第6.5話 【レア・フリーゼと青年】
閑話休題のようなもの
少女の視点のお話
レア・フリーゼ 少女の名前である。
少女の両親は裕福と言えるほど恵まれた家庭ではなかったが夫婦仲睦まじく、子供に恵まれない、と言う点を除いて幸せな生活を送っていた。
長い年月を過ごし、漸く少女を授かった時には手放しで喜んだらしい。
特別な存在などを望む事もなく、ただ健やかに育ち、そして幸せになってほしいという両親の願いの元、少女はこの世界に生まれ落ちた。
そんな両親の願いを知ってか知らずか、少女はすくすくと育つ。
明るく元気な優しい女の子、とでも言えばいいのだろうか。
絵にかいたような理想の子供とも言えるのかもしれない。
しかしその姿は一部にしか過ぎなかった。
少女は優れた才能を持って生まれたのだ。
魔力に対しての理解力は中でも群を抜いていたが、それらの才能を人前で発揮する事は只の一度もなかった。
能ある鷹は爪を隠す、と言う言葉を体現でもするかのようにその片鱗すら見せる事はない。
優れた頭脳を有するがゆえに、自分の才能が広まれば今の幸せな生活を壊しかねない事を知っていたからである。
少女の思惑通り平穏な月日は流れ、14歳を迎えた年に両親の他界と言う形でその生活は終わりを告げる。
両親は手を取り合うようにして最後まで仲睦まじく、幸せそうに息を引き取った。
少女は自分を可愛がってくれた両親に深く感謝し、他界した事を酷く悲しみはしたがそれらの感情にいつまでも引き摺られる程の弱さは持ち合わせてはいなかった。
両親の他界をきっかけに住居を移し、新たな生活を送る事三年。
少女は不思議な青年と出会う事となる。
「・・・」
幼い頃からあった好奇心。
その心を抑える必要の無くなった少女はその才能を生かし、魔力に関する研究を二年間に渡り打ち込んできた。
その結果、魔導士として歴史に名を残すほどの成果を世に齎す事となったが、それ以降少女は行き場のない虚しさを胸に日々の生活を送る。
何か目新しい事はないか、という淡い期待からほぼ日課とも言える程繰り返してきた行動を今日も行う。
「散歩をしよう」
誰に言うでもなく、一人少女は呟く。
期待、と言ってもそれに応えてくれる事柄が簡単に起きるものではなく、少女もまたその事を理解していた。
何もしないよりかはいいだろう、と言った思いから惰性で続けているような物なのである。
とは言え本当に何かあった時の為の準備は怠らない。
緊急時に必要になりそうな物を複数入れた鞄と愛用の杖を片手に少女は自宅を後にする。
少女が居を構えるこの森、タフルの森は少々特殊な場所である。
この世界には魔力の源とも言える 魔素 という物が大気中に存在するが、全ての生物は呼吸によってそれを取り込み、体内で魔力へと練り上げて魔法を使う。
この一連の流れには魔力の量、魔法の規模などと言った形で個体差が現れるのだが、一定の水準に満たない、抵抗する手段を持たない生物がこの森に足を踏み入れた場合、なんらかの影響によって体内の魔力を乱され、認識能力の低下により方向感覚を失い、最終的に遭難してしまう場所がこのタフルの森なのだ。
もっとも、魔力を有する生物、つまりはこの世界の生物ならば、森について詳しく知らずとも、近づくだけでその片鱗を魔力の変化により察知し、むやみにそれ以上歩みを進める事はしないだろう。
余程の事が無い限りは踏み入ることが無いであろう場所に、人嫌い、と言うわけではないが研究に打ち込みたかった少女が住居を移した事は当然と言えるのかもしれない。
目的も無くブラブラと自分の庭の様な感覚で森の中を歩く。
小石を蹴飛ばしては追いかけ、また蹴飛ばしたり、右手に持った愛用の杖でコツンコツンと地面を叩きつつ歩いたり、時折空を見つめたり、と退屈そうな少女の耳に聴こえたのは魔物の遠吠えであった。
「・・・」
この森には魔物が数種類存在するのだが、遠吠えを発した主は戦闘能力に関してのみで言えば最底辺に位置する魔物である。
通称イーリーウルフ。
実力差を魔力探知によって見極める程度の知能を持ち、格下と判断した対象には非常に好戦的なのだがこの魔力探知が少々やっかいな代物なのだ。
魔導士は戦闘時以外、実力を悟られないよう常に自らの魔力の総量や情報の一部を隠して行動する為、魔力探知によって全てを判断する事はかなりの水準の者でもなければ困難を極める。
しかしこの魔物、イーリーウルフはそこに至るほどの知能も実力も有してはおらず、表面上の実力のみを見て襲い掛かってくるのである。
遠吠えを発するという事は対象を格下として認識し、今まさに戦闘状態へと移ろうとしているのだろう。
少女は遠吠えの対象となった生物の魔力を探知できない事から、その存在を魔導士、あるいはそれに準ずる者だと判断していたが疑問が浮かび上がる。
戦闘を前に魔力を隠したままの理由は?
非常事態に於いて魔力を隠す。
それも一部などという生易しいものではなく、恐らくは全てを隠したまま、あるいは封じていると言える程に一切の魔力を感じる事が少女には出来なかった。
何の目的があってそんな事をしているのか。
あれこれ考えるよりその目で確かめたほうが早いと判断した少女はイーリーウルフの放つ魔力を頼りに、ある種の期待を抱きながらその場所へと移動を開始する。
辿りついた場所、そこはタフルの森に流れる川の付近であった。
迂闊にも自分の存在を隠すことを忘れていた少女であったが、その必要が無いほどの緊張感がその場を支配していた。
すでにこの距離まで近づいているのだから自身の魔力を察知され、存在に気づかれているのかもしれないが念の為にと木の陰に隠れながら様子を窺う。
イーリーウルフと対峙しているのはこの辺りではあまり見ない人種の様だ。
酷く衰弱しているように見える。
そんな状態にも拘らず、未だに魔力を封じたままでいる事を再び疑問に思った瞬間、信じられない光景を目の当たりにする。
イーリーウルフがその肉体を駆使して飛び掛かるのは理解できる。
しかしその人物はあろうことか、拳を振るうという行動を取ったのだ。
少女には全く理解ができなかった。
拳を振るう戦闘形態を取る魔導士は存在する。
しかしそれはあくまで振るう拳を媒体とし、対象に衝突させると同時に魔法の発動、あるいは魔法そのものとして使用するのであって、少女の目に映る人物のそれはただ殴ると言う酷く単純な行為だった。
いよいよ意味不明とも言えるその人物、やはりと言うか魔力を一切使わない生身の身体での戦闘は無謀であり、瞬く間に窮地に陥いる。
全身から血を流し、腕を犠牲に何とか致命傷は避けたものの後がない。
これ以上は本当に死んでしまうのではないか。
理由は分からないが瀕死の状態でさえ魔力を使用しない彼を見ていられず、助けに入ろうとした時だった。
その不気味な肉の面の様な顔を際立たせる眼球の片方から血が噴き出す。
怯んだ瞬間を見逃さず、急所への一撃が決め手となり、呼吸器官の圧迫を持ってその戦闘は終了を告げた。
一切の魔力を使うことなく決着となったその戦闘はあまりに泥臭く、野蛮で品位の欠片も見られず無様と言っても良いだろう。
しかし魔法による決着以外を知らなかった少女にその無様な行為は深く心に残り、思わず見蕩れてしまう何かを感じさせていた。
時間にしてみれば一瞬の出来事だったがふと我に返り、その謎の人物に接触を試みようとする。
なるべく刺激しないようにと少女は考えたがそれより先に言葉が出てしまった。
何故こんな事をしていたのか。
魔力の一切を封じたまま魔物と戦闘行為に及ぶ事だ。
この世界の常識から外れたその行動の原理をどうしても知りたかった。
「・・・と言うかあんた誰だよ」
それもそうか、と思う。
初対面の人間なのだから当然だろう。
自分の名を名乗る。
レア・フリーゼ と。
自己紹介をして気が付く。
目の前のその人物はボロボロではないか。
冷静に考えればすぐわかるような物なのだがどうやら冷静ではなかったらしい。
この人物も恐らく戦闘の興奮からか、自分の状態に気がついてはいないのだろう。
安否を気遣い、危険な状態なのではないかという問いを皮切りに、その人物はその場へと崩れ去る。
完全に意識を失ってしまったらしく、こちらの問いかけにも一切の反応が無い。
これは不味いと思った少女はその人物へと治癒魔法を使用する。
みるみるうちに出血は止まり、損傷部位が再生し、衰弱による顔色の悪さも改善されていく。
―――などという事はなかった。
少女はまたしても理解が出来なかった。
治癒魔法とは対象の魔力に働きかける魔法である。
体内に取り込んだ魔素は魔力を練るための器官を経て魔力へと変化し、全身を循環する。
それら魔力は一定の量を超えると吐き出す息に混じり体外へと排出されるのだが、生まれ持った資質、または訓練による増大などで全身を巡らせる魔力の総量には違いがある。
総量の多い者は循環する魔力の影響で、瞳の色や髪の色、あるいは身体の一部の形状の変化などが見受けられ、少女もまたその例に洩れず、瞳の色に変化が見られる。
そう言った者達は、魔に先んじ他者を導く者という意味から魔導士と呼ばれ、それ以外の者を魔術師と呼ぶのだが、魔導士による治癒魔法は例え四肢の欠損だろうと再生する。
死亡からの再生はさすがに不可能なのだが、目の前に倒れている人物が死亡しているはずもなく、何度治癒魔法を使用しても一切の改善が見られない。
そこで少女はある結論に至る。
魔力0の人間
前例は無いがそれ以外に考えられなかった。
戦闘状態においての魔力の未使用、治癒魔法の無効。
証拠としては十分すぎる事からほぼ間違いないと確信する。
しかし今はそんな事はどうでもいい、早く治療しなければ、と少女は焦る。
治癒魔法が無効ならばどうすればよいのか。
この世界では医療技術の発展がそれほど進んではいない。
全ての怪我、病気を治癒魔法によって対処できる為、その必要性がなかったのだ。
死に直結するような深手や症状は魔術師では対処出来ず、魔導士の力を頼る事になるのだが数がそれほど多くは無い為、複数の怪我人、あるいは病人がいた場合どうしても待ち時間が出来てしまう。
その為、ある程度の治療技術が存在していた事は幸いとも言えるだろう。
少女は応急処置程度の事しか出来ない現実を前に自らの無力を嘆いた。
「と、とりあえず家に向かって・・・それで・・・安静にさせればいい・・・のかな」
勝手がわからない少女ではあったが、無力を嘆いている場合ではなく、自分にやれる事をやるべきだと気を持ち直し、即座に自宅へと戻ろうと転移魔法を使用する。
無事自宅へと到着した少女の隣にもう一人の人物の姿はなかった。
「・・・ええ!?なんで!?」
慣れない状況に遭遇し、焦りが直前の出来事や事実をすっかり忘れさせてしまったのだろう。
それは少女も例外ではなかっただけという事だ。