第6話 【狛上 社と少女】
疲労を蓄積した身体には休息が必須である。
休息を要求する身体の訴えを無視し続けたのならば異常をきたし、意識を失う事もあるのだろう。
最悪の場合は死に至る可能性もあるのかもしれない。
あの戦闘の後、そのまま力尽きて野垂れ死にしました、とならなかったことは不幸中の幸いとも言えるのではないだろうか。
おぼろげながら意識の回復を見せた俺は、またしても起きたら知らない場所、という体験をしていた。
またあの場所にでも来てしまったのだろうか。
そんな事を考えながら辺りを見渡すが、どうやらベッドに横になっている様だった。
徐々に鮮明になりはじめた思考はこの状況に至った理由を記憶から辿り始める。
「お。目が覚めたんだね。よかったよかった」
記憶を辿っている最中に聴こえたその声の主には見覚えがあった。
思い出してきた。
確か俺が意識を失う前に出会った人間。
あの糞ったれな犬との戦闘の後に声をかけてきた奴だ。
「あんたが介抱してくれたのか?すまない助かった」
「あんたじゃなくて レア・フリーゼ だよ。レアと呼んでくれて構わないよ」
意識を失う前は気にも止めなかったがその人物は女性だった。
少女と言った方が適切な表現かもしれない。
束ねた銀色の長髪をなびかせ、此方を見つめる双眸は朱色に染まり、スラリと伸びる手足は白く透明で、幼くは見えるが見る者の心を奪う、見蕩れるといった表現が相応しい容姿をしていた。
ある一点を除いて、ではあるが。
やはり異世界というだけあって服装が色々とおかしい。
どこぞのゲームキャラクターのコスプレではないかとさえ思える程である。
スカートに至ってはその短さのあまり、服として機能していないのではないだろうか。
勿論おかしいというのは以前いた世界の一般的な服装と比べればという話であり、実際は大変お似合いである。
「さて、色々聞きたいこともあるんだけど・・・まずは食事にしよう。お腹すいてない?準備してくるから少し待っててくれるかな」
少女はそう言うとこちらの返事を待つまでもなく、扉を開けて別の部屋へと出ていく。
介抱してくれたという事実から人柄のよい事は理解していたが、ここまで尽くしてくれるとは予想していなかった。
容姿端麗な少女という事も付け加えればまさに役得と言ったところだろうか。
意識を失う前の悲惨な状態など頭から抜け落ちたように間抜けな事を考えながらも、この世界に来て初めてと言える安らぎの瞬間を胸に、暫しの時間を過ごす。
しかし未だ重い身体は上体を起こす程度の動きでさえ困難であり、如何にあの戦闘が危険であったかを物語る。
まさに九死に一生を得ると言ったところだろう。
「―――おまたせ。口に合うかは分からないけど・・・何か口にした方がいいよ?」
手に持つ容器からは白い液体の様な物が顔を覗かせていた。
考えてみれば、この異世界にやってきてから口にした物と言えばあの森に流れていた川の水くらいか。
お礼をいいつつその容器を受け取る。
香りや見た目からスープの様な物だと判断できるが味のほうはどうなのだろうか。
作ってくれた人間からしてみれば失礼極まりない発想だが、食文化はさまざまな特性を持ち、それが口に合わないと言う話はよくある事なのだ。
ましてや異世界、初の食事ともなれば多少の警戒心を持つことには何の不思議もないのである。
「どう?おいしい?」
やや不安そうな表情でこちらを窺いながら見つめる少女。
体調不良の際に意中の人がお見舞いとして手作り料理を作ってくれる。
男性ならば一度は想像した事はあるだろう。
女性にもあるのかもしれない。
経験した事のある奴は爆発すればよい。
断っておくが俺と少女との関係は思い人以前の問題である為、爆発の対象にはならない。
更に付け足すのならば、そんな少女漫画のテンプレの様な甘いひと時を第三者の視点で捉えて身悶えなどもしてはいない。
ゴクリとその液体を飲み込むと同時に少女は小首をかしげながら更なる追撃を見舞う。
「ん?」
なんだこの生き物は。
あざとい。
でも可愛い。
味なんて忘れた。
「トテモオイシイデス」
「ふふっ。どうしてカタコトなのかな?面白い人だね。おかわりもあるから欲しかったら言ってね」
これである。
甘いひと時という物はこう言う状況を指すものなのだ。
かつてあの老齢の男といた時にも感じてしまった事は記憶に新しいが、出来る事ならばその記憶を消し去りたいと思うのも無理はない。
過去の自分を忌まわしく思いながらも適当な会話をしながら食事を終えた俺に少女は問いかける。
「―――さて、食事も終わったことだし聞きたいことがいくつかあるんだけど、答えたくない事があるのなら無理に嘘は付かないでそう言ってほしい。いいかな?」
「構わないぞ」
命の恩人とも言えるその少女の頼みなのだ。
自分に答えられる事ならば何でも答えようではないか。
「じゃあまず。この森の奥にまで進めるくらいの人間がどうして一切の魔力を使わずに戦闘していたのかな?教えてくれる?」
さすが異世界、当然の様に魔力前提の話である。
異世界転生と言えば魔力、つまり魔法の存在は欠かせないだろう。
何度も言うがそれはフィクションであり、現実とは異なる。
しかしどうだろう、自身が果たした転生先にもそれらフィクションの要素があるではないか。
もしかしたら自分にも魔法が使えるようになるのではないか。
浪漫溢れる思いは一つの疑問によって消え去る事になる。
この森の奥、と少女は言った。
つまりそれは今いるこの場所は町や村と言った集落ではなく、あの不気味な犬モドキのいる危険な場所に変わりはないという事を指す。
急に不安が押し寄せてくる。
しかしこちらの返答を黙って待つその少女の見つめる瞳の前では不安という概念は頭から何処かへと消え去った。
男と言う生き物は斯くも単純なのである。
「あー。なんて言ったらいいんだろうな。信じてもらえるとは思ってないけど―――」
「いや!やっぱり答えられないよね。事情もあるだろうし別の質問に変えよう!」
せっかちか!
何だこの娘は。
「おーいせっかちさん?話は最後まで聞くものだぞ?」
「私の名前はレア・フリーゼだよ?」
真面目か!
実は頭の残念な娘なのかもしれない。
「―――とにかく話を最後まで聞いてくれ。信じて貰えないかも知れないが本当の事だ。命の恩人に対して嘘をつく程俺は礼儀知らずじゃないぞ」
異世界転生。
事実ではあるのだが、荒唐無稽、造言蜚語と言われても反論すら出来ない話を口にするには多少の葛藤もあった。
しかしお茶を濁す様なやり方は自分で言ったように非礼にあたるだろう。
意を決し、とまではいかないが何処か羞恥心の様な物を感じながらも言葉を続ける。
「実はだな・・・俺はこの世界とは別の世界からやってきたんだ。異世界転生と言えば分かるか?あの生き物との戦闘も転生直後の非常事態で止む無く―――」
「異世界!?異世界って言ったの?今!」
ちょっ!身を乗り出すな!
近い近い!
顔が近い!
いい匂い!
って見えそうなんだけど!胸のあたりが!
・・・いや服の構造から言って胸元に隙間なんてないし見えるわけないだろ。
馬鹿か俺は。
何処かで見聞きした様な体験は一部を除いて下心を満たす。
一部については言う必要はない。
只の見間違いであったのだから触れる必要もないだろう。
下心など無かったと言えば嘘になるが、こんな美少女に迫られたならば無かったはずの下心を呼び起こすには十分すぎる理由となるのではないだろうか。
断じて言い訳などではなく、生物として男として、当然の事であると言っておく。
「と、とにかくまず離れろ!近すぎるだろ!」
「・・・?」
「―――うわぁっ!こ、これは失礼した。私としたことがつい・・・」
非常に可愛らしい。
その一言に尽きるだろう。
「こほん。異世界転生と言ったけどそれは本当の事なのかな?嘘じゃないよね?」
話題を変える為、あるいは醜態を取り繕うかの様な咳払いは寧ろそれを強調しているとも言えるが、事実確認をするその表情は嬉々としており、純真な瞳からは何かを期待している事を感じさせる。
「最初に言ったろ?嘘じゃないってな。まぁあまりにも胡散臭い話だし証明できる物でもないから信じてくれとは言えないが」
「なるほどなるほど。これはほかの質問に意味がなくなっちゃうかもしれないね。全部、異世界人だからっていうのが答えになっちゃうもんね?それでも聞いてみたいから質問続けさせてもらうよ?」
物分かりがいい、と言うには少々出来過ぎている気もするがこれならば話は早い。
「実は私は異世界と言う物に興味があったんだけど・・・私にもいけるのかな?こことは違う世界に」
少女は続ける。
「何ていうか、今のこの世界に不満がある訳じゃないんだよ?不便もないしどちらかというと便利だと思ってる。心に穴が開いてるとでも言えばいいのかな?どこか虚しさを感じるような感覚に陥るんだよね。変かな?」
同じだった。
かつての世界で俺が感じていた感覚と同じだ。
この少女も今の生活に何かしらの虚無感を感じ、そして足りない何かを求めているのだろう。
興奮して身を乗り出し、目と鼻の先程の距離にまで近づいた理由にも納得できる。
しかしその質問に対して俺は答える事が出来なかった。
「・・・申し訳ないが分からないな」
「そっか・・・まぁ仕方ないよね。とりあえずその話は置いておこう!それよりもっと色んな話を聞かせてほしいな」
空元気、の様に見えなくもないが本当に申し訳ないと思う。
一応、心当たりがない事はないが失敗する可能性の方が高いだろう。
そもそも成否云々の前に実行する事さえ不可能なのではないだろうか。
仮に成功したとして、目的を達成できる保証などなく、無意味に命を危険に晒す行為は愚かと言える。
今は言う必要はないだろう。
若干の罪悪感の様なものを感じながらも、楽しい事は時間が過ぎるのが早いという言葉の通り、疑問点やお互いに興味を引く事、それらについて話し合った時間はあっという間に過ぎていった。
「―――いやぁ!君の話はとてもおもしろいね!是非とも君のいたっていう世界に行ってみたいなぁ」
そういえば自己紹介はされてはいたがこちらは名乗ってすらいなかったんだったか。
「君ではなく狛上 社だ。社と呼んでくれて構わないぜ?」