第124話 不死の【英雄】~本当にわかっているのか?~
横方向に強く引っ張られる感覚が、安川賢紀の全身を襲う。
フリードの神殿から異世界へと転移させられた時の落下感とは、明らかに違う感覚だった。
銀色に歪んだ空間の奔流も、賢紀達から見て横の方向へと流れている。
おそらく、地球へと向かって流れているのだろう。
賢紀が背後を振り返れば、白く輝く丸い穴。
異世界側からのゲートが、ぽっかりと口を開けていた。
しかしその直径は、みるみると縮んでいく。
もう、賢紀達は戻れない。
「やめなさい! 荒木瀬名!」
次元の狭間に響き渡る、山葉季子の声。
賢紀がそちらに視線を向けると、瀬名が結界魔法から脱出していた。
彼の鎧や、衣服はボロボロ。
しかし肉体の方は超再生能力【不屈】により、すでに再生を終えていた。
「俺は帰るんだ! ニーサのところに!」
瀬名の全身から、青白い光が迸る。
季子の魔法に――地球への強制転移に、抵抗するつもりなのだ。
「よせ荒木。死んでしまうぞ」
地球と異世界を繋ぐ、次元の狭間とでもいうべきこの空間。
ここには魔素もマナも、瘴気も存在しない。
それらを使用する【不屈】の能力による再生は、不可能だということだ。
今の再生が、最後の復活。
体が半分になった状態から復活したばかりの瀬名は、万全とは程遠い。
そんな状態で魔力を使えば、命を落とす可能性が高かった。
そもそも魔力の源になる魔素が、この空間には存在しないのだ。
瀬名が使えるのは、体内に残されたほんの僅かな魔力のみ。
魔王季子の魔法に抵抗すれば、そんなものはあっという間に使い果たしてしまう。
大陸最強マシンゴーレム2機の力を借りて発動させた、強大過ぎる時空魔法なのだから。
だが、瀬名の体から迸る光は消えない。
光は揺らめく炎となって瀬名の体を包み込み、ゲートの方向へと加速させる。
とっくに体内の魔力など、使い果たしたはずだ。
ならば何故、光は消えないのか。
荒木瀬名は、いったい何を燃やしているのか。
「まさか……。荒木は生命そのものを、燃やしているのか?」
瀬名の纏う青白い炎は、巨大な不死鳥の形となって羽ばたいた。
閉じつつある、エンス大陸への門に向かって。
ニーサ・ジテアールの元へ帰還すべく、青き不死鳥は力の全てを振り絞り飛翔する。
「ニーサ……。ニーサ……。ニーサぁああああ!」
もう少しで、ゲートに辿り着く。
その時、賢紀と季子はガラスが割れるような音を聞いた。
正確には、音ではなかったのかもしれない。
ただ確かに何かが割れ、砕け散る感覚を2人は感じ取った。
「……魂が砕けた。荒木瀬名は、もう助からないよ」
季子は悲し気に、瀬名から目を逸らした。
青白い生命の炎は掻き消え、再び地球側へと引き戻されそうになる。
それでもなお、瀬名は閉じゆくゲートに向かって手を伸ばす。
かつて自室のベッド上から、彼が憧れるヒーローのポスターに向かい手を伸ばした時のように。
今度は現れなかった。
その手を掴み、引き寄せてくれる女神は。
瀬名の眼前でゲートは収縮し、完全に消滅した。
「さよなら……異世界……。そして……荒木も……」
別れを告げながら、賢紀は違和感に気付いた。
瀬名を見ていても、いつもの敵愾心が湧いてこないのだ。
「これは……? どういうことだ? おい、荒木」
「安川を見ても、ムカつかない……。まだ体の中に、【女神の加護】は在るのに……。これはリースディース様とフリード神が、敵対するのをやめたという証……」
「何だよ……それ……。今頃かよ……」
もう少し――
もう少しだけ、早ければ――
「いや。結果は同じか……。リースディースの使命がなくなっても、アンタはニーサ帝の為に戦い続けただろうからな。……まったく。頑固な奴だ」
「君だって、同じようなもんだろ? 途中から使徒としての使命なんて、どうでもよくなっていたんじゃないのか? エリーゼちゃん達の為に戦っているようにしか、見えなかったよ」
「俺達……似た者同士なんだな」
「ハハッ、全くだね」
力尽きた瀬名の体は宙を流され、賢紀と季子の側まで戻ってきていた。
「山葉季子さん。ずっと君に、言いたかったことがあるんだ」
「……うん」
「すまなかった……」
「もう、いいのよ。許すわ」
季子の答えに、瀬名は少し驚いたようだ。
軽く目を見開いた。
「あの事故の時は、『絶対許さない』って言ってたのに……」
「私、そんなこと言ってないよ? 声が出なかったけど、『早く救急車呼んで』って言ったつもりだったんだけど?」
「ああ……そうか……。俺の勘違いか。……いや。『許さない』ってのは、俺が自分で自分に言っていたのかもな……」
「結果論だけど……。あの日、あなたが私を撥ねていなかったら……。初デート翌日に安川君は失踪して、二度と会えなくなってた。だから、もういいの。相応の仕返しは、させてもらったしね。腐腐腐腐……」
「仕返し……?」
「見るか? 荒木。これが数百年前、魔国ディトナでベストセラーになった書物だ。肖像権侵害で訴えたら、勝てるかもしれないぞ?」
賢紀は【ファクトリー】から、季子の最高傑作ともいえる「薄い本」を取り出した。
もはや手足を動かすこともできなくなっていた瀬名の眼前にもっていき、わざわざ開いて見せてやる。
自由神の使徒は、意地が悪かった。
「ううっ! これは……。酷い! あんまりだ……」
「文句を言うな。1番の被害者は、魔神ヴェントレイだ。自分に非が無いのに、勝手に出演させられてしまっている」
「確かに。……それにしても山葉さん、内容はアレだけど絵が上手いな」
「当たり前だ。山葉は俺の、絵の師匠だぞ」
「師匠? ……そういえば2人は、地球でどんな生活を送っていたんだ? お互い、そういうことはあんまり話していないよな?」
それから数十分間。
賢紀、瀬名、季子の3人は語り合った。
地球では、どのような人生を送ってきたかを。
ロボヲタぶりを隠さない、賢紀の高校生活。
季子師匠との、絵の修行の日々。
賢紀が仕事でユンボに乗り始めた頃、水平堀りがなかなかできなくて苦労した話。
季子が同人誌の即売会で、ファンから「ヤマハ先生」と呼ばれるほどの人気漫画家に昇りつめた話。
モータースポーツという一般人とはかけ離れた世界で生きてきた瀬名の人生は、賢紀と季子にとって新鮮なものだった。
3人の若者は冗談を交えつつ、笑いながら語り続ける。
賢紀は相変わらず不愛想だったが、本人は笑っているつもりだ。
季子も数百年生きているので、若者なのは見た目だけだが。
しかし誰が見ても、3人は普通の友人同士にしか見えなかったことだろう。
だが会話している間にも、瀬名の体は足先から徐々に消えていった。
光の粒子となって、空中に溶けてゆく。
「さて。そろそろ、お別れの時間かな?」
すでに瀬名の体は、上半身しか残っていない。
「安川。君がほんっと~に救いようがないくらいロボットオタクだというのは、よ~くわかった。そんな君に、ひとことだけ言っておきたいことがある」
「なんだ? いちおう聞いてやる」
「夢を、自分から捨てるなよ? 夢を自分から捨ててしまった、大馬鹿野郎からの忠告だ」
「……わかった」
「本当に、わかっているのか? 君はいつも、無表情だからな……。でも何となく、わかっていないような気がするよ?」
「荒木君、鋭いね。たぶん今の『わかった』は、口だけだよ。後は私が、よ~く言い聞かせておくから」
「山葉さん、頼むよ。……ああ。俺は誰かの役に、立てたのかな? ニーサ……。いつか生まれ変わって、またどこかで……」
最期の刻を察した女神の使徒――不死の【英雄】荒木瀬名は、静かに目を閉じた。
「荒木……。またな」
「安川も……。またな」
下校時に別れる、学生同士のような挨拶。
明日になればまた顔を会わせるとでもいうような雰囲気で、2人の使徒は別れた。
全身が光の粒子となり、瀬名の体は形を失う。
彼の欠片達は蛍火のように舞い、銀色の空間に流れ散っていった。
やがて、完全に見えなくなる。
「何度倒されても立ち上がり、理想に燃える皇帝陛下と帝国民のために剣を振るい続けた男。アンタは間違いなく、【英雄】だったよ……」
戦いの軌跡を振り返るように、賢紀は目を閉じた。
そして、再び目を開けた時――
目に入ったのは金色の雲でできた地面と、同色の空。
賢紀と季子の2人は、見知らぬ空間に立っていた。




