は容易く焼き斬られ、至る所で爆発が起きている。
円環を解いた七つの刃が宙を舞った。船に比べるとあまりに小さなそれらが、トドメとばかりに突き刺さる。
最後には大爆発を起こし、宇宙船は木っ端微塵に吹き飛ぶ。
「あー、スッキリした」
「やりすぎですよ先輩! 落ちてくる残骸どうするんですか⁉︎」
「他の連中がどうにかするでしょ」
慌てる蓮に聖剣を返して再び空を見上げると、言った通り宇宙船の残骸はどこかへ消えていく。ひとつたりとも地上には落下しない。恐らく、織の幻想魔眼か葵の情報操作か、あるいは両方のおかげだろう。
「ていうか、俺の聖剣なのに……」
「お陰で助かったわよ。私の魔術じゃあそこまで大規模な破壊力は出せないし。やっぱり持つべきは頼りになる後輩よね」
「それ、俺じゃなくてエクスカリバーの方に頼ってますよね……」
本来の担い手てしては複雑なのか、蓮はどこか落ち込んだ様子だ。
そんな後輩の肩を叩いて軽く慰めてやりつつ、呆然と空を見上げたままの転生者に向き直る。
「どう? これでプログラミングとやらはもう機能しないんじゃないかしら?」
「あ、はい……大丈夫です……」
話しかければ肩を大きく振るわせる庄司。なんか怖がられてる感じがする。せっかく宇宙人の支配から解放してやったというのに、その反応はどうなのか。
「私、こんなの相手に喧嘩を売ってたんだ……」
「ちょっと、こんなのってなによ、失礼ね。ったく……宇宙人は撃退したし、もうクスリを売らないっていうならさっさと帰りなさい」
「えっ、と……いいの? 私、結構なことやらかしたと思うんだけど……」
「そりゃ被害者はいるけど、あんただってやりたくてやったわけじゃないんでしょ?」
彼女が犯した罪は消えるわけじゃない。誰かに利用されていたのだとしても、記憶を失った三人の被害者は、紛れもなく庄司真澄美の持つ炎のせいだ。
完全にお咎めなしとはいかないだろう。後日、熊谷の方からなにかしらの沙汰が下されるに違いない。
ただ、それでも。
「あんたがどこの誰でどんなやつだとしても、帰りを待つ家族がいるんでしょうが」
それでも、彼女には彼女の繋がりがあり、この世界のこの星に、家族がいる。
過去の罪がどうやらとか持ち出せば、それこそ殺人姫の愛美はどうなるのだ、という話だろう。
愛美はすぐそこにいる後輩のような正義のヒーローでも、勧善懲悪を望んでいるわけでもない。
ただ、己の信じた正しさに従うだけ。
「かく言う私にも、帰りを待ってくれてる大切で大好きな家族がいるのよ。そう言うわけだから、動かないなら先に帰るわよ」
「あ、ちょっと待ってくださいよ桐原先輩! 帰る前に葵に謝りに行きますよ!」
「えぇ……嫌よ怒られるの目に見えてるじゃない」
「だったらあんな派手にやらなかったら良かったのに」
背中の転生者には振り返らず、後輩と二人で帰路につく。
さりとてこれにて一件落着。
一瞬でもみんなとの思い出を忘れてしまったのが悔しすぎるので、帰ったら織と朱音に慰めてもらおう。
その前にツインテールの可愛い後輩からのお叱りがあることを思い、ほんの少し憂鬱になる愛美だった。




