第8話
最高裁判所長官の出現により仕切りなおされた裁判。しかし姫香のジャージと目撃者が揃ったがけっぷちの状態。混迷極まる裁判が今幕を上げようとしていた。果たして銀大河は見事青木健の無実を証明し、この世界に生まれようとしていた冤罪を防ぐことができるのだろうか!!
「いや、被告人は青木君だよ?」
ノリノリで前説をし始めた健に大河は冷たい視線をむける。やっぱりこのまま帰ってしまおうか、と立ち上がろうとした大河の腕を健は目にもとまらぬ速さで掴んだ。
「見捨てないで欲しいであります!!助けて欲しいであります!!」
「はいはい、わかってるって」
大河は大きくため息をつくと、話し合っている三人の方へと視線を向ける。ちょうど姫香の説明が終わったようで明日香は健に笑顔を向けた。
「話は伺いました。青木君は姫香さんのジャージを盗んだのですか?」
「盗ってないであります!!八百万の神様に誓って拙者は無実であります!!」
「でも姫香さんはあなたがジャージを持っていたと言っていますが?」
明日香が声の調子を変えずに問いかける。姫香のジャージを持っていたのは事実なので健は返答に窮した。
「それは本当のことであります…でもいつの間にか拙者の鞄に金城氏のジャージが入っていたであります!!」
「いつの間にかですか?」
「そうであります!!これはどこかの組織の陰謀であります!!このままでは変な薬を飲まされて身体が小さくなってしまうであります!!」
あれれー?おかしいぞー?空気の読めないバカがネタに走り始めてしまっている気がするぞー?
このままでは裁判官の心証が悪くなる。現に明日香の隣に座るあやめは手をうずうずさせながら木刀の方へ伸ばしており、姫香は視線だけで人が殺せるか試しているような表情であった。慌てて大河が咳払いをして注意を促すと、健はハッとした表情を浮かべる。
「い、いや……違うであります!!なぜ拙者の鞄に金城氏のジャージが入っていたかわからないでありますが嘘は言っていないであります!!拙者はやっていないであります!!」
「ちょっとあんた!!いい加減に……」
「姫香さん」
健の言葉に業を煮やした姫香が口を挟もうとするが、明日香は首を横に振ってそれを止める。前のめりだった姫香はグッと口を閉じ、渋々といった様子で自分の席に着いた。
「困りましたねぇ……二人とも嘘は言っているようには思えんませんが……。あなたはどう思いますか?」
明日香は困り顔で頬に手を添えると、健の横に座る大河に目を向けた。大河はちらりと健の方を見るとまっすぐに明日香の目を見据える。
「彼はやっていませんよ」
「なっ……!?」
大河の言葉に姫香は驚き大きく目を見開いた。そんなはずはない、と明日香の方に顔を向け慌てたように声を上げる。
「明日香さん!!この二人は仲がいいのでかばってるに決まってます!!」
「そうでしょうか?私にはそう思えませんが……かばっているのですか?」
「いえ、事実を述べただけです」
淡々とした口調の大河に、姫香は思わず机を叩いて立ち上がった。
「嘘よっ!!私は見たんだから!!この男は見せびらかすかのように私のジャージを手に持っていたのよっ!?ズボンの方も鞄に入っていたし……それでやっていないなんてありえないわ!!」
声を荒げる姫香を前にしても大河は一切表情を変えない。それがまた姫香の神経を逆なでした。
「それともなに!?あなたはずっとこの男のことを監視していたの!?」
「いや、僕が教室を一度出て戻った時にはもうジャージを持っていたから詳しいことはわからないよ」
「だったらその隙にやったに決まっているわよ!!誰がどう聞いても正しいのは私……」
「青木君はやらないよ」
静かにそう告げた大河には有無を言わさぬ迫力があった。それに気圧された姫香はうっ、と言葉を詰まらせる。
「……根拠は何よ?」
少し冷静になった姫香が座りながら不機嫌そうに尋ねた。あやめも明日香もここまではっきりと断言した大河に興味を持ったらしく、二人とも大河に注目する。三人の美少女からの視線に若干居心地の悪さを感じながら、大河は静かに口を開いた。
「青木君はくだらないことは言うけどくだらないことはやらない男だよ」
大河の言葉に三人は目をぱちくりとさせる。大河の発言は根拠も減ったくれもないもの、だというのにその表情には一切の疑いはない。大河の横では「銀氏~ !!銀氏~!! 」と健が泣きながら抱き着こうとするが、恰幅のいい腹を抱きしめるには若干腕の長さが足りなさそうであった。
「な……によ……それ……」
わなわなと身体を震わせる姫香。それはそうだろう、限りなく黒に近い健がやっていないといえる理由が「くだらないことはやらない男だよ(ドヤッ)」で納得できるわけがない。
「だったらなんでこの男の鞄の中に私のジャージが入っていたのよっ!?誰かがわざわざ入れたっていうのっ!?」
なりふり構わない様子で声を荒げる姫香を見て、大河は顎に手を添えてうーん、と唸った。正直、健がやっていないことには自信があるのだが、その一点だけが大河にもよくわからないことであった。
しばらく俯きながら考えていた大河は、「もしかしたら……」と徐ろに顔を上げる。
「さいばんち……会長。一つお伺いしてもいいですか?」
「私に答えられることであれば……なんでしょうか?」
「金城さんはおっちょこちょいなところってありますか?」
「なっ……!?」
姫香の顔を一瞬見てから大河が尋ねると、明日香は少し考え込んだ。質問の内容が内容なだけに眉を吊り上げる姫香だったが、明日香が否定をしてくれるまで我慢することにする。
「そうですね……姫香さんは大抵のことは完璧にこなしてくれます」
「明日香さん!!」
姫香は明日香を親愛の込めた眼差しで見つめると、どうだと言わんばかりの表情を大河に向けた。しかし明日香の言葉はまだ終わりではなかった。
「しかしごく稀に粗相をすることはあります」
「明日香さん!?」
「ごく稀かしら……結構な頻度じゃないかしら?」
「あ、あやめさん!?」
まさかの先輩二人からのドジっ子認定。自分では一切そんな事を思っていなかった分、その精神的ダメージは計り知れない。
「それで……それが今回の件と関係があるのですか?」
肩を落とす後輩の頭を撫でて慰めながら明日香が不思議そうに尋ねると、大河は少し迷いながらもコクリと頷いた。
「あくまで仮説の域は出ないんですが、金城さんと青木君の席は隣同士なんです。そして教室に戻ってきた金城さんは先生に呼ばれていることを知り、慌てて自分のジャージを鞄にしまいました。このことから考えられることは……」
「姫香……あなたまさか……?」
大河の話を聞いていち早く答えにたどり着いたあやめが何とも言えない表情で姫香の方に目を向ける。当の本人はいまいちピンときていない様子であったが、健の方は「なるほどでありますな」と納得したようにポンっと手を叩いた。
「えっ?ど、どういうことよ!?」
混乱する姫香にあやめが冷静な口調で説明する。
「要するにあなたが間違えて彼の鞄にジャージをしまったんじゃないか、って言ってるのよ」
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」
一瞬、あやめの言っていることがわからずキョトンとした姫香だったが、頭の中で意味をかみ砕いた後、悲鳴のような声を上げた。そしてキッと大河を睨みつけると、怒りのあまり肩を震わせる。
「ちょっとあんた!!この期に及んでなにとんでもないこと言ってるのよ!!そんなことあるわけないじゃない!!」
「……僕は可能性の話をしただけだよ」
「そんな苦し紛れの言い逃れを信じるよりも、この男が盗んだって方がよっぽど現実味があるじゃない!!そうですよね!?明日香さん!!あやめさん!!」
姫香が顔を向けるとあやめはサッと視線をそらした。本来であれば姫香の言う通り大河の考えは苦し紛れの言い逃れにしか聞こえないのだが、あやめは姫香ならやりかねないと思った、思ってしまった。
明日香は怒り狂っている姫香を落ち着かせようと優しい声音で話しかける。
「姫香さん、あなたがジャージをしまった時のことをゆっくりと思い出してみてください」
「えっ?まさか明日香さんまで私のことを疑って……?」
もはや泣きそうにすらなっている姫香の目をしっかりと見つめながら明日香は首を左右に振った。
「いいえ、そうではありません。ちゃんとした事実を確かめるためにあなたの話が必要なんです」
まさにすべてを包み込むような包容力溢れる声。姫香は明日香の声に安心感を抱きながら当時のことを思い出した。
「あの時は……クラスに入った瞬間みんなが私のことを心配してくれて…少し戸惑いましたが嬉しかったのを覚えています」
「それは嬉しいですね。それで姫香さんはどうしたのですか?」
「なんとか自分の席までたどり着いたと思ったらクラスの子から藤岡先生に呼ばれていることを聞きました」
「なるほど……ではその時にジャージを?」
「はい。私は急いで職員室に向かおうと床に置いてある鞄にジャージを……」
その瞬間、姫香は自分の言っていることに違和感を感じ言葉を止めた。
床に置いてある鞄……床に置いてある?あれ?それはおかしい。私はいつも自分の鞄を机の横掛けていたはず。なんで私の鞄が床に置かれているのだろう。床に置くはずのない私の鞄が床の上にあったということは私の鞄ではないということ。でもジャージをしまったということは私の鞄だということ。あれ?私の鞄ってなんだっけ?
急に押し黙った姫香が「私の鞄ラビリンス」に迷い込んでいるのを見て、あやめはその肩にそっと手をのせた。
「バカ姫香。さっさと謝りなさい」
その言葉と同時にその場にへたり込む姫香。しばらくプルプルと何かを耐えるように震えると、急に立ち上がり大河と健の方へ歩み寄った。
「……疑って悪かったわ。ごめんなさい」
目を真っ赤にさせ、悔しそうに唇を噛み締めながらか細い声で告げると、姫香はそのまま会議室から出ていった。そんな姫香を愛おしそうに見つめていた明日香と、笑みを浮かべながら肩を竦めるあやめ。大河と健は「鞄を床に置いている方が悪い」とか「入っていることに気がついたんならすぐに返しに来なさい」とかもっと無茶苦茶言われるかと思っていたが、意外にも素直に謝った姫香に驚きを隠せずにいた。
「お二人にはご迷惑をおかけいたしました。私からも謝らせていただきます。本当にすみませんでした」
「あ……いや……会長が謝ることでは…ねぇ?」
「そ、そうであります!!拙者は無実が証明されればそれでいいであります!!」
真剣に頭を下げる明日香にたじたじになる二人。あやめはそんな二人を興味深そうに見つめる。
「銀君と青木君、だっけ?君たち中々面白いね。また何かあれば生徒会室においで?風紀を乱さない限り、歓迎するよ」
「えぇ、いつでもいらしてください」
とびっきりの笑顔を向ける明日香にドギマギしながら、二人はいそいそと立ち上がった。
「じ、じゃあ僕達はこのへんで!」
「失礼するであります!!」
二人は足早に入り口へと向かうと逃げるように会議室から出ていった。そしてそのまま階段を降りていき、自分達のクラスの階まで辿り着くと、ふぅー、と大きく息を吐く。
「なんか……すっごい疲れた……」
「拙者もであります……」
健の頬はなにやらげっそりと痩せこけたようであった。大河の方は…もう少しげっそりした方がいいのではないか、と思えるほど肥えている。
「帰るであります……」
「そうだね……」
誰もいない廊下で互いにうなだれると下駄箱へと歩き始めた。その途中で何かを思い出したように大河があっ、と声を上げる。
「どうしたでありますか?」
「ちょっと忘れ物!先に下駄箱へ向かっといて!」
「わかったであります」
大河は教室に向かうふりをして健の様子を覗った。健は振り返ることなく下駄箱の方へと歩いていき、その姿が見えなくなると大河の後ろにある柱の影から誰かがこっそりと現れる。大河は大きくため息を吐くと、自分の後ろに立っている人物に声をかけた。
「……僕に何か用?灰原さん」
振り返るとボブカットの小柄な女の子が無表情で大河のことを見つめていた。