表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

狂っている

作者: かな

 その日職場の上司に連れられて初めて出会い居酒屋なる場所にいった。彼女がいないまま10年、30代も半ばにさしかかり人生の岐路に立っていた。このまま結婚をしないまま一生を過ごしてもいいだろうし、一方で自分の子供が見てみたい。ただ自分の隣に女性が立っている姿が想像つかない。自分が家庭を持つイメージが全くわかない。一方を踏み出せない僕を見かねて上司は無理やり引っ張っていてくれたのだ。

 新宿歌舞伎町の雑居ビルの一室にあるそこは暗い雰囲気のお店だった。煙草の煙とむせかえるような香水の匂い。健全とは言い難い雰囲気であった。とりあえず勢いで案内されるままに席についた。

 目の前には3人の女性がいた。薄暗くてかつ化粧が濃く、年のころ合いはよくわからないが20代後半ぐらいだろうか。ちらっとこちらを見た後、興味がないように携帯をいじっている。お店のシステムとしてとりえあずいれば女性はご飯が無料ということで、ずっと張り付いている女性がいる、ということを後程ネット記事で読んだ。彼女らのお眼鏡にかなえばきっと何か動きがあったのだろうが、残念ながら僕は外れたようだ。上司は苦笑いでお酒を飲んでいる。何か自分が取り返しがつかないことをしている気分になる。とりえず愛想笑いをして女性たちに話しかけてみるも「ふん」「あー」「そう」のようないかにもどうでもいい相槌しか返ってこない。少し経つとお互いに目も合わさないシーンとした雰囲気になっていた。

 下を向いてちびちびビールを飲んで間をもたせながら、なんでこんな場所に来てしまったのだろうと考える。そこには焦りがあった。齢30を超え、周りの知り合いは結婚し子供を持った。両親はどんどん年老いていく。この先自分が社会の中で宙に浮いてデブリのようにふわふわとどこにも属さないまま漂って、何も残さないまま腐って死んでいく。それを想像するだけで身が凍えるような恐怖がふいに襲ってきて、眠れない夜もある。夢の中では温かい家庭を持って子供を抱いている自分がいる。幸せな気分で目が覚めるとせんべい布団でいぎたなく眠っている。そんな時は自分はなぜ生きているのだろうかと心底思う。


 僕は子供を持つ人を礼賛しているし、自分より価値のある人間だと考えている。

 

 理由を深堀っていくと、詰まるところそれは人間の価値は今後どうなるのだろう、という話に収束する。年収?むろんあるだろう。歯車の中でどれぐらいの値段が付くのかが明示され他者と比較しやすい便利なツールだ。地位?それもある。今まで積み上げてきた積み木がどこまでの高さに至っているのかを図るよい指標にる。名誉?一理ある。周囲からどれぐらい認められているのかを定量でなく定性的に図ることができる非言語的なパワーがある。つまり人間の価値の大きなものの一つに社会的価値がある。

 ただそれらはすべて可変だ。時代が変われば何もかもが変わる。人気職種を見るとわかりやすい。今やユーチューバーが子供のなりたい職業のトップ10に入っている。プログラムを小学校からするのは当たり前の時代だ。これから先もどんどん変わっていくのだろう。逆に例えば昔花形であった総合商社や証券会社はネット環境の充実にともなその地位を相対的に落としている。ベンチャーやユニコーンといった言葉も当たり前になり、大学生は大手企業に勤めることだけが成功事例ではなくなってきた。逆に昨今の世の中の不安定さで一昔前までは担い手のいなかった公務員が人気職業いもなっていると聞く。

 そして今後はAIの進化により人間の地位や名誉や金などの社会的価値はますます兌換性を帯びてきてコストと比較されるようになる。そうすると総和は減っていくのだ。AIの方が有能だからだ。「あなたじゃなきゃできなかった」というのがどんどん減っていく。「AIにやらせたほうが安いし安全だし確実だ、人間よりも」その考えが当たり前になってきている。人間は馬鹿だ。物事を追求するあまり自分たちの存在価値をどんどん消している。いきつく先は大多数の人間が存在価値をなくすという不幸に他ならない。アインシュタインは世の中の不思議を合理的な説明に置き換えることに夢中になって、いきつく先で原子爆弾を作った。人間の追求心は人間を殺す。何も猫に限ったことではない。世の中が便利になればなるほど人間がいらなくなっている証左だと誰もが気づかないふりをしている。

 そんな中で唯一変わらないことがある。それは自分唯一の精子と卵子だ。人間の生物的価値だ。地位や名誉や金が兌換性を帯びてくるにつれ、AIでは兌換し得ない人間としての生物的価値が向上してく。つまり人間の今後の価値は生殖が重きを置かれていくとそう思う。

 一方で生涯未婚率は高まってきている。50代の4人に一人は生涯一度も結婚していない。90年には20人に一人だったことを考えると驚異的な伸びである。つまり生物としての価値を放棄している僕のような人間が増えている。これも要因としては「人間価値の兌換性の向上」があると思う。人間の社会的価値の減少は僕らにむなしさを与えている。人間ってこんなに簡単に置き換えられるんだ、と。それはつまり自身の否定に他ならないわけであり、社会的価値を自分に見い出してきた人間は根源を否定されたような気分になっている。そんな中で結婚して子供を育ててる人のなんと立派なことだろう。この状況の中でも自分の存在価値を手放さずに社会に根を張って生きているのだ。

 

 しかし僕のような人間からはその行動が理解できない。付き合って結婚して子供を持つために何度もセックスをして時には不妊治療をして子供を作る。そこに至る労力は限りないものであり、子供が生まれたら今度はその子供を一人で生きられるまで育てなければならない。自分の生き方をまるっと変化する必要が出てくる。なぜそこまでやれるのだろうか。そこまでの価値があるのだろうか、理解できない、と。

 なぜ理解できないか。生物としての本能が理性に負けている、つまり自分は生物的に劣った人間だからだ。理性やロジックを意識するあまり、情動やエモーションなどのもっと大事なものが欠けているのだ。言うならば僕のほうが劣っているし狂っている。そして自分に自信がないのだ。だから比較が容易な社会的価値を求めて、自分唯一な生物的価値を忌避する。そして昨今のAI化により自分の価値低下が明らかで、それが自信のなさにつながり、という負のスパイラルに陥ってただ年月だけが過ぎていく。なんて情けないんだ。つまりは劣等感である。


 とここまで考えたところで居酒屋の店員からテーブルチェンジの旨が伝えられる。僕と上司はむしろ解放された気分になって、隣のテーブルに移動する。そして同じ光景が繰り返される。感じのいい雰囲気と理想的なスタイルをした女性が座っていて、僕だけの話を僕だけの目を見てしてくれるなんて世界はありえないのだ。あるのはただ無関心と携帯電話を見る女性の姿だけ。


 2時間後、割高な料金を払い居酒屋を出た。上司がぽつりと「今回は相性悪かったけど何回か繰り返せばうまくいくから」と言い訳のような言葉を口にする。その上司はすでに結婚し子供もいて、今日は僕だけのために高い金を払って付き合ってくれた僕より価値のある人間だ。だから僕はとても申し訳ない気持ちがして「せっかくセッティングしてくださったのにすいません」とつぶやく。そしてお互いに苦笑を浮かべて黙って新宿駅まで歩いて帰っていく。

 雑踏の中で僕だけがぷかりと浮かんで存在していない気になる。何もなさないまま僕は帰ってまたオナニーでもするのだろう。そして僕の唯一の精子は毎日の紙屑に包まれ何もなせずにごみ箱に捨てられる。1回の射精で出る精子の量は2億個。僕はオナニーするごとに日本人全員足してもまだ足りないほどの可能性捨てている。それを見ると自分が罪深く、深く狂っているような気になって一人自己嫌悪に陥るのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ