第1話 【死亡のその先 1】
読み飛ばしてもさほど問題ないかと思われます。
特に今の生活に不満があるわけではない。
朝起きて仕事に向かい、終われば帰宅。
自宅で適当にダラダラとゲームやネット、あるいは趣味に興じたりと時間を過ごし、眠気が来たならば就寝する。
一日の仕事の疲れを自分の好きな事をして癒す。
自分で言うのもなんだが、ある意味これが人間の幸せなのではなかろうか、とさえ思う。
しかし俺の生活が満たされることは常にない。
不便はないが、そういった類の事ではない。
不満もないが何かが足りないのだ。
無いものねだりと言ってしまえばそれまでなのだが、心にぽっかり穴でも空いているのではないか、そう思うほど俺の生活が満たされることはなかった。
思えば物心ついた時から今日までの間、何かが足りないんじゃないか、そんな風に漠然とだが思うことが多かった気がする。
今年で俺も30歳のおっさんになるわけだが、その気持ちは今でも変わる事は無く、そしてこれからも変わらないのだろう。
つまんねーな、とまではいかないが、なんだかなぁと言った感じである。
「コンビニいくか」
ほとんど寝間着にも等しい恰好に上着を羽織り、自分の部屋を後にする。
翌日が休みだからというありがちな理由でたいして飲めもしない酒を飲み、ダラダラ過ごすうちに空になったそれを満たす為、コンビニへと向かう訳だ。
行動原理が単純過ぎるがゆえに、それが虚しさへと繋がっているのだろうか。
なんだかなぁ、と思うのも当然だろう。
吐く息が白い。
吸い込んだ空気は、酒に酔ってほてった体を芯から冷ましてくれる。
頬を撫でる風の冷たさは冬と言う季節を感じさせるが、虚しさを感じる心に何か通じるものがあるのではないかとさえ思う。
来年、再来年、そして寿命が尽きるまで延々と同様の思考を繰り返し、その度にそれを自嘲する。
行きつく先は、なんだかなぁと言う虚無感。
ゴールは決して変わらない。
少々酔っ払った頭で考えながら進める歩みには、普段のそれと違和感を感じるに十分過ぎる理由があった。
自分の両足が地面に埋まっているように見える。
埋まっているというより・・・何だこれは。
同化?してると言ったほうが正しいのではないだろうか。
舗装された歩道が実は手抜き工事で、突然液状化して人間が沈んだなどという事はさすがに無いだろう。
ましてや俺がそこに立った瞬間にピンポイントで液状化するなど有り得ない。
どんな確率だ。
どうやら自分では気が付かないうちに相当酔っ払ってしまっていたらしい。
俺のくだらない思考が酒による酔いに拍車でもかけたのだろうか。
視界もおぼつかないほど飲んだ記憶はないと思うのだが。
しかし酒が入っている事を考えればその記憶はあてにならないだろう。
大人しく就寝するかと頬を両手で叩き、意識の確認をした所で来た道を引き返す事にする。
異変に気が付く。
おかしい。
足が動かない。
どの様に形容すればいいのか分からないが現在進行形で吸い込まれている様だ。
いくら酒に酔っているとは言ってもこんな幻覚みたいな症状は出ないだろう。
明らかな事態の異変に気が付いた俺は焦りながらも必死に脱出?しようと試みる。
試みてはみたが、この様な異常事態の前では抵抗の意味も虚しく、それが当然とでも言うように俺の身体はついに頭の先まですっぽりと地面に吸い込まれ、消失すると共に意識は途絶えたのだった。
「――――おい貴様起きろ」
「・・・聞いているのか?おい!寝てるんじゃない!早く起きんか!おい貴様聞いてんのかこのマヌケ!」
耳に鳴り響くその声は不快の一言に尽きる。
このご時世、貴様などと言う呼称を使う人間がいるだろうか。
間抜けという言葉もあまり耳にしない。
自身が何をしていたのか、そして今現在どういった状況なのか。
そんなことを考えながら目を覚ます。
真っ白な空間。
何もない。
本当に何もなく、ただただ真っ白な空間が広がっているだけである。
そして目の前には、パっとイメージすれば出てくるであろう西洋の神様を絵にかいたような、真っ白な長い顎髭を蓄えた老齢の男がいた。
「おう!やっと目覚めたな!」
状況が全く呑み込めない俺に、捲し立てるようにその男は言う。
「いいか?急いで簡単に説明するぞ?歩いていた貴様は死んだ」
「・・・」
簡潔過ぎるその説明は確かに何が起きたのかを知るのに十分だろう。
しかしその説明は今の状況に似つかわしくはない。
せめてどういった経緯だったのかを説明するくらいの配慮はあっていいものではないだろうか。
これでは何が起きて死に至ったのか納得できるものではない。
果たして俺は死んだのだろうか。
その事実は怪しい。
現に俺は生きている時との違和感を一切感じない。
そもそも死んだとしたのならば、今も意識がある事に疑問が浮かぶ。
だがこの何もない真っ白な空間と、神様のイメージと合致する爺さんの存在が否応なしに死後の世界という物を連想させる。
そのせいもあって死んだという可能性は否定できない。
死後の世界など存在するかも分からない上に、見たこともない為判断する事は出来ないが。
「いや・・・さすがにその説明だと簡略化しすぎな感じがするんですけども。というか―――」
辺りを見渡しながら尋ねる。
「俺は本当に死んだんですか?そしてここはどこであなたは誰なんでしょう?」
目が覚めたら知らない人と知らない場所。
死んだと言われたが、生きている時と何も変わらない感覚。
それらについて聞かないでおくなどという事は出来なかった。
仮に同じ状況に置かれた人物がいたのなら、間違いなく同じ事をまず最初に尋ねるだろう。
「ッチ。説明して俺に何の得があるんだよ。歩いてたら死んだ!それでいいだろ?」
舌打ちをするほど面倒な事なのだろうか。
苛立ちは隠せないが確かに説明するメリットは爺さんにはない。
怒りに任せて口論になれば、それこそ現状を把握する事が難しくなる。
この状況を知る為、その為ならば割り切って事を成すべきなのだろう。
態度と言うか言葉使いがいちいち癪に障りはするが、ここはあえて下手に、そして丁寧にお願いするべきなのだ。
「お手を煩わせて申し訳ありませんが、私にこの状況を説明してはいただけ―――」
「そんな言葉使いで話しても面倒くせーもんは面倒くせーんだよ!マヌケが!おっと、土下座しても無駄だぜ?」
「・・・」
「図星か?目論み外れて顔真っ赤なのか?ねぇ今どんな気持ち?ねぇ?どんな気持ち?ねぇねぇ教えて?」
どれ程温厚な人物であっても今の状況でこの煽り文句を聞けばその怒りを鎮める事など出来るはずはないだろう。
自称ではあるが温厚な俺も例に洩れず怒りに塗れ、ついには手を上げるに至る。
「やかましいぞ糞ジジイ!下手に出てれば調子に乗りやがってぇ!」
叫ぶと同時に飛びかかる。
「糞がっ!あぶねーだろこの糞餓鬼!返り討ちにしてくれるわ!」
「ほざけ耄碌ジジイっ!」
まるでフィクション、書籍や映像作品と言った世界でしか交わされる事のないであろうセリフと共に拳が行き交う。
俺達は殴り合った。
いい大人同士が醜く殴り合ったのだ。
その結果・・・
映画などでよくある殴り合いの末、お互いを理解し友情が芽生えたなどという事はなく、結果として肩で息をする二人の男がその場に立ち尽くすだけとなる。
「―――この糞餓鬼が。ちょっと煽られたくらいで殴りかかるとは・・・これだから最近の若い者は・・・」
「黙れジジイ。てめーがさっさと説明してればこんな事しなくて済んだんだぞ!」
「・・・わかったよ、わかったわかったわかりました!説明すりゃいんだろ説明すりゃぁ」
説明をしてくれるのならば殴り合った意味もあったのだろう、とその言葉に耳を傾ける。
「いいか?まず貴様は死んだ。死んだというよりかは仮死状態にあると言ったほうがいいな。どの道死んでいる事には変わりないわけだが。貴様らの世界の言葉で言うと・・・なんつったかな。量子力学?とかなんかそんなやつが原因だな。何かほら、人間が物体をすり抜けるみたいな話あるだろ?厳密には違うが、それと似たような状況によって貴様は今この場所にいる」
量子力学についての知識などほとんど無いに等しい。
興味本位でチラっと何かの記事を読んだ事がある程度だが、現実的に起こる確率はほぼ0と言われていると記憶している。
「そしてこの場所はと言うと、まぁ貴様の様に本来有りえない事が原因でくたばりかけた人間が来る場所だよ。そんで今後について選択させるために仮死状態になっている。これでわかったか?」
状況は理解した。
そしてこの先の展開もある程度予想できる。
予想は出来るが、それはあくまでも予想であり、確定事項ではない。
その通りになるとは限らないのが世の常だ。
ましてや今のこの状況、日常生活では起き得るはずもない常識の範囲外な事は明らかである。
自らの予想とは大きく外れる事態に直面したとしても、それが今のこの場では当然の事なのかもしれない。
だがそんなことはお構いなしに、その感情はかつてないほどに昂っている。
もしかしたら、常日頃から感じている虚しさを解消する第一歩になるのかもしれないのだ。
昂る感情を抑えながらも俺は尋ねずにはいられなかった。
「選択させる・・・って言うのは何をだ?」