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Recordless future 〜after memory〜  作者: 宮下龍美
桜の雨に濡れる
29/73

胸の奥に深く 2

 異世界、ドラグニア神聖王国の王城は、妙な慌ただしさに包まれていた。

 戦時中のように緊迫した様子は見受けられないが、しかしただならぬ事が起きているのは察せられる。


「あの馬鹿どもがまたなにかやらかしたか?」


 城の廊下を一人歩くアダム・グレイスは、首を傾げながらも己の職場へと向かう。

 さしもの我が親友とは言え、今やこの世界にとってはかなりの重鎮だ。昔のような無茶はしない、とも言い切れないが、ここまで城を慌てさせるようなこともしないだろう。


 アダムは現在、この国の新兵たちを育てる立場にある。教官とやらだ。

 自分では似合わないと思うのだが、蒼やアリスに言わせると天職らしい。まあ、自分の師匠が教官としての反面教師みたいなものだから、自然と新兵たちには優しく真摯に接してしまう。

 いやイブの教え方も悪いと言うことはないのだが、少しばかり厳しすぎるからな……。


 今もこの城のどこかで辣腕を振るっているだろうパートナーの姿を頭に思い浮かべながら、修練場までの道をゆっくり歩いている最中だった。


「アダム様」

「シルヴィアか。ギルドの方はどうした?」


 呼び止めたのは、蒼たちの元で働いているはずのシルヴィアだ。いずれ魔導師長となる彼女は、現在蒼とアリスの下で修行中、城にはあまり顔を出さなくなっていた。

 そのシルヴィアが城にいて、おまけに自分を呼び止める。城内のこの慌ただしさも相俟って、やはりただならぬことが起きているのは確実らしい。


「それが、少々面倒なことになっていまして……」

「だろうな。ルシアのところに向かった方がいいか?」

「ええ、そうして頂けると」


 頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てているシルヴィアは、毎度大変だなとどこか他人事のように思ってしまう。

 主人であるアリスに振り回されたり、元上司よイブに無茶振りされたり、胃痛の耐えない苦労人だ。これで龍神の娘だというのだから驚きである。


 先日なんて、魔女のお遊びに付き合わされていた。

 あれはあれで見応えがあったのだが、その魔女は今頃向こうでなにをしているのか。


 とりあえず、シルヴィアと共にルシアが待っているという会議室へ向かおうとして。


「むっ」


 城の廊下に、不自然な影が差した。

 窓からの陽を完全に遮断し、それはこの廊下だけではない。城全体、それどころか城下そのものが巨大な影に飲まれている。


「来たわね……」


 忌々しげに空を見つめるシルヴィアに釣られて、アダムも窓から空を覗き込む。

 視界に飛び込んで来たのは、逆さまになった巨大な岩山だ。球形の結界に覆われたそれが、城の真上を滞空している。


 一瞬呆気に取られはしたが、その正体にすぐ思い至った。


「天空の国、ケルディムか……」


 この世界の大空を常に飛んでいる天空の国。シルヴィアの生まれ故郷でもあり、彼女の母親たる龍神、天龍アヴァロンの住処。

 あの逆さまになった岩山の上には、この城都よりも少し小さいくらいの小さな都市が築かれている。

 龍神親子の些細な喧嘩が理由で、ケルディムはここ三十年ほど、ドラグニアに近づくことすらなかった。それが今になって、どうしてここに現れたのか。


 普段は雲の上を飛んでいる国だ。ここまで降りてくることからして珍しい。城内の慌ただしさも、ケルディムの接近が理由ならば頷ける。


「天龍の巫女は血が絶えたのだろう。なら天龍自らこの国に用があるのか?」

「ええ、恐らくは。あのクソババァ……もとい天龍が降りてくるそうです」


 相変わらず母親を、それも龍神の一角をクソババァ扱いとは。この世界のどこを探しても、そんなドラゴンはこの輝龍だけだろう。それがいいか悪いかはさておき、そういうことであればアダムも急いだ方が良さそうだ。


 急足で向かった会議室。扉を開いて中へ入れば、すでにアダム以外の主要なメンバーは揃っていた。

 この国の王に王妃に王太子、将軍と魔導師長。おまけに龍の巫女が四人とも勢揃い。それぞれが大きな円卓を囲むように座り、蒼とイブが壁際に立っていた。


 その中でも一際目立つのは、扉側に背中を向けた、床につくほど長い真っ白な髪を持つ、背の低い少女。あるいは、幼女と形容してもいいくらいだ。


「遅いですよ、アダム」

「無茶を言うな、つきさっき呼ばれたところだぞ」


 イブからお小言を貰ってしまったが、アダムの興味はそこに立つ幼い少女に注がれている。

 視線に気づいたのか、少女がゆっくりと振り返った。まるで作られた人形のように愛らしい顔と、黄金色の瞳。

 幼さに似つかわしくない威容は、彼女が誰であるのかを物語っている。


「ふむ、おぬしがアダム・グレイスか。中々に面白そうな存在じゃな」


 やけに時代がかった口調。細められた目がアダムの全身を眺めて、それを遮るようにシルヴィアが一歩前へ出た。


「アダム様に構っている暇がおありなら、今回の訪問の目的を話していただけませんか?」

「おーおー、随分と慇懃な態度をするもんじゃな、シルヴィアよ。母は悲しいぞ」


 ビキッ、とシルヴィアの額に青筋が立つ。浮かべているのはニコニコ笑顔だが、今にも爆発してしまいそうだ。


 天龍アヴァロン。

 それがこの幼女の正体。アリス・ニライカナイが最強の巫女だとすれば、この天龍は最強の龍神だ。

 かつてこの世界で起きた百年戦争に終止符を打った、五体の龍神。その実質的なトップであり、現在は巫女の血筋が絶えてしまったことで、唯一生身の肉体を持つ龍神。

 同時に、天空の国ケルディムの女王。


「可愛い娘にも言われてしもうたことじゃし、早速本題といこうかの。儀礼的な挨拶は省略させてもらうぞ」

「いや、結構。あなたほどのお方が急を要すると言うのです。我々ドラグニアとしても、早急に事態の把握に努めたい」


 答えた王の言葉は、硬く緊張に満ちたもの。それが龍神に対する畏怖から来るものなのかは分からないが、自然とその場の雰囲気も引き締まる。


「これだけのメンバーを集めたのは、他でもない。この世界の危機に対する話じゃ」

「赤き龍になにか動きがあったのか? だったらオレがぶちのめしに行ってやるぜ」

「少し落ち着いたらどうですか、ホウライ。あなた一人ではどうせ勝てません」

「ほざくなよニライカナイ。テメェから燃やしてやろうか?」

「け、喧嘩はダメだよ二人とも!」


 炎龍の巫女、クローディア・ホウライの言葉に突っかかるアリスと、今にも激突しそうな二人を宥める木龍の巫女、ナイン・エリュシオン。巫女が集まればこうなるのは目に見えていたが、早速このザマとは。

 すぐ隣で薄く微笑んでいるイブが怖い。あとでアリスはお仕置きだろう。


 因みに、風龍の巫女でありこの国の第二王女、アリスの妹であるエリナ・シャングリラはというと、話を聞いている様子もなくあくびを噛み殺していた。

 全員マイペースすぎる。


「いつの時代も、巫女は賑やかでいいのう」

「だったら天龍様もお早く巫女をお決めになったらいかがですか?」

「シルヴィア……まだそんなことを言っとるのかえ」


 チクリと刺すような娘の一言に、アヴァロンはため息を一つ。

 それ以上その話を続けるつもりもないのか、真剣な表情に一転して、話題の軌道を修正した。


「じゃが、ホウライの言うこともあながち間違ってはおらん。直接赤き龍の動向を観測したわけでないが、恐らくはやつの仕業じゃろう事件が、我が国で起こった」

「その事件とは?」

「魔導戦艦が、一隻盗まれたのじゃよ」


 室内に動揺が走る。

 王と王太子は非常に深刻な面持ちで考えるように俯き、将軍は顔を青くしていた。クローディアは舌打ちしていて、ナインもわなわなと唇を慄かせている。アリスとエリナの姉妹二人だけがどこ吹く風と言った感じだ。


 が、しかし。

 この世界に滞在している時間が比較的短いアダムにとっては、具体的にどうマズいのかが理解できていなかった。


「イブ、魔導戦艦とはなんだ」

「この世界にたった五隻しかない超兵器。古代文明が莫大な魔力を込めて建造したと言われる戦艦です。百年戦争では人間側の切り札として使用されましたが、そのあまりの力に終戦後は大国で一隻ずつ封印されている。ドラグニアのどこかにもあるはずですよ」


 とにかく悪用されたら危険なもの、ということは理解できた。

 そんなもの破壊すればいいだろう、と思ってしまうが、それが出来ないからこその封印措置だったのだろう。なんでも壊して解決できると考えるのは、アダムの悪い癖だ。


「あれ一隻で国が一つ二つ滅んでしまうとも言われておる。当時のわらわたちが終戦に苦労した一因じゃ。しかも、そのうちの一隻はヴァルハラどもに奪われてしもうたしの」

「超兵器のくせに随分とザルな保管をしてたいたのですね。今回盗まれたのも女王陛下の管理不足では?」

「それくらい理解しとるわ。おぬしはいちいち小言を漏らさねば気が済まんのか。我が娘ながら可愛げのない」


 こんなところで親子喧嘩するな。


「それが赤き龍の仕業っていう根拠はあるのかな?」


 尋ねたのは、ここまでずっと黙ったままだった蒼だ。

 このドラグニア世界にも、赤き龍の端末である化け物の出現報告は相次いでいる。あちらの世界で織たちが倒したというやつと同じ端末だ。

 その報告は日に日に増えており、対処に当たっているのが蒼とアリスの率いるギルド。

 創設したばかりで、関連する法整備や各国の対応などもようやく済んだというのに、休む暇もなくやつらは現れた。

 意外とこの馬鹿も、結構疲れているのかもしれない。


「魔導戦艦は莫大な魔力が込められておる。必然、魔力の反応を追うのも楽じゃ。痕跡も中々消えんからの」

「その跡を追っていったら、赤き龍にぶつかったと?」

「追いはしたんじゃが、途中で痕跡は消えとった。綺麗さっぱりな」


 首を横に振るアヴァロン。魔導戦艦たら言うものの強力さが未だにピンと来ていないアダムだが、この龍神が莫大な魔力と言うのだ。それだけの量が込められているのだろう。

 であれば、アヴァロンも言った通り、魔力の痕跡はどうしても残ってしまう。


 これは魔術師や魔導師にも言えることだが、強力な魔力というのはどうしても痕跡を辿りやすい。しかし腕の立つ者であれば、その痕跡を消すだけの技術を持っている。

 だが魔導戦艦はあくまでも兵器。知性も知能も持たない戦艦に過ぎない。

 ならば戦艦自らが痕跡を消すことは出来ず、かと言って盗んだ赤き龍の端末が消したと考えるのも違和感がある。

 なにせ、途中まではその痕跡を残していたのだから。消せるのなら最初からそうしていればいいだけだ。


「待て、そもそもその魔導戦艦とやらは、どうやって盗み出された? 戦艦というからにはかなりデカいはずだ。どうせ転移もできないような場所に封印していたんだろう」

「うむ、その通りじゃ。そもそも我が国ケルディムは、転移が制限されておる。自由に出入りできる国ではない。魔導戦艦の大きさも、通常の艦船の倍と考えてもらって構わん。どう考えても盗むのは不可能じゃ」


 しかし実際に盗まれた。だからこそ、犯人は絞られる。赤き龍に。


 曰く心臓を失った状態らしいが、それでも尚強力な力を有しているのは、織や凪から報告を受けている。

 いくら最強の龍神が収める国とはいえ、赤き龍はアダムと同じ枠外の存在。この世界の創世伝説に登場する、伝説のドラゴンだ。

 ゆえに、やつなら魔導戦艦を盗むことも可能となる。


「結論から言えば、盗んだ方法はわらわにも見当がつかん。じゃが、どこへ持ち出したのかは分かっておる。なにせ、盗まれたのはここ数日の話じゃからな」

「……紛れたか」


 隣に立つイブが、苛立たしげに舌打ちした。短い言葉ではあるが、それだけでアダムには察せられる。

 ここ数日で特筆すべき点といえば、やはり一つしかないだろう。


 魔女、桃瀬桃の来訪だ。

 その際に開いた異世界への扉。そこに紛れて、赤き龍は魔導戦艦を異世界へと持ち出した。


「蒼さんっ」

「ダメだよ有澄、僕たちには他にやることがあるだろう」

「でも……」


 同じ答えに至ったアリスは、弾かれたように立ち上がる。しかし、それを諌める蒼の言う通りで、アリス・ニライカナイは現在、この世界に出現した赤き龍の端末の駆除を担っているのだ。


 それはなにもアリスだけではなく、クローディアも同じ。ナインとエリスは本体の捜索と、龍の巫女総動員で赤き龍の対処に当たっている。


 となれば自然と、誰が魔導戦艦の件を担当するのかは決まってくる。


「一つ聞くが、魔導戦艦は破壊しても構わないんだな?」

「当然じゃ。あんな旧時代の遺物は、残しておくべきではない。赤き龍に悪用されるくらいなら壊してくれて構わん」

「なら決まりだ、今回の件は俺に任してもらうぞ」


 その場の全員が目を丸くして驚く。まさかアダムから立候補してくるとは思わなかったのだろう。

 長い付き合いであるイブすらも、意外なものを見る目をしていた。


「珍しいですね、あなたが自分から首を突っ込むとは。灰色の吸血鬼の時ですら、蒼から乞われるまで動かなかったでしょう」


 イブの言う通りだ。織たちがグレイと戦っていたあの旧世界。そこでの異変は、アダムとイブも把握していた。凪が遺した言葉もあり、いつかは自分たちの力が必要になるかもしれないとも思っていた。

 それでも、アダムは蒼が直接頼みに来るまで、決して動かなかったのだ。


 枠外の存在。あらゆる世界の爪弾き者。

 どの世界にも属することができないアダムは、その世界の根幹に関わるような事件に直接介入できない。

 そうでなくとも、その世界の問題は、その世界の者たちが解決すべき。

 だからあの時、蒼から頼みに来るまで動かなかった。


 だが残念なことに、今回は少々話が違ってくる。


「個人的に思うところがあってな」

「ふむ……まあ、分からなくもない」


 イブの優しい微笑みが、こちらのことを全て見透かしているみたいでこそばゆい。

 事実として、この思考や感覚はイブとしか共有できないものだ。同じ枠外の存在として、永遠にも思える時間を共にした彼女とだけ。


 あの世界、正確には旧世界だが、アダムはそこに五十年滞在した。それだけ長く滞在しながらも壊れなかったのは、ただ一つあの世界だけだ。

 このドラグニア世界も同じくらいは滞在していても大丈夫だろうが。


 だから、壊れてくれなかったあの新世界に、これ以上の異物を持ち込みたくない。

 あの時戦っていた彼らには、出来る限り平和な暮らしを送ってほしい。


「そういうわけだ。異論はないな?」

「うむ、おぬしが行くのなら問題はないじゃろう。跡形もなく破壊してきてくれ」

「了解した」


 他からも反対が出ないのを確認して、アダムはその場で異世界への穴を開き、そこへ飛び込んだ。


 とはいえ、あちらの世界のどこにあるかまでは流石に分からないので、とりあえずは探偵を頼るとしよう。



 ◆



 巨大な艦の甲板上に降り立った織と愛美、緋桜の三人は、早速敵からの襲撃を受けた。真正面から本拠地に乗り込んだのだから、この襲撃は当然のもの。

 愛美が一人でさっさと蹂躙してしまい、難なく艦の内部へと入れてしまった。それなりに狭い通路の中、三人は一度足を止める。


「さて、ここからどう動くかだな。赤き龍もいるだろし、できれば戦力は分散させたくないけど……」

「大きな魔力反応は二箇所ね。艦の最下層と、真ん中あたりかしら? 桃はもう戦ってるみたいよ」

「なら悪いが、俺は桃のところに行かせてもらうぞ」


 言うが早いか、緋桜は二人の返事を待つこともなく、体を霧に変えて消えてしまった。

 愛美はため息を漏らしているが、咎めるような様子もない。ここで迷わずに桃の方へ行けるのなら、緋桜はきっと大丈夫だ。


 さて、いつまでも人の心配をしている暇はない。場合によっては、こちらの方が面倒な相手になる。


「とりあえず、私たちも急ぐわよ」

「だな。こっちの反応は……この艦の魔力炉心かなにかか?」

「多分そうじゃないしら」


 そして、赤き龍がいるなら確実にこちらだ。

 この艦はおそらく、ドラグニア世界から持ち込まれたものだろう。どのようにしてこちらの世界に運んできたのかはこの際問わないが、魔術師でもない兵士たちが普通に動かすのは不可能のはず。

 しかし現実に、この艦は動いている。そこにはそれ相応の理由があるはずで、赤き龍が噛んでいないわけがない。


「最悪、この艦ごと破壊だな」

「できたらいいけど。多分、私やグレイの力も通用しないわよ、これ」


 なにせ異世界の兵器だ。かつてドラグニア世界で戦った、邪龍ヴァルハラ。やつにも愛美の異能は正常に作用していなかった。

 キリの力はあくまでも、この世界の法則における絶対だ。異世界の存在にまでは作用されない。


 ただ、ヴァルハラ戦とは違い、今回はホームでの戦いとなる。もしもこの艦にこの世界の法則が適用されていれば、愛美やグレイの異能で破壊できるかもしれない。


 というのは甘く見積もった場合。

 赤き龍の力は変革。それを艦に施していない保証など、どこにもないのだ。


 兎にも角にも、艦の中心部へと急ぐ。上層から中層へと降りていき、魔力の反応を頼りに艦内を走り回る。

 方向は分かっていても、艦内の通路はかなり複雑だ。上層とは違ってこの辺りの通路はそれなりに広い。人間四人分の幅はあるだろう。途中で宿舎っぽい場所を通り過ぎたから、それのおかげかもしれない。


 道中で遭遇した敵は、前を走る愛美が一刀のもとに斬り伏せる。足を止めることなく走り続けて廊下を抜ければ、開けた空間に出た。

 有名な某ドーム球場よりもよほど広いその中心に、まるでミニチュアの太陽のように燃える球体が。


「こいつが魔力炉心か……」

「想像以上にヤバそうね……斬れるかしら……?」


 もっと機械的なものかと思っていたが、まさかこんなに剥き出しの状態で置いてあるとは。管理が杜撰すぎないか。なんぞ誘爆してしまえば一発でアウトだろ。


「とりあえず、試しに一発入れてみましょうか」


 腰の刀に手をかける愛美。

 これで綺麗に真っ二つになってくれれば楽でいいのだが、まあそう上手い話もないだろう。後処理は織の役割だ。何が起きても大丈夫なように、瞳を橙色に輝かせる。


 その瞬間、数秒後の未来が見えた。


「愛美ッ!」

「……っ、早速お出ましみたいね!」


 抜き放たれた刀は炉心ではなく、突然降り注いだ魔力弾の迎撃に。

 手元に取り出したシュトゥルムの銃口を上には向けて引き金を引けば、銃弾は外れたのか、天井に当たる甲高い音だけが聞こえる。


『またしても貴様らか、キリの人間』


 床に降り立ったのは、以前棗市に現れた化け物と全く同じ姿。二メートル近い真紅の身体に、巨大な翼。全く表情が変化しない、石像めいた貌。

 赤き龍の端末だ。


「それはこっちのセリフだっての」

「ったく、端末じゃなくて本体を寄越しなさいよね」

「「位相接続(コネクト)!」」


 揃って唱えた言霊に反応して、赤き龍が床を蹴って肉薄する。二人の姿が光に包まれたのは、ほんの一瞬のこと。鋭く振われる爪をテールコートの探偵が銃剣で受け止め、その死角から振袖姿の殺人姫が襲いかかる。


 軽快なバックステップで紙一重のところを躱されたが、追撃に織が放った魔力弾が胴体に命中。よろけたところに愛美の蹴りが直撃し、大きく後ろに飛ばされた。


『この程度か?』

「安い挑発をどうも!」


 立ち上がった赤き龍の無機質な声。挑発に乗る形で駆けた愛美は、瞬きの間に懐へ潜り込んでいる。完全に殺人姫の間合いだ。刀であれ体術であれ、あの距離であれば必殺。


 繰り出された左の拳、と見せかけて右手に握った刀での袈裟斬り。いや、それすらもフェイントで右脚での後ろ回し蹴りだ。

 直撃したが、愛美の表情は浮かないもの。織も一連の動きは目で追っていた。フェイントを二度も織り交ぜての一撃だったが、やつは愛美の動きに完全についていってる。


『もう一度言おう。この程度か?』

「こいつッ……」


 今にもブチギレそうな殺人姫は、辛うじて理性が押しとどめてくれたのか、一度大きく後退する。


『貴様らの力は、以前の戦いで本体及び全端末に共有済みだ。適応するなど造作もない』

「そいつも『変革』の一部かよ」

「変革を促すなら、それに適応することも求められるってわけね。本当厄介な力だこと」


 グレイからは聞いていない情報だが、彼自身も全ての情報を閲覧できたわけではないと言っていた。今はあの吸血鬼を責めている場合ではない。


 問題は、以前の戦いでこちらの手札がほとんど割れていることだ。正面からの火力で押し切れるだろうが、そんなことをすればそこにある魔力炉心を巻き込む。そうなれば最後、艦内に残っている織たちのみならず、未だ離れた位置を航行しているクルーズ船にまで被害が行くだろう。

 とはいえ、このままじゃジリ貧だ。


「愛美、俺たちのやることは可能な限りの時間稼ぎ。緋桜さんと桃たちがエウロペをどうにかするまでの間、凌げばいいだけだ」

「それ、本気で言ってる?」


 クスリと挑戦的な笑みを浮かべる相棒は、時間稼ぎなんて毛頭考えていなさそう。

 それでこそだと思う。殺人姫と呼ばれた少女が、たかが体術に適応された程度で諦めるわけがない。


 彼女に殺せないモノは、なにひとつないのだから。


「ようは、あいつの知らない力を使えばいいだけでしょ。丁度いいし、新技のお披露目といきましょうか」


 愛美の全身に魔力が循環し、やがて淡い輝きを纏う。

 振袖姿の彼女を包む魔力は、徐々に高熱を帯び始めて赤く変色した。


「集え、我は星を焼き焦がす者、万物万象尽くを斬り伏せ、命を刈り取る者」


 最も特徴的なのは、頭頂部にある二つの三角と、おしりから伸びる尻尾。赤い魔力でそれらが形成されて、どこか家族の一員である白狼の面影を感じさせる。


冥狼天星(シリウス・アーサー)。精々私を楽しませなさいよ、赤き龍!」


 腰を落として腕はだらりと下げ、前屈みになったその構え。まるで野生の獣じみた殺人姫が、鋼鉄の床を強く蹴り駆けた。

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