昔のようにわたしを呼んで
前回のあらすじ
アリシアさんが切れた
なんとかしてくれ…。それが今のウルフの胸中を占めていた。
基本執務室で仕事してることが多い愉快な部下達は、アリシアがフレームインした瞬間にガタガタ震えて縮こまるし、訓練の時に目をかけてしごいている後輩の冒険者にはなんか変な誤解受けていた。
ホモとかDV野郎とかどっから出て来たんだと問い詰めたかったが、一番厄介なのは、未だに出入り口を塞いでいるアリシアから放出される魔力が更に強くなって来た事だった。
最初は足下を冷たい魔力が漂うのみだったが、今はアリシアを中心にして吹雪のごとき威力で吹き荒ぶ魔力によって床や机が凍りかけていた。
一度吹けば人を死に追いやる自然災害を、たった一人で再現出来る実力を持っているのが、この冬とは無縁そうな明るい髪色をしたワンピース姿の美女だった。
彼女一人で混沌と化すのだ、もう一人加わったら間違いなく喧嘩が勃発して執務室が吹き飛ぶ事になっていただろう。彼女だけしかいないのは本当に不幸中の幸いだった。
ただでさえ、部屋の修繕費に予算を持って行かれているせいで、安い暖房をフル稼働させようやく暖を取れている部屋の温度をガクッと下げているアリシアを、なんとか宥めようとウルフはこめかみをグリグリと揉みほぐしながら思考を回す。
だが彼が解決策を導き出すより、アリシアが魔力の放出を止める方が先だった。
アリシアはやってられないと言わんばかりにため息を吐くと、そのままツカツカとウルフに詰め寄ってからの右腕を掴んだ。
「ちょっと班長を借りるわ。後片付けはお願いね」
「はいどうぞ!後の事はお任せを!!」
「班長でよろしければいくらでも貸し出しますのでどうか命だけはお助けをっ!」
(……アリシア…お前こいつらに何をしたんだ…)
あまりの怯えっぷりに流石に首を傾げて怪訝そうな顔をするが、気にしても仕方ないと切り替えたのかウルフを引きずって執務室を退出する。
去り際のウルフが見たのは、未だ震える3人を見て、おそらく同じことを考えたであろうニーアのドン引きした姿だった。
「…ここなら人通りは少ないわね」
アリシアがウルフを解放したのは割と直ぐの事だった。
ギルド職員も滅多に利用しない用具室に連れ込まれたウルフは、アリシアに解放されると同時に「またこいつ何か企んでいるのか?」と邪推した。
昨日さんざっぱら振り回されすぎたせいで、アリシアに対して若干人間不信気味になっていた。
「……その…ごめんなさい…」
「は?」
「…昨日の事…やっぱり怒ってるんじゃないかと思って…」
予想と異なり、申し訳無さそうな表情で謝罪するアリシアにめんくらったウルフは、彼女に気づかれないようにジリジリと少しずつ距離を取って埃臭い部屋から脱出しようとしていた足の動きを停止させる。
心無しか、少し泣きそうな顔をしてる彼女に若干気まずくなったウルフは、自分の頭をかいてまた彼女に向き合った。
「別にあれくらいで怒ったり嫌いになったりするような仲じゃないでしょうが…いやちょっと驚いたなあれは」
「ごめんなさい…最近あなたと会える時間が少なくなったし、イオやシェフィとばかり話しているからつい…」
「…別にスカディさんやシルフィードさんを贔屓してたわけじゃないって……あぁもう、ほら」
口だけじゃ説得力が無いと察したのか、ウルフは軽く腕を広げて、アリシアを迎え入れる。
対するアリシアは「ん」と吐息混じりに一言頷くと、吸い込まれるように彼の胸板に自身の顔を埋めさせてそのまま抱きついた。
いつからだったか、冒険の途中でホームシックになって人肌が恋しくなったアリシアが、ウルフに甘えてきたのが始まりだった。
最初は照れと、(社会的な)危機感からなんとかやめさせようとしたウルフだったが、無理に剥がそうとすれば力を込めて抵抗してくるし、説得しようとしたら、背骨をへし折らん勢いで抱きつく力を強めたため、最終的にこの抱きつき癖が治らなかったアリシアは、人目がない場所でする事と、ウルフが自分の意思で抱きついても良いと意思表示した時のみという条件付きで時々であるが今でもこうやって抱きついてくる。
こうやって甘えてくる時は大体寂しがっている時か、辛い事があって精神的に耐え切れて無い事が多いので、最近はウルフ自体もほとんど抵抗なく受け入れていた。
絶対役得だからでは無い。
アリシアの暖かさとか、女性の象徴がガッツリ胸板で潰れているのを感じられるとかでは絶対無い。無いったら無い。
「…すけべ…」
「はいはい…ごめんなさい」
「…バカ…」
ウルフを非難しつつもアリシア自身も彼の胸板に自分の額をグリグリと押し付けてマーキングする。
これはしつけだ。気が着いたら自分より魅力的な女性に囲まれていたすけこましに誰が1番想っているか分からせるためのアピールだ。
別に役得とか思って無い。匂いを上書きするついでにウルフの匂いをいっぱい感じる事ができるから一石二鳥とか思って無い。無いんだってば。
「……そろそろ戻らないと不審がられるから、流石に離して欲しいんだけど?」
「……条件があるわ…」
ウルフの熱を堪能していたアリシアは視線をゆっくり上げて、上目遣いで彼にぽつりと、ずっと言いたかった気持ちをウルフに伝える。
「…昔みたいに…あなたが班長になる前みたいに、わたしの事をアリスって呼んで」
「…殿下を愛称で呼ぶのは、流石に気が引けるな」
「下手な敬語すら使ってない癖に今更何言ってるのよ」
ほら早くと、ウルフの背中をペチペチ叩いて懇願するアリシアに色々と毒気を抜かれていた彼は、小さく、たった二人しかいない狭い部屋で、彼女にしか聞こえないないような小さな声でアリシアを呼ぶのだった。
「……アリス…」
「…もう一回言って…」
「アリス…」
「耳元で囁いてくれたらサービスしちゃうかも。」
「調子に乗らない」
「冗談よ…」
満足したアリシアはウルフの背中に回していた腕を外して、彼を解放する。
ウルフは自分が場の雰囲気に呑まれて発言した内容を思い出して赤面していたが、想像以上の成果を得れて、非常に幸せそうなアリシアを見て思考を切り替える。
ここからは「ウルフ・ダイドー」じゃなくて班長として仕事する時間。…だがまぁ二人きりの時ぐらいは昔と同じ距離感で彼女と接してもバチは当たらないはず。
「ところで…アリス?夕方時間があるなら、おれと一緒に支部長に説明しに行って貰いたいのだが…」
「構わないわ。流石にちょっとはしゃぎすぎてしまったもの」
こうして二人は、歩き始める。
昔のように肩を並べて前に進んで。
ひとまず事務所に戻って、氷の処理をしているであろう後輩達を手伝うために。
二人一緒の時間がまた動き出した。
彼らが、いつか自分の気持ちの答え合わせをするのはもう少し先の話である。
(バカップルだ…)
(バカップルじゃねーか…)
(バカップルじゃない…)
(バカップルかよ…)
そして後ろをつけてきた後輩達に一部始終を見られていたのは、別のお話である。
信じられます?この二人これでまだ付き合っていないんですよ?