Who are you~楓(ふー)・麻子(あー)・邑(ゆー)~
「……」
わたしは、未だに眠れないままでいた。
突然の統合失調症宣告。
突然の入院。
半ば強制的に、ここで過ごすことになってしまった。
……隣に墨子がいない夜は、久しぶりだ。
ずっと、彼女はわたしの側にいてくれたのか。
……わたしが、側にいさせてしまったのか。
やっぱり、墨子と付き合ったのは大きな間違いだった。
わたしのせいで、墨子はうつ病になってしまった。わたしが、彼女に関わったせいで。彼女はこんなにも苦しむことになった。
わたしは、なんて愚かなんだろう。
……けれどどうしても、わからない。
彼女はどうして、ストレスを溜め込むまでわたしの側にいてくれたのだろう。
わたしと付き合うのが疲れたのなら、言えばいいだけの話なのに。
……いや、わたしの方から仕掛けて、そして惑わせて彼女を巻き込んだのに、「言ってくれたらいいのに」なんてあまりにも自己中心的な考えか。
……もう、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
普通に考えれば、わたしが墨子の前から消えるのが妥当だろう。彼女の家を出ていくなり、学校でも彼女から距離をおくなり、それこそ死んでしまうなり、方法はいくつも思いつく。
……でも、それだけでいいのだろうか。
彼女や、彼女の家族にこんなにも迷惑をかけておいて、ただ消えるだけなんて、本当に許されるのだろうか。それで、わたしに負わされた傷は癒えるのだろうか。
……わたし自身は、誰にも許されなくていい。
……それでもせめて、わたしの願いが叶うのなら。
……わたしは……。
……わたしは、見たい。
……もう一度……。
……もう一度、墨子が笑顔で、ハミングを奏でる姿を。
「……トイレ」
考え事をしていても、体は空気を読んでくれない。
わたしはトイレに行くために、病室を出た。
……そして、病室を出たわたしが聞いたのは、わたしの被害者の叫び声だった
◆
さてと、今日のお仕事終わり!
「お先に失礼しまーす」
さぁ、早く家に帰って、「ユニゾン」で注文した百合本が届いているか確認しなきゃ!
私は如月彩芽。この病院のナースステーションで働いているの。
「あら……?」
帰ろうとしていると、病棟の奥から人影が現れた。
「フフフ……楓ちゃん、楓ちゃん、どぉこぉなぁのぉ……?」
あの人は確か、今日入院してきた……。
「木隠さーん、どうしましたかー? 今は、夜中です。寝る時間ですよー」
私は彼女に歩み寄り、優しく声をかけた。
「楓ちゃん探しにいかないと」
「楓ちゃん」って確か、冴場先生が言っていた、木隠さんの恋人だったはず。
「でも今は、夜中です。病室に戻りましょう」
彼女は首を振って、それを断った。
「楓ちゃん探しにいかないと」
「木隠さん、お部屋に戻りましょう」
私は、そうっと木隠さんの手首を掴んだ。
「放してっ!」
彼女は大きく腕を振って抵抗し、私の手を振りほどいた。
「木隠さん」
「わたしは楓ちゃんを探しにいくのっ!!」
どんどん感情的になっていく。
声を聞きつけた他の看護師も駆けつけ、彼女を落ち着かせようとするが、暴れるばかりでなかなかうまくいかない。
「ど、どうしたら……」
私達看護師が困惑していると。
「すみ……こ……?」
病室棟の廊下から、小さな少女がこちらを見ていた。
「彼女って……」
私が続きを言おうとしたところ。
「楓ちゃん!!」
私含めた三人の看護師に抑えられていた木隠さんが、どこから調達してきたか分からない青いホースを片手に、少女の元へ走り出した。
「あぁ、楓ちゃん、楓ちゃん、よかった、無事で……!」
すると、彼女は。
少女をホースでグルグルと縛り始めた。
……って。
「は、はやく止めないとっ! 木隠さん! なにをしているんですかっ!」
私達は少し強めに肩を引っ張って少女から引き剥がそうとするけれど、彼女は動じない。
「もう、どこへも行かせないよ、楓ちゃん。どこにも行かせない。絶対に死なせない。死ぬなんて、そんなの間違ってる。楓ちゃんが死んだら、わたしは悲しい。お父さんもお母さんも、きっと悲しい。だから楓ちゃん。ずっとわたしの家にいて? 大丈夫。楓ちゃんが家事とかできなくても、外で働けなくても、わたしが養うから。わたしが、楓ちゃんのお世話をするから。全部するから。楓ちゃんはなにもしなくていいから。楓ちゃんが生きてくれていたら、楓ちゃんが楓ちゃんのままでいてくれたら、それでいいから。ね? 楓ちゃん。わたしのお嫁さんになって?」
……看護師として、言っていいのか躊躇うけれど、木隠さんの発言は、行動は、明らかに狂ってしまっている。
狂ってしまっている。
でも……。
彼女の言動は、全て……少女への、いや、「楓ちゃん」への愛から生まれたものだ。それくらい、聞いていれば分かる。
「……ごめんなさい」
彼女の愛の告白は、少女には届かなかった。
「どうして……どうしてそんな事言うの!?」
しばらく顔を伏せていた少女は、ゆっくりと顔を上げて、彼女と視線を合わせた。
「……今まで、迷惑かけてごめんなさい。……でも墨子、目を覚ましてほしい。墨子は、わたしに操られていたの。本当は墨子は、わたしのことを好きじゃない。微塵も。……墨子、あなたは……わたしに騙されて、わたしを受け入れて、自分の家に住まわせて、ありもしない愛情をわたしに注がせていたの。淋しかったから、わたしが無理やりあなたを引き留めていたの。……わたしは、それがどれほど自分勝手で、利己的で、墨子を傷つけているのか、最近になってやっと気がついた。わたしは、誰かと一緒にいるべきじゃない。わたしがそばにいたら、みんな、きっと、不幸になる。わたしの家族のように」
少女は淡々と、そして粛々と、自らを非難していた。
「……にしてよ……」
「……墨子……?」
「いい加減にしてよ! もう、楓ちゃんの懺悔には聞き飽きたの! ……もうそろそろ、一年間も衣食住を共にした相手の言葉くらい信じてくれてもいいんじゃないの!?」
「…………」
「……あと、なにか勘違いしているみたいだからこの際言っておくけど」
「……?」
「人一倍不器用な楓ちゃんが、人を騙すなんて器用なことができるわけ無いじゃん! いい加減に気づいてよぉっ! 嘘でもなんでもなくて、わたしは楓ちゃんのことを本気で好きになったんだってことに!!」
彼女の言葉は熱く、そして……。
「……そんなウソを言わせてしまうくらい、わたしは墨子を壊してしまったんだね……」
少女の言葉は、冷たかった。
「うっ………………あああああぁぁぁぁぁっ!!」
四つん這いになって泣き叫ぶ彼女の声は、病室へ戻っていく少女には届いていないようだった。
◆
「\ステージ・クリアー!/」
勝利のBGMが流れ、画面の向こうの私は民に祝福されていた。私には縁の無い光景だ。
カーテンを閉めきった深夜の居間に光は届かず、テレビの光だけが、周囲を仄かに照らしていた。
不意に、床が揺れた。どうやら地震のようだ。
数十秒経って揺れがなくなってきた頃、壁際の棚からなにか軽い物が床に落ちて割れた音がした。
破片を踏んで怪我をしたら面倒だ。壁のスイッチを押して居間の電灯を点けてカップ麺やインスタント食品のゴミだらけの床を見渡すと、どうやら落ちたのは写真立てのようだった。玄関からチリトリとホウキを持ってきてガラスを処分し、写真立てを取り上げた。
写真立ての中に嵌まっていた写真には、「あの男」と、弾けるような笑顔でピースサインを向けるガキと、赤ん坊を抱いて微笑んでいるかつての私がいた。
「………………お前は、誰だ」
不快になった私は写真立てから写真を取り出し、小さく破ってゴミ袋に突っ込んだ。




