Lily in the fog
数日後、わたしは再びあの場所へ赴いた。
『高等部の校舎の隅から、美しいハミングが聞こえてくる』
という噂を耳にした。
そのハミングの主が、必ずしも先日の彼女であるとは限らない。わたしは彼女のタイをよく見ていなかったため、学年もわからなかった。だから、こうやって直接会いに行くしか、再会する方法が思いつかなかった。
件の場所に近づくと、温かくて、柔らかな旋律が、回りの木々を包み込むように聞こえてきた。わたしには今まで縁のなかった温もりを感じた。
木の陰から、ハミングの発生源を窺う。
校舎の外壁に寄りかかって座っている、一つの人影を捉えた。
「~~♪」
案の定というべきか、予想が当たったというべきか。ハミングの主は、まさしく件の彼女だった。
タイの色はえんじ色。黒っぽい紅のそれは、わたしのものと同じ色であり、わたしと彼女が同学年であるということを示していた。
ここ一帯の自然を巻き込んで、味方にして、清流のように風に乗って流れてくるこの唄は、なるほど、噂にもなるはずだ。
ひととおりのフレーズが終わり、彼女は伏せていた目を開けた。
「えっ!? だ、誰!?」
見つかった。おかしい、ちゃんと頭しか出さないようにして隠れていたはずなのに。……あ、頭か。
「……って、あれ? もしかして、この間の……」
「……」
もうこれ以上隠れていても意味がない。わたしは木陰から姿を現し、歩み寄り。
「あ、そこあぶない!」
「え」
わたしは木の根に足を引っかけて転び、頭を打った。
◆
「ん……」
「あ、起きた……」
わたしの顔を、上から覗き込む彼女。
これは。
「……膝枕?」
「あ、えっと……頭を置けるような物がなかったので、つい……。……嫌……でしたか?」
「……ううん。……ありがとう。……そういえば、名前はなんていうの」
「あ……木隠墨子です。よろしく……お願いします……」
「わたしは倉田楓。よろしく。……また、ここに来てもいい?」
「え……うーん…………はい、いいですよ。それじゃあ、今から……ここは二人だけの場所……ですね」
「……うん」
そうしてわたしは部活の合間をぬって彼女の元を訪れ続けて、何ヵ月かの時が流れ、運命の時がやってきた。
◆
「あの……わたし……好きに、なりました……。倉田さんの、ことが……」
「……そう。……じゃあ、今日から付き合おう」
「えっ……、いいんですか? 女同士とか……」
「むしろなんで駄目なのかがわからない。わたしはあなたの……墨子の気持ちを受け入れた。それでいい。それだけでいい」
思えば、こうして墨子をたぶらかした時から、わたしは彼女の人生を大いに狂わせ始めていた。ただの緊張や驚きによる心拍数の上昇を、恋愛感情だと勘違いさせて。
わざとらしく接近して。
顔を近づけて、肌に触れて。
彼女を誘惑して。
彼女の優しさにつけこんで。
……全ては、わたしが寂しくないように。
これ以上独りぼっちにならないように。
そのために、関係のない他人の家庭を踏み荒らして。
「じゃあ、帰ろう。墨子の家に。わたし、今日から墨子の家に住むから」
「えっ……?」
「わたしのこと、好きなんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
「駄目なの?」
「う、ううん……」
わたしは、彼女の真意を、そして真実を、深い霧の中に閉じ込めた。




