幕間 天使へカトル
一人の男は、イライラを隠せないままツカツカと音を鳴らしながら歩いている。
その度に純白の両方の翼が動く。
ここまで腹正しいのは、久方ぶり——と言うわけでもなく、この人間に会うたびに胃腸がやられる程苛立ってしまう。
「……そこの下級天使。いいですか」
男は、何枚も書類を持った下級天使——片翼しか持っていない——に話しかける。話し掛けた瞬間、下級天使は背筋を伸ばした。
「天使ヘカトル様! 何なりとお申し付けくださいませ!」
男——上位天使のへカトルは、ため息交じりに話す。
「キグレ様を見かけませんでしたか」
「御身と会談中でございます!」
ため息を吐いた。最近、こればかりだとへカトルは感じてしまう。
「主ならば仕方ありませんね。では、見かけましたら第59会議室でお待ちしておりますとお伝え願います」
「はっ! かしこまりました!」
下級天使は返事すると主神の間に向かう。まさにそこでキグレと主が会議——と言う名のお茶会をしている真っ最中だ。
このお茶会も有意義な物ならば文句はないのだが、全てを極めし者である主の暇つぶしでしかない。ただお話をして、飽きたら解散する。それだけの会——もし、へカトルが参加したら絶対に主を退屈させない自信があった。
「……主と話したのはもう10年前ですか」
第59会議室に向かう中でふと思った。何万といる天使の中でも、下から数えた方が早いへカトルを気にかけてくれる日は訪れない。だからこそ、10年前に一言だけ話したあの日を何度も思い出す。
それだけがへカトルの癒しだった。
★★★★★
へカトルは、第59会議室で待機してから三日が経った。もうそろそろ訪れるだろうと背筋を伸ばした時、突然視線を感じた。
「久しいのうへカトル」
「お久しぶりでございますキグレ様」
へカトルはすぐさま椅子から降りて跪く。いつの間にかキグレは対面にある椅子に堂々と座っていた。
キグレと対面すると冷や汗がツゥーと一筋流れた。視線だけで殺されてしまいそうな雰囲気にへカトルは、ツバを飲み込む。
「儂相手にそれはいらんよ」
「いえ、″序列1位″の勇者様ですから」
「……はあ。硬いのう——では、座れ」
は! と返事をしてから背筋を伸ばして座った。そしてへカトルは、今回の話し合いが行わられている理由を話す。
「もう主とお話になったかと思いますが、今回は”人間界”のどちらに出かけられていたのですか?」
「魔界じゃぞ」
キグレの言葉にへカトルは椅子から転げ落ちそうになった。寸前の所でグッと堪えたが、顔は止まったまま。
「な、なんで勝手な事をするんですか!」
「よいじゃろ別に。戦争が楽になるんじゃから」
「い、いえ……そうではなくてですね。それで、何を斬り殺したんですか?」
へカトルは、キグレが観光だけで終わらせるとは思っていない。魔界に向かったのなら絶対に殺害はしてくる。それ自体は問題はない。むしろ、気持ち悪い魔族を殺してくるのだから気分爽快なくらいだ。
だが、精密に立てられた戦争の計画に支障が出るかもしれない。以前もキグレではない勇者が獣族を独断で襲ったおかげで勇者は死亡。更に獣族約100名も逃げられてしまい、今はどこに居るか分かっていない。
遂に”魔猪族”だけでなく獣族そのものを絶滅する作戦があったのに無駄になった。
だからこそ、キグレの返事によって今後の方針が大きく変わる。
「トカゲじゃよ」
「トカゲと言いますが、そんな魔族はいませんよ。獣族ならいますが」
キグレのため息が聞こえてきた。へカトルは、からかっているのかと問いかけようとした時、キグレは話し出した。
「魔竜王じゃよ……全く天使どもは頭が固くて嫌になるのう」
「え、今なんと申しましたか!?」
次こそ椅子から転げ落ちた。まさか現役魔王を斬り殺して来たと発言したのだ。
「バーニックじゃ。竜人の村を5つ程、燃やしたら出てきてのう。ついでじゃったから頭から真っ二つにしておいたわ」
「そ、そんな……買い出しのついでみたいに言わないでください! これがどれだけの影響が出ると思いですか!」
「天使風情が勇者に指図するでない」
キグレがニヤリと笑いながら言っていた。細められた黒目が異様な不気味さを持っている。
背筋が凍りそうな雰囲気を持っているが、味方だから警戒しなくて済む。
「……そうですね。主もご存知でしょうし」
「あやつも知っておるよ。何にせよこれで魔王は四体。そろそろアハバを殺して終わりじゃ!」
へカトルは、ため息を吐きたい気分を我慢してキグレに賞賛の言葉を掛ける。確かにキグレが行ったのは独断中の独断。だけども、他の勇者や剣聖、賢者に比べて圧倒的な強さを持っている。だからこそ、魔王ですら単体で勝ててしまうから文句は言えない。
「キグレ様の言う通りかもしれません。我々が動くよりも勇者様が動いてくださった方が最速で占領できます」
「そうじゃろう。儂は飽きるまで手伝うだけじゃ——では、帰る」
「……かしこまりました。本日は来て頂きありがとうございます」
瞬きするよりも早くキグレの姿が消えた。その速さに見慣れた筈なのに驚いてしまう。
数分ほど経った時、へカトルも扉を開けて外に出る。その時だった。猛烈な勢いで頭の中に声が響き出した。
「『へカトル』」
男性とも女性とも取れない魅惑な声をへカトルは忘れていない。いや、忘れようとしても本能として刻まれた声を聞いてその場で跪く。
「お呼びでしょうか!」
「『10年ぶりでしょうか。お元気そうで良かったです』」
「わ、私の事を覚えてくださったのですね!」
感激のあまりへカトルは泣き出してしまいそうになる。しかし、御身の邪魔にならないように強く唇を噛んで感情を止める。
「『もちろんです。天使は我が子供ですよ』」
「有難きお言葉に恥じぬよう、身を粉にします」
「『へカトルは、やる気十分で良いですね』」
声しか聞こえない筈なのに、ニッコリと微笑みを向けてくれている様な気がした。ただそれだけで昇天してしまいそうになる。
「『では、忠実なへカトルに神託を』」
「はっ!」
へカトルは、ここから先の言葉を一語一句、聞き間違えない様に集中する。これだけ集中したのは、生まれて初めてだった。
「『半魔を滅しなさい。順番は好きにしていいです』」
「かしこまりました。直ちに作戦を立案し、遂行致します」
「『宜しい。では、炎竜の一部を受け渡します。また剣聖の一人を向かわせますので、共に歩みなさい』
「はっ! 必ずや半魔の首を御身に掲げます」
深々と頭を下げる。すると、気配を感じなくなった。
これで話は終わったと実感した瞬間、冷や汗が出てきた。
たった一分しか話していないのに、全神経を総動員して話していたからだろう。
とても疲れたが、同時に今すぐ飛び回りたいくらいの高揚感に包まれている。
「手始めに……」
上機嫌なへカトルは、声高らかに宣言する。
「ドワーフから殲滅しますかね!」
そのまま光の粒子になってへカトルは消えた。
人間側は、闇の領域を魔界と呼んでいます。
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