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白雪姫と夜の露 4

「なるほど、バレンタインが関係してくるのか。伝説や伝承といった大仰なものではなくとも、人々のイメージによって、あるいら信仰とも呼べるもので力を得る。となると、夜露や夏目智樹の身に起きた出来事も納得だ」


 店を出て件の交差点へと向かう織と朱音、真矢とまひるの四人。

 愛美が導き出した答えとほぼ同じところに至った織は、一般人の二人にも掻い摘んで説明していた。まひるは納得したように頷くが、一方で真矢はまだ少し理解しきれていないらしい。


「待ってくれ、だったらなんで今日なんだ? バレンタインは明日だろ」

「そこは多分、俺たちのせいっす。本来なら明日発動するはずの術式が、デカイ魔力を持つ俺たちが来たせいで反応したってことだと思います」


 恐らく、術式の起点となっているのはその交差点だろう。まずこの街に踏み込んだ時点で術式自体が起動してしまい、智樹が若返った。愛美が交差点に近づいたことでさらに活性化、一緒にいた夜露まで巻き込まれた。


 では果たして、一体誰がこのようなことを起こしたのか。

 残る問題はそこだけだ。


「だがその理論でいくと、ボクたちはあくまでも物語の中にいる登場人物にすぎない。作者か、あるいは読者のような、世界の外から観測している何者かがいる、ということにならないかな?」

「マジで鋭いっすね……月宮さんの言う通りですよ」

「どっちが名探偵か分からないね」


 クスクスと笑う朱音に悪意はないのだろうけど、ほんのちょっぴり織の胸をちくりと刺す。これはまひるが意味わからんくらい聡いのであって、織が優秀ではないというわけではないはずだ。そう思いたい。


「しかし、世界の外と来たか。さすがのボクも、そこまでは頭が回らなかったぜ」

「普通は魔術なり新世界なりにも回らないはずなんすよ」

「それで? その外から眺めてる傍観者と夜露のストーカー、同じではないのだろう?」

「……」


 交差点へ向かう足を思わず止めてしまい、空いた口が塞がらなくなる。

 この人は、一体どこまで見透かしているんだ?

 ニヤリと不敵に笑う真昼の月は、どこまでも不気味に見えてしまう。


「少し考えれば分かることさ。世界の外側と言うのであれば、この世界にわざわざ姿を見せる意味もない。細かい理論は知らないが、一般人に視認できずとも魔術を行使するくらいはやってのけるようなやつなんだろう? なら、夜露がほんの少しでも姿を見たというストーカーはまた別人だ。ただし、今回の事件と無関係、というわけでもないだろうね」

「何者だよ、あんた……」

「大した人間じゃあないさ。ボクは一介の探偵であり、そしていついかなる時も大神真矢という人間の味方。だからボクは、真矢くんの愛してやまない夜露に手を出した犯人を、許すわけにはいかないのさ」


 大仰な口振りは、ひとつも嘘が混じっていない。

 大神真矢の味方。そこには友情とも親愛とも違う、決して一言では言い表せられないものが宿っている。

 織程度には推し量れない、なにかが。


 つい真矢の方に救いを求めて視線をやると、諦めてくれとばかりに肩を竦めていた。


「まひるさんは昔からこうなんだ。お陰で随分酷い目にも遭わされてきたけどな」

「それこそ酷い物言いじゃないか真矢くん。ボクはいつだって、君のために粉骨砕身の思いで動いているというのに」


 おいおいと嘘泣きを始めるまひるには見向きもせず、真矢は織に合わせて止めていた足を再び動かす。

 三人もその後に続いて、話は事件についてのことへ戻った。


「夜露のストーカーについては、目星がついてるのか?」

「あー、それなんすけど、多分ストーカーじゃないんすよね」

「ストーカーじゃない? でも、夜露の勘違いってわけでもないんだろ?」


 そう、大神夜露が誰かに尾けられていたのは事実だ。だが尾けられていたからといって、イコールでストーカー確定とはならない。例えば織やまひるたち探偵は、依頼によっては調査対象の尾行をする。その目的は調査そのものであったり、監視であったりと様々。


 なら今回の場合、単なるストーカーでないのなら、どう言った目的があって尾けられていたのか。


「監視と護衛、って感じですかね」

「監視はまあ、分からないでもないけど、護衛か?」

「はい。非常に癪なことに、俺らが依頼を受ける前から今回のことを予期してたやつがいるっぽいんすよ」


 苦虫を噛み潰したような表情で、織は腹立たしげに舌打ちする。

 全く、またしばらく行方不明になっていたと思ってたら、こんなところでなにをしているのやら。

 葵たちが心配していると、あれだけ忠告してやったのに。


「夜露さんの証言を思い出してみましょう。あの人が最初にストーカーの存在を察知した時、交差点の鏡には姿が映ってなかったって言ってましたよね」

「それは、魔術のせいなんだよな?」

「正確には違います。まあ、魔術師の領分の話になるのは間違い無いんすけど。鏡に映らない生き物って聞いて、真矢さんはなにを思い浮かべます?」

「鏡に映らない……吸血鬼、とか?」

「正解」


 パチン、と指を鳴らして言えば、朱音がおお! と声を上げる。真似しようとするが何度もスカしているのが可愛い。


「吸血鬼って実在するのか」

「旧世界ではそれなりにいましたよ。新世界ではそもそも魔術自体が存在してないことになってるから、必然的に吸血鬼も存在しない。ただ、ひとりだけ例外がいるんすよ」


 話している間に、件の交差点へとたどり着いた。先程行われた愛美と赤き龍の偽物の戦闘による余波か、地面はところどころ抉れている。

 それだけで済んでいるのは、戦ったのが愛美だったからだろう。彼女のスピードと、派手な魔術を使わない戦い方のおかげだ。これが織なら、もう少し悲惨な状態になってたかもしれない。

 そして、交差点の角に置かれた鏡は割れてしまっている。それこそ夜露が言っていた鏡だろう。ストーカーの姿が映っていなかった。だが鏡自体に問題があるわけではなく、原因はそのストーカーの方。


「隠れてないで出てこいよ、ストーカー吸血鬼。これ以上葵たちに嫌われても知らねえぞ」


 呆れたため息混じりに言えば、目の前の空間が歪む。やがて人の形を取り、灰色の髪を持った男が現れた。


 表情を忌々しげに歪ませた吸血鬼、グレイは、織の姿を見るや否や、ちくりと毒を吐いた。


「私は貴様と違って親バカじゃあないのだよ、探偵。娘たちからの評価など、今更気にしても仕方ないだろう」

「嘘つけどの口で言ってんだ」


 葵曰く、割と頻繁に自分の周りでグレイの使い魔を見かけるらしい。カゲロウと翠も同じことを言っていた。

 まあ、葵の場合は修学旅行で変な事件に巻き込まれたりしたから、この親バカ吸血鬼も余計心配になるのだろう。素直に彼女らが心配だと認めればいいものを、必要以上の干渉は未だに避けている。


「年頃の娘たちとの距離感が分からない父親そのものだろ、お前」

「桐生朱音に嫌われまいとビクビクしてる貴様に言われたくはない」


 別にビクビクしてねえし。朱音に嫌われるとかありえねえし。

 青筋立てて内心言い訳していると、織のすぐ横で銀髪がなびく。月宮まひるは吸血鬼相手にも恐れることなく、好奇心に瞳を輝かせ大股で詰め寄る。


「あなたが吸血鬼か! この世界で唯一の例外、人の姿をした魔物!」

「おい探偵、なんだこの女は」

「失礼、申し遅れたね。ボクは月宮まひる、桐生くんとは違い、真っ当な探偵業を営んでいる者だ」


 人が真っ当な探偵じゃないみたいな言い方はやめてほしいが、あながち間違いでもないので強く言えない。

 握手を求められ差し出された手をガン無視し、グレイは呆れたようなため息を漏らす。織に向けられた視線は、どこか咎めるような色を帯びていた。


「どこまで話した」

「大体全部。話したってか、勝手に真実まで辿り着いてたんだよ、その人」


 グレイが効いているのは、この世界のことについてだ。まひるの言葉から魔術のことを話したとは察したのだろうが、まさか新世界と旧世界のことまで言及しているとは思わなかったのか、ほんの少し驚いて、それから眉を顰める。


「まあ、そういう人間がいずれ現れるとは思っていたがね。現れたてしても、百年は先だと考えていた」

「私たち死んだ後じゃん」

「それでいいのだよ、ルーサー。貴様らに余計な負担をかける必要もあるまい」


 こちらを気遣うような言葉に未だ慣れないのか、朱音は複雑そうに顔を歪める。気持ちはわかるけど、そんな露骨に嫌そうな顔をしなくても。


「で? お前、なんで夜露さんのストーカーとかしてたんだよ」

「ストーカーではないと貴様自身も言っていただろう」

「あーはいはい。なんでもいいから、さっさと理由話しやがれ」

「目星をつけていたからだ。この付近で妙な魔力の流れを感じ取ったからな。視れば、枠外の存在が関係していた」


 そこまでは織たちの推理と同じだ。

 この世界をひとつの物語と仮定し、織たちがその登場人物と設定されて、バレンタインというおあつらえ向きのイベントに事件が起きた。

 そんなことができるのは、枠外の存在しかいない。


 アダム・グレイスやイブ・バレンタインと同じ、あらゆる世界の爪弾き者。己の体質一つで世界そのものに影響を与えてしまう、世界という枠に収まらない存在。


 目下の敵である赤き龍もその一体であり、今回の事件を起こした犯人もまた、枠外の存在であるのはたしか。

 まともな戦いになると、勝てるかどうか分からないだろう。


 枠外の存在がこの世界に干渉しているのを、いち早く察知したグレイは、織が今回の依頼を受けるよりも前にこの街を見張っていた。そしてグレイには、情報操作の異能がある。その副作用、あらゆる情報を可視化する目がある。

 張り巡らされた術式、その基点となるこの交差点を発見したグレイは、情報の可視化によって夜露に目をつけた。結果として織たちもこの街にやって来て、今に至るというわけなのだが。


 このお節介な吸血鬼からすれば、織たち三人も巻き込まれてしまったのは本意ではなかっただろう。


「なあ、ひとついいか?」


 わざわざ挙手して発言したのは、話に置いてけぼりを食らっていた真矢だ。しかし彼なりに考えをまとめたのか、シンプルな疑問がひとつ投げられた。


「あんたが夜露に目星をつけたってのは分かった。理由まではイマイチ理解できなかったけど、妻を守ろうとしてくれたことは感謝する。でも、だったら、夏目も若返ってるのはどういう理屈だ?」


 シンプルゆえに、織と朱音は一瞬思考が停止する。

 そうだ、術式の基点はこの街であり、当然ながら昨日今日準備されたものではない。グレイが数日前から見張っていたのがその証拠だ。であるなら、発動される魔術の対象はこの街に住むものになるはず。


 情報操作の副作用による、情報の可視化。

 その異能があり、ましてやあの灰色の吸血鬼が見誤るなど、ありえるわけもない。


 夏目智樹は被害者とはなり得ない人物だ。

 この場の五人は預かり知らぬことだが、店で待たせている愛美たちは夜露と智樹の共通点を発見した。

 ずばり、思い入れのある贈り物を今も所持しているかどうか。

 こじつけにも思えるその共通点も、魔術が絡めば立派なヒントとして成り立つ。


 だが、本当にただのこじつけであれば?

 それらしいヒントを餌のように置いて、相手を油断させるための罠だとしたら?


「待て、その夏目というのは誰のことだ」

「真矢くんと夜露の友人さ。夏目智樹、浅木市在住で現在は蘆屋高校の教師をしている。今日は妻の夏目桜と共に夜露たちのところへ遊びに来たようだが、その最中に行方不明になった。つい先程、ちょうどここで発見されたのだけれど、その時には既に魔術の餌食、つまりは若返っていたんだよ」


 まひるの説明に、グレイは歯噛みする。

 その表情ひとつで察した織は、すぐに転移の魔法陣を構築した。


「真矢さん、月宮さん、店に戻りますよ!」

「まさか、夏目が……?」

「ほう、真矢くんのくせに察しがいいじゃないか」

「朱音、グレイと一緒にここ頼んだ!」

「まあ、父さんの頼みなら……」


 物凄く嫌そうな顔をした朱音が頷いたのを確認して、織は真矢とまひるの二人を連れ、店へと転移した。


 残された朱音とグレイの二人には、当然ここでやることがある。

 しばらくもしないうちに、どこからともなく真紅の体を持った怪人が現れた。


 魔王、あるいは赤き龍。その端末である怪人が、真昼間の住宅街にぞろぞろ数十体も。

 ただし、こいつらは本物の赤き龍ではない。あくまでも、今回の事件の犯人が作った偽物。愛美曰く、手応えのない見た目だけ真似たハリボテ。


「偽物だったら私いらないじゃん。グレイだけでなんとかしてよ」

「無茶を言うなよルーサー、忌々しいお天道様が昇っているのだ。私が一人で片付けられると思うか?」

「いつになく謙虚で気持ち悪い」

「相手が相手だ。謙虚にもなるし警戒もする。探偵が貴様も残した意味を少しは考えたまえよ」


 改造ホルスターから短剣と銃を抜く。馬鹿にしたような笑みの吸血鬼へ銃口を向けたくなったが、状況が状況だ。ここは自重すべきだろう。


 偽物が相手とはいえ、それでも枠外の存在が用意したやつらだ。気を抜くことなど許されないし、なによりここは街のど真ん中。周囲の被害も限りなくゼロに抑えたい。


「グレイ、周りの保護頼んだよ」

「任せたまえ。貴様は存分に力を振るうといい」


 嫌いで嫌いで仕方ないけど、その力と信念は信頼している。

 蒼と桃の関係性が、少し理解できてしまった朱音だった。



 ◆



 店に残っていた愛美と桜は、夜露指導のもとでチョコ作りの練習に励んでいた。

 さすがは自分の店を持つだけあって、高校時代に若返っていても夜露の指導は的確なものだ。桜もお菓子作りは得意らしく、夜露と一緒になって愛美に色々と教えてくれる。


「そうですそうです、ちゃんと分量を正確に測ってさえいれば、お菓子作りは失敗しませんよ!」

「レシピ通りやることが大切よ。絶対に変なアレンジしたりはしないこと」

「織にも同じこと言われました……」


 相手が歳上、それも依頼人となれば愛美も素直に言うことを聞くのか、家で織に教えてもらっていた時とは段違いにスムーズな作業となっていた。

 とはいっても、慣れないことには変わりないので、桜や夜露が一人で作るよりも遅々とした進みだが。


 キッチンに面したカウンター席に腰を下ろす世奈は、美女三人のチョコ作り風景を微笑ましく眺めつつ、隣に座っている智樹に話を振る。


「夏目くんはモテそうだし、たくさんチョコ貰えるんじゃない?」

「煽てないでくださいよ。柏木さんこそ、向こうに混ざらなくてもいいんですか?」

「わざわざ手作りしてまで渡したい相手なんていないしねー。独身女性の辛いところだ」

「美人なんですから、探せば相手はいくらでもいるんじゃ?」

「あらお上手。ま、わたしは一人の方が気楽だし、まひるの面倒も見ないとだしね」


 たしかまひると世奈は、コンビで探偵をやっているという話だったかと、智樹は納得する。

 探偵などという不安定な職業を二人でやるくらいだ。それなりに深い友人関係でなければ成り立たない。


 ところで、と一拍置いた世奈は、テーブルに肘をついて覗き込むように智樹の顔を見つめる。

 その奥にある真意を悟らせない、無色透明な瞳。まるで相手の全てを見透かすようその眼に、少年はわずか後退りした。


「あなた、本当は誰なのかな?」

「……は?」


 問われた智樹も、距離が近いため話が聞こえていた夜露と桜も、世奈の言葉の意味を理解できなかった。

 しかし、ただひとり。愛美だけは言葉の真意を察して、いち早く動く。

 お菓子作りの手を止め、キッチンから世奈のすぐ隣に素早く転移。取り出した刀を鞘から抜いて、一片の躊躇いもなく首元目掛けて振るわれる。


 だが予想通り、刀はガギンッ、と音を立てて弾かれた。展開された防護壁。魔術を使えない、どころか理解すらしていないはずの智樹が。


「ちょっと、どういうこと? 世奈さん、説明して!」

「まあまあ、落ち着いてよ桜。ほら夜露も、いつまで呆けてるの?」

「え、いや、でも……え?」


 突如目の前で起こった激突に、桜も夜露も状況を飲み込めていない。

 無理もないか、と愛美は思う。今の夜露は高校生、大人の彼女とは違い結構精神年齢も低いみたいだし。桜に至っては、若返っているとはいえ旦那が危険な目に遭ったのだ。


「話してる感じだと完全に夏目くんと同じだし、桜の目も欺くのはさすが魔術って感じだけどね。その裏にいる誰かの気配までは、隠しきれてない」


 柏木世奈。

 趣味は人間観察。相手の一挙手一投足から思考や感情を見抜く、ある種の天才。大学では心理学を専攻し、メンタルカウンセラーの資格も有している。

 人を見抜くという点において、この探偵の右に出るものはそういないだろう。


 果たして、探偵から真実を突きつけられた《《誰か》》は、ニヤリと口の端を歪める。


「まさか、探偵賢者でも殺人姫でもなく、ましてや魔術師ですらない方に見抜かれるなんて。さすがのわたくしも完全に予想外ですわ」


 途端、智樹の全身から黒い影が噴き出した。夜露を飲み込んで若返らせた、あの影と同じものだ。

 影が抜け切った智樹は元の大人の姿に戻り、ぐったりと机に突っ伏している。横目に息があるのをを確認して刀を構え直す愛美。同時に、店の扉が勢いよく開かれた。


「織! 中に影が入り込んでる! 夜露さんからそれ除去して!」

「……ッ、ああ!」


 扉の方を確認するまでもなく、戻ってきた織に指示を出す。背後で力の蠢く気配。オレンジに輝く瞳が未だキッチンで呆然としている夜露へ向けられ、その体からは智樹と同じように影が噴出する。


「夜露!」


 ぐったりと倒れ、大人の姿に戻った夜露の体を隣の桜が支えて、織と一緒に戻ってきた真矢がキッチンまで駆け寄った。


 影が、一箇所に集まる。

 やがて人の形を作ったそれは、長い髪を緩く巻いた金髪金眼の美女へ変貌した。なにより目を引くのは、尖った耳。

 友人(?)の怪盗少女が日頃隠しているのと同じ、ある種族特有の耳だ。


「エルフ……いえ、ハイエルフかしら」

「ご名答。さすがは殺人姫、察しがいいのですわね。とはいえ、わたくしはあなた方が知っているハイエルフとは少し違うのですが」


 時に神と崇められるエルフの上位種族、ハイエルフ。

 普段は森の奥深くに住み、たった一人でいくつもの国を滅ぼせるほどの力を持っていると言われる、魔の世界において最強の種族。


 ハイエルフの女性は、ゆっくりと視線を巡らせる。正面で警戒しながら世奈を庇う愛美を見て、その後ろでまひるの前に立つ織を見て、カウンター向こうのキッチンにいる桜と真矢、気を失った夜露を見る。最後に、つい先程まで乗っ取っていた智樹を見てから、クスリと笑みを浮かべた。


 その微笑みひとつすら、織と愛美は過剰に反応してしまう。

 なにせ相手は枠外の存在だ。冗談抜きで洒落にならない相手。まともに戦えば勝てるわけもなく、この場の全員が一瞬で殺される。


「そう警戒しないでくださいまし。たしかに今回、わたくしは少し干渉しすぎた自覚はありましたが、危害を加えるつもりはありませんのよ?」


 わざとらしく悲しそうに肩を落としている様は、まるでふざけているようにしか見えない。だが、嘘をついているわけでもないのだろう。そもそも嘘をつく理由がない。

 繰り返すようだが、彼女にかかればこの場の全員を殺すことなど、道端の雑草を踏む程度のことだ。それだけ容易く殺される。


「目的はなんだ」

「観測、あるいは観察。観戦や観賞といっても差し支えありませんわ」

「それが、あんたの『体質』だから、ってわけね?」


 満足そうにニコリと笑って頷いた。

 枠外の存在とは、ただそこにいるだけで世界そのものに影響を及ぼすような『体質』を持った者を指す。


 例えば、アダム・グレイスが己の意思とは無関係に世界を『破壊』してしまうように。

 あるいは、イブ・バレンタインが望みもしない停滞という形で、世界を『束縛』してしまうように。

 はたまた、赤き龍が強制的に世界を『変革』へ導いてしまうように。


 このハイエルフも、彼らと同類。

 ならばその体質たる『観測』とは。


「君が観測した世界は、ただそれだけでなにかしらの影響が及ぶ、といったところかな? しかしこうしてボクらの生きる世界に降り立っているということは、君の興味を惹くようななにかが、この世界にあったのだろう」


 淡々と推理を述べるのは、織に庇われているまひるだ。剣呑な雰囲気を纏った彼女は、織や愛美が警戒するような相手であっても怯まない。

 むしろ身内に害を及ぼしたハイエルフに対して、怒りすら湧いている。


「あら、ただの人間のくせによく分かっていますわね。その通りですわ、わたくしはこの世界に興味があった。だからほんの少しだけ、現地で直接観測したかったのですけれど、些か長く留まりすぎたようなのですわ」


 困ったようにため息を吐くハイエルフには、人外の色気とも呼べるものが漂っている。

 しかし、彼女が興味を惹くようなものなんて、今のこの世界にあるのだろうか。織と朱音が魔眼で作り替えたこの世界には、魔術も異能も存在しない。織たち例外を除いて、なかったことになっている。


「……いや、そうか。だからこそ、なのか」


 そもそも今のこの新世界は、成り立ちからしてかなり特殊だ。いや、織は他の世界が創造される時のことなんて知らないけど、それでもこの世界のように、ただの人間二人が世界を作る、なんてのは滅多にないはず。

 もっと言えば、旧世界にしたって異常な世界と言える。元々魔術や異能といったものが存在しなかった世界に、それらを後天的に齎したのだから。


 このハイエルフが興味を持ったとすれば、やはりそこにしかない。

 キリの人間の願いに応え幻想魔眼が齎された。そして今度は、その幻想魔眼により元の形へと戻った。


 織たちの世界は、二度の変革を経ている。その形を大きく損なうこともなく。


「探偵賢者に殺人姫、敗北者(ルーサー)や灰色の吸血鬼までこの街に集まった。だからこの殿方の体を少しお借りしていたのですわ。若返っていたのは、わたくしが観測し、この世界に降り立ったことによるバグのようなものとお考え下さいまし」


 そのバグが広がり、夜露も巻き込まれることになってしまった。


 恐らく、これまで出会った枠外の存在の中でも、一際異質だ。


「お騒がせしてごめんなさい、って謝れないのかよ」

「謝る? どうしてその必要が?」

「こいつ……」


 心底不思議そうな顔で、ハイエルフは首を傾げる。

 なるほど、こいつはあれだ、ミハイル・ノーレッジとかと同じ人種だ。自分の好奇心を満たすためなら、あらゆる行為が許されると思っている。

 いや、あるいは。迷惑をかけた、などとは思っていないのかもしれない。


 人が水槽の中の金魚を眺めるように。気まぐれでその水を掻き回すように。


 観測、観賞。

 世界の外側から物事を見ている彼女にとって、織たちなんて所詮は水槽の中の金魚や檻の中の獣と同じだ。


「ですが、そうですわね。お詫びにひとつ、有意義な情報をお教えしましょう」


 人差し指をふりふり振って、どのオモチャを買ってもらおうか悩む子供のように、無邪気な微笑みを見せる。

 印象が一定しない。艶かしい色香を纏ったかと思えば、稚い表情を見せる彼女が、酷く不気味だ。


「では、あなた方が敵と見ている、赤き龍について」

「……っ」


 僅か、息を呑む。

 その反応に気をよくしたのか、満足げに口角を上げ、言葉を紡ぐ。


「白き龍を探しなさい」

「白……?」

「ドラグニア世界において、世界創生の伝説に現れる二体の龍。赤き龍はその片割れであり、白き龍とはもう一体のことを指すのです。彼女を探し出せば、きっと力になってくれますわ」


 果たして、信じていいものか。

 いや、その伝説とやらに関しては、後で蒼や有澄に確認を取ればいいだけだ。すぐバレるような嘘を吐く理由もない。


 ならどうして、ハイエルフは織たちにこのようなことを教えてくれるのか。


「信じていいと思うよ、桐生くん。彼女は観測者と名乗った。その上で干渉してくるということは、およそ己にとって都合のいい、いや、というよりもより面白い方向へ行くような情報を出しているのだろうからね。ボクだったらそうする」

「謎に説得力がありますね」


 まひるの助言に、織は乾いた笑いが漏れる。この人もこのハイエルフと同様、真矢たちのことを外から眺めて楽しんでいたのだろう。


「では、わたくしはこの辺りで失礼させていただきますわ」

「逃がすわけないでしょ、せっかく久しぶりに手応えのある殺し合いができそうなんだから!」

「あら怖い」

「待て愛美!」


 店内にも関わらず刀を振りかぶった愛美。織の静止の声も遅く、空を切った刀がそのまま店のテーブルを叩き斬る。

 ハイエルフはまた影になってどこかへ消えて、愛美は舌打ちしていた。


「お前な……」


 頭を抱える織は、とりあえず真矢と夜露に頭を下げることにしたのだった。



 ◆



 翌日、二月十四日。

 バレンタイン当日の今日、織は改めて大神夫妻の店に来ていた。普通に平日なので、朱音の学校が終わってから。つまりそろそろ夕方だ。


「へえ、夏目さんのお父さんって有名な人だったんですね」

「まあね。お陰で子供の僕も、色々苦労したもんさ」

「スポーツ齧ってるやつなら、大体知ってたんじゃないか? 俺も昔はバスケしてけど、ミニバスのチーム内でも結構有名な野球選手たったぞ」


 店内で腰を落ち着かせているのは、織と智樹、真矢の三人だ。智樹はまだ一歳に満たない自分の子供を抱えていて、先程まで女性陣の黄色い声に囲まれていた。


 さて、その女性陣はというと、キッチンでチョコ作りに勤しんでいた。

 まひると世奈は別の仕事があるとのことで来れなかったのだが、愛美と朱音、夜露、桜の四人がキッチンに並んで立っている。

 主に愛美と朱音に、チョコ作りを教えるために。


「桐生はスポーツとかしてなかったのか?」

「習い事って意味じゃしたことないっすね。中学高校と帰宅部、親の仕事の手伝いとかありましたし、魔術の鍛錬もしないとダメでしたから」

「魔術ねえ……それ、僕たちも使えたりしないの?」

「残念ながら使えません。俺たちとこの世界の人たちじゃ、魂の作りが違いますから。まあ、その辺の説明は月宮さんなら分かりやすくしてくれるんじゃないっすか?」

「素人に説明丸投げしてどうすんのよ」


 ポスン、と頭を叩かれたと思ったら、愛美がキッチンから出てきていた。手に持っているのは、夜露が用意してくれたチョコケーキのレシピが書かれたA4サイズのプリントだ。

 遅れて、朱音が、少し疲れた様子の桜と夜露もキッチンから出てくる。


「父さん、あとはケーキ焼くだけだから、楽しみにしててね!」

「おう、楽しみだぞ」


 無邪気に笑う朱音が可愛い。どうやら上手くいったみたいだし、本当に楽しみだ。


「やあ桜、ずいぶん疲れた様子だね。教師がどれだけつらいのか理解してくれたか?」

「今回ばかりはあなたを笑えないわ……」

「夜露もお疲れ」

「はい、真矢くんの分も焼いてますからね!」


 しかし、朱音と夜露が同じくらい幼く見えるのは気のせいだろうか……夜露は黙ってたらめちゃくちゃ美人なのに、口を開けばボロが出るというか、一気に幼い印象になってしまう。将来の朱音を見てる気分だ。


「すんません、夜露さん、桜さん。うちの二人がご迷惑をおかけして」

「いえいえ、楽しかったですから!」

「まあ、そうね。子供が気を使うものじゃないわよ」


 本当に心底楽しそうな夜露と、薄く微笑む桜。子供だという点には断固反論したいところではあったけど、まだ成人していないのだから、この人たちから見たら子供同然なのだろう。

 特に桜は、自分の子供が生まれたばかりだから、余計にそう思うのかもしれない。


「あとマジで、昨日はすんませんでした……机は真っ二つにするわ、夏目さんと夜露さんを危ない目に遭わせるわで……」

「机は直してもらったからいいですよ」

「ま、あれはあれで得難い経験だったしね。ある意味僕たちも得したよ」


 そういってくれるなら幸いだ。

 しかし、得難いといえば、今回の出会いもそうだ。夏目夫妻と大神夫妻との出会いは、織たちにとって得難いものとなった。

 願わくば、この四人とは今後も良好な関係を続けたいものだ。


 やがて、オーブンのタイマーが音を鳴らす。はてさて、愛美と朱音が作ったチョコケーキの味はいかがなものか。

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