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第四話

 ニコラス様との結婚生活は、とても穏やかなものだった。

 ニコラス様の両親は隠居しているらしく、今この屋敷で暮らしているのは私とニコラス様と使用人達だけ。結婚式の時に彼の両親には「私たちには何も気を遣わないで、二人で新生活を楽しんでね」と言われていたが、まさか本当に二人で新婚生活を送ることになるとは。正直驚いた。

 ニコラス様は「余計な気を遣いやがって」とやさぐれていたので、気を遣ってくれてこの状態になっているらしい。別に一緒に暮らしたらいいのではと思って一度手紙を送ってみたのだが、


『新婚生活を楽しんでね!当分帰りません。孫ができたら帰るので、教えてください』


 という手紙が送られてきたので色々と諦めた。

 二人で暮らし始め、いつしか一年になろうとしていた。安らかに過ごせる日々を約束するというその言葉に違わず、ニコラス様は私に安寧の日々をくれている。


 基本ニコラス様は仕事詰めで職場に篭っているけれど、帰れる時は夜遅くに家に帰ってきてくれて、寝る前にぽつりぽつりと私と話をした。

 魔法の話題が中心になるのかと思いきや、意外や意外。面白い小説があるだとか、あそこの店が流行っているだとか、ニコラス様の口から出てくるとは到底思えなかった話題ばかりで驚いた。

 屋敷の使用人達がこっそり教えてくれたのだが、魔法以外のことに疎いニコラス様は周囲から話題を頑張って仕入れてくれているらしい。魔法の話ばかりでは退屈だろうという、不器用なニコラス様なりの気遣いなのだと古株のメイドが涙ながらに教えてくれた。

 私はそんなニコラス様の努力がこそばゆかったが、別に魔法の話題は嫌いではない。だから朝食の時に魔法の話ばかりでも構わないと伝えてみたのだけれど、ニコラス様に断固拒否されてしまった。


「息抜きも必要だ」


 魔法のことにしか興味がなかった主人のその言葉に、古株のメイドは下げていた銀のお皿を盛大に落とした。


「も、申し訳ありません!」

「なんだ、何をそんなに驚いている」

「だって坊ちゃんからそんな言葉が出てくるなんて…今日は嵐でも来るのでしょうか…!?」

「失礼なやつだな」


 不機嫌そうに顔を顰めるニコラス様を前に、目の前の主人のことなど気にせずおよよと大袈裟に泣き出すメイド。

 なんだか既視感があるなと思って見ていると…実家でも似たようなことがあったのを思い出した。あれは兄が義姉と交流を図ろうと努力している時だったか。

 魔法省の研究室勤めの者がいる屋敷では案外あることなのかもしれない。きっと、多分。


 他にも似たようなことが何度か起きていて、この前も執事長が「あの坊ちゃんが…魔法狂いの坊ちゃんがまともな人間になって…!」と泣いているところにたまたま遭遇してしまってどうしたらいいか分からず、そっとその場を後にした。


 魔法以外は何でもいい。興味ない。

 それがニコラス様のいつもで、だからこそ魔法以外に関心を持とうと努力する彼の今の姿に、使用人達は驚いているようだった。

 食事も必要最低限しか食べず、部屋に篭って研究漬け。酷い時は食事もまともに摂ってくれなかったらしい。だからニコラス様はあんなにガリガリの不健康な見た目をしているのだ。

 結婚が決まってからは食事をきちんと摂っているようで、屋敷の使用人達に「奥様は我々の救世主です…!」と大袈裟に褒め称えられてしまって、今現在進行形で妙な居心地の悪さを感じている。

 それ以外は本当に穏やかだ。それ以外は。


 ただたまに、ニコラス様は突然奇行に走る。

 結婚して一ヶ月が経った頃だったろうか。古株メイド…ミアさんの悲鳴が聞こえてきて急いで声の方に向かうと、玄関ホールに金髪碧眼の知らない男性が立っていた。

 怖いので物陰からこっそりその男性を観察してみると…モヤシのようにひょろっとしたガリガリの体型に見覚えがある。顔を見れば、長い前髪で半分くらい隠れている無駄に整ったその顔にも見覚えがある。

 …色違いのニコラス様だった。

 物陰から出て、恐る恐るニコラス様(?)に声を掛けてみる。


『に、ニコラス様…?』

『ただいま、クレア殿』

『おかえりなさいませ。……随分、雰囲気が変わられたのですね』

『ああ、急に変幻の魔法が使いたくなったんだ』

『そ、そうなのですか』

『…似合わないだろうか?』


 正直、纏うオーラが陰鬱過ぎて全然似合っていなかった。


『いえ…ただ、少し、驚いただけです』

『では、これからもこの姿で過ごそうかな』

『え!?』

『やっぱり変か?』

『いえあの…黒髪黒目の方が、夜空みたいで綺麗で、私は、好きかな、と…』

『そうか。クレア殿がそう言うなら戻そう』


 そう言って戻してくれてよかった。本当によかった。


 こうして結婚してから初めての奇行である『ニコラス金髪事件』は幕を閉じたのだった。

 だけどニコラス様はそれだけでは終わらなかった。奇行はなんと終わることはなく、月に一度くらいのペースでニコラス様はおかしなことを始めようになったのだ。


 妙に陽気な口調で無理やり話そうとして知恵熱を出してみたり、私の兄になると言い出したので「やめて」と突っぱねたら、一人キノコが生えそうなくらい落ち込んでみたり、急に「クレア殿は消えてしまいそうだ」などと言い出して色々な魔法を私にかけ始めたり。

 魔法省の研究室には変な人が多いと兄から話だけは聞いてはいたけれど、まさかこんな身近にいたなんて。実家に用事があって一度帰った時、兄にニコラス様の奇行について相談してみたのだが、


『ニコラスが奇行?あいつが変なのは今に始まったことじゃないしなぁ…。研究室ではいつも通り魔法の研究に夢中になって……そういえば…あー、分かった。あれかぁ…。…ま、まぁあいつの奇行もそのうち治るだろうし、温かく見守ってやってくれ』


 とだけ言われてなんの解決にもならなかった。

 嫌なのか、と聞かれたけれど別に全然そんなことはなくて。ただ、あの意味不明な行動の真相が知りたかっただけなのだ。奇行をする理由が分からないから困惑するけれど、実は私はニコラス様の奇行を楽しみにしている。

 今度は何をするんだろうと、少しワクワクしてしまうのだ。使用人達も慣れたもので、ニコラス様がまた奇行に走っても今は平然と受け止めている。

 そんな日々が、面白くて可笑しくて…私は今、とても幸せだ。


 今でもたまに、やっぱりエドガー様のことを思い出すことはある。

 楽しい日々の中でふと、幼い恋心が蓋を開けて顔を覗かせそうになるのだ。

 だけどいつも蓋が開く前に、何故かいつもニコラス様の奇行を思い出してしまって笑ってしまう。

 いつも幼い恋を思い出しては悲しみに暮れるばかりだった私が、思い出しても笑えるようになった。これはニコラス様のお陰だ。


 ニコラス様と結婚できて…ニコラス様が私と結婚してくれて、本当によかった。



 ◇◇



 いつものように寝室の椅子で本を読んでいると、二回小さくノックの音が部屋に響く。


「どうぞ」

「失礼」


 相変わらず夫婦の寝室に入るのに確認をとるニコラス様は、とても可愛い人だと思う。

 慣れた様子でベッドに腰を下ろし、本を閉じて私もその隣に座った。二人でお話をする時の、結婚してからの暗黙のルールだ。


「……今している研究が、ひとまず完成した」

「まあ、ついに!新しい魔法陣の構築でしたっけ?」

「そうだ。…細かいところは後々詰めるが、大枠が完成した」

「では早く帰って来られるようになるのですね」

「ああ。ただ私はまだ頼まれている仕事があるから頻繁にではないが…その時は、一緒に夕飯を食べよう」

「ええ。…ふふ、いつもニコラス様を待たずに先に食べてしまってすみません」

「いや、むしろ食べていてもらわないと困る。あんなに遅くに食べてはクレア殿の体に障る」

「まあ、ご心配ありがとうございます。……しかし、そうですか。ついに…完成したのですね」

「ああ…」


 ならきっと、私はそう遠くない未来に兄からも…エドガー様からも、妻が懐妊したという報告を受けることになるのだろう。

 エドガー様はあの屈託のない笑顔で私に、きっと嬉しそうに報告するのだろうな。


 そんな風に考えても、もう胸は痛まなかった。

 だって隣にニコラス様がいるから。少し頼りないけれどね。


「クレア殿…」

「はい」

「少し、中庭に出ないか」

「今から…ですか?」


 秋風が冷たい季節だ。中庭に行ったら少し生気が戻ったとはいえ、死にかけみたいな見た目をしているニコラス様は風邪をひいてしまうのではないだろうか。


「寒さを心配しているのなら心配無用だ。魔法で気温を調整する」


 なら安心ね。

 この人が風邪をひいたら、ぽっくり逝ってしまいそうで不安だわ。


「そういえばニコラス様は魔法の研究だけではなく、使用にも長けているのでしたね」

「魔法を研究するために得た副産物だ」

「ふふ、そうですか。そこまで言うなら行きましょうか」

「…ありがとう」


 明かりを持って先導するニコラス様の後ろを私は黙ってついて行き、私たちは夜の中庭へと繰り出した。

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