魔猪王の思惑
「どうしましたか」
ドゥクスは何も返答しなかった。
そこに深い意味があると踏んでいたアシュバにとって長い時間だと思ってしまう一瞬が流れた。
アシュバの隣にズーズンがやってきた。牙を見せつけて今にも飛びかかりそうな態度なのはアシュバの身を案じているからであってズーズンも今の雰囲気を感じている。
「……簡単ナ事ダ」
ドゥクスの声が更に重たくなる。
これから語る言葉を聞き逃さないようにアシュバは集中して大きな耳を傾けた。
「——我ハ誓ッタノダ。ソフィア様ノ魂ニ。何度生マレ変ワッテモ仕エルト」
「信じ難いですね……それはソフィア様の前世と言うのですか」
アシュバはドゥクスの言葉に対して目を細める。にわかには信じ難い。そう思ってしまった。
「前世ヨリモ前ダ。詳シクハ言エナイガ、今ノソフィア様デハナクテモ嘗テノソフィア様ジャナイト分カッテイテモ我ハ命ヲ捧ゲル——」
ドゥクスは多くを語ろうとしない。
それだけならば当然、信じられないのにアシュバはドゥクスの瞳を見て信じようと考えた。
この瞳はあまりにも真っ直ぐで真摯な瞳でありながら情熱を持っているのが分かる。
これも知恵者だから判断できる事なのだと自分に言い聞かせいた。
「それが聞けてよかったです」
アシュバは、笑顔を向けてドゥクスの近くに歩み寄る。そしてカラになっていた器に酒を汲んだ。
「これから私達は本当の同志です。末長くになれば良いですが」
「……スマナイアシュバ殿。長クハ無理ダ」
ドゥクスの雰囲気が暗くなった。
異様な空気に酒を汲む手が止まる。
続けてドゥクスが口を開いた。
「我ハ今夜、ゴガガヲ攻メル」
「そんな」
「ソフィア様ガ降リ立ッタ時カラ決メテイタ事ダ」
覚悟を決めた声だった。
死ぬ前提に話しているとアシュバは少ない会話で読み取った時、ドサっと音がした。
「え、どういうことなの」
いつの間にか戻っていたソフィアが鹿を落とした。
主人の帰還に気が付かなかったアシュバが慌てて席を譲ろうとしたが、ソフィアはその場で声を荒げる。
「死ぬつもりなの!?」
アシュバが見てもソフィアとドゥクスが戦えばソフィアが勝つ。
そのソフィアがゴガガと戦った経験から推測しての発言なのだと簡単に推測できる。
推測は出来るのに——アシュバは己の無力さからその場の空気をまとめる方法を持っていない。
「ソウデス——短イ間デシタガ、魔猪族ニ恩恵ヲ与エテ下サリ、アリガトウゴザイマシタ。今後モソフィア様ノ安寧ヲオ祈リシテオリマス」
ドゥクスが鼻を押し付けて礼を述べる。
アシュバには礼というよりも遺言として聞こえた。それはソフィアも同じようだった。
「私達は出会ったばかりなんだよ! それなのになんで命を捨てようとするの!」
「ソフィア様ガ生キテ暗黒宮ヲ出ル為デス」
アシュバはこの会話を止めたかった。
けれども、ドゥクスの覚悟を邪魔してはいけないと足を踏み止める。
「そんなの……私は頼んでないよ」
ただ地面を見ることしか出来ないアシュバは、ソフィアの声を聞いて顔を上げる。ソフィアは大粒の涙を流していた。
「我ノ勝手ナノハ重々承知シテオリマス」
「きっと他にあるよ……誰も犠牲にならないでここを出る方法が」
ソフィアはドゥクスの声を聞きたくない。そうアシュバには感じて仕方ない。
「モウ、ココニ来テ”100年”ガ過ギマシタ。大勢ノ仲間ハ死ニ、我モ四足デ地面ヲ支エルマデ退化シマシタ」
ソフィアは涙を流し続ける。
その涙に含まれた意味を、アシュバは知っていたのと同時に罪悪感が生まれた。
アシュバはソフィアを安心させようと100年間を3年と偽っていた。
だからこそ、ソフィアの想いを知っているのに——アシュバも声に出してドゥクスを止めないといけないのに、声が出てこない。
「元カラ残リノ命ハ獣ニ堕チテ死ヌ身デス。モウ我々ニハ時間ガ無イノデス」
「それなら私が!」
ソフィアが声を張り上げた時、魔猪族が集まってきた。全員が死を覚悟している顔だった。
「後ハ頼ンダゾ……新シイ友ヨ」
ドゥクスが言った瞬間、魔猪がソフィアに向けて走り出す。
アシュバにとっては咄嗟のことで避けられない突進も【竜皇気】を理解し始めたソフィアには簡単に避けられるとアシュバは思う。
「やめて、みんな!」
「ブギブギ!」「ブギイイ!」
一匹目が躱されると囲んでいた魔猪達が一斉に突進を始めた。
「なんで!? どうしてなの!」
「オ許シ下サイ……ソフィア様」
ズーズンが慌ててソフィアと魔猪族の間に入る。そしてソフィアを守るために火を吐こうとした瞬間、一匹の子魔猪が何かを投げ飛ばした。
「キャン!」
それは糞だった。
子魔猪は、ズーズンの生命線とも言える鼻を潰すために激臭が詰まった糞を投げ飛ばして一瞬でも怯ませようとしていた。
「トギアまでどうして!」
ソフィアの声で小魔猪——トギアが身を震わせたが目を瞑っていた。
ズーズンが動けなくなったからアシュバは、洗脳魔法を発動させようとしたが……寸前で魔法が聞こえた。
「【土魔法・土壁】」
アシュバを半円型の土が覆った。
どこにも逃さないように、邪魔をしないようにという念が伝わる。
「新タナ友ニ怪我ヲ負ワセタクナイ」
ドゥクスの魔法を打ち破ろうと拳をぶつけたが強固すぎて破れない。
暗闇の中、ソフィアの声と魔猪達の声が聞こえてくる。
「どうして、どうしてなのドゥクス!」
「申シ訳ゴザイマセン。コレシカ道ハナイノデス」
ドゥクスの声が聞こえた時、水の音が一気に響いた。
そして水はソフィアに当たったのか、あれだけ荒げていた声が聞こえない。
代わりに聞こえてくるのは、獰猛になったズーズンの声だった。
「何をしたんですかドゥクス! ソフィア様は無事なんですか!」
壁を必死に殴って、殴って、殴りつけている内に血が出てきた。けれどもアシュバは気にしているほど余裕はない。
「酒ヲ浴ビテ貰ッタ。弱点ガ同ジデ良カッタ」
「酒を!? それでソフィア様は!」
「酔ッテ眠ッテイル……サテ、女王ヴォルグヨ。我ハゴガガノ所ニ向カウ。ソノママ、ソコニ居テクレタラ、無駄ナ血ヲ流サナイデ助カルノダガ」
ズーズンの唸り声が響いてくるが、距離は遠いままだった。きっとソフィアを守るようにその場から動いていないとアシュバは考える。
「元カラ狼ダッタナ女王ヨ——デハ、冥界デ会オウ友ヨ」
ドゥクスが命を落としてまで決めた覚悟の声。遠くなっていく足音。何も出来なかった自分。
ソフィアは多くの涙を流して抗議していた。ドゥクスを失いたくないから、どうにかして生き残って欲しいから。
アシュバにはその気持ちが痛いほどに分かる。アシュバもソフィアを失いたくないからだ。
だからこそ、今も進軍を続ける新しい友を誇りに思う。
むしろアシュバは、後悔が押し寄せてくるがこれで良かったと思う。
ソフィアが怪我を負うくらいなら誰かが犠牲になって……ゴガガの体力を削るべきだと。
だから、だから。アシュバは……。
真夏ですね!暑くて溶けました!




