バッファボア
森の中を歩き続けるユート。今日で迷宮から脱出できて三週間目だ。
未だに森から抜け出す事が出来ていない。
だが、彼の口から溢れる言葉は。
「長いなぁ〜」
呑気な感想だけだ。毎日、昼時になるといつも同じような事を口から漏らしている。
そして、続けて言葉を口にする。
「お腹空いたなぁ〜」
迷宮に居た頃からずっと言っている。迷宮の魔物は倒せば物だけを残して消えてしまう。その中で、肉を落としたり、食べれそうな草を落としたりする物を口にしていたが、彼の胃袋を埋め尽くす程は無かった。
今でも、その辺に生えている薬草を千切り取って食べている程だ。
この辺りに出てくる魔物は、ゴブリンやトレント、たまにオーガなどしか出てこない。そんな肉は食えたものではない。トレントなどに至っては、ただの木だ。
その為、腹の足しにとして、薬草を千切っては口に入れ、何とか空腹を誤魔化している。
ブルルルッ
そんな時、彼の集音器付きの耳に聴こえた。この声は、迷宮にも居た魔物だ。そして、倒すと必ずと言っていい程に肉をドロップした魔物。
その声を聞くや否や、彼は一直線に駆け出す。声のした方向へと。
ーーー
鬱蒼と生い茂る草をガサガサと掻き分けて走るのは、いつしか花を引っこ抜いては捨てていた少女だ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
今は、薬草探しよりも、何かから必死に逃げているような感じだ。否、本当に逃げている。
咄嗟に横へと身を投げ出す。すると、一瞬前まで彼女が居た場所を茶色い物体が通り過ぎ、その先にある木に当たったのか、大きな音を響かせて揺らせたーー倒した。
「立って!立ってよ!」
震える足に喝を入れ、立ち上がる。そして、駆け出す。
その背後から物凄い速さで追いかけて来る魔物。
魔物特有の赤目を滾らせ、目の前で逃げる少女に頭に付いた角を突き立てようと突進する。
少女なんかよりももっと大きく、大人の男性を二人合わせても足りない程の大きさを誇る魔物ーーバッファボア。
もし、少女がその魔物に轢かれたものならば、小さな命は一瞬で散ってしまうだろう。
だが、バッファボアは一直線にしか走れない。それが少女にとって唯一の救いだった。
ブレーキの壊れたトラックのように突撃して来るバッファボアを辛うじて避ける少女。
バッファボアの突進の威力は、太い幹の木々をなぎ倒す程に強力だ。
当たれば死。それが少女へ恐怖を与える。例えるならば、高層ビルの縁石を歩いているようなものだ。少しでもミスをしてしまえば、死は間逃れない。
そんな恐怖が彼女を追い立て、無駄に体力を消費させる。
足はガクガクと笑い、けたたましい警報が頭の中に響き続ける。
それでも尚、少女は生きる事を諦めずに走り、避ける。
バッファボアの突進は遅くない。急加速、急停止の容量で、凶悪な角を向けて向かって来る。
木を一つ倒し、ゆっくりと振り返るバッファボア。
また来る突進に備えて少女は立ち上がって走り出す。が、一歩目で木の根に足をつまづいて頭から地面にダイブした。
今すぐに逃げなければ、バッファボアの角の餌食になってしまう。だから、少女は立ち上がろうとする。
「いたっ!?」
だが、無理だった。木の根でつまづいた際に足をくじいてしまったようだ。
ボロボロになったズボンから覗く白い足首は真っ青に腫れ上がってしまっている。
なんとか痛さを我慢して立ち上がる少女。だが、走れない。余りの痛さに顔を歪め、涙を溢す。
振り返ってバッファボアを確認すれば、既に少女へと頭を向け、駆け出す準備をしていた。
足を引きずりながら、少女は逃げようと試みる。だが、こんな速度だと明らかに追い付かれてしまう。いや、もし足が無事だったとしても、バッファボアからは逃げ切れなかっただろう。
「パパ、ママ、ごめんなさい…」
涙をボロボロと零しながらこの場に居ない両親へと謝罪する。足を引きずり、逃げようとしているが、頭では理解してしまっている。もう、逃げれない。と、死んでしまう。と言う事に。
彼女の心は既に諦めきっているのに、身体が勝手に動き、今も逃げようと足を動かす。
「ブルルルッ」
バッファボアが首を振り、少女へとトドメを刺す為に駆け出す。止める事の出来ない大型のトラックが突進して来る。
それでも、少女の足は止まらない。心はもうダメだ。と諦めきっているのに、本能が逃げようと必死に足掻く。
数瞬もしない内に途轍もない衝撃が体を走りーー抜けなかった。
ズドォオォォンと後方から音が鳴り響き、砂漠に吹く猛烈な暑さの突風が駆け抜けた。
足がゆっくりと止まる中、恐る恐る少女は振り返る。そして、目にしたのは、先程までバッファボアが居ただろう場所には抉れた地面があり、それが左へと続いていた。
木々はバッファボアが薙ぎ倒したとは思えない倒れ方をしている。よく見ると、木の断面は綺麗に斬られており、真っ赤に燃えている。
全身の力が抜けてその場にヘナヘナと座り込む少女。
助かった。それだけが彼女の心を埋め尽くす。目の前の光景がなんなのか、何が起こったのかさえ、分からないが、今の少女にできるのはそれしかなかった。
ーーー
声の下方向へと駆け出したユート。だが、声の発生源に辿り着いても、目的の姿はない。あるのは、薙ぎ倒された木々。
周囲を見渡してから、瞳を瞑り、耳を澄ませる。
魔物の鳴き声や、草の音や、虫や鳥の鳴き声が聞こえてくる。その中から、魔物の声と草の音以外をシャットアウトして、より深く聴き分ける。
すると、少し離れた所で草を掻き分ける音と木がバキッと薙ぎ倒される音が聴こえた。
そして、そこから聴こえた「ブルルルッ」の魔物の鳴き声。
彼の食欲は底無しのように感じるが、しっかりと底が存在する。もし、その魔物を口にする事ができたならば、彼の腹は満たされるだろう。
ユートは、獲物を狩る獣の様な獰猛な笑顔を浮かべ、腹一杯になる事を想像してジュルリとヨダレを啜る。
彼のゴーグル越しの瞳には、その魔物の姿しか写っていない。
ポケットからサイコロのような小さな箱を取り出し、そこに”魔力”を流し込む。すると、箱に切れ目が幾重にも入り、パキキッと崩れるように割れた。そこから青白い光が漏れ出し、光が新たな正方形を作り出す。
幾つも出現する正方形が徐々に形を成し、一本の短剣が作り出された。
その間に要した時間は僅かコンマ一秒。
軽く短剣を振るうと、刀身が真っ赤に煮え滾り、灼熱の熱を放出し始める。
獲物を狩る為の武器を手にしたユートは、右足で軽く地面を叩く。癖の様なものだ。だが、それは彼は『しまった』と言わせるに十分だった。
突如、彼の履く靴の踵がカシュッと音を立てて開かれる。そこから見えるのは真っ黒な空洞。
突如、空洞から青白い光が漏れ出したと思えば、勢いよく噴き出し始めた。
青白い光が軌跡として残しながら飛んだ。文字通り、ユート右足は推進力として吹っ飛んだのだ。今の彼は先程までの人間とは思えない程にとても情けない顔をしている。
ユートが魔法と科学を融合させて作った試作品ブースター二号君。
高エネルギーを後方へと射出し、蹴りの威力を上げる為に作り出した一品だ。だが、いかんせん勢いが強すぎた。名前の初めについている通り、試作品であり、失敗作でもある。
それでも、使い道はある。例えば、今彼が使っているように、体を浮かせる事だってできる。のだが、操作は全くできない。貯めた分のエネルギーを全て放出するまで止まらないのだ。
すなわち、目の前に迫る大木へと身体を打ち当て、半ばから破壊しながら進んでも止まらない。自殺願望者用の道具に近い。
彼の右半身はどれだけ硬い木に当たろうとビクともしない。が、それでも、痛みは変わらない。その為、彼は悲鳴をあげる。
「いっ…だあぁあぁっ!!」
その声は気合などではない。苦痛から飛び出す悲鳴だ。
木々にぶつかっても、全く止まらないブースターは容赦なく彼を木の生い茂る方向へとトドメを刺すが如く突き進む。
跳ね返る事もなく、彼の身で木を粉砕させる凶悪な威力だ。
なぜ、こんな時にこれを使ったのかは、彼にしか分からない。いや、彼ですら理解していない。なぜなら、勝手に起動してしまったから。
彼からすれば『そういや、前にこんなの作ったな…』と言う物だ。それ程までに作り出してから時間が経過していた。
その為、糞の所為で靴を履き替える時、ブースターが付いた靴を手に取り、完全に忘れた状態で履いてしまった。
彼の完全なミスである。
「ノォーーッ!!」
眼前に迫る大木に叫びながら激突。そのまま、木を破壊してブチ破る。
今の彼は無傷だ。だが、服は見るも無残なものになってしまっている。
止めたくても止める事ができない。こんな事ならば安全装置か緊急停止を付けるべきだった。と今更ながらに悔やむ。
「ぐうぅぅ……あっ、見つけハグッ」
それでも、目的の魔物は見つける事ができたのは良かったのだろう。代わりに頭を木の枝にぶつけたが。
空中で融通の利かない身体を無理矢理動かし、右足を後ろへと持ち上げる。
すると、地面へと急降下し始める訳で、魔物目掛けて一直線。
「ブフォ!?」
魔物は走っている途中にユートの姿に気が付き、驚いている。その脇腹へと、ユートの頭が命中。所謂、頭突きである。
ブースターの勢いも合わさり、魔物を頭で押したまま、地面を抉りながら突き進む。未だにブースターのエネルギーは切れる気配がない。
ブースターのエネルギーは、魔力を糧にして起動している。ユートの魔力ではなく、周囲に漂う魔力を自動で吸収して使用している。
例えるならば、ソーラー発電のようなものだ。日光が放射する紫外線を吸収して発電するソーラー発電機のように、ブースターは空気中に漂う魔力を吸収し、起動させる。
ハッキリ言ってしまうと、一度起動したら永久的に動き続ける。止まる事はないのだ。
ただ、この状況から逃げ出す方法がないわけではない。備蓄していた魔力を全て消費すると、残るは空気中から取り入れた魔力しかない。
そうなると、必然的にブースターの勢いも落ちる訳で。
「やっとか…」
ブースターの勢いが弱まったのを感じたユートは、魔物ーーバッファボアの首を落とす事でトドメを刺して地面に足を付ける。
だが、弱まったと言っても、ユートの足を引き摺る力は残っている。その為、彼は靴によって体制が崩される。
「おっとっと…」
右足だけが前へ前へと行くので、少しだけ足を浮かせてズンッと力強く地面を踏んだ。
右足は靴と一緒に地面に減り込み、遂にブースターは動けなくなった。ついでに、ユート自身も。
靴紐を解いて、ようやくブースターの脅威から脱したユートは、慣れた手付きで靴に付いているブースターを解体する。
その手際は、人間業とは思えない程に素早かった。まるで、ネジの一本一本が自分から抜け出すかのように、部品の一つ一つが細かく分解された。
「よし、これで一安心…かな?」
配線やホースなど、ブースターを構成していた細かな部品をポケットに入れ、靴底のない靴を拾い上げる。
「片足だけ靴ないって、絶対おかしいやろ…」
しかも、とある事情があって右足だけは靴下も履いていない。その為、素足で地面に足を付ける羽目になった。
「この土の感触…思ったら、裸足での行動で、地面から出てきた変なミミズに足喰われたって、変な話やな…」
迷宮に居た頃、魔物の吐いた炎の所為で靴が燃えてしまった。その後、数日間素足で行動していたのだが、地中から現れた魔物によって右足に魔物が入り込み、中身を食べ始めた。
やむ終えず、彼は右足を切断。切り落とした右足を魔物にくれてやった。
そんな苦い過去を思い出し、乾いた笑みが溢れる。
「今なら笑い話になるけど、あん時はホンマに泣き喚いたもんなぁ…」
彼の言う通り、魔物が右足に侵入してきた時、彼は余りの痛みに絶叫した。地面を転げ回り、歯を食いしばって痛みに耐えようとしたが、耐えきれず、涙ながらに切り落とした。
切り落とした時の痛みは無かった。喪失感と安堵感が湧き上がってきただけだった。
「っと、昔なんか気にしてもしゃーない。今生きてるんやから、今をちゃんと見とかな」
そう自分に言い聞かせ、目の前に倒れているバッファボアを視界に収める。が、彼は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「…あれ?小さい?つか、キラーボアじゃないやん」
バッファボアの姿は彼の何倍も大きい。だが、彼からすれば小さいのだ。彼の言うキラーボアは全長が二〇メートルはあった。ちなみに、迷宮で復活も許さない程に刈り尽くした魔物だ。
だが、目の前にいるバッファボアは五メートル程で、彼の知る魔物よりも明らかに小さい。
「まぁ、ええわ」
それでも、彼の腹を満たすには十分な大きさだ。早速、木の枝を集めて一箇所に集め始める。
いつも持ち歩いているライターでボロ布に火を付けて集めた木の枝の中に放り込む。パチパチと音が鳴り始め、少しずつ火が燃え移って行くのを横目に、料理の準備を開始する。
こう見えて、彼は料理好きだったりするのだ。
バッファボアの皮を剥いで、地面に敷く。その上で、身体を解体して行く。
グロテスクな光景だ。もし、この場にリョーガが居れば、間違いなく吐いていただろう。
作業着のジッパーを下ろし、懐から金属製の串を何本か取り出し、切り分けた肉に突き刺す。そして、それを燃え盛る焚き火近くの地面に刺して、焼く。
とっても簡単な焼肉と言う名の調理方法だ。もし、この場に調味料や他の食料があれば、彼はまた別の料理を作っていただろう。
バッファボアの肉を黙々と食べるユート。本当に彼の胃袋は底無しのように見える。
次から次へと肉を串に刺して焼き、出来上がったものから食べる。
中までシッカリと火が通っていないと、裏返してから入念に焼いている。
既にバッファボアの三分の一を食べきっている。
「あの……」
ユートの背後から声が聞こえた気がしたが、彼は久し振りの飯に夢中だ。
たまに匂いにつられて魔物が現れているが、その件は心配せずとも、魔物達は金属製の串で頭を貫かれて死に絶えている。
「あのっ」
ムシャムシャ、モグモグ、パクパクと絶えず口と手を動かしているユート。左手は肉に串を刺して地面に突き刺し、右手は出来たばかりの肉の付いた串を手に取り、口へと運んでいる。器用だ。
「あのっ!」
「ん?」
やっと声に気が付いて振り返ったユート。口には三本の肉付き串が咥えられている。
振り返って視界に入ったのは、所々に切り傷を作った少女の姿だ。歳はだいたい一六かそこらだろう。オレンジ色のような淡い色の髪で、蒼い瞳は先程まで泣いていたのか、真っ赤に腫れている。
「…へ?」
少女はユートの咥える串を見て、変な声を漏らした。視線を少しズラすと、そこにはバッファボアの切り離された頭と解体された身体が。
「ひっ!」
思わず小さな悲鳴を漏らして後退ろうとした。が、挫いた足の所為で上手く踏ん張れずに尻餅をついてしまった。
「……大丈夫?」
振り返った先に人が居た事に驚いて固まってしまっていたユート。久々のちゃんとした食事に夢中になりすぎて、周囲への警戒を怠ってしまっていたのだ。
少女が転けた事で我に返ったユートは、安否を確かめる為に優しい笑顔を浮かべて尋ねた。
ユート「俺って、ほんまドジやな…」
リョーガ「いつもの事やん」
ユート「…自分で言うのはええけど、人に言われんのって嫌やな」
リョーガ「ドジ!マヌケ!スカポンタン!チンゲンサイ!お前の頭はヘドロ!」
ユート「いや、どんな煽り方やねん…少し傷付くし…」
リョーガ「バーカ、バーカ」
ユート「いつまで続くん?」
リョーガ「バーカ、バーカ」
ユート「はぁー…」
リリィ&ユース「ユート (さん) も苦労してるんのね (ですね) …」




