閑話10 夢のために~そう決めただろう!?~
「……っはぁっ!」
時刻はまだ深夜。
悪夢にうなされ、飛び起きた荒木瀬名。
裸で寝ていた彼の上半身は、とめどなく流れる汗でじっとりと濡れていた。
「また……あの夢か……」
何度も何度も、繰り返される悪夢。
地球で若い女性の命を奪った、あの晩の記憶だ。
いまでも瀬名の脳裏に焼き付いて、離れない。
車のボンネットに撥ね上げた時の、鈍い衝撃。
顔に、温かい血がかかる感触。
「ゆるさない」という、彼女の言葉。
これは実際に聞こえたわけではないが、瀬名の中では言われたものだとして記憶されていた。
あの撥ねられた女性は、幾度となく夢に現れる。
その都度、彼女は瀬名を責め続けた。
瀬名はこの世界に来てから、リースディア帝国に敵対する数多の存在を葬ってきた。
魔物はもとより、人が乗ったマシンゴーレムも操縦者もろとも破壊した。
時には生身の人間を、直接手にかけたこともある。
しかし、罪悪感は覚えない。
【女神の使徒】である彼は、加護からの精神干渉を受けている。
命を奪うことへの忌避感や罪悪感が、抑制されているのだ。
だが【女神の加護】を得る前までは、効果が及ばない。
地球にいた時に奪った命への罪悪感は、一向に消える気配は無かった。
「ん……。セ……ナ……? どうしたの?」
隣で寝ていたニーサ・ジテアールは瞼を開け、不安げな表情で瀬名を見つめていた。
彼女を見て、瀬名は冷静さを取り戻す。
(そうだ、落ち着け。ここは地球じゃない)
ここは、帝都ルノール・テシアにある宮殿。
皇帝の寝室だ。
窓から入り込む月光。
その光でニーサの長い金髪と白い裸身が、神秘的に輝いていた。
「何でもないよ、ニーサ……。ちょっと悪い夢……地球にいた頃の、怖い夢を見ただけさ」
そう言って瀬名は、ニーサの髪を慈しむように優しく撫でた。
いつもは皇帝として、気丈な態度を崩さない彼女。
戦場で振るうは、美しくも無慈悲な剣技。
絶大な威力の魔法をも操り、敵を蹂躙する戦女神の化身。
だが中身は寂しがりやで、誰かに甘えたいと思っている。
自分よりちょっと年上なのに、可愛らしい女性。
瀬名にとってニーサは、守ってあげたくなる存在なのだ。
(俺は、彼女の夢のために生きる。そう決めただろう!? しっかりしろ!)
窓ガラスの外。
夜空に輝く3つの月を眺めながら、瀬名は自分を叱咤した。
「そう、ここは地球じゃない。俺が生きる場所は、リースディア帝国。そして、ニーサの隣だ」
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「おうおう! セナか! こんな夜遅くに来るとは、珍しいではないか!」
「グレアム……。もう、朝なんだけど?」
帝国マシンゴーレム開発技術部の研究所。
訪れた瀬名を出迎えたのは、研究に夢中で昼夜の感覚を喪失したグレアム・レインだった。
安川賢紀に匹敵するマシンゴーレムバカっぷりに、瀬名は呆れ返る。
「なぬ!? もうそんな時間か!? まあそんなことは、どうでも良いわ。セナ! ようやく双核式リアクターを同期させる、目処が立ったぞ」
「本当かい? それじゃあもう、〈サンサーラ〉は……」
「来週には、ロールアウトだな。今からリアクターの起動実験をするが、見ていくか? 〈ルドラ〉や〈ゲッカヴィジン〉の時のように、高位精霊が寄ってくるかもしれぬぞ?」
「もちろん見るさ。相棒になる精霊には、パイロットの俺が1番に挨拶しないとね」
瀬名とグレアムの2人は、研究所の奥へと進んでいく。
通路は金属板で作られ、ケーブルやパイプが這い回っていて少々歩きづらい。
やがて2人は、大きめの実験室に入った。
部屋の中央には、ドーナツ状の機械部品。
その上には、2つの正八面体が浮遊していた。
魔石だ。
その表面には、〈トライエレメントリアクター〉用に特殊な術式を刻み込まれている。
魔石のうち、片方は白い輝きを。
もう片方は、黒曜石のような黒い輝きをを放っていた。
魔石の正面では、1匹のワンコがお座りのポーズでリアクターの起動実験を待ちわびている。
いや、彼はワンコではない。
体長は約50cmと小型犬並みだが、れっきとした狼――でもない。
月の高位精霊、フェンだ。
「やあ、フェン。君も見学かい?」
「セナ殿か。拙者の新しい同僚が、やって来そうな気配がするでござる。こんなイベントを、見逃すわけにはいかぬでござるよ」
「〈ゲッカヴィジン〉はロールアウトしたのに、まだニーサが慣らし運転してないんだって?」
「姫に放置されて、正直寂しいでござる。まあ皇帝というのは、多忙な立場。仕方ないでござるな」
瀬名とフェンが世間話をしている間に、起動実験の準備が整った。
情報端末魔道具に何やらデータを入力していたグレアムが、手を止めて瀬名に警告を飛ばす。
「さあ! いよいよ起動するぞ! セナ! 万が一暴走して研究所が吹っ飛びそうになったら、お主がそのバカ魔力を使い死ぬ気で抑えるのだぞ!」
「物騒なこと、言わないでくれよ。いくら俺でも、このリアクターは無理だよ」
今まで〈トライエレメントリアクター〉が暴走して、爆発した事故など前例が無い。
なのにグレアムがその可能性を示唆するということは、今までの常識が通用しない程の高出力リアクターになるのだろう。
「その2つの魔石、手に入れるの大変だったんだ。失敗して壊れたら、俺、ヘコむよ?」
リアクターコアになっている魔石は、2つとも瀬名が取ってきたものだ。
帝国領最果ての地に住み着いていた、邪竜王ディアブロ。
このドラゴンは自分がかつて倒した宿敵、光竜王テスタロッサの魔石を所持していた。
(光竜王の魔石と、ついでに邪竜王の魔石もぶっ倒して取ってこい!)
――というグレアムからの指示で、瀬名が単身邪竜王討伐に向かわされたのである。
「邪竜王」などという大仰な肩書きがついているだけあって、ディアブロは強かった。
しかも住処は狭い洞窟。
邪竜王の巨体で、パンパンだ。
瀬名が【アイテムストレージ】からマシンゴーレムを出したくても、スペースがない。
戦女神の使徒たる【英雄】でも、生身ではかなりの苦戦を強いられてしまった。
2つの魔石を、帝都に持ち帰った時の瀬名はボロボロ。
衛兵にゾンビと間違えられて、あやうく魔法で焼却されるところだった。
「暴走した時というのは、万が一の話だ。我輩の技術を、舐めるなよ」
グレアムは、ニヤリと笑う。
彼は人差し指で、情報端末魔道具に浮かび上がっている光の文字に軽く触れた。
〈トライエレメントリアクター〉の起動速度というものは、非常に速い。
初期型GR-1〈リースリッター〉でも数秒で立ち上がっていたのに、最新のものは本当に一瞬だ。
双核式リアクターは、すぐさま莫大な魔力を供給し始めた。
「こいつは……凄いな。耐魔法障壁を張ってるのに、溢れ出る魔力で酔いそうだ。グレアムは、大丈夫かい?」
グレアムの魔力酔いを気遣う瀬名だったが、マッドサイエンティストは全く聞いていなかった。
「クハハハハ! 見ろ! この出力を! これでエンス大陸の空は、お主の物だぞ! セナよ!」
「……心配無用のようだね。……ん? この気配は?」
「む、セナ殿。来るでござるよ」
瀬名とフェンの背後から、強力な光のマナが実験室内に流れ込んで来た。
それはリアクターの上で渦を巻き、獣の姿を取り始める。
「……猫? ……かな?」
長めの体毛は、雪のように白い。
仮に実体を持つ動物だったとしたら、最高の手触りだったろう。
美しい毛並みだ。
背中には、パタパタと動く翼。
サファイアのような石が、額に埋まっている。
その精霊は緑色に輝く双眸で瀬名を見つめながら、神々しくも優しい声で語り掛けてきた。
「はじめまして。私の名はレオナ。光を司る精霊です。この莫大な魔力を生み出す装置の側に、住まわせてはいただけませんでしょうか? 代わりに力を、お貸しいたしますので」
レオナの自己紹介を受けて、瀬名も自己紹介をしようとした。
「リアクターの近くに住まわせて欲しい」という要求にも、「はい喜んで!」と答えようとした。
しかし、レオナに向かって踏み出そうとする瀬名を追い越す影があった。
「拙者の名はフェン。君のような可愛い子が同僚になってくれるのなら、大歓迎ござるよ」
尻尾をフリフリしながらレオナに駆け寄った、フェンである。
「フェン……。君ってそんな口調なのに、意外と軟派な奴なんだな……」
瀬名はちょっぴり、残念な気分になる。
レオナは、相棒になる予定の精霊なのに。
挨拶1番乗りを、軟派な狼に取られてしまった。
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同じ日の午後。
広大な平原の真ん中で、帝国軍のマシンゴーレム同士による模擬戦が行われていた。
模擬戦の内容は、1対多数。
瀬名の駆る白いGR-3〈サミュレー〉1機に対して、青みがかった銀色のGR-3が7機も襲い掛かっている。
7機チーム側の彼らは、「インペリアルパラディンズ」。
マシンゴーレム搭乗経験が豊富で、輝かしい戦果を挙げたパイロット達から選抜された特殊部隊。
帝都ルノール・テシアの防衛を担う、帝国の守護者達だ。
だがそんな彼等も、瀬名の駆るGR-3たった1機に翻弄されてしまっていた。
パラディンズは距離を取りつつ瀬名機を包囲し、光弾を雨あられと浴びせる。
模擬戦用に出力を絞った、マルチランチャー〈スターダスト〉による砲撃だ。
だが瀬名は、砲撃の全てを見切った。
最小限の機動で、光弾の雨をかいくぐる。
『どうした? 当てられないなら、タイミングや連携を工夫しろ。ルータスの【ゴーレム使い】は俺より速く、性格も悪いぞ』
パラディンズの面々とて、エース級パイロットの集まり。
瀬名に言われるまでもなく、攻め方を変化させる。
瀬名機が踏み出す足の着地瞬間を狙い、光弾が地面を抉り取るような軌道で放たれる。
瀬名の意識を下に引き付けると同時に、パラディンズの2機が空中へと跳躍した。
飛び上がったうちの1機は、ライフルモードでの牽制射撃。
残りの1機がセイバーモードで光の剣を発生させ、瀬名機に斬り掛かる。
『いいぞ! 悪くない!』
瀬名は褒めたが、パラディンズの連携は全く通用していなかった。
最初に瀬名機の足元を狙って放たれた光弾は、空中で相殺される。
瀬名が同じライフルモードで、狙い撃ったのだ。
空中からの牽制射撃に対しては、光の剣による斬り払いで防御する。
マルチランチャーをライフルモードからセイバーモードへ、目にも留まらぬ一瞬の切り替えだ。
そして斬り掛かってきたもう1機は、手首を掴んで投げ飛ばした。
大地に叩きつけられる、パラディンズのGR-3。
パラディンズのパイロットは、すぐに機体の人工筋肉の力で跳ね起きようとした。
だがその前に瀬名の剣が、コックピットブロックに突き立てられる。
模擬戦用に出力が絞られているので、損傷を与えることはない。
〈疑似魂魄AI〉が、実戦におけるダメージを検証する仕組みになっている。
光の剣を突き立てられた機体のコックピット内には、「大破」の表示が映し出された。
模擬戦脱落だ。
突き立てた剣を引く動きから、一挙動で瀬名機は駆け出した。
空中から射撃をしてきた機体の着地を狙い、斬り伏せる。
振り返った時、〈スターダスト〉は再びライフルモード。
最初に足元を狙ってきた機体を撃ち抜き、ついでにその陰にいたもう1機も撃ち抜く。
残り3機まで減ったパラディンズが全滅するのに、10秒もかからなかった。
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「いやはや。瀬名様には、敵いませんな」
汗だくで機体から飛び降りながら、パラディンズのパイロットが瀬名に話しかけてくる。
隊長のサイヴァ・シアレックスだ。
彼はまだ、29歳という若さ。
なのに隊長という重責を背負わされているのは、優秀だからという以外にも理由がある。
彼より年長のパイロットが、あまり生き残っていないのだ。
エマルツ・トーターやレクサ・アルシエフ等、30代のエース達は皆、戦場に散っていった。
他の年長者パイロット達も、自分より若いパイロット達を生かすために自らを犠牲にした者が多い。
「『敵いません』では困るよ、サイヴァ隊長。ルータス王国には、【ゴーレム使い】以外にも凄腕が多い。俺とニーサだけでは、この国を守り切れないんだ。……君達を、アテにしているよ」
瀬名は遠くに見える、ルノール・テシアの街並みを眺めた。
ルータス王国やイーグニース共和国は近世ヨーロッパ風の街並みだが、この帝国首都は違う。
高層ビルが、多いのだ。
元々マシンゴーレムが開発される以前から、ゴーレムの製造や運用について技術の進んでいたリースディア帝国。
それらを活用することにより、建築技術、速度においても他国より先を行っていた。
マシンゴーレムが開発されると、それに伴って建築技術も爆発的に進化。
人口過密化が問題となっていたルノール・テシアは、限られた空間を有効活用するために建物の高層化が相次いだのだ。
50m級のビルが竹の子のように乱立し、中には100mを超えているものもある。
瀬名がこの世界に来てからも、都市は進化を続けていた。
今やその景観は、地球における20世紀初頭のニューヨークと遜色がない。
ビル群は夕日を受け、黄昏色に染まっていた。
窓のひとつひとつに明かりが灯りはじめ、そこに生活している人々の生活――命の息づかいを、瀬名に実感させてくれる。
「そう。これが、俺の守るべきもの……」
瀬名は帝都に向けて、鞘に納めたままの【神剣リースディア】を水平に構えた。
静かな声で――しかし、強い意志を込めて誓いを立てる。
「俺の剣は、帝国とニーサの夢のために」