白雪姫と夜の露 2
夏目桜。二十四歳。職業はライトノベル作家であり、イラストレーターも兼業。住所はここと棗市との間にある浅木市であり、高校時代の同級生、夏目智樹と結婚。学生時代から同棲している。現在は一児の母でもあり、まだ幼い子供は祖父母に預けて、今日は久しぶりに夫婦水入らずの予定だったらしい。
突然現れた新たな依頼人についての情報はこんなところだ。夜露が先生と呼んでいたのも納得だが、どうやらもう一人、興奮を隠せないやつが。
「……もしかして、スノーホワイト先生?」
「そう! そうなんですよ愛美ちゃん! こちらの夏目桜ちゃんは、あの有名なスノーホワイト先生です!」
「だから夜露さん、リアルでその名前で呼ぶのはちょっと……」
控えめに抗議の声を上げる桜だが、夜露は何故か自分のことのように自慢げだ。
そんなノリには諦めているのか、ため息を漏らしている桜。そんな作家先生の、机の上に置かれていた手を、対面に座る愛美が握った。
「ファンです!」
「え、」
「デビュー作の白雪姫からずっと追いかけてます! 産休と育児休暇に入ったって聞いて心配してたんですけど、まさか生で元気な姿を拝見できるなんて……!」
「あ、ありがとう……?」
勢いよく捲し立てる愛美に、桜は困惑気味だ。そういや愛美はそれなりにオタク趣味だった。家には少女漫画の他にもライトノベルが置いてあるし、割とアニメも見たりしてる。おかげで娘の恋愛偏差値が偏っているのだが、まあそれは今言う必要もない。
「愛美」
「すみません……」
咳払いして名前を呼べば、我に帰った愛美がシュンと肩を落として謝罪する。ファンなのはいいが、今は仕事中だ。
状況も状況だし、あまり横道に逸れる暇はない。
「それで、旦那さんがいなくなったのはいつなんですか?」
「ついさっきよ。ここに来る途中、すぐ隣を歩いてたはずなのに、気がつけばいなかったの」
「具体的な場所は? もしかして、夜露さんがストーカーを見失ったのと同じ場所だったりしませんか?」
半分確信を持って尋ねると、桜はその端正な顔を驚きに染めた。
決まりだ。具体的な関連性は未だ分からないが、とにかくこれは魔術が絡んでいる。
魔物か、あるいは転生者か。仮に後者だとすれば、赤き龍まで関わってくるだろう。
問題は、その辺りの説明が簡単に出来ないことか。大神夫妻の友人という探偵からも情報を聞きたいし、例の交差点も確認しておきたい。
実際に人が一人いなくなっているのだ。出来る限り急いだ方がいいだろう。
「愛美は夏目智樹さんがいなくなったって言う交差点を見に行ってくれ。桜さんと夜露さん、案内を頼めますか? そこでこいつらに、その時の状況を詳しく説明してもらいたいんですけど」
「私は大丈夫ですよ」
「私も」
「織はどうするのよ」
「俺は件の探偵に話を聞く。なにかあったらそっちは頼むぞ」
朱音もついて行きたそうにしていたが、申し訳ないけどこっちに残ってもらいたい。戦力的な意味なら愛美と一緒に向かわせるべきだ。しかし、これから来るだろう探偵が魔術と関わりがあるのかどうか、見抜くためにも織以外の目が必要となる。
「それじゃ、行ってくるわ。なにかあればすぐ知らせるから」
桜と夜露の二人を伴い、愛美は店を出た。
今更ながら、なんか似た三人が固まったな、と栓なきことを考える。
桜は少し短いけど髪型は同じだし、愛美と桜は性格もちょっと似てるかもしれない。いや、愛美は結構感情表現が豊かだ。それを言うなら、夜露はコロコロと表情を変えるから見ていて飽きない。
「コーヒー、お代わりいるか?」
「あ、お願いします」
「私は紅茶がいいです!」
「はいよ」
朱音の元気なリクエストに柔らかく微笑んで、真矢がコーヒーと紅茶を運んできてくれた。自分のコーヒーも淹れてカウンター席に腰を下ろした彼は、どこかソワソワと落ち着かない様子だ。
「どうかしたんすか?」
「あー、いや。ちょっとな……今呼んでる探偵二人なんだが、結構癖の強い奴らなんだよ。頼もしいのに変わりないんだけど、相手するの疲れるんだ」
「お友達なのに、苦手なんですか?」
「苦手ってわけじゃない。一応あんなのでも恩人だし、俺なんかのことを友達だって、昔からずっと言ってくれてるからな。いい奴なことには違いない」
しかしそれでも、相手をするのは疲れると。一体どんな人物なんだ、その友人達は。今から会うのが怖くなってきたぞ。
それからも他愛ない雑談を続けていると、店の扉が開かれた。時計を見やるときっちり十五分。
現れたのは、スーツの上にベージュのコートを着込んで、首にヘッドホンを下げたセミロングの髪の女性と、日本人離れした銀髪を持った、儚げな美人。作り物めいたその顔には、魔力が宿っているようにも錯覚する。
「お待たせ大神くん! かしみや探偵コンビ、ただいま到着しましたよー!」
「世奈、その名乗りは恥ずかしいから辞めてくれと以前に言ったはずだ。覚えていないとは言わせないぜ?」
「まひるが恥ずかしがるからやってるんだよ。それくらい分かってるくせに」
「相変わらずいい性格をしているな、君は」
「まひるに言われたくないなー」
ヘッドホンの女性が快活な挨拶を発して、銀髪の女性はそれに苦言を呈する。
騒がしい二人にため息をこぼす真矢だが、まひると呼ばれた銀髪の女性はそちらを気にすることもなく、織の元へ歩み寄ってくる。
「まさか本当に夜露の依頼を受けるとは思っていなかったが、しかしこうして来てしまった以上はボクの推察が当たっていたことになってしまったね」
儚げな美貌を愉快げに歪めて、女は織を見下ろす。
その存在感に気圧される中で、彼女は握手を求めてきた。
「初めまして、魔法使いの名探偵。念のため確認しておこう。君がここへ来たということは、なにかしら超常の現象が絡んでいると見て、間違いないのかな?」
◆
店を出た愛美、桜、夜露の三人は、さほど離れてはいない件の交差点に向かっていた。
その道中、やはり女性同士ということもあってか、意外と話が弾むのだ。
「へえ、じゃあお二人とも、高校の頃から旦那さんとお付き合いがあるんですね」
「えへへ、そうなんですよ! まあ、その分色々とありましたけど……」
「高校時代って、今から思い返すと半分黒歴史みたいなものなのだけどね」
二人から旦那との馴れ初めを聞いていた愛美は、内心でものすごく感動していた。そんな漫画やラノベのような恋愛があるのかと。
旦那の罰ゲームから始まり、中学時代からの初恋を実らせた桜。
高一の頃からの片思いを実らせたと思いきや、友人を巻き込んだ四角関係にまで発展した夜露。
こう言ったら失礼かもしれないけど、めちゃくちゃ青春って感じがする。
私も織と同じ高校通いたかったな……と思わないでもないが、やはり愛美にとっては旧世界での出会いが全てだ。普通の青春に憧れはあるものの、織と出会った時のことをなかったことにはしたくない。
「桜さんは子供もいるんですよね?」
「まだ一歳の娘が一人ね。目に入れても痛くないわ」
「いいなぁ……私もそろそろ欲しいですねって真矢くんと話してるんですけど……」
桜のスマホでまだ一歳の幼児を見せてもらい、女三人きゃいきゃいとはしゃぐ。
うちにも大きな娘がいるけど、この時代の愛美が腹を痛めて産んだわけじゃない。朱音は気にしないだろうし、実際に半年ほど前、愛美の誕生日の時にそのようなことを言われたけど。
「ところで、あなたたちはどういう関係なの? 兄妹って風にも見えないけど」
「私と織ですか?」
「あ、たしかに! 朱音ちゃんは愛美ちゃんの妹ですよね? でも桐生くんはお二人とあまり似てないですし」
うーん、改めて聞かれると説明が難しい。基本的に朱音のことは妹として通しているけど、どちらの妹なのかと聞かれればそりゃ愛美の方だろう。なにせ顔が似てる。
一応織と朱音も似てないことはないのだが、三人兄妹というには無理がある。
できれば、なんの衒いもなく恋人だと言いたい。可愛い娘を自慢したい。
したところで誰も信じてくれないだろうけど。
無難な答えを返そうかと思っていたのだが、その前に例の交差点へと辿り着いた。
桜と夜露に確認を取ったわけではないが、分かる。魔力の反応を捉えたから。
「桜さん、夜露さん、この交差点で間違いないですね?」
「そうだけど、どうしたの? そんなに怖い顔して」
「ですです。今は尾けられてる感じもしませんよ?」
たしかに、自然のようなものは感じないだろう。気配もしないはずだ。
だがそれは、一般人の感性に則った場合。いや、魔術師であっても気付けるかどうか。
殺人姫は死の匂いに敏感だ。亡裏としての衝動、第六感にも似た感覚が、誰かに見られていると警笛を鳴らす。
「夜露さん、ストーカーの写ってなかった鏡ってあれですよね?」
「はい、そうですけど……っきゃぁ!」
突然、鏡が音を立てて砕け散る。
愛美がなにかしたわけではない。つまり、こちらを監視している誰かの仕業だ。
警戒を最大レベルにまで引き上げるが、それでも敵がどこから見ているのかが分からない。愛美は感知魔術自体の精度に自信があるわけではないが、魔術に頼らない索敵には自信があるつもりだ。
どれだけ遠くとも、相手の敵意や殺気は見逃さない。
だというのに、そんな自分であっても、敵はその存在を悟らせない。
中々の手練れ、やはり転生者か。
「なに、あれ……」
震えた声を漏らした桜が指差すのは、三人の背後だ。来た道を振り返れば、そこには人型の怪人が三体立っていた。
足が長く胴が短い身体。その身体を覆うほどに大きな翼を広げ、石像のように色のない貌がこちらを見ている。
この新世界における、キリの人間最大の敵。異世界のドラゴンにして枠外の存在、その端末。
魔王、あるいは赤き龍。
白昼堂々、住宅街のど真ん中で、やつらはその姿を晒した。
「二人とも、下がってください!」
「えっ、え?」
「なにがどうなってるんですか⁉︎」
手元に徹心秋水を転移させた愛美を見て、桜と夜露はさらに困惑を露わにする。なにもないところから、突然刀を取り出したのだ。それも、模造刀などではなくがっつり真剣。銃刀法違反に真っ向から逆らうもの。
そんな二人の困惑を他所に、愛美は居合の構えを取り地面を蹴った。一番前に出ていた個体の懐へ潜り込んで、刀を抜き放つ。
容易く両断された赤き龍は、その身体を塵と変えて消えた。
手応えがない……?
僅かな違和感を感じつつ、上空から降り注ぐ魔力弾を躱す。その隙に接近してきたもう一体に蹴りを叩き込み、たたらを踏んだところで縦に両断。
次いで上空を飛ぶ個体に顔を向けて。
「舞え、七連死剣星!」
魔力で形成された七つの刃が飛翔し、空中の個体を斬り刻む。バラバラの死体は地面に落ちてくる前に、やはり塵となって消えた。
やはりおかしい。以前赤き龍を倒した時と、消え方が違う。なにより、手応えがなさすぎる。まるで中身の伴わない外見だけのハリボテだ。端的に言えば弱い。
恐らくは何者かが作った偽物だろう。
けれどそれはそれで別の問題が出てくる。とにかく一度店に戻って織に報告だ。それまで頭の中の違和感は、ひとまず置いておこう。
が、しかし。その違和感に気を取られたのが致命的だった。
「きゃぁ!」
「夜露さん⁉︎」
声に振り返れば、夜露が黒い影のようななにかに体を覆われている。一歩踏み出した時にはすでに遅く、夜露は影に呑み込まれてしまった。
「嘘でしょ……」
絶句する愛美を置いて、影はまだ変化を見せる。うねうねと気持ち悪く蠢いたかと思うと、その中から夜露の身体が吐き出された。
しかし、その姿が変わっている。
どこかの高校の制服に身を包んで、おまけに顔も少し幼くなって。
洋食屋を営む妙齢の美人ではなく、幼さの残る可愛らしい美少女が現れた。
「ん……あれ? 外? たしか私、大神くんとお店に……」
「夜露さん……?」
「えっと……どなたですか?」
幼くなってはいるが、間違いない。
影の中から現れた制服姿の美少女は、依頼人の大神夜露だ。
桜が名前を呼んで反応したことから見ても、まずそれはたしかだろう。だが愛美は、完全に理解の埒外にある出来事に直面して混乱していた。
なまじ魔術について詳しいから、一般人の桜よりも困惑は大きい。
若返った。
起きた現象だけを見れば、そう形容するほかない。だがそれは、時界制御や時空間魔術に許された力だ。いや、魔術であっても純粋な若返りは不可能。魔女のように肉体の成長を止め、数年おきに肉体を作り替えているのならまだしも、完全な若返りなど不可能なはずだ。ならば時界制御かと思われるが、その力は愛美の可愛い可愛い自慢の娘だけが持つ力。
桜と二人、訳の分からない状況にどう動けばいいのかも分からない中。
更にもう一つ、この場を混沌に落とす要素が現れる。
「白雪? こんなところでなにしてるんだ? まあいいや、ちょうど僕も道に迷ってたところだし……って、なんかいつもと雰囲気違うくない?」
「智樹……」
「おいおいなんだよその呼び方は。随分といきなり距離を詰めてくるね。僕と君は、名前で呼び合うような仲じゃないはずだぜ?」
交差点の向こうから現れた、夜露とは違ったブレザーを羽織った制服の少年が、桜に声をかけた。
彼は振り返った桜を見て、怪訝そうな顔をしている。彼自身の記憶にある夏目桜という人物と、印象が一致しないのだろう。
「桜さん、もしかして」
「ええ……夏目智樹、私の旦那。でも、夜露さんと同じで完全に高校時代の智樹ね……」
「高校時代もなにも、僕も君もまだ高校生だろうに。背伸びしたい歳頃なのは理解してやるけど、あまりやりすぎても滑稽なだけだぜ」
肩を竦めてフッと笑う少年、夏目智樹は、随分とすれた性格のようだ。額に手を当ててため息を吐く桜は、嘆かわしいとでも言いたげ。
「何が起こってるのかは分からないけど、学生時代の智樹ってこんな痛いやつだったのね……さすがはキザでクール気取りのナンパ野郎だわ……」
とりあえず、首を傾げている夜露と智樹を連れて、一度店に戻ることにした。




