1、記憶を失くした女
気が付くと雨の降りしきる公園の中だった。私のそばにはキャリーケースが1つ。人でも入ってそうな重く大きい白いキャリーケースを雨にうたれながら眺めていると、後ろから男性が声をかけてくれる。
「大丈夫ですか?」
「えっと多分。」
「傘貸しましょうか?」
「でもあなたが濡れてしまいますし悪いです。」
「私はここから家が近いので。」
「家。」
「遠いですか?」
「分かりません。」
「えっと、私は柊玲二です。あなたは?」
「私?私は。名前は。……分かりません。」
「名前が分からない?えっと今は何月ですか?」
「3月。」
「ええ。青信号は止まれですか?」
「いいえ。渡ります。」
「ふむ、あなたのお家はどこですか?」
「分かりません。」
「分かりました。では警察署に行きましょう。もしかしたら捜索願が出ているかも。」
「はい。お願いします。」
「出ていませんでしたね。」
「はい。」
「これからどうしますか?」
「分かりません。」
「ここで相談なのですが、私の家で家政婦として住み込みで働きませんか?」
「そこまでして頂くのは申し訳ないです。」
「探していたんです。兄と2人暮らしなのですが、2人共家事が全くできなくて。記憶を取り戻したら辞めていただいて構いませんのでそれまでどうですか?」
「それでは働かせてください。お世話になります。」
この男性はとても慈悲深い。公園で雨にうたれていた女を警察署連れて行ってくれた挙句住み込みで働かせてくれるのだから。ありがたく恩恵を受けよう。自分自身が何者か分かっていない女を家にあげるなんてお人好し過ぎる。
「じゃあ行きましょうか。」
「はい後ろをついて行きます。」
10分程歩いて立ち止まったのはレンガ作りで蔦がはっている大きな洋館の前だった。