胸の奥に深く 3
多重詠唱という技術がある。
異なる魔術を掛け合わせ、全く違う魔術へと昇華する技術だ。
これは小鳥遊蒼が考案、開発したもの。とても大きな可能性を秘めた技術ではあったのだが、ひとつ致命的な欠陥がある。
理論的に不可能なのだ。
魔術とは原則、系統ごとによって構築される術式が全く異なる。いや、そもそもとして、全く同じ構築の術式なんてものは存在しない。
例えば、強化魔術。
一概に強化と言っても、「どこを」「どのように」「どう言った用途で」強化するのかにより、術式の細部は変わって来る。
腕と足の強化だけでも違うのだ。そこからさらに魔力出力や肉体の筋肉量など、それらを緻密に計算し、足りない部分はイメージで補うことで、強化の術式が組み上げられる。
更に言えば、仮に織と愛美が全く同じ強化魔術を使っても、当人の癖というものがある。織の描く術式には、愛美が手癖で省略している部分があるだろうし、その逆もまた然り。
とは言えそれが同じ強化魔術であれば、術式の基盤は同じものになる。そこから更に発展させていく形で、各々の魔術や技へと昇華されるのだ。
だから、同系統での多重詠唱は可能なのだ。その辺りは元素魔術が分かりやすい。
風に火の元素を掛け合わせれば雷に、水を掛け合わせれば氷になる。厳密には多重詠唱と呼ばれないが、やっていることは殆ど同じ。術式の根幹が同じだから掛け合わせることができる。
だが、別系統で同じことをやろうとすれば、術式同士を重ねた時点で瓦解してしまう。互いに拒絶反応を起こしてしまい、魔法陣の展開すらなく、結果魔術として成立しない。
人類最強がそんな多重詠唱を可能としたのは、彼の特異な体質が原因だ。存在そのものが魔術という概念へと至った彼だからこそ到達できた、ひとつの究極。
あるいは、黒霧葵の纏いという魔術。
あれも多重詠唱に他ならないが、彼女の場合も少々特殊な要素が絡まり合っている。
元は多重人格というその特異性を利用していたが、現在はプロジェクトカゲロウの三人だけが持つ要素を使っている。
人間と吸血鬼の遺伝子を持ち、神の記号を植え付けられているのだ。そこに彼女の異能まで合わされば、限定的ながら多重詠唱は可能となる。
さて、では。
長くなってしまったが、以上のことを踏まえた上で。桐原愛美という魔術師に着目してみよう。
『まるで野生の狼だな』
体術もクソもなく、赤い魔力を纏った殺人姫が駆ける。
逆手に持った刀は容易く敵の右腕を斬り落としたが、その断面がいつもと違う。血は一滴も流れず、傷口は熱で溶けていた。
おおいぬ座を形作る一等星、シリウス。
焼き焦がすものとも呼ばれる星の力を身に宿した彼女の魔力は、高温の熱を帯びていた。切断能力による斬撃ではなく、あくまでも熱による溶断。だから異能の通じない赤き龍が相手でも、容易に斬り裂くことができる。
動きのキレ自体は通常時の方が格段上なのだが、それを補ってあまりある威力を叩き出せる。その上、野生の獣じみた動きは予測しづらい。
思考を極限まで研ぎ澄ませる体術にやつが適応しているのなら、正反対の位置にある野生の動きに頼る。
まるで赤き龍のためだけに開発された魔術だ。
「ほらほらほらほら! こんなもんじゃないでしょう、あんたの力は!」
『これはこれで厄介だな』
力任せの乱打。再生された右腕と左腕でガードしているが、拳の重さに加えて纏った熱もある。受け続けるのはまずいと感じたのか、赤き龍は回避に動きを切り替える。
しかし、その僅かな隙は見逃さない。
「こっちを忘れてもらっちゃ困るぜ」
分離して遠隔誘導砲塔へと変形したシュトゥルムが、愛美ごと撃ちかねない位置から光線を発射した。
当然決して味方に当たることはなく、七つの光は全て、化け物の体を穿つ。
怯んだ赤き龍の顔面に、愛美の拳がクリーンヒット、錐揉みに体が回転しながら吹き飛ぶ。拳が直撃した位置は、その魔力で焼け焦げていた。
桐原愛美が使う空の元素魔術。星の力を振るうそれは、全てが既存の術式に落とし込んで使われている。
つまり、概念強化と空の元素の多重詠唱。
それを可能としているのは、彼女が持つキリの力なのだが、しかしそれはほんの後押しに過ぎない。
愛美が多重詠唱を可能とするのは、彼女の持つ圧倒的な才覚に他ならないのだ。
小細工は殆ど必要とせず、ただただ天性の才能と惜しむことのない努力によって、桐原愛美は不可能を可能とする。
『やはり、貴様らキリの人間は全力で相手をしなければならないか……!』
「来るぞ愛美!」
「任せなさい!」
人型の化け物が、巨大なドラゴンへと変貌する。以前の戦いと同じ、その名が示す通りの赤いドラゴンへ。
対する愛美は、刀を鞘に収めて高く跳躍した。分離していたシュトゥルムは再び銃形態に戻り、そこから剣へと変形、その手に収まった。
空の元素魔術、冥狼天星。
野生的な動きと超高温の熱、スピードや動きのキレを犠牲にした一撃の重さが特徴的な魔術ではあるが、その真価はまた別のところにある。
シリウスという星の別名。
焼き焦がすもの。
あるいは、光り輝くもの。
振りかぶったシュトゥルムが、星の輝きを帯びた。
織との連携すらも考慮されて作られたこの魔術発動時に限り、愛美は輝龍の力を手にできる!
「闇夜に輝く星屑の剣!!」
縦一文字に振り下ろされたシュトゥルムから放たれる、星の輝きを宿した斬撃。
巨体を両断するには至らなかったが、それでも大きなダメージが入っているのは見て取れた。ここで畳み掛けて、速攻で倒す。
「せっかくだから、この炉心を使わせてもらうとするか!」
織が伸ばした魔力の鎖が、すぐそこで稼働している魔力炉心と繋がった。そこから無尽蔵に生み出される魔力を吸収し、赤き龍の周囲にいくつもの魔法陣を展開する。
「魔を滅する破壊の銀槍!」
炉心から魔力を吸収し続ける限り止むことのない、銀色の槍による雨のような爆撃。
その僅かな隙間を縫って、己の身が傷つくことも厭わず。地上に降り立った殺人姫が、ドラゴンの懐へと潜り込んでいた。
「これでトドメ! 斬撃・終之項!」
徹心秋水とシュトゥルムの二刀流から繰り出された必殺の一撃が、赤き龍の巨体を三枚おろしに溶断。
耳をつんざく断末魔はやがて鳴り止み、完全に沈黙する。
「残念ながら、一回戦って慣れてるのはこっちも同じなの。出直してきなさい」
死体にそう吐き捨て、愛美は魔術を解除。纏っていた魔力が消えた途端、その場にペタリと座り込んだ。
驚いて駆け寄った織だが、頭痛を堪えるように眉間を抑えている姿を見て、反動によるものだと察する。
潮風に当たって普段の艶が感じられない黒髪を撫でつつ、労いの言葉をかけてやった。
「お疲れさん」
「ん、ありがと」
「まだ反動消すのは無理そうか」
「今はね。でも、いつか絶対になくしてやるんだから。毎度毎度こんなザマじゃ情けないもの」
そう意気込む愛美は、きっといつか本当に反動を克服してしまうのだろう。なにせ概念強化という魔術を作り出し、その才能と努力だけで多重詠唱まで再現するほどの魔術師だ。
むしろ、そこまでの魔術師である愛美や、転生者の朱音ですら克服できていない概念強化の反動の方がやばすぎる、と考えるべきだろう。
織が前に使った時は筋肉痛程度で済んでよかった。本当によかった。
「さて、この炉心をどうにかしましょうか」
「つっても、下手に攻撃したらやばそうだしな……さっき魔導収束してみた感じだと、この炉心だけで半永久的に魔力を生み出せるっぽいんだよ」
「賢者の石と同じじゃない。魔女様が泣いちゃうわね」
どのような技術が使われているのかは知らないが、愛美の言った通り賢者の石と全く同じだ。稼働している限りは魔力を無尽蔵に生み出して、それをこの艦の動力源にしている。
魔導収束で吸い切ってしまおうと考えていたのだが、これでは早々に織のキャパオーバーとなってしまうだろう。
愛美に斬ってもらうのが一番手っ取り早いとは思うが、それにしたって暴走の危険性は変わらない。
しかしどうやら、反動から復帰した殺人姫にはそのあたりご理解頂けないようで。
「よし、斬っちゃいましょうか」
「あっ」
無造作に振われた刀。異能が乗せられた斬撃が、小さな太陽のように燃えている球体へと飛んでいく。
止める暇すらなかった。急いで魔眼の準備をする織。もし本当に暴走なりなんなりしてこの艦ごとドカン、なんてことになったら大変だ。
しかし、そんな悪い予感は的中することもなく。愛美の斬撃が炉心を真っ二つに両断することも叶わなかった。
ここまではまあ、一応予想通り。問題は、急に鳴り始めたアラート音。
「これ、まずくないか?」
「なんか赤く光ってるわね」
おまけに空間内の照明は、警戒を示す赤に変わり点滅している。
やがて天井の一部に小さな穴が開き、そこから無数の戦闘ドローンのようなものが出現した。いや、ドローンというよりも、魔術的なゴーレムに近いか。
サッカーボール大の円形で、その下部には機銃が装備されている。
「これも異世界の技術ってやつか……何体いやがるんだよ」
「さすがに数が多いわね。どうする? まともに相手をするのは馬鹿らしいけど」
「適当に戦ってたら、桃と緋桜さんの方も終わらせて来るだろ」
「ただの思考放棄じゃない……」
呆れられてしまった。でも仕方ない。あの魔力炉心に愛美の異能が効かなかった以上、向こうがエウロペをどうにかしてくれないとこの艦は止まらないのだから。
「まあ、メインディッシュは殺しちゃったし、食後のデザートとでも思っておきましょうか」
「そんな可愛いもんだといいけどな」
舌舐めずりする殺人姫とともに、織は第二ラウンドへと臨んだ。
◆
戦うには狭いブリッジの中で、緋色の桜が花びらを散らす。
夥しい数の刃となって敵へと放たれる花びらだが、命中する直前で敵の、エウロペの姿が消えた。
「またっ……!」
「四時の方角、距離は八だ!」
肩に乗ったミニチュア吸血鬼の助言を元に、花びらの軌道を変える。しかしそれでも手応えはなく、先ほどから同じことを繰り返してばかりだ。
あの透明な炎。グレイ曰く、炎で包んでいる間は対象を世界から消失させてしまう力。あれでこちらの攻撃はのらりくらりと躱されてしまう。グレイの目で位置を特定しても、敵の体が消失しているのなら攻撃は当たるはずもない。
そんなことを繰り返し続け、桃の苛立ちは募るばかりだ。
「まともに戦う気がないのは分かったよ。逃げてばかりで意気地なしの女。そんなやつを緋桜が相手にすると思う?」
「ならあなたは、彼がどのような女性を好むのかご存知なのかしら?」
「そんなの本人に聞け!」
怒声と共に放つ砲撃は、やはり当たることがない。そのままブリッジの壁にぶつかるが、周辺機器が無惨に破壊されるだけだ。壁には傷一つない。
ここまでの戦闘で分かっていたことだが、この艦はかなり強固な素材を使われているらしい。少なくとも、桃が全力で撃った砲撃でも傷どころかシミの一つできないほどに。
それはそれで悔しいというか、若干不満が残るのだけど、思う存分全力を出してもいいということ。
しかし、である。緋色の花びらや砲撃、ときたま接近戦も織り交ぜて攻撃するが、一向に敵を捉えられない。どれだけ全力を出しても、このままではこちらが一方的に消耗するだけだ。
賢者の石からの半永久的な魔力供給があるとはいえ、それにだってリミッターは設けている。あるいは、賢者の石自体がオーバーヒートしてしまう可能性も。
「ふふっ、あなたの方こそ。そんなにも怒りっぽくて乱暴なら、彼に愛想をつかされてしまうわよ?」
「知ったような口をっ、利くな!!」
「ッ……!」
叫び声に魔力が乗せられ、その気迫に怯んだエウロペが異能を解いてしまう。押し潰されてしまいそうな圧を全身に感じ、一瞬、全ての動きが完全に停止した。
その一瞬が命取りだ。
魔女と灰色の吸血鬼。かつての宿敵同士を前に、ほんの一瞬であろうとも隙を晒す。その意味を、エウロペは理解しきれていない。
「演算完了だ、魔女。ここからは、好きに暴れたまえよ」
「炎が、使えない……⁉︎」
「私は空間掌握が得意でね。そこに異能を掛け合わせれば、敵の異能を完全に封殺することだって可能だ。特に貴様のような、空間そのものに干渉する類の力とは相性がいい」
「我が名を以って命を下す!」
ブリッジ内に、魔女の詠唱が木霊する。練り上げられる魔力は、これから紡がれる魔術の威力を既に物語っていた。
だからこそ、エウロペにとっても対処しやすい。決して慌てることなく、冷静に防護壁を展開する。対物理は最低限、魔術の二次的な衝撃などを防ぐため。魔力への抵抗力だけに殆どの力を注いで、そのために術式を構築し、単なる防護壁ではなく一つの魔術としての防御を。
そこまで含めて、全て桃の思惑通りだ。
「──なんちゃって」
「え……?」
乾いた銃声が、二つ鳴り響く。
魔女の手に握られているのは、ドレスの顕現と同時に投げ捨てられたリボルバー。グリズリーすら一撃で倒せる最強のマグナム、トーラス・レイジングブル。
その五十口径弾が二発、エウロペの腹を貫いていた。
その衝撃は人体がまともに耐えられるものじゃない。防護壁を容易く割って命中、背中から床に倒れる。
滲む赤が豪華なドレスを生々しく汚し、しかし致命傷には至っていない。殆ど意味をなしていないと思っていた防護壁だが、多少は衝撃を緩和したようだ。
「どう、して……魔女が……」
「銃に頼るのかって? その先入観があなたの敗因だよ、お姫様。勝つためならなんだって使う。銃だろうが、かつての宿敵だろうが、なんだってね」
傷口に透明な炎が揺らめいている。全ての転生者の炎に宿った自己再生能力。
どうやらグレイは、彼女の炎からその力までは封じなかったらしい。懸命な判断だ。聞きたいことがあるから、死なれたら困る。
「それで? この艦はなに? どう考えても異世界の代物だし、赤き龍が持ってきたって言っても、わざわざ手の込んだ自殺程度に使うものじゃない。死にたいだけならわたしたちに殺されてたらいいだけなんだし」
「魔導戦艦、というらしいな。ドラグニア世界の古代文明が建造した超兵器、随分と大層なものじゃないか」
魔女と吸血鬼の問いかけに、エウロペは答えない。口元に笑みを浮かべて、こんな状況であってもいっそ楽しげだ。
不審に思って、弾丸が残り一発になったレイジングブルの銃口を向けた、その瞬間。
「ソウルチェンジ・ジャンヌダルク」
三日月に裂けた口から、力ある言葉が唱えられた。途端に魔力が跳ね上がり、倒れたエウロペを中心として全方位に放たれる。
咄嗟に距離を取って舌打ち。下手に生かしておくべきじゃなかったか。
「奥の手は最後まで取っておくものですわ。特に、あなたのような厄介な人を相手にする時は」
腹の銃傷がみるみるうちに癒えていく。炎による自己再生能力だけじゃない。
神へ祈りを捧げることによる魔術、秘蹟の類か。さすがは聖女様。
「でも、奥の手としては弱いね。ジャンヌダルクはあくまでも軍を率いる指揮官。戦争は得意でも、単なる戦闘だとどうなのかな?」
エウロペのソウルチェンジについては、事前に把握済みだ。グレイがそこを確認していたから。もう一つの方を出されていたらマズかったが、ここは賭けに勝ったと見るべき。
「魔女、その名がわたくしの中でどのような意味を持つか、あなたは理解しているのかしら」
「なんの話?」
「あなたがこれから負ける理由についてよ」
魔女の警戒を上げるには十分なほど、自信に漲る言葉。
相手は転生者。しかも旧世界における魔女の存在、力を正確に把握していてのこの言い草。なにかある。
「さあ、理不尽で残酷な、魔女裁判を始めましょう」
狂気的な笑みを見せる自殺志願者が、剣を手に取った。
魔女と聖女。
対極の位置にいるような二人が、再び激突する。




