16、問題は降りかかる
「こんにちは、聡一様は居ますか?」
「お久しぶりです絹川様。聡一様は大学へ行ってらっしゃいますが。」
「あーそうですよね。ねぇ学長の娘のくせにそんな事も把握してない馬鹿な女と思っているんですよね。」
「そんな事は思っていません。すぐに聡一様に連絡します。失礼致します。」
「はあ、どうだか。」
「こちらでお待ちください。」
食堂に通す。なんだか以前と雰囲気が違う。とにかく聡一様に電話しよう。
3コール目で聡一様が電話に出てくれたので胸を撫で下ろす。
「聡一様、絹川様が来られています。」
「えっなんで?」
「聡一様に御用のようですが。どうされますか?」
「今から帰るとこだったから帰る。」
「かしこまりました。できればいそいでください。」
「分かっている。」
ぶつっと電話が切れた。とりあえずクッキーと冷えた麦茶を出そう。おかしな組み合わせなのは重々承知だけど今はこれしかない。
「お待たせしております。聡一様は少ししたら帰ってこられます。」
と声をかけ絹川様の前にクッキーとお茶を出したその瞬間、クッキーを床に落とされスリッパで踏まれ粉々にされお茶を頭からかけられた。何故?
「あははははははは。」
絹川様は高らかに笑いながら私を睨みつけている。
「ざまあみろばばあ。私の聡一さんを横から奪いやがって。この頃、目も合わせてくれないのはお前のせいだ!知ってるんだ金曜日いつも2人で楽しそうにしてるの!聡一さんは私を…私をこんな体に、あの人がいないとおかしくなってしまう体にしたのに!」
と言って床に座りこみ慟哭している。私にはかけられる言葉が無くてただ絹川様を見下ろしていた。
可哀想に男に狂わされるなんて。それでどうしようもなくて私に気持ちをぶつけることしかできなかったなんて。いじらしくて愛らしく愚かなのだろう。
実際には数分だっただろうが、とんでもなく長い時間そうしていた気がしていた。気付くと聡一様に肩を揺すられていた。
「美雨!どうしたんだ!大丈夫か?」
はっとして絹川様を確認する。まだ泣いているようだ。
聡一様は帰ってきて誰も出迎えに来ないことを不思議に思い、食堂に入ってみるとお茶まみれで立ち尽くす私、声をあげて泣いている絹川様とその前の粉々のクッキー。
そんな状況だから少し狼狽えているのだろう。私に先に声をかけるなんて。
絹川様は顔をあげて私と聡一様を見た。目にはじりじりと憎しみや恨みの炎が燃えていた。何故1番に声をかけてくれなかったのかに怒りを感じている。
「聡一さん。」
何故か一切音がしない食堂に絞り出すような声が響いた。聡一様は返事をしなかった。ただ絹川様を見下ろしその後に続く言葉を待っているようだ。
「聡一さんお父様がまた家に来なさいって。いつでも来なさいって。ねえ聡一さん、大学に残りたいでしょう。だったら私を選んで。」
そう言って立ち上がり聡一様の腕の中に体を預けている。
ああ、その駆け引きはどうだろうか。聡一様の腕の中にいたいのなら、愛してもらいたいなら。いや絹川様はまだ若い、切り札としてこれを選んでしまうのだろう。
「あなたのお父様にはもうお会いできないと他にいい人ができたと伝えてあります。あなたとは食事をするだけの関係だったはずです。」
ぐっと体を離しながら伝える。聡一様はいつになく真剣だ。
「じゃああの、あの日の事は?」
叫ぶように問いかける絹川様はどこか虚ろだ。
「……あなたが落ち込んでいたから頬にキスをしただけです。妹のような感覚でした。それ以上の感情をあなたに抱いた事はない。ただ気のある素振りをしていたのは確かです。すみませんでした。」
まっすぐに目を見て言葉を伝える聡一様に絹川様は嘘ではないと分かったようでまた座り込んでしまった。
完全に2人はそういう関係だと思っていたけど違っていたようだ。
じゃあ私は何をしていたのか?絹川様が傷つかないように恋人ごっこをしていたのに。今、私が傷つけている。本末転倒とはこういう事を言うのだろう。
「そんな。……なの?」
聞き取れない。聡一様も聞き取れなかったようで聞き返している。私と同じ仕草が気に食わなかったのかすっと立ち上がり、怒鳴るように言い放った。
「そのばばあのせいなの?私より何が勝っているというの?若いし、お金もある、学長にだってしてあげる。プレゼントもたくさん買ってあげる。なんでもしてあげる。私の全てをあげる。」
「あなたは素敵です。勝っているとかではないんです。自分を大事にしてください。送りますよ。」
「いえ、結構です。私諦めません。絶対に聡一様を手に入れます。じゃあさようなら。」
それだけ言い残すと怒りを感じる足音をたてながら帰ってしまい、その後静寂がひろがった。