白雪姫と夜の露 3
「マジか……」
ため息と一緒に漏れた言葉は、目の前に横たわる二つの問題について。
今回の案件、ただでさえ厄介ごとの匂いがプンプンしていたのに、さらに面倒なことになりつつある。
まず一つ。
「うわー! 本当に高校生の夜露じゃん! 見て見て大神くん! JK夜露だよ!」
「柏木うるせぇ……言われなくても見たら分かるから」
「えっと……世奈ちゃんと、大神くん、ですよね……?」
「大神くんだってさ! 懐かしい呼び方だなぁもう! いつ頃の夜露なんだろ。高3かな?」
「向こうは随分賑やかだね。君ははしゃがないのか?」
「キャラじゃないでしょ。小梅とか三枝あたりなら、きゃいきゃいはしゃいでたんでしょうけどね」
「それにしたって随分落ち着いてるじゃないか。いや、それを言ったら僕もなんだろうけど」
「まだ状況に思考が追いついていないだけよ」
「それこそ僕も同じだ。七、八年くらいは経ってるって言うんだろ? その間になにがあったら、君がここまで丸くなるんだ。ギザギザハートの白雪桜はどこに行ったのやら」
「今は白雪じゃなくて夏目だから」
「んぐっ……」
愛美と桜と一緒に例の交差点へ向かった夜露が、高校生の姿になってしまった。どうやら見た目だけでなく記憶や精神性もその頃に戻ってしまっているらしく、背丈は変わらないものの随分と小動物じみた雰囲気がある。
そしてもう一人、行方不明になっていたはずの人物。桜の夫である夏目智樹も、高校時代の姿で現れた。
こちらは高校二年の秋頃にまで若返っているらしい。本人に聞いたところ、明日から修学旅行のはずだったらしい。
「どうだ、朱音」
「んー、少なくとも異能ではないかな。魔力の残滓は感じられるし、なにかしらの魔術によるものだとは思う。でも、単純な時空間魔術ってわけでもなさそうかな?」
両目に銀炎を揺らめかせた朱音が、二人の状態についてそう判断する。
時界制御の銀炎を持つ朱音なら、夜露と智樹の身に起きていることが分かると思ったのだが、どうやら完全に把握することはできないらしい。
そして、問題の二つ目。
「ほう、それが異能というやつか! 魔術とはまた別物なんだったね。いやはや、まさか冗談半分で解析してみた結果、世界の真実に辿り着いてしまうなんて!」
興奮した様子で朱音の銀炎を観察している、銀髪の同業者。
月宮まひるは驚くことに、なんのヒントもない状態から自力で魔術の存在まで辿り着いたのだ。
量子力学やら宇宙ヒモ理論やら、織には全く理解できない理論をペラペラと並べられて説明していたが、彼女はこの世界の真実に迫ったのだと。それは嫌でも理解できた。
そうなると隠す意味もなくなり、口止めだけして全て白状してしまったのだが。
「で、どうするのよ織」
「どうするってもな……手掛かりが少なすぎる。葵でも呼ぶか?」
「それはダメ。バレンタインの前日よ? あの子も今頃はりきってチョコ作ってるでしょうし。呼ぶならグレイにしときなさいよ」
「あいつは行方不明」
「使えない吸血鬼ね」
露骨に舌打ちする愛美。まあ、あいつは色々と探ってくれてるから、あまり邪険に扱わないでやってほしい。
しかしどうしたものか。
起きた現象だけ見ればシンプルだ。だが、そこに至るまでの方法が全く分からない。魔術によるものなのはたしかだろうが、ではどういった魔術なのか。
それから、夜露のストーカーとの関連性。
そもそも今回の発端は、夜露がストーカー被害に遭っていたというところからだ。
愛美の報告からすると、まず間違いなくそのストーカーが犯人だろう。何者かの害意を感じ取り、件の交差点の鏡は相手の魔力で割れている。
更に、見た目だけ真似たハリボテの赤き龍。どう言った意図があってそんなものを出したのかは知らないが、明らかに喧嘩を売られてる。
「けけけ、結婚⁉︎」
思考に耽っていると、大きな声が店内に響いた。どうやら現在の状況を説明されていた夜露が、真矢と夫婦になっていることに驚いたようだ。
視線を向けると、顔をこれでもかと真っ赤に染めた夜露と、にやにやと愉快げに笑う世奈が。真矢は額に手を当ててため息を漏らしている。
「わた、私と大神くんが、夫婦だなんて、そんな……!」
あわわわ、と沸騰しそうな夜露を、世奈がめちゃくちゃ可愛がっている。
一方で智樹と桜は比較的落ち着いている様子で。
「なあ白雪、僕もあんな感じで恥じらった方がいいかな」
「気持ち悪くて虫唾が走るからやめて」
「あー、それそれ。その毒舌がないと白雪桜って感じがしないんだよね」
落ち着いてるというか、割と余裕そうに軽口を叩き合っていた。状況を飲み込んだというよりも、深く理解することを諦めているのだろう。
できれば織も思考を放棄してしまいたいところだが、そういうわけにもいかない。
依頼を一度受けてしまったということもあるし、なにより魔術関連の事件は放置しておくわけにいかないから。
「確認するけど、二人に今の時代の記憶は」
「ないです! あるわけないです!」
夜露が食い気味に否定してきた。智樹も頷いている。
どうやら二人とも、直前の記憶は当時のものになっているようだ。智樹は家で翌日の準備をしていたし、夜露はこの店で働いていた。おまけになぜか、服装は高校の制服に変わっている。
「さて、どうするつもりかな魔法使いの名探偵。ボクはこの件、完全に門外漢だから君に任せる他ないのだが、解決の目星は立っているのかい?」
「立ってたらここまで頭悩ませてませんよ。あとそれ、魔法使いの名探偵ってのやめてください」
残念ながら、織は名探偵なんてものとは程遠い。いつも誰かの力を借りて、ようやく事件を解決できる。
「とりあえず、もう一回その交差点に行ってみるか……それくらいしかできることがなさそうだしな」
「私は残るわ。相手がこのお店に仕掛けてこないとも限らないもの」
「じゃあ私は父さんと一緒に行くね」
決まりだ。織と朱音でもう一度例の交差点を確認、他のメンバーには店に残っていてもらおう。
これ以上被害を広げるわけにもいかないし、愛美が残るならここの安全性は確保されるも同然だ。
しかし、それに否を唱えるものが、ひとり。
「いや、ボクと真矢くんも連れて行ってもらおうか」
「おいまひるさん、なんで俺まで」
「今の夜露を君と同じ場所に置いておけるわけないだろう。高校時代の彼女の面白おかしい武勇伝、まさか君が忘れたとは言わせないぜ?」
「それ言われたらぐうの音も出ねえ……」
高校時代になにがあったんだ。
「そう言うわけだ、ぜひ同行を許可してほしいな」
「真矢さんは分かりましたけど、月宮さんはなんで?」
「興味があるからだよ。君たちが魔術とやらを使うところにね」
完全に興味本位。だがまあ、二人くらいなら織と朱音で十分守れる。注意すべきは、愛美の報告にあった謎の影だ。そいつに捕まると、智樹や夜露のようになってしまう。
赤き龍の偽物は、最悪織だけでも対処できるだろうし、なによりまひるからは、断ることを許さないといった圧を感じる。
たっぷり二十秒ほど考えた後、織は頷くことにした。
「分かりました。ただし、マジで危険だと判断したら問答無用でここに帰しますからね」
「そうこなくては」
少し幼く見える、胸の内のわくわくを隠せない笑顔のまひるが立ち上がり、織と真矢は二人してため息を漏らした。
見た目は深窓の令嬢じみているのに、全くそんなことはないじゃないか。むしろその真逆と言ってもいいくらいだ。
「悪い、桐生。迷惑かけるな」
「真矢さんが謝ることじゃないっすよ」
「では世奈、ここはよろしく頼むよ。JK夜露をボクと真矢くんの分まで存分に可愛がってくれ」
「りょーかーい!」
ひっ、と小さく悲鳴を上げて、愛美の後ろに隠れる夜露。
なぜか不安になってきたが、まあ、大丈夫だと思うことにしよう。
◆
織と朱音、まひると真矢が出て行った店内では、残ったメンバーが愛美に質問攻めをしていた。
当然その内容は、魔術についてだ。
「愛美ちゃんは魔法でどんなことができるの? やっぱり必殺技とかあるのかな?」
「あ、必殺技ならさっき私見たわ。剣みたいなのが七つ出てきて、ファンネルみたいに動いてたのよ」
「えー! なにそれ凄い! わたしにも見せてよ!」
「あ、あの……二人とも、あまり聞きすぎるのは良くないんじゃ……」
「葵さん、だっけ? ああなった白雪を止めるのは無理だよ。そっちのお友達も、見た感じ同じじゃないかな」
「そうですね……」
目をキラキラさせて色々聞いてくる世奈に、ほとんど無表情のままメモ帳を手にしている桜。夜露は控えめにそんな二人を止めようとしているが、智樹は止めることを諦めているようだ。
愛美は苦笑いを浮かべつつ、とりあえず世奈に対処する。
「私はあまりできることは多くないですよ。派手で分かりやすい魔術も殆ど使いませんし、そういうのなら織の領分ですから」
「ならさっきの、グランシャリオってやつは? たしかフランス語で北斗七星のことよね」
「よく知ってますね」
「ラノベ作家は無駄な知識を無駄に持ってるのよ」
いや、無駄ではないと思うけど……少なくとも作家業には活かせるだろうし。
「あれは、北斗七星の力を魔術に落とし込んだものです。七剣星とかも呼ばれるので、七つの剣になるんですよ」
「へぇ、結構単純なんだね」
「もちろん他にも色々効果があって、そこら辺が複雑になるんですけどね」
「色々というと、アルコルとか? あれも北斗七星と関係あったわよね」
まさか一発で言い当てられるとは思わなくて、愛美は少し驚く。これも桜本人が言うところの、無駄な知識とやらのひとつか。
とは言え、死兆星は割と有名な話だ。某世紀末漫画でも出てきたし。
「桜さんの言う通り、アルコルも力のうちに含まれますよ。あの星の別名は『かすむもの』ですから、こんな感じで」
軽く魔力を動かして、愛美の周囲に七つの刃が現れた。それに目を見張る面々だが、続いて愛美の姿が霞んで消えたことにより、驚愕が声になる。
「え、消えた⁉︎」
「伝承とか伝説が魔術の効果となって現れる、ってことかしら?」
「おいおい白雪、それなら僕たちは今から死ぬことになるじゃないか。死兆星ってそういうものだろう?」
「ししし死んじゃうんですか⁉︎」
「死にませんから落ち着いてください」
慌てる夜露を落ち着かせるよう、同じ場所に姿を現す愛美。
死兆星、アルコル。
その力が成り立つのは、桐原愛美が殺人姫であるがゆえだ。彼女の前に立った敵は、ただひとりの例外もなく殺される。飽くなき殺人衝動の餌食となる。
愛美のそんな人間性に呼応して、グランシャリオは力を発揮する。
「あくまで、そういう伝承を元にしてるってだけです。それにグランシャリオは、ただ敵を倒すだけの魔術でもありませんから」
「こんな恐ろしい見た目してるのに? これ、すっごい速さで動いたりするんでしょ?」
「さっき私が見た時は、全く目で追えなかったわね」
「君の動体視力が悪いだけだろ」
茶々を入れる智樹を桜が一睨みすれば、それだけで口を噤む少年。高校時代から現代まで、二人の力関係は変わってないのだろう。見ていてどこか微笑ましさすらある。
グランシャリオは、ただ敵を殺すためだけの魔術じゃない。
姫を守る騎士のように、宙を自在に舞う七つの刃。伴星アルコルの伝承すら取り入れた、敵を殺すことに特化した魔術。
恐らく、多くの者はそう思っているし、事実その側面は大いにある。
でも、真価はそこじゃない。
星を繋ぐ者。
大好きな家族に無二の親友、自慢の後輩たちやちょっと気に入らない先輩。
桐原愛美にとってなにより大切な、星のように強く輝く彼ら彼女らと自分を繋ぐ。
空の元素魔術、七連死剣星とは、桐原愛美という一人の少女そのものを表した魔術。
だからこの魔術は、愛美にとって少し特別な魔術だ。
「思い入れがあるんだね、その魔術に」
「え?」
ズバリ言い当てたのは、首にヘッドホンを下げたスーツの探偵。柏木世奈。
こちらの全てを見透かすような、妖しい光を帯びた瞳と、視線がぶつかる。
何度か邂逅したことのある人種だ。異能じみた観察眼によって、小さな動作や声音などから相手の感情、思考を推し量る。
大体が魔術師連中だったが、まさか一般人にもこの手合いがいるとは。
「まあ、そうですね。色々と思い出が詰まってる魔術ではあります」
「うんうん、そういうのって大切だよね。例えば夜露だと、大神くんにもらったエプロンとか」
「なんで私に話を振るんですか⁉︎」
突然話の矛先が向いて、夜露は少し大袈裟に驚く。まだ混乱が収まっていないのもあるだろうし、なんとなく話に入りにくいというのもあっただろう。
まあ、この場にいる唯一の知り合いである世奈は、彼女の記憶よりも大人になってるし。実家のはずのお店は当時と内装が違うらしいし。おまけにその実家が、今では大好きな彼との愛の巣だ。
高校生夜露の性格を鑑みるに、混乱というよりもパニックに陥って普通。フリーズしないだけ頑張っている。
「ていうか、世奈ちゃんにエプロンのこと話してないと思うんですけど!」
「あ、やっぱり貰った後なんだ。てことは、名前の呼び方からしても誕生日のすぐあと、夏休み入る前くらいかな?」
「〜〜っ!」
見事に全部言い当てられたようで、餌を求める鯉のように口をパクパクしている。いちいち可愛いなこの人。
「で、そっちの夏目くんだっけ? 君のいた時代、というか時期って言えばいいのかな? ともかく、ここに来る直前の日付はいつだっけ」
「十一月ですね。修学旅行の前日なんで、さっさと元の時代に帰りたいところですよ」
「あら、そんなに修学旅行が楽しみ?」
肩を竦めてフッとニヒルに笑う智樹は、どことなく胡散臭さを感じる。そんな少年に悪戯な笑みを向ける桜は、当然その修学旅行でどこに行ったか、なにをしたのかを知っているわけだが。
あっという間に顔を赤くした智樹を見るに、修学旅行でなにかが起きる、そして智樹もそれを事前に知っているのだろう。
多分、さっき桜から聞いた罰ゲーム。
まさにその佳境というところで、智樹は謎のタイムスリップじみた現象に巻き込まれてしまった。
「じゃあまずは、この二人の共通点から洗い出してみようか」
「共通点、ですか? でも、夏目くんと私じゃ、元いた時代が違うんですよね?」
「そうね、私たちと夜露さんは歳が四つ離れてるし、智樹が高校二年、夜露さんが三年の時から来てるとすると、五年近く違うことになるわ」
「だからそれ以外。そこは私も門外漢だから、愛美ちゃんに任せるしかないね」
全員の視線が一斉にこちらへ向く。
ふむ、共通点か。そこを探るには当てずっぽうで質問を繰り返すよりも、まずは今この時代の方に目を向けるのが賢明だろう。
魔術絡みの事件において重要なのはいくつかあるが、今回は見逃せない点がひとつある。
日付だ。
智樹と夜露がやってきた時代のことではない。そちらに共通点はないし、日付そのものには意味がないだろう。
今日この日に、なにかしらの意味が存在している。いや、正確には明日か。
「明日がなんの日か、皆さんご存知ですよね?」
「そりゃさすがにねー」
「バレンタインよね? それがなにか関係あるの?」
コクリと頷く。愛美自身でもまだ分かっていない点はあるから、考えを纏めながらも説明した。
「バレンタインが何の日かは?」
「チョコを贈る日、じゃないんですか?」
「それは日本だけを見た場合です。世界各地で割と文化の違いもあるんですけど、大体は恋人同士が贈り物を贈り合う日っていう解釈でまちがいないと思います」
「製菓会社の陰謀のせいか、最近はチョコに限った話でもないみたいだしね」
智樹の言う通り、チョコレートは拘るべきところではない。クッキーやマシュマロを始めとした菓子類ならなんでもいい、みたいな風潮もあるし、それ以外のアクセサリーなどを贈る人もいるだろう。
注目すべきは、贈るという行為そのもの。
「夜露さん、誕生日に贈られたエプロンって、大神さんからのものですよね?」
「ええ、まあ……」
その時のことを思い出してか、えへへ、とはにかんだ笑みを見せる夜露。大変可愛らしいが、とりあえずスルー。
「夏目さんも、桜さんからなにか贈られたりしませんでしたか?」
「うんまあ、されたけど……」
口籠る理由は分からないが、イエスと答えてくれているならそれでいい。
そして、ただ直前に贈り物をされているだけなら、条件には当てはまらない。
「重要なのは、思い入れです」
「それって、今も同じものを使ってるとか、そういうこと?」
「はい。強い思い入れが、あるいは思い出がある贈り物。二人が直前までいた時間は、それをもらった直後のことだと思います」
「たしかに、智樹はあのグローブ、今も使ってるわね」
グローブ? 手袋かなにかだろうかと首を傾げたが、どうやらそうではないらしく。
「智樹はね、こんなでもそれなりの野球選手だったのよ」
「ああ、野球のグローブですか」
「おい、やめてくれ白雪。僕は野球選手だなんて呼ばれるほどの人間じゃない」
謙遜しているわけではなく、本気でそう思っているのだろう。どういう感情のもと発した言葉かは知らないが、夏目智樹という少年にも色々あったということか。
しかしそれにしても、野球のグローブってそれなりに値段が張るんじゃなかったっけ……それを同級生に買ってもらうって……。
同じことを思ったのか、世奈も複雑な視線で智樹と桜を見ていた。
まあ、それは置いといて。
「夜露さんが今日使ってたエプロンも、当時もらったものですよね?」
「えっと、ちょっと待ってくださいね」
立ち上がってキッチンの方に向かった夜露が、一枚のエプロンを手に取り戻ってきた。先程まで、この時代の夜露が使っていたものだ。
「これでしたら、私がこの前大神くんからもらったのと同じですよ」
「なら逆に、白雪はどうなんだよ? 君も僕から貰ったものとかで、今も使ってるようなものはないのか?」
「ないわね」
「ないんだ……」
あまりにも即答すぎて、ちょっと肩を落として落ち込む智樹。今のは愛美から見ても可哀想だった。
「思い入れや思い出って呼ばれるものはたしかにあるけど、高校二年の時にもらったものってなると限られてくるもの。あなたがくれた桜の花飾りは数年前に壊れて捨てちゃったし」
「そんな未来は知りたくなかった……」
どよーんとオノマトペがつきそうなほど落ち込む智樹を見て、桜は嗜虐的な笑みを浮かべる。無表情がデフォルトの人だと思っていたけど、智樹の前だと随分表情豊かだ。
「ともかく、これで条件は確定かな? 強い思い入れのある贈り物を今でも使ってる人が、その贈り物を貰った直後の時代と入れ替わってる」
纏めた世奈に頷きを返すと、一方で桜からは、当然の疑問が呈された。
「でも、だったらどうしてこんなことが起きてるのかしら? 悪い魔術師の仕業ってことなのよね?」
「その辺りは織たちの報告を待つしかないですけど、どうしてバレンタインなのか、ってことなら分かります。魔術の発動に大切なのはイメージ。伝説や伝承などの力を取り込む際にも大切ですけど、なにもそういった年季の入ったものじゃなくてもいいんですよ」
「……なるほど、そういうことね」
さすがは作家先生と言うべきか、桜の理解は早い。他の三人はあまり理解できなかったのか、一様に首を傾げている。
だが、そう難しい話でもないのだ。むしろかなりシンプル。
「バレンタインっていうイベントに対するイメージの話よ。智樹、あなた去年までのバレンタイン当日、どういう心境で登校してた?」
「僕? 別にバレンタインに対して特別思うところがあるわけじゃないぜ。僕は三枝の馬鹿と違って、貰えたチョコの数でマウントを取るほど狭量な人間じゃあないからね」
「そういう無駄なプライドは今いらないから。どうせカップルがイチャつく口実にしか過ぎない、下らないイベントだとか思ってたんでしょ」
「まあ、そういう側面もあっただろうね」
「つまりそういうことよ」
「どういうことだよ」
察しが悪いわね、とため息を吐いているが、今のは桜の説明不足だと思う。智樹が理解できないのも仕方ない。
だが、要点はしっかりと抑えている辺り、桜はちゃんと理解できているということだ。
「イメージの問題ですよ。バレンタインは恋人同士が仲睦まじくするための口実だって、多くの人がそう思ってます。そして創作物、特にラブコメの漫画や小説なんかだと、避けては通れないイベントでもある」
「ああ、そっか! そういうことか!」
「え? え? 世奈ちゃん分かったんですか?」
伝説や伝承のように、年季の入ったものじゃなくてもいい。
例えば、現代社会で多く存在するフィクションなんかでもいいのだ。バレンタインとは、恋人同士が仲睦まじくする口実でもあり、同時に事件を起こすにはうってつけのイベントでもある。
それこそ桜が手がける作品、昨今のライトノベルなんかでは、顕著だろう。高校生のラブコメを描く小説ともなれば、文化祭やクリスマスと並んで重要なイベントになる。
「話を作る上で、そういった要所要所のイベントは利用するに限るわ。当然読者だって、それを期待している面もある」
「たしかに、バレンタインに限らず、クリスマスとかも事件が起きやすいですもんね!」
そういった、目に見えない大衆の心理とも呼べるものすら、魔術の力とすることが出来てしまう。
ただ問題は、それらがあくまで作者と読者、創造者と傍観者からの、世界の外側からの視点であるということであり、現在の愛美たちは物語の登場人物に該当する。
そこまで考えて、犯人の素性がある程度見えてきた。
思わず頭を抱えたくなった愛美だが、それ以上にほんの少しの後悔。
織について行ってれば、せっかく極上の殺し合いが楽しめたかもしれないのに。
そんな感情はおくびにも出さず、三人との談笑に戻った。




