こんな誕生日は嫌だ 1
愛美の誕生日から一ヶ月と少しが経過した今日、九月二十三日。
この日は、桐生織の誕生日だ。
かつては愛美と二人、どっちが兄か姉かで言い合ったりもしたものだが。今となっては、それも遠い昔の出来事のように思える。なにせこの新世界において、織と朱音には一年のズレがあるのだ。
2020年の末に旧世界で最後の戦いが起き、二人が新世界で目を覚ましたのは同じ年の四月。殆ど一年遡ることになっている。
結果、織は愛美よりも一つ歳上になってしまった。
まあ、職業上のことを考えると、年齢的に高校を卒業しているのは都合がいいのだが。一年だけでも愛美と普通の学校生活を送ってみたかった、とも思ってしまう。
はてさてそんな日に、誕生日を迎えた本人はというと。
「今から二人でケーキ作るからって、事務所追い出されたんだよな」
「はぁ……」
「マジで心配でしかないんだけどさ。冗談抜きに事務所爆発して吹き飛んだりしないかって。朱音はともかく、愛美がなぁ……」
「あの」
「一応葵とサーニャに様子見てくれって連絡したけど、またこれで葵にちくちく文句言われるし……」
「織さん?」
「ん、どうした丈瑠? もうギブアップか?」
「いや、集中できないんでちょっと黙ってもらっててもいいですか」
「お、おう……」
三つ歳下の少年、大和丈瑠にはっきりと言われて、織は肩を落とす。たしかにちょっと煩かったか。
現在二人がいるのは、街の裏山だ。
北に広がる住宅地よりも更に登った、建物の一つも建っていない山の中。丁度街の境目が見えて来る辺りで、織は丈瑠に、魔術の指導を行っていた。
いやはやしかし、一ヶ月ほど前に、丈瑠から魔術を教えてくれと言われた時には、かなり驚いたものである。
織も最初は渋っていた。旧世界ならいざ知らず、この新世界で、魔術師を増やすのはいかがなものかと。なにより丈瑠を、戦いに巻き込んでもいいものなのかと。
おまけに、この新世界に生きる人たちは、誰でも使えるようになる旧世界と違い、魔術を使えるような体の作りになっていない。
原則として、魔力とは生命力の一種であり、生命力とは魂から流れるものである。
という、その大前提が存在していないのだ。
力を取り戻した仲間たちは、その前提をも取り戻している。
だが大和丈瑠は違う。彼は正真正銘、ただの一般人だ。動物と会話できる異能があるだけで、魔術師ではない。
そこで織は、その異能に目をつけた。
異能も魔術も、厳密には異なるとは言え、どちらも魂由来の力だ。そもそも、キリの人間の件も考えれば、元は同種の力だったと考えてもいい。
丈瑠は異能を取り戻している。ならば魂は当然旧世界のものに戻っているはずで、であるなら魔術も使えるだろう。
果たしてその結果は、ご覧の通り。
「どうだ?」
「なんとか……」
丈瑠の服の上から、腕に紋様が走り、溶けるように消えていく。強化魔術が成功した証だ。失敗していたら、その紋様は霧散するように消えていただろう。
「強化魔術は初歩の初歩だからな。術式の構築が簡単ってのもあるけど、なにより体内で魔力を巡らせることが重要だ。どんな魔術を使うにしても、魔力の動きをコントロールするのが肝心だから、強化魔術は練習にもってこいなんだよ」
付け加えて言うなら、魔法陣を外に展開させる必要もない。強化魔術の達人ともなれば、無詠唱で紋様が浮かび上がることもなく、術式構築も最低限、殆ど魔力を動かすだけで発動できるだろう。愛美のように。
織も昔は、魔力操作の練習と称して馬鹿みたいにやらされたものだ。
「それに、強化魔術は実戦でも腐らないからな」
「実戦でも?」
「ああ。相手は魔物、要するに人外なんだから、当然人間以上の身体能力を持ってる。それについて行くには、自然と身体強化が必要不可欠だ」
「その魔術師と戦うなら、余計に身体強化は重要になる、ってことですか」
「そういうこと」
遠くから呪文を唱えて火の玉を撃つだけの老婆、なんてステレオタイプの魔法使いは、現代において存在しない。
魔術師は皆一様に、必要最低限の強化魔術を使える。弾丸よりも速く動けるようになれば、銃なんて必要もない。だから剣や槍といった近接武器を持っている者が多い。
と、ここまで説明したものの、丈瑠が実戦に出られるようになるまで、まだまだ時間がかかる。
織自身がそうだったが、一部の天才でもない限り、魔術の腕は一朝一夕で身につくものでもない。根気よく修練を積み重ねることこそ、上達の近道だ。
「それで、腕の強化はできるようになってきましたけど、ここからどうしましょう?」
「そうだな……腕の強化って言っても、当然色々とある。大切なのは、なんのために強化をかけてるのか、だ」
「っていうと、殴るために、とかですか?」
「まあ、大体はそうだな。他にも腕で攻撃を防ぐためとかな。ようは、イメージを明確にしろって話だよ」
一般の家系に生まれた人間が、魔術を扱う時。最初にぶつかる壁が、想像力の限界だ。
魔術は神秘の産物。奇跡の業。非常識を常識へと変えるもの。
自分の体が強化されるイメージをしてください、と言われても、どうしたってそのイメージには限界がある。
例えば、拳で岩を叩き割るイメージ。
想像すること自体は難しくない。だが実際に出来るのかどうか、というところで、想像にブレーキがかかる。そんなことは常識で考えてできないだろう、と。
結果として強化魔術の術式構成は中途半端なものとなり、岩を叩き割るほどの力が発揮されない。
対して、魔術師の家系に生まれた人間は、幼い頃からそれが当たり前のものとして、常識の範囲内として育つ。
魔術を使えば、岩は拳で叩き割れる。それが当たり前。できない方がおかしい。
まずはその、想像力の壁をぶち破るところからだ。
「イメージ……難しいですね……」
「どれだけ自分を肯定してやれるか、って話でもある。魔術師に自信過剰なやつが多いのはそこが理由だな。自分なら出来る、出来て当たり前、そう信じ込んでいるから、実際魔術師としても大成しやすい」
「織さんはどうなんですか?」
「俺の場合は、やらなきゃならないって思ってたからな。それでなんとか無理矢理にだよ」
桐生家自体は、魔術師としての歴史が深い家というわけでもない。キリの人間のことを考えれば世界最古の一角になるが、桐生としての歴史は浅い方だろう。だから例えば、安倍家のように生まれた時から後継者がどうだとか、クリフォード家のように魔術学院本部のお偉いさんだとか、そんなものとは無縁だった。
そもそも織は、本来なら一般の高校に通っていたのだから。
それでも彼が魔術を自在に扱えているのは、そうしなければならない環境に身を置かれたからだ。
自分がどれだけ弱いのかを自覚しておきながら、それでもやらなければならないことがあり、強くなりたいと常に前を向いていたから。
畢竟、魔術なんてのは心の持ちようによって、如何程にも変わりうる。イメージするというのは、魔術自体のイメージだけではない。自分自身がどう在りたいか、どうなりたいか。そこが一番肝心だ。
「ただ、イメージって点で言うと、丈瑠は恵まれてる方なんだよ。身近に俺らがいるだろ?」
「あー、たしかに……桐生とか見てると、魔術ってなんでもありなんだな、って思っちゃいますね」
「そう、なんでもありなんだ。いや実際には違うんだけど、そう思えてる時点でまず最初の関門はクリアしてる」
ここで真っ先に娘の名前が出てくることに、父親としては思うところがないわけではないが。そもそも、丈瑠が魔術を習いたいと言った理由を考えれば、朱音の名前が出てきてもおかしくはない。
ていうか、こんなことで一々反応していたらきりがない。
「それから、丈瑠には異能がある。魔術もその延長にあるって考えてたらいい」
「なるほど……」
目を閉じて、魔力操作に集中する丈瑠。量も質も平凡極まりないものだが、そこは技術で補えば済む話だ。逆に、技術はどうしても魔力量や質では補えない部分が出てくる。
織なんかは賢者の石の魔力でよくゴリ押しするが、例えば愛美や桃、久井のような、特定の魔術に特化した連中と比べれば、どうしても魔力量で補えない箇所がある。
だから技術を磨く。浅く広く、といえば聞こえは悪いかもしれないが、器用貧乏の何が悪い。それだって究極まで突き詰めていけば、ある程度深く扱えるようにはなるだろう。
だから、織が教えられるのは技術の基礎も基礎。そこを疎かにしないよう、基礎の練習を何度も何度も繰り返させる。
やがて丈瑠の右腕が、淡く輝き始めた。ここまで視認できる魔力ということは、体内の魔力を全て右腕に集中させている証拠だ。
それはあまり良いこととは言えず、同時に織の想定通りでもある。
暫くもしないうちに右腕の輝きは消え、強化の効力も失った。少しぐったりしたように、丈瑠は肩で息をする。
「魔力を使い切ったな。腕に魔力を集中させるまでは良かったけど、全部使ったらダメだ。最大効率で最小の魔力を使う。じゃないと、今みたいに魔力切れを起こす」
「はぁっ、はぁ……結構、しんどいですね、これ……」
「根こそぎなくなってないからまだマシだな。体がストッパーかけたんだよ。だから正確には、まだちょっと魔力が残ってる。マジで全部なくなったら、今と比にならないくらいしんどいぞ」
「今以上、ですかっ……ふぅ……」
「試してみるか?」
手元に魔導収束の魔法陣を展開して、ニヤリと笑ってみれば、丈瑠は引き攣った顔で首を横に振った。
「でもまあ、魔力操作は上手くいってたな。始めて一ヶ月でここまでできたなら上出来だよ」
「ありがとうございます……」
朱音にするように、ぽんぽんと頭を撫でてやる。そのついでに、自分の魔力をいくらか丈瑠に送った。
恥ずかしそうに目を伏せる丈瑠。この可愛い歳下の少年の気持ちに、朱音が気付くのは果たしていつになることか。
なんて、そんなことをふと考えてみる。
まあ、まだ暫く時間はかかりそうだよなぁ。なにせ母親があれだし。
と言ったところで、今日の訓練はおしまい。
丈瑠には、まだまだ時間がある。織の時のような、今すぐにでも、即物的なものでも、どうしても力が必要、という状況ではない。
無理をしすぎたら却って体に毒だ。例えば、練習のしすぎで調子を崩したスポーツ選手なんて、この世にはごまんといるだろう。それと同じ。休むことも練習の一環。
いつまでも裏山にいるのもなんなので、二人は商店街の近くまで転移した。いつも丈瑠の訓練が終わった後は、商店街の中にある行きつけの喫茶店で一休みしていくのだ。
今日も同じように、喫茶店へと足を進めるその道中で、見知った顔を見つけた。
「おう、桐生と丈瑠やんけ。おはようさん」
「ご無沙汰しておりますわ、桐生織さん。丈瑠さんは先日ぶりですわね」
「おー、晴樹と明子か。もう昼過ぎてるのにおはようは変だろ」
「一日の最初の挨拶は、時間関係なくおはようやろ」
安倍晴樹と土御門明子だ。
明子が半ば無理矢理くっつくようにして晴樹の腕を引いていて、どうやらデートの最中らしい。軽く挨拶だけして、邪魔者はさっさと退散するべきだろう。
「しかしお前ら、なんや最近よう連んどるみたいやな」
「ええ、まあ。色々ありまして」
苦笑しながら曖昧に濁す丈瑠。しかしそこでキュピン、と目を輝かせたのは、朱音の友人として丈瑠ともかなり交流のある明子だった。
「はっはーん、わたくしには分かりましたわ。丈瑠さん、ずばりあなたは、外堀を埋めに行くことにしたのですわね!」
「へ? 外堀?」
「惚けても無駄ですわよ、わたくしの目はまるっとお見通しですわ! 朱音さんに真正面からまともなアプローチをしても無駄だと見て、ご両親にお近づきになろうと考えたのでしょう!」
名推理! とでも言いたげにドヤ顔の明子。その後頭部を、晴樹がスパンッと叩いた。
「アホ、ホンマに丈瑠がそれ目的やったら、こいつら親バカは先に察知してそもそも朱音に近づけとらんやろ」
「痛いですわお兄様! 叩く必要はなかったではありませんの! ああでも、その痛みもお兄様からの愛だと思えば……」
「おい晴樹、この子大丈夫なのか?」
「安心せえ、ちゃんと手遅れや」
安心できる要素なにもねえよ。
「つーか桐生、お前今日誕生日やろ。嫁と出掛けんでええんか」
「その嫁と娘に追い出されたんだよ」
「哀れなやっちゃな」
「うっせえほっとけ」
朝、愛美に事務所から出ていけと言われた時には、本気で泣きそうになった。十九歳の誕生日当日の朝から、声を上げて大号泣してやろうかと思った。だから憐れむなよ、余計に悲しくなってくるだろ。この場で泣き叫んでやってもいいんだぞ。
「ほな、そこらで茶でもしばきに行くか。祝い代わりに奢ったるわ」
「お、マジで? やったな丈瑠、店で一番高いやつ頼んでやろうぜ」
「茶を、しばきに……?」
どうやら丈瑠は、不思議な関西弁に首を傾げている様子。うんうん、初めて聞いたら意味わかんないよな、それ。
ともあれ、丈瑠と明子も加えた四人で、再び喫茶店までの道を歩く。
目的地も見えてきたというところで、織のスマホに着信が入った。三人に一言断ってから画面を見ると、事務所で愛美と朱音の面倒を見てくれている、葵からの電話だ。
ついに彼女もギブアップか。もしや漫画みたいに、料理失敗で大爆発、なんてことにはなっていないだろうな。
少なくとも大惨事にはなっていそうで、些か不安に思いながらも応答ボタンを押すと。
「もしもし、どうかしたか?」
『織さん大変です! 愛美さんと朱音ちゃんが攫われました!』
「は?」
◆
葵から聞いた座標に転移すると、そこは森の中に流れる滝の前だった。大きな音を出しながら大量の水が落ちているその向こうには、洞窟の入り口が見える。同時に、魔力の反応も。つまりあれはただの洞窟ではなくて。
「迷宮やな。またなんでこないなとこにあんねん」
その場の流れでついてきた晴樹が、怪訝な顔で洞窟の正体を言い当てた。
迷宮。旧世界において、裏の魔術師が構える居城であり、魔物や罠が至るところに配置された洞窟。ほとんどは人為的に作られたものだったが、中には自然と生まれた迷宮も存在していた。
だが今この状況、新世界においては、ある存在が嫌でも連想されてしまう。
魔王の心臓。
イギリスは大英博物館の地下にあった魔術学院本部の、更に地下深く。そこに広がっていた迷宮は、その名の通り魔王と呼ばれる存在の心臓だった。
魔王、あるいは赤き龍。織たちが目下対峙している敵であり、アダム・グレイスやイヴ・バレンタインなどと同じ、『変革』の力を持つ枠外の存在。
そして魔王の心臓は、旧世界におけるあらゆる迷宮の祖と呼ばれる場所。ドラグニア世界にいる赤き龍の本体が探している、奪われてはならないものだ。
まさかここがそうだとは思えないが、しかし愛美と朱音が攫われたということは、考えられる相手は赤き龍しかいない。
いないのだが、どうにも違和感を覚える。
「迷宮……桐生から聞いたことあります。たしか、世界三大珍味を取る時に入ったことがあるとか……」
「あら、懐かしいですわね。あの時はミノタウロスの肝を探して、朱音さんと翠さんとわたくしの三人で大冒険を繰り広げましたの」
どうにも迷宮に対して見当違いな認識をしている丈瑠は、緊張を隠せずにゴクリと生唾を呑む。一方で明子は、当時のことを思い出しているのか、懐かしむような目をしていた。
そも、この二人がこの場で普通に立っていられる時点で、滝の奥に広がる迷宮は大したことがないという証拠だ。本当に赤き龍がいるのなら、その魔力に圧倒されて立つことすらままならず、吐き気を催してもおかしくはないのだから。
「……とりあえず、中に入ってみるか。丈瑠、お前は街に」
「戻りません」
「だよなぁ……」
朱音が攫われた、と聞いてしまったからか。未だ強化魔術すら未熟な、見習い魔術師未満の少年は、一歩も引く気配がない。
ここで無理矢理帰らせることはできる。丈瑠の安全を考慮するなら、彼だけでも棗市に帰らせるべきだ。
だが織は、丈瑠の意思を無碍にしたくなかった。他の誰あろう、織自身が同じ立場にいたなら、丈瑠と同じようにしていただろうから。
「晴樹、悪いけど丈瑠のこと頼むぞ」
「しゃあない、ガキのお守りは明子で慣れとるからな」
ため息を漏らした晴樹が、懐から紙の人形、ヒトガタを取り出して放り投げる。みるみる内に数を増やしたヒトガタが、滝の奥への道とトンネルを作った。
実は晴樹の正確な実力を完全に理解しているわけではない織は、おぉ、と感嘆の息を漏らす。陰陽術についてもそこまで詳しくないが、このヒトガタの数は術者の技量や実力に比例するはずだ。
瞬時に夥しい量を展開して、即席のトンネルすら作ってみせる。さすが、安倍晴明の子孫といったところか。
「桐原のことやし杞憂や思うけど、なるだけ急いだ方がええやろ。それ、さっさと行くぞ」
「さすかですわお兄様!」
明子のさすおにをさらっと受け流し、晴樹は滝の奥へ足を進める。それに続き、三人もヒトガタで出来た道を歩く。
滝の奥に入れば、冷ややかな空気と共に、どこかで覚えのある魔力が流れてくる。当然愛美や朱音のものではない。恐らく、この迷宮を作り、二人を攫った犯人だ。
織が先頭に立ち、その後ろを明子、丈瑠、晴樹と続いた。明子だって安倍家の陰陽師だ。織や晴樹ほどではなくとも戦えるだろう。
その明子が、どうやらいつの間にかヒトガタを迷宮の奥へ飛ばしていたらしい。主人の元へ帰ってきたそれを掴み、苦い表情を浮かべる。
「お兄様、この迷宮は少し厄介かもしれませんわ。正確には、織さんが戦力外になるかもしれません」
「え、俺?」
「明子、なにが見えた?」
「それが……」
明子が答えるよりも前に、異変が起きた。
突然、一行の目の前に巨大なスクリーンが描き出される。魔力で迷宮の奥から映像を送るためのものだ。
そこに映っているのは、金髪の少年。見覚えのある、織にとっては因縁すら感じている、この世で最も気の合わない男。
『ハハハハハハ! 思ってた以上に上手く誘い込まれてくれたな、探偵! お前が馬鹿で助かったよ!』
「お前、ジュナス⁉︎」
ジュナス・アルカディア。
旧世界では何度もぶつかった、探偵の宿敵。怪盗アルカディアの片割れだ。
「なんでお前が! ていうか、愛美と朱音はどこだよ!」
「後ろ映っとるやんけ」
「なんか、随分和んでないですか……?」
映し出された映像、ジュナスの背後には、愛美と朱音、そしてルミの姿が。三人は子綺麗な部屋の床に座って、美味しそうなお菓子をお供にティータイムと洒落込んでいた。
「いや攫われたんちゃうんかい」
「なんにせよ、お二人ともご無事のようでなによりですわ」
ホッと息を吐いて友人の無事に安堵する明子だが、織としては安心もしていられない。なにせこいつは、愛美を攫った前科持ちだ。
「怪盗テメェ、なんのつもりだ……?」
『どうどう、そう慌てるなよ探偵。ちょっとは自分で推理してみたらどうだ? 僕が今日、この日にこんな行動を取った理由を』
「……ハッ、そういうことかよクソ野郎」
今日、九月二十三日は桐生織の誕生日だ。やつがどこでそれを知ったのかは分からないが、確実に織の誕生日を意識しての行動。そして誠に遺憾ながら、織はクソ野郎の思考を完全にトレースできていた。
「俺への嫌がらせが目的かよ!」
『三流探偵の分際でよく分かったじゃないか、ご褒美に拍手を送ってやろう!』
「クソがッ、馬鹿にしてんじゃねえぞ!」
なぜ分かったかって? そんなの俺も同じことするからに決まってる。ジュナスの誕生日なんて興味もないが、何かの拍子に知ったのなら間違いなく嫌がらせしに行く。
「いいかジュナスお前そこで大人しく待ってろよ! 今すぐそのいけ好かない顔面をぶん殴りに行ってやる!」
勢い込んで、転移の術式を構築、次いで魔法陣を展開。幻想魔眼やレコードレスを持っていようと、必ず行わなければならない魔術発動のプロセス。
ジュナスたちのいる奥の部屋へ殴り込みに行こうとして、しかし。それは叶わなかった。
術式が瓦解して、魔法陣が消えたのだ。
たしかに織は、いつも通りミスもなく、完璧な術式を描いたというのに。
『ハーッハッハハハハ! 哀れだなぁ探偵! ご自慢の魔術が使えない気分はどうだ⁉︎』
「なにしやがった……?」
『なに、ちょっとした結界術と魔力操作の応用さ。この結界、この迷宮内にいる限り、術式の構築も魔法陣の展開も不可能!』
「んな馬鹿な……」
『アルカディアの結界術は、お前もご存知の通りだろう?』
ムカつくドヤ顔。今すぐその顔面にパラダイスロストをぶち込んでやりたいが、悔しいことにこの結界内ではそれもできない。
織の扱う魔術は、全てが現代魔術に分類されるものだ。そして現代魔術とは、術式構築と魔法陣の展開によって発動される。今の織が出来ることといえば、忌々しいクソ怪盗を睨むくらい。
『それでは、我が憎らしの探偵殿。この迷宮を存分に堪能していってくれ』
「あ、待てこらテメェ!」
そこで映像は一方的に切られる。なにが憎らしの探偵殿、だ。上手いこと言ったつもりになってんじゃねえぞ。
腹の底から怒りが湧き上がり、完全に冷静を失っている織。そんな彼の肩を、友人の陰陽師が叩いた。
「ま、ここは俺に任せとけや」
「晴樹?」
「でも、安倍先輩。術式の構築って魔術発動には絶対必要なんですよね? だったらもう、打つ手がないんじゃないですか?」
「桐生の場合はな。俺は陰陽師、桐生と違うて現代魔術なんか使わん」
まあ見とれ。疑問を浮かべる丈瑠にそれだけ言って、晴樹は懐から取り出した一枚のヒトガタを、右斜め前、つまり北東の方角へと投げる。
「十二天将、天一、貴人の力をここに。土神吉将、福徳之神を主る力の象徴」
一枚のヒトガタが強く輝いて、虚空から夥しい数のヒトガタが現れる。輝いた一枚を中心に集まり、人の形を作った。
やがて現れたのは、羽衣を纏った一人の女性。手には刀を持ち、美しい貌にはたおやかな笑みを浮かべている。
どこか浮世離れした、現実味の薄い女性は、ふわふわと宙を浮いて晴樹の後ろに回り込み、その背中にしなだれかかった。
「ようやくこの世界でも呼んでくれたわね、晴樹様。いい加減待ちくたびれていたの」
「寄りかかんな重いねん」
「あー! いけません、いけませんわ貴人様! いくらあなたと言えど、お兄様に抱きつくなんて許されませんわよ!」
「明子も元気そうでなによりね。それで、私が殺すべき敵は?」
スッと細められた瞳に、たしかな殺意が湧き上がる。
十二天将。
最強の陰陽師、安倍晴明が生み出したとされる十二体の式神。彼女はその中でも最強の存在と呼ばれる女神、あるいは天女。
陰陽術には術式の構築も、魔法陣の展開すら必要ない。彼らの操るヒトガタこそが、現代魔術で言うところの術式と魔法陣の役割を果たしているからだ。
その紙切れと魔力さえあれば、陰陽師は自在に魔術を行使できる。
「ちょっとばかし借りのあるやつが敵でな。前にうちから禁術奪っとんねん」
「あらあらあら。晴明様が残した術を盗むなんて、とんだ泥棒もいたものね。ルパン何世かしら?」
「ルパンとちゃうわ……」
「なんで平安の式神がルパン知ってるんだよ……」
思わず織も突っ込みを入れてしまった。この式神、さては結構現代に染まってるな?
「式は私だけでいいの? 他の子たちも晴樹様に会いたがってるけれど」
「マジか……まあそのうち呼ぶわ。とりあえず、今はお前だけでええやろ」
「はぁい」
気の抜けるような返事をしたかと思えば、貴人は晴樹の頬に口付ける。その後ろではまた明子が騒いでいるが、晴樹も貴人も気にした様子はない。きっと、三人の中では小慣れたやり取りなのだろう。
「今日の勝利の女神は、あなただけにキスする、だったかしら」
「せやから、どこでそないなこと覚えてくんねん……」
「ふふっ、当世は面白いものがたくさんでとても楽しいわ。この時代に呼んでくれたご主人様のためにも、勝利の女神として頑張らなくちゃいけないわね」
見惚れるほど美しい笑みに、鋭い殺意を乗せて。勝利の女神を自称する天女は、迷宮の蹂躙を開始した。




