8、忘れたい過去
「美雨さん買い物のお金を兄さんが出すって言ってるんで兄さんが出る時にもらってください。」
玲二様は出かける間際、玄関で思い出したかのように言い残し出勤された。昨日の件であまり関わりたくないのに。片付けと掃除を終えると聡一様がジャージで降りてこられた。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。今日は全て休講になった。生徒の過半数がインフルエンザにかかっているらしい。今日は木曜日だから、月曜日まで休みで火曜日から再開だ。」
「そうですか。では昼食は如何なさいますか?」
「今日買い出しに行くんだろう。一緒に行くからどこかで食べよう。」
「えっ。」
「じゃあ準備をしてくるから、美雨も外に行く準備をしろ。」
そう言って2階にあがってしまった。なんだか普通に話かけられてしまった。そして何故、名前を呼び捨てに?はあ、とまた深くため息をついてしまう。難儀だ。
「さあ行こうか。」
聡一様が歩くのは嫌だと言うので車で行く事になった。
「美雨は大学に行った?」
「行ってません。」
「ふーん。仕事は何をしてたの?」
「今のような仕事を。」
「へー。」
「最近泣いた事は?」
「映画ですかね。題名は忘れましたが。」
記憶が戻らないので仕方なく嘘をつき続けている。玲二様に兄さんだけには知られない方がいいと言われたし、とにかく気付かれないようにしないと。
「さあ着いた。」
ここは百貨店?食材を買うには高い気がするけど。
「美雨、お前服全然持ってないじゃないか。いつもシャツとジーンズだろ。いくつか俺が買ってやるよ。玲二に言ったら玲二も金をくれたから何着か選べよ。」
「いえいえそこまでしていただくのは。」
「ていうか俺とデートする時にそんな服で来られると萎える。」
こいつ。
「承知致しました。では1着聡一様が選んでください。もう1着は玲二様の好みそうな服をお願いします。私は服の好みはありませんので。」
「お前変わってるな。いいぞじゃあ先に玲二の好きそうな服を見繕ってやろう。」
結果、3時間かけて服を買って頂いた。玲二様の好みはフェミニンな雰囲気だ。パステルピンクのフレアのワンピースにフリルの付いた白のカーディガンとパステルピンクのヒール。
聡一様は色っぽい雰囲気の服だ。胸元が開いている黒のレースのタイトなワンピースにチャコールグレーのジャケットと黒のヒール。まあ大人っぽい服とも言える。
それとは別にこれで作業するようにと、いかにもメイド服のような前がボタンになっている膝下の丈の黒のワンピースと白のシンプルなエプロンとローファー。シンプルなので着れなくはないがいかにもメイド服にみえる。まあエプロンをとったら黒のワンピースだしいいか。制服があった方がメリハリもあるし。今こんな歳なのにと思ったけど私何歳なのだろう。
結局、食材はスーパーで買い揃えその後近くのラーメン屋に入った。
「いらっしゃい聡ちゃん今日は何する?って彼女かい珍しいね!」
ラーメン屋に入るなり捲し立てるように大将っぽい人が話し始めた。
「大将、俺はチャーシュー麺チャーシュー大盛りで。後チャーハン。それと美雨は彼女じゃないよ。まだ。」
「おーおーいいね若いって。俺もかみさんと会ったのは聡ちゃん位の時だったな。じゃあそちらのお嬢さんは何します?」
「私もチャーシュー麺を。」
「はいよ!すぐ作るね!」
大将は張り切って作り始めた。
「ここはさ俺が高校生の時から通ってるんだ。まあまあ美味しいから。」
「そうですか。」
「はいお待ち!チャーシュー麺チャーシュー大盛り2つね。チャーハンも直ぐに出すから。」
「「いただきます。」」
「それにしても聡ちゃんが女の子を連れて来るなんて今までなかっ、いやお姉さんを連れて来てたね。そっかもう亡くなって15年経つんだね。あんなに仲が良かったのにね。なんだか恋人みたいな感じだった。」
「大将、その話はやめてください。」
一瞬冷気が漂い大将は口をつぐんでしまった。いつも軽口を叩く聡一様が全く笑わずラーメンをすすっている。誰にだって触れられたくない過去があるという事だろう。
行きの車中では質問攻めにし息付く暇なく話していた聡一様が帰りは一切口を開かなかった。