X-4-1"about Ⅹ(テン)years ago:大・ハザード"
大都市の、超高層マンションの一室で、男の怒号と、幼い少女の悲鳴と、女性の叫び声が響いていた。
「この……裏切り者の、出来損ないがぁぁぁっ!」
「あうっ!」
「やめて……やめて、あなた! 私のせいなの! 私の教育が悪かったから! 福絵はなにも悪くないのっ! だから殴るなら、私を殴って!」
「正子、お前は黙っていろ!」
「きゃあっ!」
男は黒い革製のバッグから名刺ケースを取り出し、女性の頭に投げつけた。その衝撃で、ケースに入っていた「泊李出版 営業第二課 伴田正十郎」と書かれた名刺が辺りに散らばった。
「……私が何度言っても、一向にテストで満点を取れない。一流大学を卒業し、私のように一流企業に就職しろとあれほど言ったのにも関わらず、だ。それが、小学校の時点でつまずいているなんてな。私の期待外れもいいところだ。……福絵、お前は今日限りで絶版だ」
男が、その凶悪な拳を少女に降り下ろそうとした、そのとき。
「やめろぉっ!」
男の知らない、別の男の声が、玄関から聞こえてきた。
「大さん!」
玄関にその姿を捉えるや否や、女性は嬉々とした声でその人物の名を叫び、少女の手を引いて男の元を離れた。女性の手には、携帯電話が握られていた。
「正子……。何者だ、その男は……」
「この人は蔵梨大さん。私達の救世主よ!」
「救世主、だと……?」
「……大切な家族に暴力を振るうなんて、それでも一家の大黒柱か!」
謎の人物、蔵梨大は、女性と少女を自らの背後に匿って、啖呵を切った。
「あなたには、もううんざりしてるのよ! いつも仕事の付き合いで家に帰ってこないし、帰ってきたと思ったらこれ。もう耐えられない! ……でも大さんは違う。私達親子に、『幸せ』を教えてくれた。なにも考えなくていい『快楽』の渦で、包んでくれた。私も、福絵も、心から気持ちよくなれたの。あなたの方こそ、絶版よ!」
女性の言葉に、男はひどく激怒した。
「おのれ、私という最高の夫がいながら浮気に惚けるとは……。愚かだ……実に愚かだ。……『くらなしだい』と言ったな……。私の妻に手を出すとは……。これは許されざる罪だ」
「お前に許しを乞うつもりもない。正子も福絵も、俺の家族の一員だ! ……二人とも、俺の孤児院に行くぞ」
そう言い残すと、蔵梨大は少女と女性を連れて走り去っていった。
◆
「……ここが、パパの『こじーん』……」
「『孤児院』よ、福絵」
「今日から、ここで一緒に暮らすからな」
「ありがとう大さん。あのDV夫から私達を救ってくれて」
「大切な『家族』じゃないか。助けるのが当然さ。……そうだ、ここの施設を案内……お、安子! こっちに来い!」
「はーい!」
ガラス扉の向こうからやって来たのは、小さな少女だった。
「どーしたの、パパ?」
「紹介する。新しい家族の、正子と福絵だ」
「わー! よろしく!」
少女は、女性と少女に対して元気に挨拶をした。
「……あれ、明日菜は寝ちゃったのか?」
「うん。ご飯食べたら、お腹いっぱいになっちゃったみたい」
「そうかそうか。じゃ、正子と福絵の案内をしてくれないか?」
「いーよ! ……ねぇねぇ、『邑』と『楓』は、まだこっちに来られないの?」
「んー。まだ『その日』が来てないからな。『繋がる』のは、まだ早いんだ」
「そっかー、残念」
「しゃ、案内よろしくな」
「はーい! 二人とも、行こ?」
「安子」と呼ばれた少女は女性と少女の手をとり、奥の方へと消えていった。
去っていく三人を見送ると、蔵梨大は近くの窓を開けて、声を高々にして言い放った。
「俺と『繋がれる』人間は、みんな俺の家族だ!」




