意識してる時にされるとめちゃくちゃ動揺する
こっからちょっとシリアスに突入します。
前回と温度差が激しいと思いますがどうかお付き合いください。
夜のヘカーティアに奴はいた。
仮面で顔全体を多い、闇に紛れる露出を最小限に抑えた漆黒の衣装。
唯一露出した両手に包帯を巻いて徹底的に素肌を晒そうとしないその人物はこの領地で一番高い塔のてっぺんで、街を見下ろす男かも女かも分からない人物は、アリシアが写っている写し絵をビリビリに引き裂いて、眼下の街に捨て去り、その身を投げた。
「…嫌な仕事だが…やってやろうじゃないか」
依頼内容はただ一つ、この国の第二王女の暗殺。
獲物を定めた牙が、今アリシアに迫っていた。
私の名前は「静謐な牙」。
ただ貴女を咬み殺すだけ…
「……なんで、明日仕事だっつってんのに、こんなになるまで飲んだのお前?馬鹿なの?」
「………何も言い返せないわ…」
「女子会」改め「大惨事酔っ払い大戦」の翌日、二日酔いで体調を崩しているアリシアを引き連れたウルフは、昨日彼女がダイアウルフを殲滅した件のダンジョンの調査に足を運んでいたのだった。
二人で薄暗い通路を歩くその姿は、冒険中の冒険者には程遠く、酔っ払いを介抱する通行人みたいな絵面になっていた。
本来ならハヅキにも着いてきてもらう予定だったが、今朝担架に乗せられ虚な目をして「私の肝臓はもうダメかもしれません…」と哀愁をたっぷり漂わせて診療所に運ばれて行ったので、代わりにウルフが出張る事になったのである。
調査班に配属されてから不憫な目にしかあってないハヅキに対して、ウルフは「今度休暇を取らせてゆっくりさせよう…」と普段の倍労ることを決心したのだった。
因みにアネットには一ヶ月の禁酒を命じた。残当である。
もういいわと肩を軽く押して、ウルフから離れたアリシアは、青ざめた表情を俯かせてふるふると震える。
ウルフは大丈夫か?と心配するが、アリシアは別の意味でまずい事になっていた。
(…ウルフがっ!近いっ!あんな妄想したせいで意識しちゃってるっ!)
ウルフから離れたアリシアはさっきと打って変わって顔を紅に染め、荒ぶる心臓の鼓動を抑えようとしていた。
昨日の妄想(壁ドン)が記憶に焼き付いてしまったアリシアは、解散した後、寝るのを惜しんで更に妄想に耽り、ベッドの上でゴロゴロと転がりまくるぐらいには昨日の事が頭から離れなかった。
今ここに、薄暗い中二人きりというのが、余計に意識する原因にもなっていた。
妄想の中のウルフとあの後キスだけでなく、あんなことやそんなことやこんなことまでおっ始めてしまう嬉し恥ずかしな妄想をしたせいで寝不足のアリシアの頭は、現実と妄想の区別が付かない状態になっていたのだった。
(お願いハヅキ!!私達のせいだけど早く復活してっ!このまま二人きりだとどうにかなってしまいそうだわっ!)
アリシアは昨日ハヅキを見捨てた事を後悔した。
なんだったら戻ってきたハヅキに自分が使える権力全てを使って、騎士証を授与させるぐらいには彼女の思考は平常じゃなかった。めちゃくちゃパニクり倒していた。
(……アリス…お前、やっぱり…)
自分に背を向けて「あ〜」だの「う〜」だの唸っているアリシアを、ウルフは心配そうに見ていた。
実はアリシアには、前々から縁談の話が来ていたのだ。
お相手は、ヴィクトリア王国の有力貴族の一人であるベルナルド・エヴァンズ侯という親アリシア派閥の人物なのだが、ベルナルド侯とアリシアは、親と子くらいの年齢差があるため、ベルナルド侯が王家に潜り込んで権力を使って好き勝手する為に、アリシアを欲しているというのがウルフの見解だった。
それを裏付ける様に、ベルナルドは自分の領地で税率をいきなり跳ね上げて、払えない領民から財産を全て没収する等、悪い噂しか聞かない人物だ。
調査班にも何度かベルナルドの名で手紙を送られてきたが、中身はどれも「アリシア様は貴殿の様な薄汚い野良犬には相応しくないうんたらかんたら」から始まって、最後は大体「私こそがアリシア様に相応しいどうたらこうたら」で終わるので、ウルフは手紙が来るたびに中身に目を通したら直ぐに燃やして捨てるのだった。
ちなみに一度アリシアに手紙を見せたら凄く嫌そうな顔をしていたので、彼女はベルナルドをよく思っていないのが明らかだった。
極め付けは等々痺れを切らしたベルナルドが、今朝わざわざ使者を送って交渉しに来たのだが、その使者達が主人の横柄ぶりに相応しい様な小物で、貴族の使いである事をわざわざ強調して、オークのゼフをいびったり、「穢らわしい」とお茶を汲んで持ってきたゾンビのアインを蹴飛ばしたりしたのだ。
さすがに黙って耐えていたウルフがブチギレる寸前に、二日酔いと寝不足で機嫌が悪かった状態で出勤してきたアリシアが一部始終を目撃した事と、よりによって彼女本人の目の前でウルフを馬鹿にした事で彼女を本気で怒らせてしまい、お姫様とは思えないドスの効いた声と形相で使者達の尾骶骨を蹴り砕いてボコボコにした後馬車に押し込み、口汚く罵って「エヴァンズ侯を王国の貴族から外すぞ、これ以上まとわりつくな」(精一杯の要約)等と脅迫して、御者がいない馬車を蹴飛ばして無理矢理領地まで送り返したのだった。
助けられた筈のアインとゼフがこの件で更にアリシアを怖がる様になったのはまた別の話である。
(アリス……おれは…君に幸せになって欲しい…でもその時は…)
おれは君のトナリに居れるのだろうか?
ウルフの脳裏には、自分の事を政治の道具ぐらいにしか考えていなかったであろう大嫌いな父と、自分を人形か何かだと思い込んでいる唾棄すべき母と、大嫌いな長兄、長姉の顔が過ぎ去っていく。
もし……アリシアが、ずっと隣にいてくれるとしても……。
「…ウルフ?…ウルフっ!大丈夫なの!?」
「…あぁ、大丈夫。ちょっと昔を思い出しただけ…」
おれはアリシアを幸せにできるだろうか…?
獣の気配を先に捉えたのはウルフだった。
数は二匹、呼吸の荒さからして走ってこっちに向かっている…どちらも成体のダイアウルフ…それが背後からこちらに向かって一直線…
「……アリスっ!」
「ゑ?ちょっ!?え!?」
ウルフは咄嗟にアリシアを抱き寄せ、彼女の頭を左腕で挟んでアリシアの両耳を保護すると、背後のダイアウルフに向かってオルトロスを発砲する。
銃口から放たれた一発の弾丸は、角に弾かれて目論見通りに額を撃ち抜くことはなかったが、突然の攻撃に驚いたダイアウルフは二匹揃って怯える様な鳴き声をあげて、そのまま来た道を辿って逃げて行ってしまったのだった。
「……ダイアウルフが本当に地下にいるなんて…撃たれて逃げたって事は、狙いは縄張りに入ったおれ達の排除じゃなかった?…この先に走って目指す何かが………アリス?」
「………………」
ウルフからは見えないが、アリシアは茹で蛸になっていた。
突然抱き寄せられて頭の中が真っ白になっていたアリシアの脳内には、昨晩脳内でシュミレートしまくったアリシア妄想劇場の一つ、「俺から離れるなよ。絶対離さないぜ」の内容と酷似していた状況に頭がパンクした。結果……
「ガブりむしゃぁっ!!」
「いってぇぇぇぇぇえ!?」
噛み付いた。ウルフの左腕に、思いっきり。
いきなり噛みつかれたウルフは、アリシアを離してしまうのだが、当のアリシアはウルフから距離を取ると、手負の獣様に唸るのだった。
「ふーっ!…ふーっ!………よし落ち着いた!もう大丈夫よ!」
「何も良くねぇよ!何いきなり噛み付いてんの?!そりゃ何も言わないで抱き寄せたのは良くなかっただろうげどさぁ!」
「それは役得だったので今後機会があれば是非またやってください!!」
「会話は出来るけど話が通じてない!?」
重症だった……主にメンタル的にボロボロだった。この女自分で攻めるのは構わないが、基本ノーガードで懐が隙だらけな所為で、逆に迫られるのに弱かった。
アリシアはウルフ限定でチョロかった。
「お前大丈夫なの!?今朝から様子がおかしいんだけど!?やっぱちょっと気に病んでるとかじゃないだろうな!?」
「平気よ平気!!寧ろ全然元気になったから!役得だったから!!さぁ進みましょう!!!」
「何の話よそれ!?あっ馬鹿前見て歩け!そこ階段!!」
「……へっ?」
ウルフの方を振り返って早足で進み始めたアリシアは、下に向かう階段を踏み外して、あわや頭から転がり落ちそうになるが、咄嗟に伸ばした右腕をウルフに掴んで引き寄せて貰った事で、落下を免れる。
但し、引き寄せられたはずみでウルフの胸の中に飛び込んでしまったアリシアは、夜中しこたま妄想した「アリシア嬉し恥ずかし妄想劇場」以下略のシチュエーションを再び思い出してしまい……。
「…お前、やっぱり体調悪いんじゃないのか?…此処で引き返してまた明日……痛い痛い!?籠手着けた両手で殴るな!ミンチにする気かっ!!?」
「っ!…っ!!もぉ〜っ!!もぉ〜ぅ!!!」
「牛みたいな鳴き声出てるけど!?」
「誰の体重が乳牛並ですってこらぁっ!!?」
「言ってねぇよ!!?」
アリシア的には手加減しているつもりだが、ダイヤモンド以上の硬度を誇る不壊煌石の合金がふんだんに使われた籠手は、羞恥心で軽くポカポカ殴っているつもりでも、ウルフからしたらハンマーで軽く叩かれる程の衝撃が、ずっと連続して襲ってくるのだ。単純に痛かった。
アリシアが今朝の件で気に病んでいるのかと悩んでいるウルフだったが、実際はそんな事は無かった。ただのすれ違いだった。
じゃれているのか、喧嘩しているのか分からない二人だったが、下の階から複数のダイアウルフの鳴き声と、女性の悲鳴の様なものを耳にしたのは同時だった。
「……!アリス!」
「私も聞こえたわ!」
アリシアの殴打から解放されたウルフは、オルトロスをいつでも発砲出来るように再び弾を込め、アリシアは背負っていた鞘に納められた蒼銀の両手剣を抜刀して壁越しに下の階を確認出来る様に壁際に張り付く。
一瞬のアイコンタクトを合図に、アリシアが真っ先に階段を駆け降り、ウルフがそれに追従する。
アリシアの突破力でダイアウルフを蹴散らし、ウルフが女性を救出する段取りだった。
「ひゃあ、やめて…くれ、やめてくれ諸君!私を舐めたって美味しくないだろう!?あははこの甘えん坊どもめ!」
結論から言えば悲鳴の主人である女性は無事だった。
但し、まるで蜂球の様に女性に群がったダイアウルフが、彼女をペロペロと舐めまわして戯れていた事を除けばだが…。
想像と違う斜め上のおかしな光景に、突撃したはずのウルフとアリシアはずっこけて土埃まみれの床を転がり、思いっきり脱力してしまうのであった。
「あっははは!…ヒィヒィッ!…あっそこの二人組!ちょっと助けてくれ!流石にこのままじゃ外を歩けなくなってしまうあははははは!」
「………放って置いていいかしらアレ…?」
「知らんがな……」
あれ…シリアスってこれでよかったっけ?