千の翼が生えて
「……江川さん」
「……こんにちは……」
ほほえみながらも、少し不安そうな表情で、江川さんはわたしが腰かけているベッドの横に置かれていた丸椅子に座った。
「えっと……倉田さんを保健室に運んで以来だから……五ヶ月ぶり……くらい……?」
「そう、ですね……」
「……えっと……体調は、どう、ですか……?」
「……まあまあ、ですね……」
二人とも、距離感が掴めなくて。
当たり障りのない会話しかできない。
「……どうして、ここに?」
「えっ?」
「……ほら、なんていうか。……わたし達、お見舞いにくるほどの仲……では、ないじゃないですか……」
「……」
「本当は、違う人のお見舞いに来ていたんですよね……」
「それは……」
わたしが思っていた疑問を口にすると、江川さんは途端に口をつぐんでしまった。
「……楓ちゃん、ですよね」
「えっ!?」
「わかってますよ。倉田先生と江川さんが『先生』と『生徒』の関係じゃなくて、『そういうカンケイ』だってこと」
「ど、どうして……」
「……倉田先生、今年の春頃から明らかに雰囲気がやわらかくなっているんですよ。江川さんと会ったときは特に。たぶん、倉田先生のことを気にしている人なら、だいたい気がついていると思いますよ」
「そ、そうだったんですか……。……って、『楓ちゃん』? 『倉田先生のことを気にしている人』? それって……」
「……噂の、とおりです。……でも、今は……」
「……悩んで、いるんですね」
「っ!」
「……木隠さんの表情を見たらわかります。私も、邑さんのことで悩んでいたから……」
「……」
「……好きなのに、うまく近づけなくて……。好きって気持ちだけが、どんどんひとりでに膨らんでいって、汚くなりそうになって……。……でも、いろんな人に相談して、気持ちを打ち明けて……。……そうして、私のもつ『愛』を信じて、邑さんに告白して。そうしてやっと、私の気持ちを受け取ってもらえたんです」
「……じゃあ、もう……江川さんの悩みは、なくなったんですね……」
「……ううん。まだ……です」
「……『まだ』……?」
「……邑さんに気持ちを伝えたとき、聞いたんです。辛くて、苦しくて、愛情を信じられなくなるくらい、深い傷を受けた過去を」
「……深い、傷……」
それはきっと、楓ちゃんにも、あるんだろうな……。
「……だから、決めたんです。もっと、もっと、邑さんのことを知りたいって。邑さんのことをたくさん知って、そして……過去の傷も、全部全部受け入れて、本当の意味で、邑さんを愛したいって。……だから、私の悩みは、まだ終わっていません。……でも、後悔はしていません。……だって、大好きな人のことを、ずっとずっと、考えていられるから」
「……江川さんは、強いですね」
「……私は強くなんてありません。これも、邑さんの……。……恋人の、おかげですよ」
……そうなんだ。
だから、最近の倉田先生は、あんなにも幸せそうなんだ。
こんなに、真摯に愛してもらえているから……。
わたしは……。
わたしと楓ちゃんは、どうなんだろう。
……ううん。
まだ、楓ちゃんにわたしの気持ちを信じてもらえていない。
わたしはいままで、楓ちゃんのことを「ちょっと不器用なだけの、普通の女の子」だと思っていた。
もし、楓ちゃんにも倉田先生のように「傷」があるのなら……。
……だったら。
楓ちゃんのこと、もっと、知りたい。
楓ちゃんのことを知って、その全てをわたしが受け止められたなら、楓ちゃんに、わたしの気持ちを信じてもらえるのだろうか。
あいまいで、いまにも消えてしまいそうだけど、楓ちゃんへ続く道が、ほんの少し見えてきた。
わたしにそれを教えてくれた江川さんは、恋のキューピット……羽の生えた、天使に見えた。
本人の前じゃなければ、「邑さん」と堂々と言えるようになった智恵さん。




