第101話 あの日の真実(1)~悪い……待たせたか?~
魔王の棺へと続く石造りの扉は、ただひたすらに重かった。
安川賢紀の心情を、表しているかのように。
扉を開いた先には、建物の外観に見合ったドーム状の部屋。
これまで歩いてきた通路のように、無機質な白い壁や床ではなかった。
風化した石造りの壁と床がベージュ色の世界を作り出し、温かみのある空間となっている。
それはこの部屋ができてから流れた、時間を感じさせるものだった。
とても長い、気が遠くなりそうなほどの時間を。
部屋の中央には、色あせた長方形の物体。
これがおそらく、魔王の棺だろう。
棺の上に、腰を下ろしている人物がいた。
彼女は精霊達のように、やや透けた後ろ姿を賢紀に向けている。
魂だけで、実体はないのだ。
服装は、ワインレッドのドレス。
背中から飛び出しているのは、黒鳥の翼。
娘である、ティーゼ・エクシーズと同じだ。
翼と服装以外は、あまり変わっていないように見える。
さらりと伸びた、艶のある長い黒髪。
あの日、コンビニで見送った後ろ姿のままだ。
賢紀はカラカラに乾いた喉から、なんとか言葉を絞り出した。
言葉は掠れた声となって、棺の上に座っている人物に届く。
「悪い……。待たせたか?」
――何だその台詞は?
まるで普通のカップルが、待ち合わせの場面で使うような言葉ではないか。
賢紀は自分の発言に、呆れてしまう。
生まれ変わってから300年。
寿命で肉体を失ってから200年。
合わせて500年。
待たせていないはずがない。
待たせていないはずがないのだ。
「ううん、今きたところ。……って言うのは、ちょっと無理があるかな」
声も全然変わっていない。
だが、口調は少し変わっていた。
彼女は地球に居た頃、いつも自信なさげだった。
だが今は、ハッキリ喋るようになったと賢紀は感じる。
ゆっくりと、山葉季子は振り返った。
「久しぶりね、安川君」
彼女の瞳は、赤い色に変わっていた。
眼鏡はかけていない。
それ以外は、顔も全く変わっていないように見える。
いや、賢紀の方も丸1年は会っていないのだ。
最後に会った姿も、3年ぶりに見たものだった。
ほぼ毎日、高校で顔を合わせていた頃とは違う。
――結局のところ、変わっていないと自分が思いたいだけなのかもしれない。
変わっていないと思いたくて、記憶の方を今の季子に近づけているのかもしれない。
賢紀は自分の感覚に、自信が持てなくなっていた。
賢紀と季子。
2人の間に、しばしの沈黙が流れる。
お互い、最初に何から話せばいいのか分からないのだ。
話したいことは、沢山あったはずなのに。
やがて賢紀が、ゆっくりと口を開いた。
「なんで、悪役令嬢なんだ?」
思わず出てしまった問いに、賢紀自身「なぜそれから聞く?」とツッコミたくなる。
季子の方も思ったらしく、「最初の質問がそれ? 相変わらずねえ……」と呆れ顔だ。
「アクヤック・レイジョールは、この世界の両親から授かった名前。こっちの両親に悪いから、魔王就任まではその名前で行こうと思っていたんだけど……」
季子は眉間を指で押さえながら、頭を振った。
「改名のタイミングが、遅過ぎたみたい。トキコ・ヤマハって名前が、全然定着しなかったの。魔族には、すごく発音しにくい名前だったみたいで」
「こっちの両親……。やっぱり山葉は、転生したのか……。俺の推理は、間違っていなかったわけだ」
賢紀は背後を振り返り、魔王転生者説を頑なに否定した3人を無表情で睨む。
明後日の方向を見て、素知らぬ顔をするのはアディ・アーレイトとイースズ・フォウワード。
エリーゼ・エクシーズだけは、不安げな表情で季子を見つめている。
「あら、安川君。私が苦労している間に、ハーレムパーティを結成したの? 私と同じように加護も持ってるみたいだし、チーレムね。なんで男ってみんな、チーレムが好きなのかしら? 安川君はハーレムとか、面倒臭がるタイプだと思ってたのに……」
季子はジト目になって、賢紀を冷ややかに見つめた。
「こいつらは、そんなんじゃない。共に死線を潜り抜けてきた、大事な仲間達だ。……いま言った、山葉が苦労している間にという部分が知りたい。コンビニで俺と別れた後、何があった?
季子は天井を見上げながら瞑目すると、声に懐かしさを滲ませながら語り始めた。
「あの日……。コンビニで3年ぶりに、安川君と再会した夜ね……」
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その晩、山葉季子は浮かれていた。
自室のベッド上で枕を抱えて悶えながら、独り言を連発している。
「どうしよう? 安川君から、食事に誘われちゃったよ! これってデート? デートで間違いない? 行ってみたら、益城君まで居ましたーってオチじゃないよね?」
大学生になって、見た目は少しばかりオシャレになった季子。
だが彼女は相変わらず、男慣れしていないままだった。
「いいえ! デートで間違いないはずよ! 約束のお店は、ムーディなカップル向けのお店だもん! キャー! あの安川君が、そんなお店を知ってるなんて驚きー! 少し見直したぞ。ロボットアニメ以外、興味無い男かと思っていたのに……」
ボフンボフンと、枕に拳を叩き込む季子。
当時は普通の女子大生だったので、実に微笑ましい威力のパンチだ。
「安川君も私のこと、好き……だったりして!」
季子は枕を抱えたまま、高速で横転してベッドの上を往復した。
最後は勢い余って、ベッドから床に落下する。
床で大の字になったまま天井を見上げ、季子はポツリと呟いた。
「何を着て行こう……。下着とかは、どうするかな……って!」
季子の頭は沸騰した。
「何を考えているの!? 私!? いくら何でも、初デートからそんな……。でも安川君って、結構むっつりスケベだしなぁ。……いやいや! 先走り過ぎだって! そういうのは、きちんと段階を踏んでから……。あっ!」
段階も何も、まだ告白すらしていない。
その事実に気付いた季子は、急激に冷静さを取り戻していった。
「……そういえば、化粧落としが無くなっていたんだ。買いに行かなきゃ」
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「世界の~壁を~♪ 壊して~♪」
夜の国道に、季子の歌声が響く。
普段の彼女なら、外で歩きながら歌うなど恥ずかしくて有り得ない行動だ。
しかし今、近くに人はいない。
何より季子は、浮かれていた。
彼女が歌っているのは、ロックバンド「ナローシュ」の代表曲だ。
タイトルは、「Rock you different world」。
バンドメンバーの中で、特に季子の推しなのが聖良という女性ヴォーカル。
赤いカラーコンタクトを入れた瞳。
背中に黒鳥の翼の飾りを着けて、彼女はステージに立つ。
飾りの翼は本物の鳥のように動くので、どのような仕組みなのかファンの間では議論の的になっていた。
他のメンバーも、ファンタジックなコスプレをしている。
ドラマーは長く尖った耳をしているし、ベーシストは額に1本角が生えていた。
キーボーディストに至っては、何だか幽霊みたいに透けて見える。
ギタリストの青年だけが、普通の人間っぽい姿。
そんな変わったバンドだ。
あまりロックなど聞いたことがない季子だったが、すっかりファンになってしまっていた。
大学の友人から、半ば強引に連れていかれたライブ。
そこで実際の演奏を聴いて、目覚めたのだ。
歌い歩きながら、季子は思いを巡らせていた。
明日、安川賢紀に会ったら何を話そうかと。
大学での生活。
賢紀の仕事の話。
自分が同人誌の即売イベントでは、ちょっとした有名人になりつつあること。
賢紀は相変わらず、ロボットアニメばかり見ているのかということ。
益城群の近況。
そして……。
季子のことを、どう思っているのか。
「違う世界のあなたに~♪ 私の想い届くから~♪」
サビの部分を口ずさみながら、季子は信号機のない横断歩道へと足を踏み入れた。
遠くに車のヘッドライトが見えるが、距離は充分にある。
(……会いたいよ、安川君。早く、明日にならないかな?)
歌と明日のことに気を取られてなければ、季子は気付けたかもしれない。
横断歩道に近づいてくる車の、異常なスピードとエンジン高回転音に。
横断歩道の真ん中で、季子は驚いた。
いきなり自分が、ヘッドライトで照らされたからだ。
反射的に、車の方を見る。
ドライバーは、季子に気付いた。
急ブレーキを踏んだらしく、キュッ! キュッ! と断続的にタイヤが鳴る。
(ああ。映画とかドラマみたいに、キィー! って連続した音にはならないのね……)
季子の頭をよぎったのは、そんなどうでもいいことだった。
スピードを殺しきるには、全然距離が足りない。
もう少し、距離さえあれば――
ドライバーはハンドルを切って避けるなり、もっとスピードを落として衝撃を和らげることができたのかもしれない。
季子の命が、助かる程度まで。
衝撃と共に、季子の体はボンネットの上を転がった。
回転しながら車の上を飛び越え、道路にうつ伏せで落下する。
季子はその状況を、どこか他人事のように感じていた。
あまりに衝撃が激しくて、現実感が失われている。
痛みも感じず、全身がまったく動かない。
(あれ……? 私……死ぬの? ちょっと待ってよ! どうして!? 明日、安川君に会うのよ!? 何で今なの!?)
撥ねた車のドライバーが、慌てて駆け寄ってきた。
身体に残されたわずかな力を振り絞り、季子は相手の顔を見る。
若い男だ。
季子や賢紀と、あまり変わらない年だろう。
自分がしでかしたことの大きさを理解しているようで、顔面蒼白になって震えている。
(ねえ! お願い! 早く救急車呼んで! ひょっとしたら、まだ助かるかも? 私、死にたくない! 明日まで、生きなきゃいけないのよ! 絶対に!)
そう言いたかったが、口が動かない。
肺から空気が出て行く気配すらない。
ならばせめて目で訴えようと、季子は相手の顔をじっと見つめる。
だがそんな思いは、届かなかった。
彼は季子に背を向け車に飛び乗ると、そのまま走り去ったのだ。
(畜生! 轢き逃げ野郎め! その顔は、憶えたぞ! 復讐してやる! 私が描く薄い本の中で、「受け」として登場させてやる! ドSキャラから徹底的に陵辱される、目を覆いたくなるような酷い展開にしてやるんだから!)
季子は憎しみを込めて、走り去る車のテールランプを睨みつけた。
赤い光が、小さくなってゆく。
それに呼応するかのように、自分の生命の灯も消えていくのを季子は感じていた。
(いやだ……死にたくない! 生きたい! 生きたい! 生きたい……。せめて明日の夜までは! もういちど、安川君に会うまでは! 生きたい! 生きたい! 神様でも悪魔でもいい! 助けて! 生きたい! 生きたい! イキタイ! イキタイ! イキタイイキタイイキタイ!)
『そんなに生きたいか? 力なき娘よ』
(あ……。この声……イケボ……)
そんな感想を抱いたまま、山葉季子は地球での生を終えた。




