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第三話

 花嫁修行を終え、私とニコラス様はついに今日結婚する。

 エドガー様は私の結婚にとても驚いていて、相手に更に驚いていたけれど、「エドガー様が結婚したので私も安心して落ち着くことにしたのです」と伝えれば屈託ない笑顔で「そうか」と言った。


『あいつは魔法ばっかな奴だけど、とてもいい奴だよ。幸せになってな』


 エドガー様に、こんな風に祝福されたくなどなかった。私が彼の隣に立ちたかった。

 どうしてエドガー様は…私を好きになってはくれないの。


 未だに未練を断ち切れず、愚かにも想い続けている自分が馬鹿らしく、腹立たしかった。彼への想いを忘れようと決めたはずなのに、心はそれをまだ受け入れられない。ニコラス様に申し訳ないとは思うけれど、自分ではどうしようもなかった。

 こんな女と結婚することとなってしまったニコラス様が、不憫でならない。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。



 式は滞りなく進み、誓いの言葉を述べた。あとは誓いの証明として、神の御許でキスをすれば結婚を認められる。エドガー様が見ているのに、私はニコラス様とキスをすることになる。

 張り裂けそうな胸の痛みに耐えていると、そっと目前を覆うヴェールがあげられた。


 視線を上げれば、長い前髪をきちんと横に流して隠すものがなくなったニコラス様の顔がある。

 前より少しだけ肉付きの良くなったニコラス様は、まだどこか不健康そうだけれど、どきりとする程綺麗な顔をしていた。前は前髪に覆われていてよく見えなかったが、やっぱり綺麗な顔立ちの人だったようだ。


「では、誓いのキスを」


 肩に優しく手を置かれ、夜闇みたいな黒い双眸が近づいてくる。

 嫌だ、なんて口が裂けても言えないけれど、心の中でエドガー様を好いている私が叫んでいた。ぎゅっと目を瞑れば唇が触れる直前、私にしか聞こえないほどの小さな声で彼はそっと呟いた。


「すまない」


 え、とこぼれそうになった言葉はすぐに彼の唇に塞がれ、すぐに唇が離れていく。本当に触れるだけのキスだった。


「ここに一組の新たな夫婦が誕生いたしました。皆様、盛大な拍手を!」


 沢山の拍手が鳴り響く中、驚いてニコラス様を見つめると、彼はただ少し寂しそうに笑うだけだった。



 祝賀パーティーの会場に移り、いつかのエドガー様たちのように私とニコラス様は祝福された。

 いろんな人に声をかけられて、祝いの言葉をもらったはずなのに私は心ここに在らずといった状態で、あの寂しそうな黒い瞳を思い出していた。


 どうして、ニコラス様はあんなことを言ったのだろう。

 どうして、あんなに寂しそうに笑ったのだろう。


 隣を見上げても疲れた様子で友人や職場の同僚にぶっきらぼうに返事を返す彼は、私の疑問に答える気など到底なさそうだ。


「よっ!クレア。ニコラスがでかいから隣にいるのに気付かなかったよ」

「お兄様!私そこまで小さくありません!」

「はは、悪い悪い」


 お兄様が人をからかった後に言う全然悪いと思っていない「悪い悪い」に、ようやく私は意識を目の前に戻した。自分の結婚式なのに、さっきから私は全然目の前に集中できていない。

 ぼんやりして挨拶をニコラス様に任せっきりにしてしまっていた。なんてことを、と今頃になって焦り出す。

 そんな私に気付いた兄は優しい顔をして、


「でもニコラスはヒョロイから、俺みたいにお前を隠してはやれない。それにお前は今日の主役だ。ニコラスだけじゃない。しっかりしろよ、我が妹君」


 と小さな声で叱責した。

 そうだ、今日から私はニコラス様の妻になるんだ。いつまでもこんな風ではいけない。

 兄を見て頷けば、兄は満面の笑みを浮かべた。


「クレア!」


 大好きなその声に、どきりと胸が鳴った。


「結婚おめでとう!とても綺麗だったよ」

「ありがとうございます、エドガー様」

「いやーしかしまさか、あのニコラスがクレアと結婚するとは思わなかったよ」

「なんだ何か文句があるのか貴様は」

「いや、全然ないけども。相変わらずツンツンしてんなーお前。しかし、魔法一筋だったお前が結婚か…。ちゃんとクレアのこと、幸せにしてくれよ」

「…貴様に言われずとも、彼女の安寧は約束する」

「なんでお前はそういう言い回しするかなー。嫌いじゃないけどさ。女性には真っ直ぐな言葉を伝えるのが一番だぜ」

「…ふん」


 ニコラス様がエドガー様に喧嘩腰で少し驚いた。兄の服を引っ張り、二人の関係性を目で問うと、兄は納得したように頷いた。


「こいつらいつもこんな感じだよ。仲は悪くないんだけど、いつもニコラスがエドガーに喧嘩腰なんだ。…理由は分からなくもないけどね」

「なんでなの?」

「秘密。…これから時間は沢山あるんだ。ニコラスを見ていればそのうち分かるよ」


 私とニコラス様は、ほとんど話したことはない。私は彼のことをよく知らないし、きっと彼も私のことをよく知らないだろう。本当にこれから始まる関係なのだ。

 私はまだエドガー様が好きで、ニコラス様を好きになれるか分からない。だけど好きになれるよう努めたいと思う。彼ときちんと向き合っていきたい。


 まだそんな風に言い聞かせることしかできない自分に落胆するけれど。


「クレア殿。その…大丈夫だろうか?」


 さっきまでぼんやりしていた私を不器用に気遣ってくれる優しいこの人に、報いたいと思った。


「はい」


 手をぎゅっと握ると驚いて震えた大きな手は、だけど確かに優しく握り返してくれる。


「私は女性に免疫がない…お手柔らかに頼む」

「ふふ、分かりました」


 青白い顔が真っ赤になって、なんだか可愛い人だなと思った。

 思わず笑えば、ニコラス様はそっぽを向いてしまった。怒らせてしまっただろうかと思ったけれど、ぎゅっと握られて離されることのない手が、そうではないと私に教えてくれる。


 この不器用で優しい人を…私は好きになれるだろうか。



 ◇◇



 アグレル家の屋敷に着くと、感極まった様子のメイド達に艶々に磨かれ寝室に連れて行かれた。随分嬉しそうな様子だったので話を聞いてみれば、ニコラス様は本当に魔法のことしか頭になく、結婚なんて生涯無理だろうと屋敷中の者に言われていたようで、私が嫁いできたことがまるで夢みたいだと泣いて喜ばれた。


 …そういえば兄が結婚した時も、屋敷中の者が喜んでいた。恋愛結婚が多いこのご時世に兄は政略結婚だったが、それはそうでもしなければ兄が結婚しそうになかったからである。

 兄と相性の良さそうな女性を父が選んだらしく、見事その目論見は成功。兄はなんだかんだ義姉と仲良くやっている。大きな研究がひと段落するまでは子供は作らないらしいが、それが終われば子をもうけると言っていた。後継者問題は大丈夫そうだ、と父が酒を飲みながら安堵のため息をついていたのを私は知っている。

 魔法省の研究室に勤める者が皆魔法以外への関心が少なく、結婚を疎かにするのはもう避けられない運命なのかもしれない。


 そして我が家と似たような事情をお持ちだったアグレル家。確かに泣いて喜ぶのも分かる気がする。

 大人しくベッドで待っていると、小さく二回ノックの音が響いた。


「はい」

「失礼する」


 夫婦の寝室なのだからわざわざ一言言わなくても入ってくればいいのに、律儀な人だ。

 扉を開けて目が合うと、ニコラス様は動かなくなった。目を逸らしてもいいものか分からなくて見つめ返していると、ようやく動き出したニコラス様は早足で私の隣に来て、ベッドが深く沈み込む勢いで腰を下ろした。


「失礼」


 小さく呪文を唱えると、身に付けていた薄くて透ける素材のネグリジェは瞬時に生地が厚くて透けない素材の可愛らしいワンピースへと変貌を遂げた。

 これはアグレル家で着せられたものではなく、家から持ってきたお気に入りの可愛い夜着だ。初夜には向かないと回収されて別の場所に保管してあったはずなのに。


「もしかして転移魔法ですか?」

「そうだ。申し訳ないが着替えていただいた。あの服は私には刺激が強すぎる」


 確かにニコラス様は女性への免疫がないと言っていた。あのネグリジェは彼的には駄目だったらしい。


「それに…」

「はい」


 さっきから視線を私に合わせず、地面を彷徨わせている。言いたいことがあるというのがありありと分かる。

 なんとなく見当がついているので、言い出す気配のないニコラス様より先に私の方から口を開いた。


「子供はしばらく、つくるつもりはないのでしょう?」


 そう言えば、ニコラス様は驚いたように目を見開いた。


「今魔法省の研究室では大きな研究をしていらっしゃるのでしょう?お兄様もその研究がひと段落するまでは子供はつくらないとおっしゃっていました。ニコラス様もそうなのではなくて?」

「ちが…いや、そうなのだが」

「大丈夫ですよ。私はそれぐらいで傷付いたりしません。研究室に勤める者のことはよく分かっております」

「……すまない」


 心底項垂れている様子のニコラス様は、不健康そうな見た目も相まって今にも死んでしまいそうだ。すごく心配になる。


「本当に気にしてませんから。私はあの研究室の室長の娘なのですよ?」

「…そうだな」


 不器用に笑ったニコラス様の笑顔は、今が夜なのもあって少し怖い。まるで…。


「ニコラス様…笑顔が怖いって言われません?」

「何故、それを…」

「ふふ。だってニコラス様、物語の中に出てくる吸血鬼みたいな容姿ですもの。笑うと、とっても怖いです」


 まるで、血に飢えて死にかけの吸血鬼みたい。


「申し訳ない…」

「何も謝らなくても。私はその怖い笑顔、結構好きですよ」

「え」

「え」


 自分でも驚くくらい、するりと「好きです」なんて言葉が出てきた。

 そういえば今日はエドガー様のことより、ニコラス様のことを考えている時間の方が多かった気がする。私の中で何かが少しずつ変わっているのだろうか。


「…お手柔らかに頼む」

「はい」

「今日は疲れた。もう眠ろう」

「はい、おやすみなさい。ニコラス様」

「…おやすみ、クレア殿」


 広いベッドに少し距離を開けて、私たちは横になった。ニコラス様も私も、互いに背を向けて。

 この距離は、今の私とニコラス様との心の距離なのだろう。


 いつかこの距離が縮まって、向かい合って眠る日が訪れるのだろうか。

 窓のガラスを通して見える夜空に、一筋の流れ星が落ちていく。そういえば流れ星に願い事をすると叶うと言われているのよね。

 今はまだ遠く霞むその未来を、私は星に願わずにはいられなかった。


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