Queen's at home?
「……あ」
ダイニングテーブルで夕御飯ができるのを待っていると、エビフライを揚げていたらしい墨子が声をあげた。
「……どうしたの」
「……小麦粉、衣でピッタリ使いきっちゃった……。どうしよう、もう揚げ終わっちゃったし……」
「……? ……それがどうしたの」
「……油を固める分をとっておくの忘れてたの」
「……あぁ」
「ごめん楓ちゃん、先にご飯食べてて。わたし、急いで小麦粉と凝固剤買ってくるから」
「……わかった。でも、食べるのは待ってる」
「ごめんね。すぐに戻ってくるから」
「……うん」
「………………え?」
「……墨子?」
突然、エプロンを外していた墨子がこちらへ振り向いた。
「……楓ちゃん、急にどうしたの?」
「……? 特になにも言ってない。返事しただけ」
「どうしたの? ……もしかして、バスケ部でどこかぶつけた?」
「……確かに転んだけど」
「……と、とにかく、わたしは楓ちゃんを固めたりなんてしないよ」
「……? だから、なんの話を」
「え? だって楓ちゃん今『わたしを固めて』って言って……」
「……一言も言ってないけど」
「そ、そうだよね。あれ、そんな風に聞こえたような……。ごめん、今の忘れて」
「……うん」
◆
しばし、待つ。
キス未遂の日から、十日ほど経った今日。わたし達の関係は前進も後退もすることなく、相変わらずなあなあの状態が続いていた。
墨子も、以前と変わらず接してくれている。
わたしは、なにも変われていないままで……。
「……そう思うなら、なぜ行動に移さない」
「……っ!」
振り返ると、また、あの人が。
「実行力の無い奴だ……。……仕方がない、私が直接手を下してやる」
「!」
その言葉には、わたしが今までに感じたことのない殺気を帯びていた。
殺される。幻であるはずの姉に。
わたしはよろけながらも椅子から降りて、走り出した。
「あっ……あ……誰か……誰かっ!」
わたしは、逃げた。
「なぜ逃げる? お前自身が望んだことだろう。自分自身の消滅を」
普段敵意を向けている相手が、こんなに恐ろしいと感じたのは初めてだった。
わたしは玄関の扉へ向けて必死に駆けた。
だが。
「うっ!? あ……あぁあっ!!」
左足首を掴まれ、うつ伏せに転んだ。
右足首も掴まれ、両足が引かれてゆく。
「やだっ、やだぁっ!!」
両手を床に着けて抵抗するが、フローリングでは手のひらは滑るだけ。
扉が、どんどん遠のいていく。
怖い、怖い。
誰か、誰か……。
「す……み……こ………………っ」
……墨子?
なぜ彼女に助けを求めるのか。
自分が利用している相手に……。
わたしは、また彼女を安易に傷つけるつもりなのか。
彼女は被害者であり、わたしは加害者。それは変わりようのない事実だ。
それなのに、それなのに……。
……いつもそうだった。
いつもわたしは、周りに迷惑をかけてばかりだった。
自分勝手に凹んで、自分勝手に騒ぎ立てて。
……昔からそうだった。
誰も助けてくれなかった。
自分さえも、自身に絶望していた。
唯一手を差し伸べてくれた姉。
わたしが突き放した姉。
今、こうしてわたしを深淵へ引きずり込もうとしている幻。
全ては、自業自得なんだ。
「……」
わたしは、抵抗する手をゆるめて……。
……扉の鍵が開く音がした。
……そうだ。
こんなところで生から手を離したら、それこそ墨子に迷惑がかかってしまう。わたしの屍の処理を任されてしまう彼女は、どう思うだろう。
「……まだちょっと、待って……! これで、最後にするから……!」
最後に、彼女に謝らないと。
わたしは無い力を振り絞って、足をばたつかせた。
そして、扉が開くと同時に、わたしはふわりと自由になった。
「今までごめんなさい、すみ……」
「墨子ー! 会いたかったわよーっ!!」
温かくて、やわらかな力で抱擁された。
……しばしの沈黙ののち。
「き、きゃあああああ! 誰、この子!?」
木隠家に、女性の叫びがこだました。




