繋がる時間、紡がれる記憶 4
状況を整理しよう。
グレイによって強制的に移動させられたここ、どの国にも所属していないらしい中立地帯の荒野で。
桐生織は、仲間たちの状態を確認するため、あたりを見渡した。
先程までも一緒に戦っていた四人は大丈夫だ。多少のダメージを被ってはいるものの、魔力も体力もまだまだ余裕があるだろう。
しかし一方で、葵たち兄妹は消耗が激しいようだった。特に、翠とカゲロウは魔力をかなり使っているようだ。
「カゲロウ、翠、大丈夫か?」
「大丈夫に決まってんだろ」
「緋桜に心配されるほど、わたしたちはヤワじゃありません」
自称二人の兄である緋桜が声をかけるも、やはり気丈にそう返すだけ。
しかし、今は昼だ。吸血鬼組はただでさえ力を出しきれないのだから、あまり無理はしてほしくないのだが。
「おい吸血鬼!」
「なんだ、探偵」
「あの魔術は使えないのか⁉︎」
「ふむ……使えないことはないが、いいのか? 世界全体への影響を考えれば、あまりオススメしないがね」
「朱音、頼めるか?」
「時間貰えたらいけるよ」
しゃがみ込み、地面に手を当てる朱音。この辺り一帯の地形を把握しているのだろう。しかし敵がわざわざ、それを待ってくれるはずもない。
強靭な四肢で大地を蹴ったドラゴンが、未だ態勢の整っていない織たちへ迫る。
それを阻むため、殺人姫が真正面から突っ込む。振るわれた刀は異能を発動させることもなく、硬い鱗は刃を通さなかったが、それでも力尽くで赤き龍の巨体を弾き飛ばした。
更にそこへ、緋色の矢が二本。空気を裂いて突き進み、赤き龍の目を的確に狙う。
惜しくも落とされてしまったが、緋桜と桃の狙いは悪くない。どれだけ強固な鱗に守られていようが、目はどうしてもその限りじゃないからだ。
「時間なら私たちで稼ぐわ! その間カゲロウと翠は休憩してなさい!」
「まあでも、出来るだけ早くお願いね」
「じゃないと殺人姫様が、いいところ全部持っていっちまうからな」
愛美、桃、緋桜。三人ともが楽しげな笑顔で、赤き龍へと接近する。
織の愛する少女はいつも通りだが、他の二人までそんな顔を見せるなんて。やはりあの三人には、三人だけが共有しているなにかを持っているのだろう。
それが少し羨ましくて、あるいはそんな三人が眩しくて。
頭を振って思考を切り替える。
朱音とグレイを待つだけではなく、織にも今できることがあるはずだ。
「葵、食われた転生者の力はどうだった?」
「ぬらりひょんのソウルチェンジと、重力操作の炎を持ってました。多分、あのドラゴンも全部使えますよ」
「だろうな……しかも赤き龍の力は変革だから、厄介な力になってる可能性もある」
百鬼夜行を率い、のらりくらりと全てを躱す大妖怪の力と、転生者としてやつが持っていた重力操作の紫炎。
それらをそのまま取り込んだとは考えられない。いや、赤き龍が取り込んだことによって、全く新しい別の力へと変革を遂げているはずだ。
それがどのような力なのかを見極めたいのだが……。
「ははっ! いいわね、最ッ高じゃない! これだから殺し合いってのはやめられないのよ!! ほらほらほら! もっともっと、命を削り合いましょう!」
「あのバカ、スイッチ入ってやがるな」
「久しぶりだからねー。色々溜まってたんじゃない? 好きに暴れさせてあげなよ」
桃と緋桜の援護を受けながら、愛美はその華奢な体ひとつで赤き龍の巨体と渡り合う。
硬い鱗に全力の蹴りを叩き込み、振り下ろされる剛腕を素早く躱して、返す刀で首を狙いに行く。やはり鱗に阻まれ、『拒絶』の力も通用していないみたいだが、殺人姫にとってそれを不利とは言わない。殺し合いを彩るための、スパイスにしかならないのだ。
「どうやって斬り刻んであげようかしら!」
とまあ、ご覧の通り。
見極めるまでもなく、愛美が殆ど一人で圧倒してしまっている。もう全部相手一人でいいんじゃないかな、とか思っちゃうくらいに。
まさか本当に、愛美ひとりに任せるわけにもいかない。今は彼女が押しているが、相手は枠外の存在だ。その端末に過ぎないとはいえ、グレイも言っていた通り舐めてかからない方がいい。
その為に、灰色の吸血鬼と我が娘に、下準備を頼んだのだから。
「よしっ。父さん、いつでもいいよ!」
「やってくれ!」
朱音を中心として、地面に銀色の炎が奔る。四方八方に伸びていったそれらは、この中立地帯の荒野を囲む壁となった。
高く、空へ向かって伸びる銀炎の壁。
時界制御の炎は、この荒野を別の時界に隔離した。
壁の外と中では、流れる時間が異なる。そして壁の中だけでなら、グレイの魔術も外の世界には影響を与えない。
「上出来だ、ルーサー。さて、帳を下ろすとしようか」
空中に立つ吸血鬼の足元に、赤黒い魔法陣が広がる。それとほぼ同時に、空が闇に覆われ始めた。本来ならあり得るはずのない現象。大地を照らすのは月の明かりや星の輝きだけで、太陽の光は消え失せている。
旧世界で猛威を振るった、空を夜の闇に包む大魔術。
それが今、頼もしい援護として使われた。
灰と白銀、そして漆黒。
三色の異なる翼が、大きく広げられる。
「よっしゃ、完全復活だ!」
「緋桜に遅れを取るわけにはいきません」
「行くよ、二人とも!」
それぞれの得物を携えた三人の兄妹が、戦線に加わる。その三人だけじゃない。ドラゴンの右側からは全てを凍てつかせる冷気が、左側からは黄金の魔力を纏った強靭な糸が、その巨体から自由を奪っていた。
「くっ、こいつは中々……!」
「踏ん張れ蓮! 我らで動きを止めておくぞ!」
「はいッ……!」
糸は今にも張り切れそうで、氷はいつ砕けてもおかしくない。それでも、決定的な隙が生まれた。
そのたった一瞬があれば、十分すぎる。
「蓮くん、力借りるね!」
いくつもの糸を放っている蓮の手元に、黄金の聖剣はない。
宙に飛び上がった葵の手に握られている。
頭上に剣を翳す葵。翠とカゲロウも同じように己の得物を掲げれば、三人の力が聖剣へと収束されていく。
黄金の魔力は巨大な剣を形作り、四人の想いが、繋がりが、力となって顕現した。
「「「繋がり紡ぐ絆の聖剣!!」」」
容赦なく振り下ろし、黄金の斬撃が迸る。
膨大な熱量を伴うそれは、葵と蓮、翠にカゲロウの四人の想いと絆の結晶。身動きを封じられた赤き龍を蓮の糸やサーニャの氷ごと呑み込む。
『■■■■■■■■■!!!!』
しかし、轟咆と共に光が掻き消された。
赤き龍の体には傷をつけられているものの、直撃したにも関わらず、まだそれだけの力が残されている。
苦しい表情を浮かべる葵たちだが、まだ終わりじゃない。
「緋桜、桃! あれで行くわよ!」
「オーケー、任せろ!」
「黙示録の獣に通用したんだし、だったらこいつにも効くよね!」
愛美の背後に、桃と緋桜の手で魔法陣が広げられる。足元に緋色の桜が現れて、それがレールへと形を変えた。
三人分の魔力を凝縮し、殺人姫を弾丸として撃ち出す魔術。単純極まりないそれは、愛美と桃、緋桜の三人で作り出した、最初で最後の魔術だ。
「「「我らの絆は流星の如く!!」」」
二つの拳が魔法陣を叩く撃鉄となり、最強の弾丸が撃ち出された。
光に届くスピードで一直線に。その名の通り、流星のように駆ける殺人姫。それを阻むために展開された紫の炎とぶつかるが。
「重力操作だかなんだか知らないけどッ、その程度で! 私たちを止められると思ったら大間違いよッ!!」
一閃。
右の前脚が胴体から切り離され、ただの肉塊として地に落ちる。その結果を以ってしても不服なのか、愛美は舌打ちをひとつ。
「躱された……!」
恐らく、取り込んだぬらりひょんの力だ。変革が起こらず、そのままの力として使っている。疑問は残るが、こちらに有利に働くのなら拘泥しない。
耳をつんざく悲鳴には、今起きた現象への疑問すら含まれているようだ。なぜ斬られたのか。枠外の存在、その端末である体に、どうして人間如きが傷をつけられるのか。
分からなくて当然だろう。いや、こんなやつに理解されて堪るか。
俺たちが、あの世界で繋ぎ紡いだ、時間と記憶を。その果てにある想いを、力を。
「シュトゥルム!」
右腕の鎧が、輝きを増す。
織だけではない。この場にいる仲間たち全員の持つ、心の輝きが。輝龍の力と呼応する。
「そろそろ終わらせようぜ、赤き龍。俺たちの未来に、お前は必要ない!」
残った片翼で空へ飛び上がる赤い巨体。それに追従して、織はさらに空高くへ舞い上がる。月の明かりや星の輝きを背に、神々しさすら帯びた魔法陣を展開する。
強く右腕を突き出せば、無数の光が鏃となって降り注いだ。
「天を堕とす無限の輝きォォォォ!!」
か細く光の鏃ではあるが、それぞれが絶大な威力を秘めている。赤き龍の強固な鱗も貫き、小さな風穴をいくつも空けて大地へと叩き堕とす。
赤黒い血で染まった体は、わずかな身じろぎと呻き声が漏れるだけだ。その傷も、徐々に塞がり始めている。
トドメを刺すなら今しかない。
隔離したこの空間内で撒き散らされていた魔力が、一箇所へ収束していく。
ロングコートをはためかせた、仮面の敗北者。織と共にこの新世界で、まだどこにも記録されていない未来を求めた少女の、その右脚へ。
「せっかく手に入れた現在なんだ……ようやく未来を見れるようになったんだ! 私は絶対に、この時間を手放さない!」
宙に浮き、叫びと共に瀕死の赤き龍へ突っ込んだ。朱音の右脚が龍の眉間を捉え、大爆発が起きる。
魔導収束によって吸収した絶大な魔力を、相手の体内に直接撃ち込む技。
爆発の余波による煙が晴れた頃には、赤き龍は跡形もなく爆散していた。
肩で息を切る朱音。今の一撃に全力を注ぎ込んだのだろう。グレイとの決着時にも使った攻撃だ。相当強力な大技、消耗も激しいはず。
思えば、娘にはかなり無理をさせてしまったか。空間隔離の銀炎もそうだが、織自身が不甲斐ないせいで、他にも色々と。
まずは一言労ってやろと朱音の元へ駆け寄れば、全く同じタイミングで愛美も。
家族三人、顔を見合わせて。最初に堪えきれなくなったのは、情けないことに織だった。
「もう、なんて顔してるのよ」
困ったように眉根を寄せた愛美が、仕方ないわねとでも言うように。涙を流す織に、一歩寄り添う。
「悪い……もう絶対、ダメなんだって思ってたから……」
もう二度と、旧世界での愛美とは、桐生織と結ばれたあの少女とは、会えないと思っていたから。
新世界での愛美がどれだけ変わらなくても、やはり織の中にしかその記憶はなくて。旧世界でのことがなかったことになんてならないと、頭では理解していても。どうしても寂しさは拭いきれなくて。
なのに、またもう一度。
織の大好きな少女と出会えた。
殺人姫と呼ばれて恐れられ、己の弱さと必死に戦う、どこまでも優しくてなによりも正しい、強がりな女の子と。
「最近の父さん、涙脆くなりすぎだよ」
「たしかに。そう言えば花見の日も、ちょっと泣いてなかったかしら?」
「仕方ないだろ、そんだけ嬉しいんだから」
クスクスと微笑んでいる二人の少女を、腕を広げてギュッと強く抱きしめた。
涙は全く止まる様子を見せず、愛美はあやすように織の背中を叩いている。
他の誰よりも大切な家族だ。
もう絶対に、手放さない。
◆
『ぐッ、ごほっ、がほっ』
どことも知れない、鬱蒼とした森の中。背の高い木々の間からの木漏れ日が眩しい。先程まで夜の空間に隔離されていたからだろうか。
忌々しく空を見上げれば、その太陽を背にして、灰色の髪を持った男が立っている。
「よくもまあ、あの一撃から逃げ果せたものだな。食った転生者の影響か?」
『灰色の吸血鬼……!』
満身創痍の赤き龍。本体との接続も切れ、ドラゴンの姿も維持できず。もはや戦う力の残されていない化け物の元へ、死神が現れた。
距離を置いて地上に降り立ったやつは、ゆっくりと、一歩一歩近づいてくる。
落ち葉や木々を踏みしめる音が、赤き龍にとって命の終わりへ向けたカウントダウンだ。
「中々に苦しいものだろう、ルーサーの一撃は。魔導収束で吸収した魔力だけではない。あれには時界制御も絡んでいてね。やつが普段使う、別の時界。そのエネルギーすらも一点に凝縮している。その上で、体内の直接撃ち込まれたのだ。普通なら耐えられんよ」
まるで我が事のように誇らしげな吸血鬼が、理解できない。
旧世界で、やつらは敵だったはずだ。
キリの人間と灰色の吸血鬼。その戦いの末にこの世界が生まれ、赤き龍の本体も不完全ながら復活を遂げた。
「いやはや、末恐ろしいものだ。いくら転生者とはいえ、やつは少し特殊な例。本来大きなメリットである転生前の経験も、少し偏りすぎているから機能しているとは言いづらい。実質ただの十四歳で、あそこまでの魔術を使えるのだからな」
しかし実際はどうだ。
過去の遺恨などまるでなかったかのように、やつらは共闘した。
「かくいう私も、あの魔術にやられてしまってね。直接受けた身からすると、直撃すればそこから逃げられるわけもないのだが、貴様はご覧の通りまだ生きている。探偵どもは感動の再会の真っ最中だからな、水を差すのも悪いから、こうして私が後始末に出向いてやった」
ついに、吸血鬼が目前まで迫る。
ククッ、と喉を鳴らし、その右手が頭を鷲掴みにした。
『なぜだ……』
「なぜ、とは?」
『理解できない……灰色の吸血鬼、貴様はなぜ、この世界を守ろうとする……』
「愚問だな」
体の感覚が消えていく。さらさらと風に流されていく塵は、自分の肉体が崩壊している証拠だ。
「私はやつらに負けた。そして勝者である探偵が選び取った未来が、この世界だ。ならば私は、やつらの未来を見届ける。それだけだよ」
ついに全身が崩れていく、その寸前まで。
赤き龍は、キリの人間の本質を理解することができなかった。
「人間は短命だからな。やつらが死んだ後も、その想いを、記憶を、繋いでいかなければなるまい。それが私の贖罪であり、この世界で与えられた役割だ」




