第4話
下駄箱から靴を取り出しながら健は悔しそうな表情を浮かべる。
「むぅ……拙者としたことが……絶好のチャンスを不意にさせてしまったであります」
「絶好のチャンスって……あぁ、白鳥さん?」
まだそのことを言っていたのか、と苦笑いを浮かべる大河に健は真剣な表情を向けた。
「新任生徒会長として不安でいっぱいのヒロイン!!そして彼女を巡るトラブルを颯爽と解決する主人公!!二人はそこで出会い、運命の歯車はまわり始める!!そしてなんやかんやで恋に落ちた二人は夕焼けが差し込む生徒会室に二人きり……愛を囁き合うのであります!!」
「……一番大事なところがなんやかんやっていうところが青木君の恋愛経験の少なさを物語っていていいね」
「舐めてもらっちゃ困るであります!!数多のギャルゲーをクリアしてきた拙者に対し恋愛経験が少ないなど笑止千万!!」
「へー……じゃあリアルの方はどうなの?」
口に右手を添え、左手を後ろに伸ばして決めポーズをとる友人にニヤニヤと笑みを浮かべながら尋ねると、健はそのままの姿勢でピシリッと石化する。そしてズリズリとなだれ落ちていくと、下駄箱に寄り添いながらすすり泣き始めた。
「どうせ拙者なんて……拙者なんて!!」
「ごめんごめん!それより『お日様バーガー』食べに行くんでしょ?」
大河の言葉にピクッと耳が反応すると、崩れ落ちていた姿勢から膝のクッションだけで驚異の跳躍をみせる。そして腕をピシっと伸ばして十点満点の着地を決めた。
「そうであります!!新作バーガーが拙者たちを待っているでありますよ!!」
「はいはい、昼時は混むからさっさと行こう」
靴を履き替えながら大河が言うと、健もいそいそと上履きを脱ぎ始めた。健が靴を履き終えるのを待って昇降口を出ると健が正門とは真逆の方向を指さす。
「銀氏、裏門から行くであります!正門は人が多いから……あまり通りたくないのであります」
健は言い終わる前に裏門に向かって歩き始めた。
皇聖学園の変わり者である二人は人が集まる場所にいけばほぼ確実に奇異の目を向けられる。単純な興味ならどうってことはないが、そこには確かな悪意があった。いくら慣れっこといっても大勢からそんな視線をぶつけられるのは大河にとってもあまり気持ちのいいものではない。周りにあまり興味がない大河ですらそうなのだから小心者の健の負担は計り知れないのであろう。大河は健の気持ちを察し、何も言わずに後ろについて行った。
もうすぐ裏門が見えてくるといった校舎の裏まで来たところで不意に健はその足を止める。不思議に思いながらもその隣を追い抜こうとした瞬間、健が大河のワイシャツの袖に手を伸ばした。
「待つであります!!」
「ぐええぇぇ!!」
思いっきり襟首を引っ張られ思わず車に引かれた蛙のような叫び声をあげる。涙目で講義をしようとするも、健が口元に指を立て、シッと静かにするように合図を出され大河は慌てて口を閉じた。それを確認した健はソロリソロリと細心の注意を払い校舎の影に身を隠す。健自身は自分の好きなFPSの隠密行動を真似ているのだが、はたから見れば不審者のそれ。遂に落ちるところまで落ちてしまったか、いや友人が間違った道を行こうとするのを止めるのが自分の務め。大河は意を決して重々しく口を開いた。
「青木君……更衣室を覗くのはいけないことだよ」
「何を馬鹿なことを言っているでありますか?いいからこっちに来るであります」
友達を犯罪者にしたくない、大河のそんな悲痛な思いなど露知らず、健が呆れた表情でこっちに来いと手招きをしてくる。華麗にスルーされた大河は若干傷つきながら渋々それに従った。
「あっちを見るであります」
健は極力声を潜めて校舎の裏を指さす。そちらに目を向けると三人の人物が向き合って立っていた。そのうち二人には大河にも見覚えがある。
「あれは……」
「金城氏と灰原氏であります」
あのド派手な金髪は見間違いようがない。確かに健の言う通り金城姫香が腕を組んで不機嫌そうに立っていた。そしてその傍らに立つ小柄な女の子はいつも一緒にいる灰原華であろう。そこまでは分かるのだが、相対しているのは全く知らない人物であった。ネクタイの色が緑なので三年生であることはかろうじて判別することができる。清潔感溢れる短髪は奇麗に切りそろえられており、ワイシャツ越しにもわかるほど逞しい体つきをしていた。
「……一緒にいるのは空手部の主将でありますよ」
「空手部の?へー……あれが……」
皇聖学園は文武両道、学問でもスポーツでもトップクラスの人材が集まる。そんな学園の空手部主将ともなれば高校ナンバーワンの実力者であると言っても過言ではない。
「そんな人がこんなところでなにやってるんだろう?」
大河がぼそりと呟くと、健が憐れなものを見るような目で大河を見たと思ったら、首を左右に振りながら大きくため息を吐いた。憐れなのは友人に覗き魔と思われるお前の方だ、と言いたいのをぐっと堪えて健に答えを促す。健はじっくりと溜めを作ると、大河の方に顔を寄せ小声で答えた。
「校舎裏に男女が集まればやることは一つ……まさに王道イベント告白であります!!」
興奮した面持ちの健に対し、大河はあからさまにしらけている様子。
「な、なんでありますかその顔は!!絶対間違いないであります!!」
自分の説が正しいことを主張する健に対し、大河は呆れたように息を吐くとナイナイと手を左右に振った。
「告白って一対一でやるもんでしょ?男一女二ってどう考えてもおかしいよ。それともあの空手部主将は同時に二人の女の子に告白するつもりなの?」
「まさか……こんなところにいたでありますか……Brave Man」
「そんな奴いるか!」
無駄に発音のいい英語に若干イラっとしながら大河は全否定する。
「どうせあの金城さんが生意気だからって上級生に目をつけられただけでしょ?中身が悪魔みたいな人だから」
「悪魔って……言いえて妙であります」
大河のあまりの物言いに健は思わず吹き出す。どうやら大河の中で姫香の評価はかなり低い部類に入るようであった。
「それで灰原さんは心配でついてきただけだよ、きっと」
「む……それなら男として助けに入らねばならないでありますな」
「流石に女の子相手に手は出さないでしょ?それに生徒会の人に下手なことしたらあの執行部のこわーい先輩が飛んでくるよ」
「……確かにそのとおりでありますな」
健は先ほどの紫垣あやめの姿を思い出し、再度ぶるりと身体を震わせた。健の中であれはかなりのトラウマになっているようだ。大河は健がなにかアホなことをやらかしたら『執行部』というパワーワードを使おうと心の中でこっそり誓う。
「それで?何の御用ですか?私たちはこれから生徒会の集まりがあるので先輩に割いている時間はあまりないのですが」
二人がそんな無駄話をしている間に金城姫香は組んだ腕を指でトントンと叩きながら問いかけた。その口調から苛立ちを隠そうとする気は微塵も感じられない。それまで静かに目を瞑っていた空手部主将はカッと大きく目を見開いた。その瞳の力強さは万の軍勢相手に骨をうずめる覚悟で挑む漢のもの。全身から漲るオーラが大河達にまで見えるようであった。
「金城姫香!!!」
空手部主将は姫香の名前を呼ぶと大きく息を吸い込んだ。その口調は生涯をかけて探し続けた親の仇をついに見つけたように鬼気迫るものである。それを聞いた大河がしてやったりといった表情を健に向けた。
「ほらね?あれは告白する言い方じゃない。むしろ憎しみすら感じるよ。ここから続く言葉は…」
「お前のことが好きだぁぁぁぁぁぁ!!!!」
校舎のガラスがビリビリと震えるほどの大声量。シンプルイズザベスト。ここまでわかりやすく端的に自分の気持ち伝える言葉など他に存在しない。漢気溢れる告白を前に、こんな大声では校舎裏に呼び出した意味があったのであろうか、などという無粋なことは誰も言うまい。
「うるさっ……こんな大きい声で言うなら校舎の裏なんて場所に呼び出すなっていうのよ」
訂正、中には言う人もいる。姫香は両手で耳をふさぎながら、これでもかというほど迷惑そうな表情を浮かべた。後ろに立つ華も無表情で耳の穴に指を詰めている。
まさかの告白に唖然としていた大河はハッとすると恐る恐る健の方に顔を向けた。そして押し寄せる後悔の念。あぁ神様、人というのはここまで人を馬鹿にしたような憎たらしい顔をすることができるのですね。もし未来のネコ型ロボットがこの場にいるのであれば私は今すぐこの場に眼鏡をかけたサンドバッグを持ってくるように渇望します。
「はぁ……私に告白するということはお付き合いする条件を知っているということですよね」
「もちろんだ!!」
心底面倒くさそうに姫香が言うと、空手部主将は大きく頷きチラリと華の方に視線を向けた。華は姫香が頷くのを見てコクリと頷き返し、ゆっくりと前に出る。
「知っての通り私は弱い男には興味がありません。だからもしあなたが華に勝てれば私のことを好きなようにしてください」
「……噂は本当だったのだな。しかし本当にいいのか?俺は皇聖学園空手部主将だぞ?」
「えぇ、かまいませんわ」
姫香は小悪魔のように笑いながら伏し目がちに後ろに下がる。その表情には男を虜にする魔力があり、空手部主将も思わず目を奪われた。
「だって華が負けるなんてありえないもの」
その言葉と同時に華が動き出す。女性相手に拳を振るうことに抵抗感があった空手部主将であったが、そのあまりの動きのキレに反射的に手加減抜きの正拳突きを放った。華はしっかりと攻撃の軌道を目で追い、拳を受け流しながら相手の体勢を崩すと、相手の顎に手を添えそのまま真後ろへと押し倒す。受け身も碌にとれぬまま頭から倒れた空手部主将はそのまま白目をむいて伸びてしまった。
「お疲れ様。さぁ、生徒会室に急ぐわよ。遅れたらあやめさんに何されるかわかったもんじゃないわ」
つまらなさそうに空手部主将を一瞥すると姫香はこちらに向かって歩き始めた。空手部主将の顔をつんつん突ついていた華もコクリと頷くと、姫香の後について来る。大河と健は顔を見合わせ、大慌てで身を隠すところを探すが見渡す限り障害物など何もない。こうなったら、と最後の手段を講じる。
吾輩は壁である。名前はまだない。
そう、最後の手段というのは自分自身が壁になることだ。もうこれで終わってもいい、だからありったけの壁を。普段から鍛えている(クラスで存在感をなくすための)気配消去のスキルを最大限に発揮し、今僕達は壁と一体化する。
金城姫香が速度を落とさずに後ろを通過する気配を感じた。やった……勝ったんだ!僕達は勝った!これで自由の身になれるんだ!!声にならない叫びをあげる二人。しかし安堵したのも束の間、もう一人の刺客が自分達の後ろでその歩みを止めた。
二人を尋常ではない緊張感が包み込む。流れそうになる冷や汗を必死に止めた。なぜなら自分は壁だから汗など流さない、しかしこれ以上は……。二人の神経が限界をむかえた時、救いの手が差し伸べられる。
「華!早くこっちに来なさい!!」
まさに天の福音。灰原華が離れていくことを背中で感じ、二人は心の中でガッツポーズをした。金城姫香……自分達の窮地を救ってくれるとはあなたこそ真の女神かもしれない。悪魔呼ばわりしてごめんなさい。
姫香は小走りでやって来た華に忠告する。
「あんなのにかまっていたら馬鹿がうつるわよ。あぁいうのは視界に入れないのが一番なの」
それだけ言うと足早に校舎の中へと入っていった。
「…………」
「…………」
二人はゆっくりと身体を動かすと無言で壁から離れ制服についた土埃を払う。そして校舎の方には目もくれず、何事もなかったかのように裏門に向かって歩き始めた。言葉は交わさずとも二人の思いは一致している。
金城姫香は紛うことなき悪魔であった。