家が喫茶店な私がお隣の幼馴染の甘党男子に喫茶店で試作品を食べてもらう話
オーブンの機械的な音が鳴るキッチンで私はじっとケーキの生地を見ている。お菓子作りは時間と計量が大事、そんなわけで私はこうしてケーキの生地を観察しているのだ。
私は南波 名波、ここ喫茶NANBAの一人娘だ。幼い頃から喫茶店を経営していた両親の影響でケーキやクッキーなどを作るのが趣味になったごく普通の女子高生である。
そんな私が趣味であるケーキ作りをここまで真剣に行っているのは訳がある。今日は二月の頭、つまりこれはバレンタインの予行練習なのだ。正確に言うとそろそろ喫茶NANBAで季節限定商品を出そうという話になって、私の作ったお菓子も出来が良ければメニューに加えるという母さんの太っ腹な発言によって私は今まで以上に真剣にお菓子作りに取り組んでいるのである。
それにしてもいろいろ試してみたがなかなかこれだという味に仕上がらない。母さんのケーキはしっとりと甘くそれでいて口の中で新雪のように溶けるのだ。あれを超えるとは言えないけどせめて見劣りしないものを作りたい。そう思って真剣に試作を繰り返しているのである。
真剣に今までの事を思い返しながらオーブンを見ていたらあらかじめ設定しておいたタイマーが鳴った、そのタイミングでオーブンを止め、取り出すと見事なスポンジ記事が出来ていた。
──今度こそ上手くいった。
そのことを噛み締めて、設定した時間をメモしようと振り返ると、後ろに母さんがいた。
「うんうん。だいぶ上手になったわね」
「母さん? いつからいたの?」
「名波がオーブンの前で悩ましそうな真剣な顔をしていたときからね」
「最初からいたのね……」
母さんにみられることはあんまり気にしていない。むしろ何かアドバイスを貰えないかと期待してどうかな? と聞いてみた。
「まあ、言いたいことはいくつかあるけど、せめてチョコを使いなさいよ。せっかくのバレンタインなのに……」
「あっ」
完全に忘れてた。自分の最高傑作を作る事ばかり考えてたよ……
「せっかくだからお隣の波津久君に上げるって考えて作ってみれば?」
「な、なんで新作の話に波津久が出て来るのよ!」
「あなたは彼のために作るときが一番上手にできてるからね」
母さんはそんなふざけたことを言うけれど、別にそんなことないと思う。波津久というのはお隣に住んでる同い年の幼馴染だ。天木 波津久、たまに喫茶が忙しい時に臨時で手伝いに来てくれる穏やかで優しい甘党男子だ。
母さんが言うには私と波津久は生まれるタイミングがほとんど同じだったらしい。それで幼い頃からずっと一緒にいる。天木家と南波家も家族ぐるみで仲がいいのは子育てで協力し合った戦友だからだそうな。
私が母さんと一緒に初めて作ったお菓子も波津久と一緒に食べたものだ。それから私が作ったお菓子は基本的に波津久にあげている。まあ私も食べているけれど。その代わりと言ってはなんだがたまに波津久は店売りの流行のお菓子を仕入れてきてくれる。私の研究も進むというものだ。持つべきは甘党の幼馴染である。だからアイツのために力を入れて作っているわけではない。
「別に他意はないわよ? 波津久君に作るときの名波がとても楽しそうだからそう提案しているだけ」
「もう! そう言って、からかってるんでしょ。そのことはいいから何かアドバイスちょうだいよ。チョコに合わせるにはどうすればいいかな?」
「そうねえ……」
こうして、私はバレンタイン向けの商品の試作に休日を捧げたのだった。
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あれから、バレンタイン限定商品の開発は残念ながら進まずその当日になっても完成しなかった。最初から上手くいくとは思ってなかったから来年に期待である。
それはそれとして、バレンタイン限定商品を喫茶で出すという事で人手が微妙に足りなくなりそうである。そのため波津久に喫茶に臨時で手伝って貰う様に頼むことになった。すでにその旨について波津久に連絡はしているから、別に学校で念押ししなくても問題はないはず。
それなのにバレンタイン当日の放課後、すぐ家に帰ればいいのになぜか私の足は波津久のクラスに向かっていた。
「そう、これは波津久が忘れてないかの念押し。だから問題ない。一緒に行けば心配もないしね」
今日はバレンタインだ。万が一、いや、億が一、波津久が誰かに呼ばれるなんてことがあっても念押ししておけば大丈夫だろう。そのためだから問題ない。そう自分に言い聞かせ波津久のクラスに入った。なお私のクラスのお隣である。
「波津久ー いるー?」
ドアを思いっきり開けてこのクラスに入る。なぜか静まった気がするけど、何かあったのかな? 気にせず人だかりをかき分け波津久の所に行く。なんでこんなに人が集まっているの? 人に囲まれていた波津久は少し嬉しそうにこちらに目を向けた。波津久は背が高いから見上げるようになる。別に私が小さいわけじゃあない。
「波津久、今日の約束忘れてないよね? 喫茶に来て」
「忘れてないよ、それじゃあ行く?」
「そうね、大変になるかもしれないけどよろしく。前とほとんど同じだから」
「前はクリスマスだったっけ? こちらこそよろしくね」
ざわめく教室を二人で抜ける。波津久がそういう事だから失礼するね、と友達らしい人に声をかけていた。
教室を出たところで今日は予定とか入ってなかったか一応聞くと波津久はゆるゆると首を振ってフリーだったと答えた。
「よかった。喫茶の方が大変になるから手伝って貰えて助かる」
「僕でよかったらいつでも呼んでよ」
「そういう訳にもいかないのよ。あなたにもやりたいことがあるでしょ。今回はバレンタイン特別メニューとか作ったから人が増えるかもしれないっていう理由があってのことだし」
「やりたいことって言ってもなぁ。甘いもの巡りくらいだし、手伝えてうれしいよ?」
「ありがとね、今回は私もメニューを作ってみてとか言われて大変だったのよ」
「えっ! 今回の限定メニューってまさか名波の?」
「そうだと良かったんだけどね、残念ながら採用ならずよ」
「そっか、食べてみたかったなぁ」
そう言ってしゅんとする波津久、背が高いわりに優しい感情がよく表に出て和む。さっきまで何か焦るような気持ちはなくなり穏やかに話ながら喫茶まで向かった。
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喫茶で一緒に働いて、特に問題なく夜になった。閉店時間になって無事バレンタイン限定のメニューは全部売り切ることが出来た。
「無事完売出来たわね」
「よかったです」
「うん、波津久君もありがとうね。今日はバレンタインだったでしょ? 誰かに呼び出されたりとかしてなかった?」
「いいえ。強いて言えば名波に喫茶店に呼ばれたくらいですかね」
「うまい返しね。そういうところずるいと思うわ」
一息ついて外の看板をひっくり返して戻ると母さんと波津久が何やら話し込んでいた。なにを話しているのかは知らないけど、母さん、ずるい。
「何話してるの、母さん」
「おっと、名波が戻ってきちゃったか。いや、せっかくだからバレンタインの限定メニューでもどうって勧めてたとこよ」
「貰っていいんですか!」
もちろん、なんて笑う母さんに嫌な予感がする。ちょうどバレンタインの限定メニューの試作をしていた時にからかわれたときと同種の意地の悪い笑顔だったからだ。
「もちろんよ、せっかくだから意見を頂戴?」
「よろこんで! あ、でもせっかくなら名波の考えたメニューで欲しいです」
「ちょっ!!!」
なんてことを言うんだ、この甘党幼馴染は!
「あらあら、聞いてたのね……よし、せっかくだから作りましょ。いいわね、名波」
「なんでよ! 私のより普通のメニューの方がおいしかったでしょ!」
「よく考えたら身内以外の意見を聞いてなかったなって思ってね」
「波津久はもはや身内でしょうが!」
「あら、つまり二人はいつか……」
「作るわよ! 作ればいいんでしょ」
何を言い出すつもりなのか、この母さんは、もう。
それからしばらくして、なぜか母さんも来年の分の試作と言って別の物を作っていた。そんな母さんのチョコケーキと一緒に私のチョコケーキを出した。わざわざ比べるように出した当たり母さんは鬼である。
「二種類も作ったのか?」
「一つは母さんのよ。来年の分の試作だって」
「わざわざこのタイミングで出すのか……これは試練なのか?」
波津久も母さんの行動に飽きれているみたいだ。その後波津久は何か呟いたみたいだが聞こえなかった。
「まあ、せっかく出してくれたものに文句をつけるのも間違ってるか。それじゃあ、頂くね。両方ともおいしそうだし」
「どうぞどうぞー」
波津久が美味しそうにチョコケーキを食べるのをぼんやりと見る。母さんの作ったやつ、そして、私の作ったチョコケーキを食べている。落ち着いたところでどうだったか聞こうと思ったところ、母さんが先に評価を波津久に聞いた。
「それで、どうだった? 忌憚のない意見を聞かせてね」
波津久はしばらく考え込んだ後、すらすらと答えた。
「最初の方も後の方もすっごくおいしかったです」
その言葉を聞いてうれしく思った。美味しいって言って貰えた。それだけでボツになったけど救われたような気がした。
「まあ、私も頑張ったからね。どうよ」
「名波はいつもお菓子とか作ってくれてるけど、やっぱりおいしいな」
「はいはい、それじゃあ、どっちが美味しかった?」
母さんがそう言ったとき私の笑顔は一気に強張ったと思う。そんなの、母さんの方が美味しいに決まってるじゃんか。やっぱり母さんは鬼だ。悪魔だ、母さんだ。
そんな私の内心を知ってか知らずか波津久はよどみなく続ける。
「だいぶ好みの話になると思いますが……二個目の方が僕は好きです」
「へっ?」
母さんが、そっかー、なんて言ってるけどそれも気にならないほど驚いた。私の方が好き? 本当に?
「これは僕の好みかもしれないけどね……名波が作ってくれた方が僕は好きだよ」
「あらあら、どうして気付いたの?」
「食べなれてるから、ですかね? 美味しかったよ、名波」
そんな風に言われて、嬉しいやら恥ずかしいやら、泣き出したいやらの感情がぐるぐるして、私は一言、
「ありがと」
と、やっとのことで絞りだしたのだった。
今日バレンタインじゃないか!
↓
短編書こう(朝)
↓
完成!
みたいな勢いでできた作品です。
バレンタインに間に合ってよかった。