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強がりなだけの女の子

 八月十八日は、我らが桐原愛美の誕生日だ。

 各方面から愛され慕われ大人気の愛美の誕生日とあれば、誰も彼もがその生誕を祝うために陰謀を巡らせることだろう。いや、陰謀はやめてほしいが。まあ、なにかしらのサプライズを用意したり、程度は考えているはず。


 例えば桐原組の屋敷でのパーティだったり、なんか胡散臭い魔導具だったり、かと思えばとても女の子らしい服とか化粧品とかだったり。


 親友が、後輩が、先輩が、恩師が。

 なにより家族が、彼女を祝うために全身全霊を尽くす日。


 というのを、当然愛美も薄々ながら察してしまっている。


「サプライズとか、無理に考えなくてもいいわよ?」

「えっ」


 朝食中のことだ。気を利かせてくれたのか、今日は朱音が朝からサーニャのところに遊びに行っている。起き抜けに「母さん誕生日おめでとう!」と満面の笑みと大きな声で言うだけ言って、そそくさと事務所を出て行ってしまった。

 愛美が少し残念に思っていることを、果たしてあの娘は知っているのかどうか。


 微妙にすれ違う親娘を思うと内心で苦笑が漏れる織なのだが、今の愛美の言葉は聞き逃せない。


「いやっ、別にサプライズとか考えてないぞ?」

「声裏返ってるじゃない」


 呆れたような笑みがひとつ。多分愛美は、誕生日にサプライズで祝われるということに慣れているのだろう。

 なにせ実家はあの桐原組だ。お嬢が喜ぶのであれば、例え火の中水の中、あの子のスカートの中ですら平気で突撃しそうな連中。つまり、愛美のためならなんでもやりかねない、ちょっとお馬鹿な人たちの集まり。


 毎年のようにバレバレのサプライズパーティを企画しては、愛美も気を遣って気づいていないフリとかしてたに決まってる。


「そもそも、私にバレてる時点でもうサプライズじゃなくなってるわよ」

「そこは気づかないフリするとこだろ」

「うちのバカ連中ならともかく、今年は人が多すぎるわ。さすがに無茶ね」


 学校でのことを思い出しているのか、愛美の顔には優しい笑みが浮かぶ。

 昨日は生徒会の仕事とかで夏休みにも関わらず登校していたが、そこで後輩たちや親友のソワソワした姿でも見たのか。あるいは、葵あたりが直接色々聞いてしまったのかもしれない。プレゼントは何が欲しいか、みたいなことを。


 そうやって、なんとなく察してしまっている、ということもあるのだろうが、今日の愛美はいつもに比べてやけに落ち着いた様子だ。普段が落ち着きないわけではないし、誕生日だからと浮かれるような性格でもないが。


 去年、正確に言うと旧世界で過ごした愛美の誕生日は、二人ともイギリスに出張中だった。その時はクリフォード邸の人たちも揃ってお祝いしてくれたのだが。

 そう、あの時と同じ、ほんの少しの違和感というか。


「なあ愛美。もしかして、誕生日ってあんまり好きじゃないか?」

「そう、ね……」


 嬉しくないわけじゃない。喜んでいないわけでもない。

 ただほんの少し、その微笑みに空虚なものが見え隠れしていただけ。

 誰でも気づけるわけではなくて、きっと織の他には朱音か桃、あるいは緋桜くらい近しいものにしか気づけない、微かな違和感。


 朝食の手を止め箸を置いた愛美は、どこか浮かない顔をしていた。


「昔は、あまり好きじゃなかったんだと思う。ほら、私って亡裏の里に行くまでは、桐原に拾われたと思っていたから。だからこの日が本当の誕生日なのかはわからなかったし、それに、ずっとずっと、死を身近に感じていたから」


 殺人姫。それが桐原愛美の異名。

 読んで字のごとくだ。敵を殺して殺して殺し尽くして、気がつけばそう呼ばれていた。

 独特の価値観を持つ彼女は、生の祝福たるその日に思うところがあるのだろう。


「本当に、昔の話だけどね。最近じゃ桃とか葵が盛大に祝ってくれてたし、今は朱音も、織もいるんだもの」


 仕舞っていた宝物を、そっと取り出すような優しい声。そこに空虚さなど微塵も感じさせない、心底から浮かべる幸せの笑み。


「あなたが祝ってくれる誕生日なら、私は好きよ」

「そうか、ならよかった」


 来年以降もずっと、この笑顔が見れるのだろう。けれど今年の今だけは、織が独り占めだ。


「それはそうと、さっさと準備しないとな。書類いくつか片付けないとダメだし、昼過ぎには向こうに着いておきたい」

「はぁ……本当に行かないとダメ?」

「どうせ遅かれ早かれだろ」


 この後二人は、ある場所に行く予定がある。とは言っても仕事ではなく、完全にプライベート。だが愛美が憂鬱なため息を吐くのも無理はない。


 これから向かう場所について、朱音からは乾いた笑みで頑張っての一言だけを貰っているのだ。不安になるのもしょうがないだろう。


「ていうか、早く連れてこいって俺が二人にせっつかれるんだよ。十八歳の誕生日だし、ある意味丁度いいだろ」

「今から緊張してきたわ……」


 桐原愛美、十八歳の誕生日。

 今日は初めて、織の両親に会いに行く日だ。



 ◆



 正午を少し過ぎた頃。丁度お昼時の時間に、織と愛美は棗市から転移でとある地方都市に足を運んでいた。

 大通りの繁華街から外れる寂れた場所に、織の実家はある。


 いつまで経っても埋まらない空きテナントの一階と、探偵事務所の二階。三階四階は桐生家の自宅になっているその建物を前にして、隣に立つ愛美は緊張マックスだった。


「なにやってんの」

「手のひらに人って書いて飲み込んでるのよ。見たらわかるでしょ」


 見て分かるから聞きたくなっちゃったんだよ、とは言わない。今の愛美を刺激しても良いことはないので。具体的に言うと、反射で短剣が飛んでくるかもしれない。


 本日十八歳の誕生日を迎えたそんな少女の服装は、いつぞやの依頼で使っていたパンツスーツ。お前は面接を受ける前の就活生かと突っ込みたくなるが、正装の方がいいと頑なに譲らなかった。織なんて適当なジーパンとシャツを適当に着ているだけなのに。


 まあ、織からしたら実家に帰るだけなわけだから、服装なんか気にしても仕方ない。

 赤き龍の件で連絡は取り合っていたが、完全プライベートで、しかも直接顔を合わせるのはかなり久しぶりだ。


 本人は認めないがなんだかんだで父親大好きな織は、本人も無自覚に浮き足だって、愛美の手を引き階段を登る。

 そして二階の事務所を開けた瞬間。


 パンパンッ! と破裂音が二つ続いた。


「愛美ちゃん、誕生日おめでとぉぉぉう⁉︎」


 扉の先で待っていたのは、クラッカーを手に何故か鼻眼鏡をかけた織の父親、桐生凪と、呆れた様子でバカな夫に付き合っている桐生冴子。

 そして凪のあげた情けない悲鳴は、顔の真横を愛美の投擲した短剣が横切ったからだ。


「げ、元気なようでオジサン安心したよ。さすがにこの可能性は視えなかったけどな」


 冷や汗を垂らした凪の言葉は、完全にパニクった愛美には止めの一撃にしかならなかった。



 ◆



 人間、第一印象というものが大切だと、誰もがどこかで聞いたことがあるだろう。

 なにも間違った話ではない。第一印象が悪ければ、そもそもその後の関わりを保とうとも思えなくなり、関係が続かなくなる。逆に第一印象が良ければ、この人はこういう人なんだ、と相手に先入観を与えることに成功し、その後の関係も良好なものを保ちやすい。


 世の中には第一印象に左右されない! と豪語する者もいるが、そのような者であっても多少は意識してしまうはずだ。

 初対面で失礼を働き、しかしその後は良好な関係を築いたとしても。でもこいつあの時あんな失礼なことしたしなー、と心のどこかで考えてしまうし、身構えもするだろう。


 あるいは、他者からの伝聞だけで第一印象というものが決まってしまう場合もある。

 それが良いものにせよ悪いものにせよ、勝手に伝わっていた側としては堪ったものじゃない。他人の勝手な憶測や噂話に自分の印象が左右されるのだから。まあ、そこは人間誰しもどの状況でも同じことが言えるか。


 畢竟、第一印象や初対面の掴みというのは、人間関係を構築していく上で最も重要な過程だ。スタートダッシュは大事。戦闘においても人間関係においてもそれは変わらない。


 はてさて、それでは。常に初速からトップスピードを維持するという、爆発的な加速力を得ることのできる体術の持ち主、桐原愛美のスタートダッシュは、あまりにも見事に失敗したと言わざるを得ない。


「ほんっっっっとうに、すみませんでした!!!」


 土下座。日本に伝わる最上級の謝罪、ジャパニーズドゲザである。

 かの殺人姫様が、中年の探偵に向かって、本気の土下座をかましていた。


「ははは、顔をあげてくれよ愛美ちゃん。いきなりだった俺たちも悪かったんだ」

「そうだぞ愛美、今回は完全に父さんが悪い。愛美が謝る必要なんてどこにもない」

「止めなかった私にも責任はあるから、ほら、顔をあげてちょうだい?」


 土下座した客人を桐生家総出で宥めるという、謎の構図が事務所内に出来上がっていた。なんだこれ、と織は思わざるを得ない。


 実際、誰が悪いのかと聞かれれば八割は凪が悪い。愛美が緊張してるのは簡単に想像できるだろうし、お得意の千里眼で覗くことだってできただろう。それなのに鼻眼鏡までつけたふざけまくった不審者のような格好で、急に破裂音なんて鳴らすのだから。

 そりゃそんなの、殺人姫の体に染み付いた反射と本能が働いてしまうに決まってる。


 織と出会う以前から愛用していた短剣は、念のためいつも懐に忍び込ませているのだし、こうなるのは必然だ。


 と、そこまで分かっていて未来視を使わずに愛美を止められなかった織の責任は、残りの二割といったところか。


「ほら、ずっとそうやってると、話もろくに出来ないぞ? 俺は今日、愛美ちゃんと話したいことが沢山あったから呼んだんだ。ここは俺を立てると思って、な?」

「……はい」


 愛美から見れば一番の被害者にそう言われると、さすがに弱ってしまうのか。しゅんと落ち込んだままではあるが、とりあえず土下座はやめてくれた。

 この場に朱音がいないことが不幸中の幸いか。カッコいい母親のこんな姿、娘に見せるわけにはいかない。


「さっ、改めて。初めましてだ、桐原愛美ちゃん。うちの織が世話になってるな」

「迷惑かけてないかしら? 嫌なことがあったらすぐに言うのよ? 円満な夫婦生活の秘訣は、我慢をしないことだから」

「そうそう。母さんも全く我慢せずゲンコツが飛んでくるから」


 はははっ! と笑う凪の頭に、早速ゲンコツが落とされた。余計なことは言うなと。


「いえ、その、迷惑だなんて全然。むしろ私が織のお世話になっている方で……家事とか全然出来ないですし……」

「あら、そうなの?」

「最初の頃なんて、洗濯機真っ二つにしてたもんな」


 揶揄うように言えば、キッと睨まれた。しかしそこにいつもの迫力はないので、可愛いくらいしか感想が出ない。


「で、でも最近は、洗濯も出来るようになりました!」

「洗濯物突っ込んでボタン押すだけだもんな」

「織うるさい」


 必死に点数稼ぎしようとしている様があまりに面白くて、つい横槍を入れてしまう。

 全く、今更そんなもの必要ないというのに。でも緊張して必死な愛美は可愛いので、しばらく眺めておこう。


「あとは料理とか、は、ちょっと自信ありませんけど……あ、でも織より私の方が腕っ節も強いですし、魔術の腕も上なので、息子さんは命に変えても絶対に守ります」

「はは! これじゃ立場が逆だな、織」

「うるせえ俺もちょっと気にしてるんだよそこは!」


 マジで面接じみてきた。特技はイオナズンです、みたいな何年前かも分からないネタがネタで済まないのが、この面接の恐ろしいところだ。

 実際今だって、愛美が冴子に得意な魔術をざっと言い並べている。概念強化に空の元素、更に多重詠唱までなんでもござれ。イオナズンよりよほど強力だが、果たしてそのアピールは意味があるのかどうか。


 メガネをかけて知的っぽいくせに愛美と似たようなステゴロ魔術師の冴子は、概念強化に少し興味を示したようだったが、コホン、と咳払いをひとつ。


「織、少し部屋にいなさい。愛美ちゃんと母さんたち、三人で話したいから」

「えっ」


 声を上げたのは愛美だ。なんとも可哀想なことに、まるで生まれたての子鹿みたいにふるふる震えている。愛美さん、ここに来てからキャラ崩壊著しいですね。お前そんな可愛げ満点のキャラじゃなかっただろ。


 こちらを見つめてくる愛美からは、言葉にせずとも置いていくなと言う声が聞こえるようだ。半ば涙目になってるあたり、彼女の頭の中では嫁姑問題がどうのこうので占められているのだろうが、まさか昭和のヤンキーよろしくこれからシメられるようなことには絶対ならない。


 だからここは心を鬼にして、織は愛美を置いて上の階へとあがることにした。


「じゃあ愛美、二人と仲良くな」

「後で覚えてなさい……」


 ちょっとー! この子殺気ダダ漏れなんですけどー! さっきまでのしおらしい態度はどこ行きやがった!



 ◆



 織が事務所を出て上の階に行ってしまい、愛美は一人で凪と冴子の両名と向かい合うことになってしまった。

 一旦ティーブレイクを挟もうということで冴子がお茶を淹れてくれたが、全く喉を通らない。


 なにせ第一印象は最悪と言っていい。サプライズで誕生日を祝ってくれたにも関わらず、割と本気の短剣投擲。凪に命中しなかったのは運が良かったから、ではなく、織が咄嗟に愛美の脇腹を小突き、体勢を崩してくれたから。彼がいなければ、今頃短剣は凪の眉間にぶっ刺さっていただろう。


 冴子からは品定めされるような目で見られていたので、なんとか織のお嫁さんに相応しいことをアピールしようと思ったのだが、つい家事が出来ないことを自白してしまうし。挙げ句の果てに、息子さんは命に変えても絶対守る、とか言ってしまう。


 もう散々だ。早く帰りたい。せっかくの誕生日なのだから、帰って織といちゃいちゃしたい。朱音とアーサーに癒されたい。


 きっとこれから、悪名名高い嫁姑問題とかいうやつに巻き込まれるんだ……いや巻き込まれるというか当事者だけど……洗濯物の折り方ひとつ、掃除の埃ひとつで人格否定されるほど怒られるんだ……。


 どうにもナイーブになってしまっている愛美は、そんのことしか想像できない。


 しかし、そんな馬鹿みたいな考えが的中するわけがなく。凪も冴子も、自分の子供に向けるものと同じ、優しい笑みを浮かべていた。


「さっきは初めましてって言ったけど、実は昔に一度会ってるんだよな」

「そう、なんですか……?」

「ええ。旧世界の十六年前が最後だったかしら。愛美ちゃん、その時に織とも会ってるのよ。といっても、まだ小さかったから覚えていないかもしれないけど」


 十六年前。そう聞いて思い浮かぶのは、彼方有澄がこの世界にやって来た時の出来事。黒龍エルドラドの一件。

 先代キリの人間、愛美たちの親世代もその件に一枚噛んでいたとは聞いていたけど、まさか小さい頃の自分と織が会っていたなんて。


「あの時の愛美ちゃん、握手を求めた織にいきなり殴りかかったもんな」

「思えばあの頃から、織が尻に敷かれる未来は決まっていたのかもね」


 えぇ……なにしてるのよ幼女の私……未来の旦那さまになんてことを……。


 二人は当時のことを思い出してクスクスと笑っているが、突然笑みを消して凪が咳払いをひとつ。真剣な表情に変わり、自然と愛美の背筋も伸びる。


「愛美ちゃん。これまで織と朱音のことを支えてくれて、本当にありがとう」

「あなたがいなかったら、この未来はありえなかった。愛美ちゃんみたいな強い子が織の前に立って、あの子を引っ張ってくれたおかげよ」

「そんな、顔をあげてください」


 自分より一回り以上歳上の大人から頭を下げられ、さしもの愛美も狼狽える。

 きっと二人は今日、それを伝えるために愛美を呼んだのだろうことは、その声音からして察せられた。


 けれど、愛美は自分のことを、二人が言うような人間じゃないと思っている。


「本当に支えられてたのは、私です。織と朱音がいなかったら、強がることしかできない弱い私は、きっとどこかで折れていたから」


 自分は決して強い人間なんかじゃない。ただ強がっているだけ、自分の弱さ、甘さ、醜さから目を逸らし、優しさと正しさで本当の自分を覆い隠しているだけなのだ。

 

 絶大な力と、止めどなく溢れる欲求と、身を委ねてしまう本能。

 その全てが私の弱さで、それらを家族に向けたくないから強がって。けれどいつか、それすらも自分の強さだと自信を持って言えるようになりたいけど。


「二人のことを支えて、この未来に辿り着いた。その自覚も、自負もあります。私たちは、誰か一人でも欠けたらダメだったんだってことも。でも、本当に。私は強い人間なんかじゃないんです」


 殺人姫。

 その異名こそ、桐原愛美が持つ弱さの象徴。殺すことしか能がない女。


 フッと自虐的な笑みが漏れる。弱くて、重くて、馬鹿な女だと、毎度のことながら自分に辟易とする。

 大事な人たちがいるから強がれて、その人たちに半ば依存して、分かっていてもやめられない。


「愛美ちゃんの在り方にどうこういうわけじゃないがな。自分が強くないと言うのも、弱いと言うのも自由だ。強がっているのならそれもよし。なにひとつ間違っちゃいないさ。それは俺たちが保証してやる」

「それは……どうして、ですか?」

「だって、愛美ちゃんにはちゃんと、手に入れたものがあるでしょう?」


 言われてハッとする。

 永遠に答えの出ない自問自答の迷宮から抜け出すには、結局のところは結果論しかなくて。ならば愛美は、弱さを隠して見て見ぬふりして、強がることしかできない少女は、その果てになにを手に入れたのか。


 ああ、問われずとも分かっている。

 それはきっと、桐原愛美が持つ唯一の強さとも言える。


 誰よりも、どこまでも強がりな自分すら、受け入れて愛してくれる人がいるから。


「ありがとうございます……お陰様で、認められるかもしれない」


 きっと、凪と冴子には言葉の意味が伝わらなかった。

 それは旧世界で、自分と同じ姿をした少女と、殺人姫と対峙した時の話。私の存在全てを懸けたその果てにある未来が今で、そこに織と朱音がいるのなら。


 私はようやく、自分の弱さ(強さ)を認めることができる。


「そういうわけだ、これからもうちの息子をよろしく頼むよ」

「結婚式は盛大にあげましょうね」

「か、考えておきます……」


 結婚式とか、まだずいぶん先の話なのに、何故か妙に現実感を帯びて愛美の頭に残ることとなった。



 ◆



「そういやこれ、誕生日プレゼント」


 棗市まで転移で帰り、事務所まで少し歩いている時のことだった。なんの前触れもなく、織からラッピングされた長方形の箱を渡される。


「……もう少しムードみたいなのがあるでしょう」

「仕方ないだろ、二人きりになれる時間はどうせ今しかないんだし」


 唇を尖らせて不満を露わにしてみるが、織は既に諦めているらしく苦笑するだけだ。

 まあ別に、織と二人きりじゃなくても、仲間たちみんながいる時間なら、悪くはない。


「で、これなに?」

「開けてみ」


 ラッピングを綺麗に剥がして箱を開けば、入っていたのはペンダントだ。黄緑色に輝くペンダントトップは、八月の誕生石であるペリドット。

 しかもただのペンダントじゃなかった。黄緑色の石には小さな蝶番がついていて、開閉できる仕組みになっている。

 いわゆる、ロケットペンダントというものだ。


「普通に宝石使ってるじゃない……高かったんじゃないの?」

「まあ、それなりにだな。宝石だけ仕入れて、その形には俺が自分でしたし」


 わざわざそこまで言うのは照れくさいのか、織は明後日の方を向いて朱に染まった頬を掻いている。可愛い。


 しかし、手作りとは。控えめに言ってすっっごく嬉しい。

 もちろん魔術を使ってのことだろうけど、だからって愛美には簡単に真似できないだろう。手先が無駄に器用な織だからこそ、と言ったところか。

 あるいは、旧世界で指輪を作った時の知識も応用したのかも。


「ありがとう、大切にするわ」

「どういたしまして。あとは中に入れる写真を撮ったら完璧だな」


 織が不意に前方へと視線を投げ、釣られて愛美もそちらを見る。

 そこには、事務所の前でこちらに手を振っている朱音と、その足元で座っているアーサーが。ついでに、元の人間サイズに戻っているグレイもなぜかいた。


「母さーん!」

「あら、サーニャのところはもういいの?」

「うんっ、父さんから家族写真撮るって聞いてたから!」


 どうやら、朱音には愛美の知らないところで話を通していたらしい。察するにグレイは撮影役か。

 織が吸血鬼にスマホを投げ渡しているのを見て、一応礼を言うことにしておく。


「ごめんなさいね、わざわざこれだけのために」

「構わんよ、私も写真は好きなのでね。現在(いま)を切り取り過去へと変え、だが未来にしかと残る記録のひとつだ」

「あんたもそのうち、葵たちと撮ってあげましょうか?」

「彼女らが嫌がるだろう」


 本気でそう思っている辺り、こいつも不器用な親の一人、というわけか。決してこんな拗らせた親にはなるまいと固く心に誓いながら、朱音を中心にして家族全員が並ぶ。右に織が、左に愛美が。そして朱音の胸元にアーサーが。

 並ぶと言うよりも、ギュッと抱き合うように密着して。


 グレイが構えたスマホからフラッシュが三度。念のため三枚撮ってくれたらしい。


 織がそれを確認しに行くのを横目に見ていると、朱音が腕に抱きついてきた。


「どうしたの?」

「えへへ。母さん、お誕生日おめでとう」

「朝にも聞いたわよ、それ」

「うん、何回でも言うよ! それに、生まれてきてくれてありがとう。私を産んでくれて、ありがとう」


 朱音の言葉に、一瞬思考が硬直しかけた。

 それは、その言葉は、私に贈っていいものなのか。

 たしかに朱音は織と愛美の娘だけど、朱音を産んだのは今ここにいる私じゃない。未来の自分だ。


 そんなこと、朱音だって百も承知。

 その上で、その言葉が贈られたと言うのなら。きっとそこには、愛美では計り知れないほどに万感の想いが詰まっていて。


 不意に、鼻の奥がツンとした。視界が滲んで、一粒の熱が頬を伝う。


「え、か、母さん⁉︎」

「なんだ、親を泣かせたのかルーサー。さては反抗期にでも入ったか?」

「グレイはちょっと黙ってて! ちょっと、どうしたの母さん? なにかあった?」


 腕に抱きつかれていた愛美が、朱音の全身を抱きしめ返す。華奢な体。自分と瓜二つの容姿。正真正銘、紛れもなく、血を分けた娘。


 その存在が、どうしてか今まで以上に愛おしく感じてしまって。腕に抱いた熱を離したくなくて、強く抱きしめる。


「嬉しいんだよ、愛美は。朱音が祝ってくれたから、泣くほど嬉しかったんだ」

「むぎゅ、父さんまで。苦しい〜」


 愛美と朱音の二人を包むように、織も腕を広げる。アーサーが足元にやってきて、自分も混ぜろとばかりに顔を擦り寄せてきた。


 ああ、そうだ。これが、桐原愛美の勝ち取ったもの。

 弱さを隠して見て見ぬ振りして、強がってばかりだったその先に、掴み取ったもの。


「織、朱音、ありがとう……幸せすぎて、バチが当たりそうだわ」

「愛美に天罰下す神様なんかいたら、俺らがぶん殴ってやるよ」

「だね、私たちなら神様でも、余裕でボコボコだよ!」


 抱き締めている温もりと、抱き締められている温もり。


 常に死と隣り合わせだった殺人姫が手に入れた、かけがえのない家族。生きる意味。

 家族がいるから、愛美は今日この日、生まれてきて良かったと、そう思えた。


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