Hiroine or not
木隠墨子です。
たまたま楓ちゃんの部活のお休みが重なった休日の今日、わたし達は、空の宮市内の水族館へデートに来ています。
「誘ってくれてありがとう、楓ちゃん」
「……別に」
アザラシを見つめる楓ちゃんは、いつもの言い方で返します。
「……そうだ。これ」
楓ちゃんは、オーバーオールのポケットから一本の缶ジュースを取り出しました。
「……楓ちゃん、いつの間に買ったの?」
「……墨子が、受付で入場券を買ってる時。……一緒に、飲もう」
そう言って、プルタブに指をかける楓ちゃん。
「あ、でも楓ちゃん缶は……」
バキンッ!
「「……」」
楓ちゃんとわたしは、プルタブが外れた缶ジュースを、見つめます。
「……ごめん」
「い、いいよいいよ。気にしないで」
「……やっぱりコレ使う」
「……え?」
おもむろに楓ちゃんが撥水加工済みの肩提げポーチから取り出したのは……。
「バターナイフ!?」
「これで憎いあの人を襲えるし、開けられないものも開けられる。なにより持っていても銃刀法違反にならない。最近気づいた」
「な、ならないけどちょっと怖いよ……」
「……ふっ!」
楓ちゃんは逆手でバターナイフを握り、缶ジュースの口めがけて振りかぶりました。
ガチンッ! ブッシュウウウウウウウウウウウウ!!
「……楓ちゃん……」
「……ごめん」
顔を炭酸の泡だらけにしながら、謝られました。
◆
「初めて見るわけじゃないけれど、やっぱりすごいね……」
「……」
サメ、エイ、それに小魚が泳ぐ大きな水槽を見上げて、思わず声が漏れてしまいます。
「……墨子」
「なに? 楓ちゃん?」
「……わたしといて、幸せ?」
「……え?」
「……水槽の向こう側の彼らは、たぶん、ここで一生を終える。生まれたのも、おそらく人の目が届く場所。……人に捕まって、拘束されて。彼らは不幸だっていう人もいる。確実にご飯にありつけて、高確率で子孫を残せて。彼らは幸せだっていう人もいる。この水槽は、彼らにとっての世界。なにも知らないでいる不幸と、なにも知らないでいられる幸福、どちらも共存する、そんな世界。……わたしが……人間がそう感じながら彼らを見てるってことは、彼らも、そういうふうにわたし達を見てる。狭い水槽の中に閉じ込められて、わたしと同じ空気を吸って。わたしは墨子の一生の恋人……ヒロインにもなりうるし、墨子をおかす薬物……ヘロインにもなりうる。……墨子は今、幸せ?」
「……幸せだよ」
「……」
わたしは、右にいる楓ちゃんを見つめて断言しました。楓ちゃんも、サメからわたしに視線を移します。
「……どうして……?」
「だって、好きな人と……楓ちゃんと、一緒にいられているんだもん」
「……答えになってないような」
楓ちゃんは、首を傾げました。
「パパー! こっちこっちー! サメすごいよー!」
「おいおい待て、虎太郎!」
「あうっ!」
突然、走ってきた小さな男の子が、楓ちゃんにぶつかってきました。
「んっ」
ゴンッ!!
首を傾げた状態の楓ちゃんは、ぶつけられたその衝撃でふらつき、勢いよく水槽に頭を……。
頭をぶつけましたっ!?
鈍いような高いような音を立てて、膝から崩れ落ちていきます。
「楓ちゃぁーーーん!」