Vanished emotions
「さあ着いたよ病院っ! 私は車停めてくるから、二人で先に行ってて!」
「がってん承知の助!」
「江戸っ子……?」
◆
巣原椎名はわたしの腕をとって受付に向かい、墨子のことを聞いた。
「すみません。ここに木隠墨子がいると聞いたのですが」
「少々お待ちください。……確かに、ただいま精神科で診察を受けております。お知り合いですか?」
「まぁ、そんなところです」
そんなところ、と彼女が表現したのは、おそらく二人が直接の関係ではなくて、わたしを介しての関係で結ばれているからだろう。先ほどの本人の発言から察するに。
「そうでしたか。では、待合室へご案内します。ご両親も、お待ちですよ」
◆
「楓ちゃん!」
わたしを見つけた瞬間、墨子の母親は声をあげてわたしを強く抱きしめた。
「よかったわ。本当によかったわ」
「突然飛び出していったものだから、凄く心配したんだぞ」
「……」
「赤の他人なのにスキンシップ激しいなーおい。ってか、なんでドレスとタキシード……?」
……なんだろう、この感覚は。
今まで感じたことのない、じんわりと来る、この感覚。
棘の無い、柔らかくて、滑らかな、この感覚。
「…………なん…………で、わた…………しを…………?」
わからない、わからない。
どうして、どうして。
そんなに、わたしを気にかけるの…………?
「決まってるじゃない。墨子と付き合っているんだから、楓ちゃんも、私達の娘同然よ」
「俺達をもう一つの両親だと思って、頼ってくれてもいいんだからな?」
「うっ、『楓ちゃん』呼び……。ちょっと、羨ましいかも…………」
……違う。
『……お前、なにを浸っている』
待合室の奥に佇む影が、わたしを止めた。
『お前にかけられた言葉なんて、所詮社交辞令に過ぎない。お前もそれくらい、本当はわかっているだろ』
……わかってる。
わたしは、この人達に近づいちゃいけないって。
これ以上、他人の家庭を巻き込んじゃいけないって。
『なら、教えてやれ。お前の、真の姿を。お前がどれほど愚かで、無益な存在であるかを。たとえ、どんな手段を使っても』
「……違い……ます」
「……」
「「……えっ?」」
「……もう、別れたんです。……わたしが、振ったんです。もう、わたしと墨子は関係ないんです。……だからもう、放っておいてください……」
『そうだ、それでいい。誰かを傷つける前に、お前が消えるんだ』
「……楓ちゃん、ごめんなさい」
墨子の母親はそう言うと、わたしの左の頬をペチッと叩いた。
「「えっ」」
「……え?」
少しだけ熱を帯びたわたしの頬に、生ぬるい物があてられた。その正体はスポーツの際にアイシングで使われる携帯性の氷嚢で、わたしのうしろからそれをあてがっている巣原椎名は、わたしと目を合わせないように全く別の方向を向いていた。
「……楓ちゃん。世の中にはついていい嘘とついちゃいけない嘘があるけど、それは……ついちゃいけない嘘よ」
「……」
「……墨子は、あなたのことを聞いたすぐあとに倒れたわ。『そんな』って言って。っていうことは、墨子が倒れた原因とあなたがいなくなったことは少なからず関係してるはず。別れて関係なくなったはずの楓ちゃんを気にしてるってことは……もう、わかるわよね……?」
「……」
「……ねぇ楓ちゃん。なにをそんなに気にやんでいるの? 一体何が、あなたをそこまで縛りつけているの……?」
「……」
「木隠さーん、どうぞお入りくださーい」
「お、呼ばれたみたいだけど……行かなくていいんですか? お三方」
「そ、そうね」
◆
「……どうぞ、お掛けください。精神科医の、冴場です」
「あれ? 先生、墨子はどこに?」
入室して最初に口を開いたのは、墨子の父親だった。
「……ご家族に相談せず、申し訳ありません。事は一刻を争うものでして、娘さんには、当院で入院していただきます」
「えっ……?」
「……一体、墨子はどうしたというんですか?」
「うつ病です」
「うつ……病……?」
「そんな……」
「おそらく、かなりのストレスを溜め込んでいたのでしょう。息抜きすることもできず、蓄積されたものが、一気に……。……幻聴の疑いが見られるものの、幸い、まだ初期のようなので、入院してゆっくり休養を摂れば、すぐに退院できるでしょう。大変なのは、そこからですが。……完治には、ご家族の協力が必要不可欠です」
「当然、私達も協力します」
「えぇ、もちろん」
「ありがとうございます。……それで、そのストレスの要因というのが……。……ところで、そちらは娘さんですか?」
「いえ、彼女は……」
「『未来』の娘です」
「あ、確かに」
「……はい?」
「……娘さんのストレスの元凶です」
「「楓ちゃん!」」
「……」
「……『楓ちゃん』……? ……そうか、君が彼女の言っていた……。……!」
「……先生、どうしました?」
「……少々、お待ちください。……『楓ちゃん』さん、ですね?」
医師はわたしを見つめ、わたしに聞いてきた。
「……はい」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……これは……どうしてここまで進行が……。……すみませんが、お名前は?」
「……倉田楓、です」
「倉田さん……。あなたはもっと入院するべきです」
「……どういう、ことですか……?」
「非常に言いにくいのですが……。……倉田さんは、深刻な統合失調症です。それも、何年も前から発症しています」




