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失恋騎士道

 あの日のことを、今でも昨日のように思い出せる。目を閉じれば、当時の光景が鮮明に思い浮かぶ。


 魔術学院に入学して一年にも満たない自分達では、まるで歯が立たない強力な魔物と遭遇してしまい、絶望していた中で現れた、今よりも華奢な少女の背中。


 長い黒髪を靡かせ、顔には愉悦の笑みを張り付けて。それでも後ろにいるクラスメイトを守ろうとナイフを振るう、殺人姫の姿を。


 首席議会に名を連ねる家の嫡男として、騎士を目指す一人の男として、自分が全員を助けなければと思い上がっていた傲慢を。


 アイザック、クリフォードが、運命と出会ってしまった、あの日のことを。



 ◆



 桐生織と桐生朱音。

 その二人によって新世界が作られてから、一年と少しが経過した。

 旧世界で魔術師として、あるいはキリの人間として戦っていた仲間たちは、今日も平穏な暮らしを謳歌している。


 しかし、この世界を去ってしまった者もいた。

 魔女、桃瀬桃と彼女について行った黒霧緋桜の二人だ。

 送迎会を派手に行ったのは既に一ヶ月前。世間は今やゴールデンウィーク真っ只中で、棗市の隣街にある大学に通うアイザック・クリフォードことアイクは、所属しているフェンシング部の練習を終えて帰路に着いていた。


 練習は午前だけ。午後から時間を持て余しているアイクは友人二人の顔を思い浮かべ連絡を取ろうと考えるが、そう言えばと思い返す。

 安倍晴樹は京都の実家に帰省中であり、桐生織は娘を連れて異世界に向かっていた。


 アイクも転移魔術くらいは使えるので、京都くらいなら一瞬で行けるのだが。友人の実家にまで押しかけるのはいくらなんでも迷惑だ。


 さてどうしようか。このまま一度帰宅するとしても、その後の時間は暇を持て余してしまう。課題に手をつけるか、商店街にある行きつけの喫茶店でティータイムと行くか。

 先日織に勧められたゲームを買いに行くのもありかもしれないし、丈瑠や葵を始めとした後輩たちに声をかけて鍛錬というのも悪くない。


 と、そこまで考えて、彼女の名前が出てこなかった事に、アイクは失笑した。

 すれ違った女性から怪訝な目を向けられるが、彼は気にしない。


「いつから、なんだろうな」


 一人呟き、己の心境の変化をこんな時に自覚する。

 旧世界では、それこそ織が学院に来た頃くらいまでは、いつだって彼女の、殺人姫の背中を追いかけていたのに。なにを考えずとも、それが一番だったのに。

 今では空いた時間になにをしようか考えてしまう。


 彼女がアイクの友人と結ばれたということが最たる理由だろうが、きっとそれだけではない。

 時間というのは、人の感情を変えてしまう。緩慢に、けれど確実に。


 変わらないだけのものを持てる者、世界広しといえど限られた者たちだけだろう。


 そんな風に物思いに耽りながら歩いていると、ふと、魔力の反応を捉えた。

 今歩いているここ、棗市南側の繁華街から程近い場所だ。足を止めて頭上、高層ビルを見上げる。

 午後の予定が決まってしまった。


 人目につかない路地裏に移動してから、軽く詠唱して転移の術式を構築。魔法陣を展開させて起動。

 次の瞬間にはアイクの目に映る景色は変わっており、路地裏から高層ビルの屋上へと一瞬で移動していた。


 周囲を見渡すが、オフィスビルであるここの屋上には誰もいない。

 ただし、すぐそこには黒い靄のようなものが蠢いて、空間を歪ませている。魔力の澱みであり、これから魔物が発生する予兆。


 虚空から愛用の剣を取り出す。

 こうして棗市に発生する魔物を駆除するのは、もはや日常の一つとなった。毎度出現するのも大した相手ではなく、あの家族や後輩たちよりも劣るアイクでも難なく倒せる相手ばかり。


 半身になって剣を持つ右腕を胸の前に掲げ、切先相手に向けて構える。

 しかし、魔物は一向に出現しない。それどころか魔力は形を持たないままでも徐々にその反応を大きくしている。


「これは、いつものようにはいかないか」


 強敵の予感に警戒を高めていると、やがて魔力が形を持ち始める。

 現れたのは、鷲の翼と上半身、四肢の下半身を持つ魔物。神話にも登場する伝説の生物。

 グリフォンだ。


「まさかこいつが現れるとは……! 運がいいのか悪いのか分からないな!」


 そして、アイクにとっては因縁のある魔物でもある。

 旧世界でのあの日に遭遇したのも、同じ魔物だったから。

 魔力の澱みは合計で三体のグリフォンを生み出した。その三体ともがこちらに威嚇しており、どうやら飛び去るつもりはないようで一安心。

 さすがに少々部の悪い戦いになってしまうが、勝てない相手じゃない。


「さて、あの日のリベンジをさせてもらうとしよう!」


 全身に強化魔術をかけ、愛剣に術式を付与してコンクリートの床を蹴る。三台同時に襲いかかってきたグリフォンの凶悪な爪を躱し、まず正面の一体へ刺突を繰り出した。

 グリフォンの体は大きい。少なくとも全高二メートル以上はある。対してアイクの得物は細身の剣で、ただの刺突であれば大したダメージにもならないだろう。

 ただの刺突であれば、だ。


「■■■■■■!!」


 甲高い悲鳴をあげるグリフォンの傷口から、炎が発生してあっという間にその全身へ燃え広がった。

 まずは一体。焼け死んだグリフォンは魔力の粒子となって霧散し、織から教わった魔導収束でそれを回収する。


 その隙を突いて、上空へ飛び上がっていた二体から風の刃が放たれる。剣に付与する術式を変えて床に突き刺すと、土の壁が現れて攻撃を阻んだ。

 その壁を跳び越えて、片方の翼を斬り落とす。ビルの屋上に墜落するそいつにトドメを刺そうとしたのだが、もう一体のグリフォンは既に逃げの態勢へ移行していた。


 ここから逃すわけにはいかない。しかしいくら翼を斬り落としたとは言っても、まだ攻撃してくるだけの力は残っているだろう。逃げるグリフォンを追えば、背中を撃たれる。


 どうするべきか一瞬迷った末に、逃げるグリフォンを追うことに決めた。背中を撃たれるだけなら構うようなことでもない。自分が傷を負うだけだ。その上で、もう一体を逃さなければいいだけの話。


 強化の効力を強めようと魔力を練った、次の瞬間。

 漆黒の長髪が、視界を横切った。


 かと思えば逃げようとしていたグリフォンの首が落ち、アイクはただ呆然とその様を見届けている。


「ボーッとしない! さっさと後ろのやつにトドメ刺しなさい!」

「……ッ、ああ!」


 掛けられた声にハッと我に返って、振り向き様に一閃。翼を斬り落とされていた最後のグリフォンは胸を浅く斬られ、その傷口から鋭く尖った岩石が突き出し、内側から身体を食い破る。

 絶命したグリフォンはまた魔力の粒子となって、上空の少女、桐原愛美が魔導収束でそれを回収しながら屋上に降りてくる。


「すまない、Ms.桐原。手を煩わせてしまったな」

「いいわよ、これくらい。それよりアイク、あんたさっき捨て身で動こうとしてたでしょ」


 ズバリ言い当てられてぎくりと肩を震わせる。どうやら彼女は全てお見通しらしい。


「逃すわけにいかないって気持ちもわかるけど、私とか葵たちだっているのよ? 一体くらいは見逃してもいいから、安全第一で戦いなさいな」

「俺のことを心配してくれるのか! それは嬉しいな!」

「煩い、声でかい。あと煩い」


 すげなくあしらわれるのはいつものこと。むしろこうやってレスポンスを返してくれるようになっただけ、昔よりも友好的な関係を築けていると言っていい。

 昔、最初の方は完全無視だったし。


 とは言っても悲しいものは悲しいので、内心ちょっとしょげていると。


「ったく、あれじゃあの時と全く同じじゃない。ちょっとは成長しなさいよ」


 まさかの言葉に、アイクは目を見張った。

 自分の勘違いでなければ、愛美の言うあの日とはつまり、あの日のことだろう。

 アイザック・クリフォードが、桐原愛美という少女を初めて知った、愛美に救われたあの日。


「……なによ、そんな顔して」


 よほど変な顔をしていたのか、愛美は怪訝な顔で小首を傾げている。


「ああ、いや……まさか、Ms.桐原が覚えていてくれたとは思わなくてな」

「生憎、記憶力はいい方なのよ。あの頃は私も個人的に色々あったし、結構覚えてるわよ」


 本当にまさかだ。彼女にとっては、取るに足らない一日だと思っていたから。

 だからアイクが呆気に取られるのはある意味当然で、しかし逆に、桐原愛美という少女の人間性を考えれば、覚えていることもまた当然と言える。


「ほら、さっさと帰るわよ。ここの関係者に見られでもしたら面倒だし」

「ああ。事務所までエスコートしよう」

「いらない」


 ピシャリと一言で切って捨てられ、愛美は一人でどこかに転移してしまう。

 クールでつれないところも彼女の魅力の一つだ。まあでも、男心的にはやっぱり結構悲しいが。



 ◆



「へえ、そんなことあったのか」

「ああ! まさかMs.桐原に当時のことを覚えてもらっているとは思わなくてな! 嬉しくて小躍りしそうになってしまった!」

「せんくてよかったな。ホンマにしとったらめっちゃ冷たい目で見られとったで」

「それもアリだな!」

「なしやろ」


 異世界から帰還した翌日。

 織は事務所にやってきた友人二人をもてなし、アイクから留守中に起きたことを聞いていた。


 どうやらそれなりに強めの魔物が現れたらしく、愛美とアイクの二人で撃退したようだ。そしてその際、アイクと愛美の馴れ初め? 的なものを彼女が覚えていると知ったアイクは、鬱陶しいくらいに上機嫌。

 いつもはアイクに負けない大声で突っ込む晴樹も、呆れているのかため息を漏らしながらのツッコミだ。

 それでもちゃんと突っ込んであげるあたり、さすがは関西人。


 ちなみに愛美はというと、朱音や葵、翠とショッピングに出かけている。普通の学生らしくて実に結構。


「機嫌良くて結構やな。こっちは面倒な親戚の集まりに呼ばれとったっちゅうのに」

「晴樹は実家に帰ってたんだっけか」

「おう、この世界でもうちはそれなりにデカイからな。ほんまに面倒なことが多いんや」


 大きな大きなため息。どうやら相当お疲れの様子。

 それを言えば織だって、異世界で色々とこき使われていたのだが。身体を動かしていただけ、晴樹よりはマシなのだろう。


「てかさ、そういえば俺、アイクと愛美の、その馴れ初め的なやつ、聞いたことないんだけど。お前、いつから愛美にアタックし続けてたわけ?」

「おお、聞きたいかMr.桐生! 聞きたいだろう! Ms.桐原の武勇伝の一つを!」

「お前が喋りたいだけやろ」

「あれはそう……一年の三学期、年が明けてまだ間もない頃の話だった……」


 遠い目をして語り始めるアイク。まあ聞いたのは織だし、取り敢えずは黙って聞くとしよう。


 一年の三学期というのは、旧世界での魔術学院一年の頃ということだ。織はまだ普通の高校に通っていて、愛美とも出会っていなかった時の話。


「あの頃の俺は、自分で言うのもなんだが一年の中でもそれなりに優秀な方だと自負していた。家のこともあったし、事実としてそれなりの実績も積んだ」

「ああ、親父さんが首席議会の一人だったもんな」


 アイクの父親、ロイ・クリフォードは魔術学院を統べる首席議会の一員に、名を連ねていた。織と愛美も、旧世界では随分とお世話になったものだ。

 現在はイギリスにいるらしく、海外の魔術的な情報を得るためにアイク経由でたまに連絡を取り合う。


「だからなのか、当時の俺は酷く傲慢な男でな」

「アイクが? 傲慢?」


 全く想像できない。こいつはまさしく英国紳士と言っていい、礼儀正しい男だ。愛美が絡まなければ、と注釈はつくが。

 そんなアイクが傲慢とは。晴樹の方をチラと見やると、彼も控えめに肯定する。


「まあ、傲慢っちゃ傲慢やったやろうな。なんせクラスメイト全員自分で守らんとあかん、とか考えとったやつや」

「それは……傲慢って言っていいのか?」

「勿論だとも。クラスメイトを信じず、それどころか心のどこかで見下していたのだ、俺は。そしてそんな俺だからこそ、決定的な間違いを犯してしまった」

「あん時は俺もおったんやけどな、クラスの何人かで魔物討伐の依頼受けてん」


 それくらいならよくある話で、一年の三学期ともなれば魔物討伐も任せられる。裏の魔術師が相手にでもならない限り、その程度の依頼なら生徒でも受けさせてくれていた。

 そしてアイクが語ったように、彼には実績があったのだ。だから教師も安心していただろうし、本人たちもどこか余裕があったことだろう。


 しかし魔術世界において、想定外というのはいつでも発生し得る。

 常に想定外を想定して動け、というのは織がこの世界に足を突っ込んで真っ先に思い知ったこと。


「討伐目標自体は簡単に倒せた。しかしその直後、予想外の魔物に遭遇してしまってな」

「たしか、そん時もグリフォンやったな」

「今ならともかく、当時の俺たちでは全く歯が立たない相手だ。なにせグリフォンは神話にも登場する伝説の生物。敵わないのは一目瞭然。すぐに逃げるべきだが、簡単に逃してくれるような相手でもない」


 グリフォンの厄介な点は、機動力と風を操る力。その二つがあればそれなりのスピードを出せるし、学院の一年生如きが逃げられるわけもない。


「そのグリフォン相手に、自分が囮になるとか抜かすアホがおってん」

「えっ、死ぬじゃん」

「ああ、死ぬな。そして俺は、そのつもりだった。首席議会に名を連ねる家の嫡男として、騎士を目指す者として、背後にいるクラスメイト全員を守らなければならない。例え、この身を犠牲にしても。本気でそう思っていた」

「まあ正味な話、俺とアイクの二人だけやったら、なんとか撃退するくらいはできとったはずなんやけどな」


 ただ、クラスメイトを守りながらになるとそれも難しい。

 晴樹は彼の先祖、安倍晴明の生まれ変わりだ。その言い方から察するに、当時から晴明の力は使えていたのだろう。具体的にどの程度まで使えていたかは知らないが、あの晴樹が自分の実力を見誤るとは思えない。

 だからきっと、彼がなんとかなると言えば、本当になんとかなっていたはずだ。


 一方アイクにはそんな事情知る由もなく、本人が言うところの傲慢な考えで、晴樹も含めた全員を守らなければならないと考えていた。その方法が、自らを囮にすること。

 晴樹を始めとするクラスメイトたちが必死に止めるのが、目に浮かぶようだ。


「それでも俺は周囲の反対を押し切って、全員を逃した。当時は転移を使える者もいない、救援は望めるわけもない」


 しかし、そうとは限らなかった。


「皆を逃して、戦い始めて十分ほど経った頃だったか。グリフォンの注意は完全に俺に固定されていたし、我ながら良く戦った方だと思うが、たった十分で俺は既に限界が近かった。情けない話だが、完全に絶望していたよ。いざその時が来たら、急に死ぬことが怖くなったんだ」

「いや、そんなの当然だろ……」


 一般人よりも死が身近にある魔術師でも、死ぬのは恐ろしい。それがまだ一年生だと言うなら、なおさらに。


「そして完全に諦めていた、まさにその時だったんだ! 彼女が現れたのは!」


 急にテンションが上がったアイクは、当時を思い出しているのか目をキラキラと輝かせている。

 まあ、途中でなんとなく読めていた展開だ。


 突然現れた彼女、桐原愛美は、アイクとグリフォンの間に割って入り、アイクを守るために戦った。

 いつもの様に、強者との戦いに胸を躍らせ、愉悦の笑みを浮かべながら。けれどそれでも、誰かを守るために。

 彼女の求めた正しさを、得るために。


「相手がグリフォンでも関係ない、勝負は一瞬だったさ! あっという間にその翼を、四肢を、首を斬り落とし、そして俺に言った!」

「なんて?」

「バカじゃないの、と!」

「……なんで?」


 いや、愛美なら間違いなくそう言う。彼女は自分を犠牲にして囮になるとか、そんなのは大嫌いだから。

 織が聞いたのは、なんでそんなに嬉しそうなのか、ということ。


 普通に思いっきり罵倒されてると思うんだけど。


「聞くだけ無駄やで、桐生。俺らも聞いたけど、全く理解できんかったからな」

「ああ、そう……」

「それから俺は、彼女に説教されたよ。仲間を守ろうとする心意気はいいが、もう少しその仲間を頼ることを覚えろ。学院に入っている以上、他のやつらも覚悟くらいできてるはずだ。一方的に守らないといけないと決めつけるのは、そんな彼ら彼女らに対する侮辱だ、とな」

「因みにだけど、なんで愛美が来たんだ?」

「あー、そのアホは気付いとらんかったけど、魔女もおってんで、そこに。俺が地脈越しに学院までちょっと無理矢理な干渉したら、学院の結界に手加えとった魔女が気付いてな」


 SOSは意外と早く学院に届いた、というわけだ。


「かくして俺は彼女に救われ、その背中を追うことになった。あの圧倒的な強さに、彼女の存在そのものに惹かれてしまった」

「ま、強さだけしか見とらんかったんが、アイクのあかんとこやけどな」

「その通りだ。自分で言うのもなんだが、おれはかなり彼女に心酔していたからな。強く正しく、そして美しく戦場を舞う彼女しか見ていなかった。憧れ、尊敬し、崇拝していた。こんなものは好意と呼べない」


 自嘲するような笑みは、己の過ちに対する後悔が滲んでいる。

 しかし、今こうして自覚できているだけでも十分だろう。お陰で現在の愛美とアイクは、普通に友人同士上手くやっているようだし。


「懐かしい話してるわね」


 と、話がひと段落したところで、愛美が帰ってきた。朱音は一緒じゃない様だ。


「おかえり、朱音は?」

「ただいま。あの子なら葵の家に行ったわ。まだ翠と遊ぶんですって」

「お前も行ってきたらよかったのに」

「誰かさんが寂しがってると思ったのよ。そんなことはなかったみたいだけど」


 アイクと晴樹の二人と軽く挨拶して、彼女は人数分の紅茶を淹れてくれる。

 そういえば、飲み物を何も用意していなかったか。


「お前と違って気の利く嫁やな」

「悪かったな、気が利かなくて」


 そもそも、今更そうやって気を遣うような仲でもあるまいに。

 トレーに人数分のカップを乗せてテーブルの上に置き、ソファの織の隣に腰を下ろす愛美。紅茶を一口飲んで、それで? と問いかけてきた。


「せっかくの連休に男三人集まって、なんでそんな懐かしい話してるのよ」

「なんでちょっと棘あんねん」

「それもMs.桐原の魅力の一つだよ、Mr.安倍」

「わかっとらんな、みたいな顔すんなはっ倒すぞ」


 相変わらずのアイクと、ツッコミが雑になって来てる晴樹。多分めんどくさくなって来たんだろうな。


「昨日のこと、アイクから聞いてたんだよ」

「ああ、あのグリフォンね」

「そういや気になっとったんやけどやな、桐原」

「なに?」

「なんであん時助けに来てん」

「さっき安倍が自分で説明してたじゃない」


 質問の意図が分からず、愛美は眉を顰める。たしかに晴樹は先程、愛美と、ついでに桃が助けに来た経緯を自分の口で説明していた。

 つまり、晴樹が聞きたいのはそう言うことではなく。


「せやなくて。お前、あの頃からやろ。俺らに構い出したん」

「ああ、そういうことね」


 一年生の頃の愛美。織は話に聞いただけだが、どうも当時の愛美は今より相当尖っていたらしい。

 そんな愛美を手名づけ、もとい丸くしたのが、皆さんご存知、黒霧緋桜。そして魔女との出会い、交流もあり、紆余曲折の末に三人は三人だけの絆を築いた。


「色々あったのよ、私にも」


 色々と、本当に色々とあって、今の愛美がいる。鮮烈な正しさと苛烈な優しさを併せ持った殺人姫がいる。


 当時を懐かしむような目をした愛美はきっと、薄情にも異世界に移り住んだあの二人を思っているのだろう。

 二度と会えないわけではないけど。遠く離れてしまったことには変わらない。


「で、話を戻すけど」


 少し湿っぽくなった空気を払拭して、愛美はジトっとした目でアイクを見る。

 当の本人はなぜそんな目を向けられるのか分かっていないのか、キョトンとするだけだ。


「アイク、昨日も言ったけどね、もう二度とあんなバカな真似はするんじゃないわよ」

「Ms.桐原に言われては仕方ないな」


 肩を竦めて答えるアイクだが、その答え方が気に入らなかったのか、愛美はムッと眉根を寄せる。

 昨日のグリフォンとの戦闘と、たった今聞いた過去の話。そして彼の性格も加味すれば、いずれまた同じことをする恐れはある。


 織たち仲間のことを信じてくれてはいるんだろう。でも、もしも魔物の脅威が無辜の人々に襲い掛かろうとするなら。

 アイザック・クリフォードには、そういった危うさがあった。


「まあまあ、その辺にしたってくれや。俺も目ぇ光らせとからやな」

「というか、なぜ俺はこんなに信用がないんだ、Ms.桐原!」

「あんただからよ」


 嘆くアイクと、耳を塞ぐ晴樹。ため息を漏らす愛美。

 今この光景だけを見れば、間違いなく平和な一日だ。出来るだけその平和が長く続き、誰かさんが自分を犠牲にしないよう。


 そう努めるのが、織の仕事なのだろう。



 ◆



「のうアイク」


 事務所からの帰り道。隣を歩く友人が、沈み行く夕日を見上げながら問いかけてきた。


「お前、実際のところどうやねん」

「どう、とは?」

「とぼけんなやアホ。お前昔の話ばっかで、今の話は一個もせんかったやろ」


 相変わらず、鋭い男だ。こうして遠慮もせず聞いてくるところも、好感が持てる。

 だから、彼には話してしまえるのだろう。


「俺はもういいんだよ、Mr.安倍」

「ええっちゅーことはないやろ。この手の話でもお得意の自己犠牲か?」

「そうではないんだ。たしかに俺は、彼女に憧れていたし、尊敬していたし、崇拝していた。そして今はそうじゃないと自信を持って言えるし、桐原愛美という一人の女の子に好意を抱いていることも否定しない」


 否定したくない。きっといつか、時間の経過と共にこの想いも風化して、彼女とは普通の友人同士、なにを思うでもなく付き合いを続けていけるようになるだろう。

 そう言えばそんな時期もあったな、と。笑い話にできる日だって来るだろう。

 だからこそ、今この時だけは、自分の気持ちを否定したくない。


 時間の流れは残酷だ。人の感情を緩慢に、けれど確実に変えてしまう。

 それでも変わらないのは、限られた者たちだけで。アイクは、そうではないから。


「だけどな、俺が一番好きな彼女の表情はやはり、彼女が家族と共にある時の笑顔なんだ。俺はきっと、その顔に恋をしたんだよ」


 だから、アイザック・クリフォードの初恋は、始まった時点で既に終わっている。


「俺はあの家族の幸せを、なによりも願っている。他の誰よりもな」

「さよか」


 アイクにとって、恋愛というものそれ自体は、正直そこまで重要ではない。

 親しくなったもの全員に報われてほしいから。だから、愛美も織も、朱音も。他の友人や先輩後輩たちも。


 そのためなら、騎士を目指すものとしていくらでもこの身を捧げようと、誰にでもなく誓っている。

 たとえ力が足りないのだとしてもだ。


「お前、ほんまええやつやな」

「君ほどではないさ」

「褒めてもなんも出んぞ……せやけどまあ、今日はラーメン奢ったるから付き合えや」

「今日は思いっきりコッテリしたものを食べたい気分だな!」

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