カカオと愛情以外は混ぜないでください
前回のあらすじ
変態ダイナミックエントリー。
今回でバレンタイン編は最後です。
静かだった。
執務室では静寂さを打ち消す様に、壁に掛けてある時計が秒針を刻む音と、不機嫌そうなウルフが書類にペンを走らせる音が響いているだけだ。
一見いつも通りに仕事をしている様に見えるウルフだったが、先程までの騒動で発生したロスを取り戻す為に必死に書類を確認しているのと、昼を過ぎて尚今年のバレンタインも碌な目に遭っていない為、ウルフの周囲の空間だけ気まずい雰囲気が流れていた。
そんな彼に気を使う様にもとい避ける様に距離を取る班員たちの中で、作業で手を動かしながら横目でウルフの様子を伺っている人間が1人…
(…相変わらず機嫌が悪いわね…)
アリシアだ。
彼女は、彼の補佐で書類を捌きつつ、ずっとウルフにチョコを手渡すタイミングを伺っていた。
欲を言えばライバルのいない人気の無い所で手渡すのが理想だが、残念ながらこの様子だとしばらくウルフを机から引き剥がすのは無理だろう。
彼女が作るチョコといえば、世の男性諸君や彼女のファン(ガチ勢)が喉から手が出るほどに欲しがる彼女特性のプレミア物。それもヴィクトリア王国の第二王女という立場の彼女が直々にチョコを手渡すとなれば、結構な大事になるのだが、そこら辺の感覚が若干麻痺し始めているアリシアはそれどころではなかった。
王族としての立場を半ば放棄しているアリシアは、どうウルフにチョコを手渡すかが頭の六割を占めているくらいには自分の立場を顧みていなかった。
(――恐らく捻くれた性格のウルフの事…馬鹿正直に正面から行っても、人目とか威厳を気にして受け取らない可能性がある……ならば勝負に出るのは夕方かもしくは……)
目の前で鬼気迫る勢いでペンを走らせるウルフの横顔を覗き込みながら思案するアリシアは、普段以上に駆け引きに集中していた。
そんなアリシアは巨大な龍を相手にした時以上にあらゆる状況を想像していたせいで、ウルフにチョコを渡すタイミングを計る彼女の先手を打つかの様に、彼に近寄る影を見逃してしまった。
「――ウルフ…今大丈夫かしら…?」
「………なんですか?」
スカディだった。
彼女は(今年も貰ったチョコを一緒に保管していた)冷凍庫(アネットの魔法で空間を歪めて内部を拡張して大容量に改造した物)から可愛らしくラッピングされた箱を抱えてウルフの前までやってくると、不機嫌そうな表情を取り繕うのに少し時間がかかったウルフが彼女の声に反応して顔を上げる。
(――イオッ?!このタイミングでっ!?)
完全に出遅れてしまった。
まさかあの空気を読まない事に定評のあるスカディとは言え、業務中に仕掛けてくるとは思いもしなかった。
色々な条件が重なって、明らかに機嫌が悪いウルフの様子に臆する事なく自らの目的の為に声をかけたスカディにアリシアが戦慄を覚えている間にも、彼女は後ろ手に抱えた包みを隠しながら恥ずかしそうにもじもじと内股を擦り合わせていたが、一度深く深呼吸をすると意を決して、頬を赤らめながらウルフの目の前に包みを突き出す。
「―――これ……バレンタインよ……本命…私からの!!」
(――い…いったぁぁぁ!?)
完全に先手を取られてしまったアリシアに衝撃が走る。
脳内のちびアリシア達が大慌てで対策会議を開くくらいには完全に出遅れてしまった。
普段と比べてしおらしい様子のスカディは、側から見ても普段とのギャップもあって可愛らしかったのが余計に彼女を混乱させていた。
恥ずかしそうに顔を赤らめ、羞恥心に堪えきれなかったのか涙を目尻に浮かばせながら上目遣いでウルフの様子を伺い、両手を思いっきり伸ばして彼の視界を埋めるくらいに可愛らしい包みを押しつけて、尻尾を忙しなくブンブンと振っていた。
はい。かわいい。
(……まだよ!いくらなんでもこのタイミングは早すぎるっ!!…あのバレンタイン嫌いなウルフが受け取る訳が……)
脳内アリシア緊急会議から戻って来たアリシアは、鋭い目つきでウルフに視線を飛ばす。
突然のことでフリーズしていた彼女と同様に、ウルフもまた困惑して固まっていた。
彼が執務室でチョコを受け取らないことを確信していたアリシアは、ウルフがスカディのチョコをやんわりと断ると予測し、彼女のリカバリーの体勢に入った………。
「――えっ………いいんですか?……ありがとうございます」
「よしっ!!」
(――あれぇぇ?!)
――が、事態はアリシアの想像を大きく裏切った。人生初の本命チョコを受け取ったウルフは、当初困惑して怪訝そうな表情を浮かべていたものの、嬉しそうに頬を緩めながらあっさりとスカディからチョコを受け取ったのだった。
思わずガッツポーズを取るスカディを他所に、バランスを崩して躓き掛けたアリシアは自分の読みが外れた事に対し、大いに困惑していた。
ウルフからしたら異性からの好意を無碍にするのもアレだし、ここはありがたくいただいておこう。と言った感じのニュアンスで受け取ったのだが、そこまで読みきれなかった彼女はそれどころでは無かった。
絶賛大混乱だった。
「――自信作……手伝って貰ったけど…開けてみて欲しい」
「あ…じゃあ遠慮なく」
(遠慮してぇぇぇ!!)
誰から手伝って貰ったかをちゃっかりぼかしたスカディは、渾身の自信作を披露したいのか、ウルフに包みを開ける様に催促する。
少し迷ったウルフは、一瞬だけアリシアに視線を向けると、ラッピングを解き、その中に包まれていた箱を開いたのだった。
何気に向けられたウルフの視線に気づかない程混乱していたアリシアにとってはそれどころじゃ無かったのだが。
「…………」
「どう?初めてにしてはよく出来たと思うのだけど?」
箱の蓋を少し持ち上げたら、密閉された空間から逃げ出す様に白いモヤが吹き出す。その様子にギョッとしたウルフは一度開けるのを躊躇うが、生唾の塊を飲み込んで意を決して開くと、卵型のチョコレートが箱に収められていたのだった。
緩衝材を挟んで詰められたその周囲に保冷剤としてドライアイスが詰め込まれて、それがモヤの正体だったと理解してホッとすると同時に、チョコレートの全貌に絶句した。
なんせ大きすぎるのだ。卵型をしているのは良いが、その大きさがダチョウの卵とほぼ同じ大きさを誇り、手に持つと箱の重さ込みでズッシリとした重量を感じた。
かなり重たい贈り物に思わず口元を引き攣らせるウルフを他所に、彼から視線を向けられたスカディは、鼻息荒く自信作の解説を行う。
「――中にアイスとかを沢山詰めてチョコで覆ってみたわ」
「――そ、そうですか…」
「少しずつ食べますね…」とあまりの重量感に若干ドン引きしながらも受け取ったウルフの様子に、満足気なスカディはスキップしながら自分の机へと戻っていく。
そんな様子に気が気でない人物が約1名……
(――こうなったら予定変更よ!!イオの2番手というのは癪だけど渡すならここしか――)
「――あっ。そう言えば私もばれんたいんのお菓子を持って来たんですよ」
「へー」
(ハヅキぃぃぃぃぃっ!?)
ここでまさかのハヅキ乱入。
彼女がバレンタインでチョコを配るはずが無いとたかを括っていた事が災いし、1番信頼できると思っていた(一方的に)思っていた人物からのは裏切りにあってしまう。(裏切った覚えは無い)
「――こっちのお菓子にあまり馴染みが無かったので故郷のお団子を作ってきたんですけど…」
(チョコじゃ無いですって!?)
いきなり変化球を放ったハヅキに衝撃を受けたアリシアは本人以外にはどうでも良い理由で追撃のダメージを受けてよろめく。
「アリシアさんもどうぞ。人数分作ってきたんですよ」
「――ぇ、…えぇそうね。………いただくわ……」
邪気の無い笑みではにかむハヅキから団子を受け取ったアリシアは、動揺で上擦った声を抑えきれない程に動転していた。
まさか、まさかのハヅキまでバレンタインに乗っかってくるなんて思いもしなかったのだ。
実際ハヅキ本人は、普段お世話になっている人に配っているだけなのだが、それに思い至らない程にアリシアは衝撃を受けていたのだった。
(――とられた…ハヅキに2番手を取られた……)
震える手に握った団子を口に運びながら、ハヅキから団子を受け取って狂喜乱舞している三人衆に視線を移し、「ハヅキは配ったのは義理だから。他意は無いから」と何度も自分に言い聞かせて動揺を沈める。
もうやるっきゃ無いと腹を括ったアリシアは、震える全身を隠さ無いせいで仲間からの心配を一心に受けながら、バッグに隠したチョコへと手を伸ばす。
何番でも良いからとにかく渡してやる。と開き直った彼女はウルフを見やりながら、机の側面に掛けていたバッグに手を突っ込んでハート型に象ったチョコに手を伸ばし――
「――ぁ…そういや戻って来る時にシェフィからチョコ貰ってたんだけど…」
「――がふ」
「どうしたお前!?」
思い出した様に懐からチョコを取り出したウルフの一言にアリシアは、顎を拳で撃ち抜かれた様な挙動で膝から崩れ落ちる。
別にウルフが彼女からチョコを受け取ったのが問題じゃない。
派手に崩れたアリシアを心配して駆け寄って来るウルフを他所に、吐血(幻覚)する程のダメージを受けた原因であるシェフィからのチョコにもう一度視線を向ける。
青の包装紙と緑のリボンで包まれたそのチョコレートは、奇しくもアリシアが造形したチョコと寸分違わず同じ形…要はポピュラーなハート型のチョコレートだった。
「……それ…それ…」
「――これか?……修練場で乱闘が起こっていた時にシェフィが場を収めながら配っていたんだよ。……ほら皆んなの分も預かってる」
違う。聞きたい事はそれでは無い。
恐らく毎年亡者達から大襲撃に遭うウルフの為を思ったシェフィは、あの乱闘騒ぎを鎮める為だけに今年はギルドに所属している者全員にチョコを配る事にしたのだろう。
職員、冒険者合わせて総勢300名を軽く超える人数分のチョコを用意するなんて、どれだけ労力を使う事なのか考えたくも無いが、そこは今はどうでも良い。
問題なのは自分含むシェフィからのチョコは大体が円形か、長方形なのに対し、ウルフが貰ったチョコだけハート型。
どう考えても本命だった。
あの大乱闘の場に割って入って争いを収めてその場に居合わせた全員にチョコを配り、彼女からのチョコを受け取って昇天仕掛けている亡者の集団を他所に、どさくさに紛れてウルフに本命を渡す。計算なのか、ちゃっかりなのか、天然なのかは分からないがそれはどうでも良いとして、1番手でハート型のチョコを先に渡されたせいで、遅れを取った上に形が被ったアリシアのインパクトが薄れるのは確実だった。
「〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
「何やってんのさっきから!?みっともないからやめなさい!!」
錯乱したアリシアは肩を借りていたウルフを振り解き、壁に両手をつくとそのまま何度も勢い良くガンガンと壁に向かって頭突きを叩き込み始める。
負けた。色々負けた。
実際誰も勝負とかそんな事頭に無いし、こういう時は楽しんだ者勝ちの精神の軽い気持ちでチョコを渡した者が殆どなのだが、バレンタインへの意識が高すぎるアリシアはそれに気づかないでいた。
額が赤くなるより先に執務室の壁の方が根負けして亀裂が走り始め、慌てたウルフ達が止めに入らないと執務室の風通りが更に良くなりそうだった。
壁から引き剥がしたは良いものの、未だに自棄になって暴れるアリシアを押さえ込むのは何人いても足りなかった。
「落ち着け!?アリス落ち着け!!今日いつもより変だぞお前!?」
「――ぱごっ!?」
「――ぴげっ!?」
「――ぽぅっ!?」
「もういっそのこと殺してぇぇ!!」
「何が有ったのお前!?」
ウルフに押さえ込まれながらも腕や脚を振り回した弾みで殴り飛ばした机でアインとゼフを蹴散らし、キールの股座を蹴り上げて何気に男性として再起不能の致命傷を負わせて沈める。
その様子はまるでおもちゃ屋さんでおもちゃをせがむ駄々っ子の様だが、人身的にも器物破損的にもかなりの被害を発生させていた。
「――くぅっ…殺せぇぇ!!」
「そう言えば班長!!アネットさんから皆んなの分のチョコをいただいてました!!」
「もうこいつが落ち着くなら何でも良いから早く食べさせろ!!」
ここで唐突に今日は技術班の方に顔を出しているアネットからチョコを預かっている事を思い出したハヅキが、アネットの机から長方形の小さな箱を幾つか取り出す。
ウルフとスカディは、2人がかりで押さえられて尚、涙目で大暴れするアリシアを大人しくできるきっかけになるなら何でも良いと、側から見たら突然発狂した様にしか見えない彼女の口に指を突っ込んで無理やり口を開かせる。
捕獲されたアリシアの振り回す両手足を警戒する様ににじり寄ったハヅキは、飢えたライオンの餌やりをしている様な緊張感で冷や汗を流しながら、なるべく彼女を刺激しない様にアネットからもらった箱から取り出した妙な匂いを放つ球体のチョコをアリシアの口に放り込んだ。
「――そりゃ!!」
「あむ―――何する………の………………きゅぅ………」
恐る恐る放り込まれたチョコは綺麗にアリシアの口に向かって放物線を描きながら飛んでいき、彼女の舌の上に着地。そのタイミングを見計らって指を抜いたウルフとスカディによって自由に口が動く様になったアリシアは、口の中に飛び込んだチョコを噛み砕き、チョコの苦味と鼻から抜ける濃厚なアルコールのツンとした香りに我に帰った彼女は、それを咀嚼して飲み込むとしがみついているウルフ達に苦情を発しようとするが段々と勢いが落ちて大人しくなり、瞳がとろんと蕩けて焦点を無くしていく。
それどころかゆっくり顔全体が真っ赤になっていくアリシアは、か細い悲鳴をあげて目を回すとと力無く膝から崩れ落ちていく。
「――アリシア……?………おいアリス?」
「――は、班長……」
甘い物を食べさせれば少しは落ち着くと思って適当にアネットからのチョコを食べさせたが、急に大人しくなりすぎたアリシアに怪訝な顔をしたウルフが彼女の名を呼びながら揺さぶって覚醒を促すも、全く反応が無かった。
何かに気がついたハヅキが震える声でウルフに声をかけ、振り向いた彼に向かって青褪めた表情のまま、アリシアに食べさせる為に包装を破ったチョコのパッケージの側面に記入された食品表示を怪訝な顔をする彼に見せつけたのだった。
「―――これ…原材料の所に「飛竜酒」70パーセント…って……」
飛竜酒……それは文字通り飛竜を丸ごと酒に浸けこんで十数年単位で寝かせて醸造する高価な酒の一つ。
後味のスッキリした爽やかな辛味が特徴だが、同時に矢鱈とアルコール度数の高いことでも名高い酒だ。
以前ロマンの庇護下にあった時、その場の勢いで水や炭酸水で割ってから飲むことを推奨される飛竜酒をストレートでラッパ飲みしたロマンが目も当てられない程にベロンベロンになってにローズにウザ絡みし、その後ブチギレた彼女によって2週間程消息不明になったのは、当時16歳のウルフに今後絶対にローズに逆らわない事を誓わせた忌まわしい記憶の一つとして残っていた。
どんどんとウルフの顔から血の気が引いていく。
その道の呑兵衛なら例え飛龍酒を飲んでもピンピンしているだろう。
しかしありとあらゆる能力が抜きん出ているアリシアだが、アルコールへの耐性だけは唯一平均的だ。
そんな彼女が原材料の7割を頭のおかしい度数の酒が占めるチョコを食べたらこうなるのは必然だった。
「水っ!!後担架持ってこい!!早くっ!!」
「――は、はいぃ!!」
冷静に考えればあのアネットさんが渡すチョコが普通では無いことを完全に失念していたウルフの凡ミスで、アリシアはノックダウンされたのだった。
アリシアの意識はここでは無い何処かの世界を漂っていた。
世はバレンタイン戦国時代。
男達は叶わぬ夢を追って無惨に散っていき。女達はライバルを蹴散らし、出し抜き想い人の為にと阿鼻叫喚の地獄を作り上げていく。
愛。友情。憎しみ。恨み。妬み。嫉み。僻み。………そして絶望。
長く続く愛故の悲しい戦争の中でいつしか人々は大義名分を忘れて争い。発達した化学技術によってとうとう悪魔の兵器を完成させてしまう。
その名を「多弾頭式高高度チョコナパームミサイル」。
湯煎によって溶かされ、百度を超える弾頭の中でグツグツと煮えたぎったチョコを遥か高高度から目標に向かってぶちまける為に落下していく悪夢の兵器。
世界各地で落とされたこの「多弾頭式高高度チョコナパームミサイル」によって森は熱く煮えたぎったチョコに焼かれ、海は茶色く染まり、人々はチョコの雪崩に飲み込まれて次々と姿を消していく。
太古から歩み発展を続けてきた文明は、バレンタイン世紀末によって呆気なく滅んでしまったのだった………………………………。
「――――はっ」
「……よぉ…起きたか?」
当ての無い夢の中を彷徨っていたアリシアの意識が浮上し、現実へと帰ってくる。
覚醒して直ぐに見覚えのある執務室の天井と、心配そうにこちらを覗き込むウルフ。そして窓から差し込む茜色の光から自分がだいぶ長い間意識を失っていた事を察したアリシアは、申し訳ない気持ちになり、内側から鈍い痛みを発する頭を押さえながらゆっくり起き上がったのだった。
「……皆んなは…?」
「仕事どころじゃなくなったからな……早めに帰らせたよ」
「………そう…」
チョコで世界が滅ぶ夢を見た気がすると呟いた彼女は、後頭部からウルフの堅い肉質の膝が離れていく感覚に名残惜しさを覚えながら周囲を見回し―――
荒れ放題になった執務室に絶句した。
「――――」
「お前も後片付けをして帰れよ?」
口元を引き攣らせてぎこちない動きで振り返ったその先では柔らかい声色をしたウルフが爽やかな笑みを作っていた。
だが付き合いがそれなりに長い彼女には分かってしまった。
一見優しく微笑んでいる様に見えるウルフが実は凄まじい怒りを抑え込んでいる事を。
さりげなく肩を軽く叩いてきた手が、獲物を逃がさない鷲の様に肩に食い込んで来ている事から激おこなのは間違いが無いだろう。
陽炎の様に噴き出て揺らぐウルフの真っ黒な怒気を目に焼きつけたアリシアは、顔から血の気を無くし、上擦った声で力の無い悲鳴をあげる事しか出来なかった。
「――大丈夫だよ〜。ちょっと残業するだけだからぁ〜………アリシアさんも一緒に残って後片付けをしようね〜」
「――い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!?」
「―――酷い目にあったわ………」
「――自業自得だろ……」
突如どこからともなく生まれた執務室の粗大ゴミを片付ける作業からようやく解放されたアリシアは、疲れ切ったげっそりとした顔色で帰路についていた。
マフラーをたなびかせて彼女と肩を並べて歩く死人の様な瞳を隠そうともしないウルフは、ガラクタを撤去するアリシアの傍で、ずっと嫌そうな顔をしながら、彼女の被害にあった書類の修復もとい作り直す作業に勤しんでいたので疲労度合いで行ったらアリシアと対して変わらなかった。
「…何よ?貴方だってわたしの口に飛竜酒を放り込ませたじゃない…」
「あれは暴れていたお前が悪い」
「じゃあ貴方だって部下をアル中に仕掛けました〜っ!貴方も悪い〜!!」
「アイン達を病院送りにしたお前が悪い」
「むぐぐぐっ!!」
正論で素っ気なく対応された事に腹を立てたアリシアは頬を膨らませながらウルフに食ってかかるが、更なる正論のボディーブローを連続で叩き込まれてとうとう何も言い返せなくなってしまう。
ふんと鼻を鳴らした彼女は早足でウルフを抜き去るととうとう雪が降り始めた夜道を歩いていく。
(………何よ…最悪じゃない…)
ウルフが小さく見えるまで突き放した彼女は、内心で重くのしかかってくる後悔から歩みが段々と遅くなり、最後には立ち止まってしまう。
今年は渡すどころか自分からバレンタインを台無しにしてしまったのだ。
誰にも負けたくないばかりで好意がから回って奇行に走り、挙句この始末だ。
情け無くて悔しくて今の彼女の心の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「――ほい。差し入れ」
「ひゃぁっ!?」
俯き、情けなさから滲み出る涙を拭うアリシアは、背後から溜息混じりにゆっくり近づいてきたウルフの手によって隙だらけのうなじにあったかい何かを押しつけられる。
思わず甲高い悲鳴を挙げて振り返った彼女は、涙がウルフに悟られない様に彼を睨みつけるも、湯気を立ち昇らせながら差し出された使い捨てのコップをそのまま手渡された途端にきょとんとした顔でコップの中から甘い香りを漂わせる何かに覗き込む。
「―――これ…」
「知らないのか?今日はバレンタインだそうだぜ?」
「あっ…」
「偶には良いだろ?男から女に贈るのも?」
お互いの頬が赤くなったのは、きっと寒さだけが原因では無いはず。
赤く染まった頬をかきながら背中を見せて去っていくウルフと、コップの中身にアリシアは忙しなく視線を行き来させる。
コップの中身がホットチョコレートだと察したアリシアは、それを飲み干すと空になったコップをゴミ箱に捨てて颯爽とウルフに向かって駆け出す。
「――ウルフっ!!」
息を切らせながら追い越したウルフの前に立ち塞がったアリシアは、バッグから取り出したハートを形取ったチョコを自らの口で齧るとそのまま欠片を口に含む。
突拍子のない行動に目を白黒させるウルフに飛びついたアリシアは、迷わずチョコを口に含んだまま彼の唇に吸い付き、彼と彼女の影が濃厚に重なる。
なんだと拍子抜けししたアリシアの肩が軽くなった気がした。
最初からこうすれば良かったんだ。愚直に。力任せに。真っ直ぐに。湧き上がるこの想いをウルフに伝えるだけで良かったのだと。
長く続いたキスは、息継ぎをする様に離れたアリシアが、頬を赤く染めながら満面の笑みを浮かべ、飾り気の無い愛の言葉を動転して口をパクパクとさせているウルフにしてやったりと告げるのだった。
「大好きよ!ウルフ!!」
雪が降る。しんしんと夜の街に降り積もる。
今日は2月14日。
年に一度のバレンタインをロマンチックに飾り付ける様に…。
バレンタイン戦争編 完
まあ、この話を書き終えたのは3月の頭なんですけどねっ!!!(自虐)




